2023.06.06.07.32
戦争映画 (War Film) と謂うよりも青春映画 (Youth Film) と謂う趣きである。第2次世界大戦 (World War II) [1939~1945年]、その北アフリカ戦線 (North African Campaign) [1940~1943年] やノルマンディー上陸作戦 (Normandy Landings) [1944年] 以降の西部戦線 (The Western Front) が舞台となっているのではあるが。そこで描かれる挫折や成長、なのである。
だからと謂って、戦禍が青年達の人生や恋愛を踏み躙ると謂うよくある物語でもない。寧ろ、戦争と謂う背景があるからこその挫折や成長なのである。
尤も、それはいまと謂う時代にいるぼくからの視点ではあるが。
と、謂うのは、一人のナチス・ドイツ (NS-Staat) の青年将校の挫折と失敗を観る為の映画と解し、それをもって溜飲を下げる事が出来ない事もないからだ。

"THE YOUNG LIONS (1958), Original Movie Poster Artwork" by Alberto Spagnoli
映画『若き獅子たち (The Young Lions)』 [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 原作 エドワード・ドミトリク (Edward Dmytryk) 監督作品 1958年制作] は3人の男優、すなわち、マーロン・ブランド (Marlon Brando)、モンゴメリー・クリフト (Montgomery Clift) そしてディーン・マーティン (Dean Martin) が主演する映画と謂う打ち出しを採用している様ではあるが、彼等が敵味方に別れて激しく敵対する映画でもない。
実質的な主人公はクリスチャン (Lt. Christian Diestl) [演:マーロン・ブランド (Marlon Brando)] であり、彼を主軸にして、それに呼応する様な対称関係として、様々な人物達がこの映画に登場する。誰かは必ず誰かの裏面もしくは影であり、それによって個々が抱える問題、もしくは戦争が与えるモノもしくはその状況が明確となる。勿論、逆もまた真なり、だ。
だけれども、それ故にそこにあるそれぞれの問題は相対化されて表層的なモノにみえてしまう。この映画の弱さはそこにある。
ナチス・ドイツ (NS-Staat) 将校である"主人公"クリスチャン (Lt. Christian Diestl) は、映画の中で3人の女性に出逢う。彼女達にはそれぞれが属する国家そのものを象徴させている様に思える。
米国人 (American) 女性マーガレット (Margaret Freemantle) [演:バーバラ・ラッシュ (Barbara Rush)] は、戦前にクリスチャン (Lt. Christian Diestl) と出逢い、友情以上のモノを彼に抱くが、彼が信奉するモノ、ナチス・ドイツ (NS-Staat) [1933~1945年] が目指しているモノを認める事が出来ない。それ故に、彼との最後の夜を過ごす事が出来ず、その場で別れを告げる。そして激化する戦禍に呼応する様に後に婦人陸軍部隊 (Women's Army Corps) に入隊する [尤も彼はその事実を最期まで知る事はない]。
彼女と対称化されるのが、ドイツ人 (Deutsche) 女性グレッチェン (Gretchen Hardenberg) [演:メイ・ブリット (May Britt)] とフランス人 (Francais) 女性フランシス (Francoise) [演:リリアン・モンテヴェッキ (Liliane Montevecchi)] である。
前者は彼の上官ハーデンバーグ大尉 (Capt. Hardenberg) [演:マクシミリアン・シェル (Maximilian Schell)] の妻であり、その命に従って彼女を訪問した彼は彼女と不倫関係に陥る。
その一方で、ナチス・ドイツ (NS-Staat) に占領されたパリ (Paris) で遭遇する後者には、彼は侮蔑的な態度をとられるが、それが逆に彼女への愛情へと発展する。米国人 (American) 女性であるマーガレット (Margaret Freemantle) の彼への態度は理念によるモノ [しかもそれはあまりにも優等生然としたモノにぼくにはおもえる] だが、フランス人 (Francais) 女性であるフランシス (Francoise) の彼への敵愾心は彼女の実体験があってのモノだからだ。
ひとりのドイツ人 (Deutsche) 女性とひとりのフランス人 (Francais) 女性との差異は、彼がそれぞれに2度目に逢う際により明確になる。
前者は米軍 (United States Armed Forces) の攻撃によってみる影もなくなったかつての場所で、かつての彼との交情だけをよすがに彼を再び誘惑しようとする。しかも自身の夫の部下と謂うみくだす態度も健在なのだ。それが、彼には自身の祖国の没落した姿と重なってしまい、その怒りをそっくりそのまま彼女にぶつけてしまう事しか出来ない。
後者には、初めて逢った際の自身の態度に対する彼の紳士的な行動がいつしか愛情へと昇華させている。そんな印象をそのままフランス (France) と謂う国家に充当させてみると面白い。もしかするとノルマンディー上陸作戦 (Normandy Landings) 以降の激戦がなかったとしても、フランス (France) はナチス・ドイツ (NS-Staat) を懐柔させもしくは圧倒し、占領支配を形骸化させてしまったのかもしれない。そんな事をおもえるからだ。と、謂うのは、敗戦に次ぐ敗戦、撤退に次ぐ撤退を経て、"主人公"の信念が相当にぐらついてきたからなのである。否、それ以前にナチス・ドイツ (NS-Staat) の先鋒となって自身が占領地で行ってきた事が自身の理想とは相反するモノだったからでもある。
3人の女性達との出逢いとは、それらをさらに印象深くする事なのだ。
だから、映画を観ている過程でぼくはこんな事を思う。
”主人公" はグレッチェン (Gretchen Hardenberg) にもフランシス (Francoise) にも再会した。ならばマーガレット (Margaret Freemantle) にも再会せねばならないだろう。そして、自身のあやまちについて、そこで悔悟を表明せねばならない。この映画はそうして完結すべきなのだ、と。
だけれでも、敵味方に分かれて戦闘するふたりが再会すると謂う状況はどうやって実行されるのだろう。そんな危惧がずっとつきまとうのがこの映画だ。
マーガレット (Margaret Freemantle) には恋人がある。クリスチャン (Lt. Christian Diestl) にも表明している。それがマイケル (Michael Whiteacre) [演:ディーン・マーティン (Dean Martin)] である。だが、彼自身は映画の中に於いては、クリスチャン (Lt. Christian Diestl) と必ずしも対称関係とはならない。
そしてクリスチャン (Lt. Christian Diestl) が決して出逢えない女性がひとりいる。ホープ (Hope Plowman) [演:ホープ・ラング (Hope Lange)] である。マイケル (Michael Whiteacre) ともマーガレット (Margaret Freemantle) とも友人である彼女は、彼等の紹介によってユダヤ人 (Jews) 男性ノア (Noah Ackerman) [演:モンゴメリー・クリフト (Montgomery Clift)] に逢う。
映画の冒頭がドイツ (Deutschland)でのクリスチャン (Lt. Christian Diestl) とマーガレット (Margaret Freemantle) の別離であり、それに対称される様に、米国 (The United States Of America) を舞台として描かれるのは先ず、このふたりの出逢いの物語である。それ故にこの映画の"主人公"と対称されるべき人物を彼と看做す事が可能となる。
入隊した彼は、ユダヤ人 (Jews) であるが故に、そこで差別的な待遇に遭遇する。ユダヤ人 (Jews) 男性である彼との恋愛そして結婚をホープ (Hope Plowman) の父ジョン (John Plowman) [演:ヴォーン・テイラー (Vaughn Taylor)] に、自身の熱意をもってなんなく認められたのとは大きな落差が生じている。そしてその際と同様に彼は、ここでも自身の熱意によって真正面からのこの問題の解決を試みる。極めて愚直な方法だ。そう謂えば、彼のホープ (Hope Plowman) への告白もその様な真っ正直な体当たりだ。
そして、それをまのあたりにしたマイケル (Michael Whiteacre) は、兵役を拒否 (Conscientious Objector) する。だが彼は空爆下のロンドン (London) で、それまでの考えを一転し、その場で志願する。そこには婦人陸軍部隊兵 (A Soldier Of Women's Army Corps) のマーガレット (Margaret Freemantle) もいる。
ここで描かれるのは、第2次世界大戦 (World War II) に於いて、決して米軍 (United States Armed Forces) が盤石なモノではなかったと謂う事だ。その勝利には、影もあれば闇もある。それは、クリスチャン (Lt. Christian Diestl) と謂う存在自体が、ナチス・ドイツ (NS-Staat) も決して一枚岩ではない、その証左である事と同様でもある。
だけれども、その解決、少なくともこの映画に於けるそれはあまりに牧歌的なモノの様にぼくにはみえる。
それはこの映画がハリウッド資本 (Hollywood) だから、と謂う事なのだろうか。
ユダヤ人差別 (Anti-Semitism) を題材にした作品として映画『紳士協定 (Gentleman's Agreement)』 [ ローラ・Z・ホブソン (Laura Z. Hobson) 原作 エリア・カザン (Elia Kazan) 監督作品 1947年制作] を以前に観たのだけれども、そこでも感じた隔靴掻痒をここでも感じるのだ。尤も、その映画は公開時にはセンセーショナルなモノだったそうだけれども。
少なくとも、ここで描かれているのはノア (Noah Ackerman) と謂うユダヤ人 (Jews) 青年ひとりに起きた事なのだ。彼自身もそう思っている。それがユダヤ人 (Jews) と謂う民族全体の問題として、彼に認識されるのは出兵して マイケル (Michael Whiteacre) と共に占拠解放したユダヤ人収容所 (Konzentrationslager) を観てからの事なのだ。だから、彼の真の物語はここから始まるべきなのかもしれない。
そこで彼等ふたりはクリスチャン (Lt. Christian Diestl) に初めて出逢うのである。
彼等に遭遇する直前、敵機からの攻撃を逃れて彼はそのユダヤ人収容所 (Konzentrationslager) に辿りつきナチス・ドイツ (NS-Staat) の非道をさらに突きつけられたのである。それ故に彼は失望し、身を護るにしかるべき銃も抛棄し、彷徨っていたのだ。
そんな無防備のナチス・ドイツ (NS-Staat) 将校たる彼を射殺するのが、ユダヤ人 (Jews) の一兵卒ノア (Noah Ackerman) なのである。
だからクリスチャン (Lt. Christian Diestl) はマーガレット (Margaret Freemantle) とは再会しない。再会しないどころか、彼の体験と彼の絶望を誰も知るモノがないのである。
次回は「ち」。
附記 1.:
マーガレット (Margaret Freemantle) が婦人陸軍部隊 (Women's Army Corps) に入隊するのとは対照的にホープ (Hope Plowman) は、ノア (Noah Ackerman) と結婚し彼との1児を得る事になる。ある意味で戦時下に於ける女性の生き方の対称がここでは為されている訳ではあるが、この映画には本来あるべきもうひとつの女性像、ポスター『ロージー・ザ・リベッター (Rosie The Riveter : We Can Do It!)』[J・ハワード・ミラー (J. Howard Miller) 作 1942年制作] に象徴され得る様な勤労女性は登場しないのではあった。
附記 2 . :
ノア (Noah Ackerman) に対する兵舎での差別的行為に参画したのが、彼の直属の上官リケット (1st Sgt. Rickett [演:リー・ヴァン・クリーフ (Lee Van Cleef)] である。こんな役を演ずるのには最適の配役なのかもしれない。印象に遺るのが、このシーンだ。
戦場で敵に包囲された彼の所属部隊から援軍を求めに決死隊を派遣する事になる [その援軍にはマイケル (Michael Whiteacre) が偶然、所属しているのであった]。そのひとりとしてノア (Noah Ackerman) が志願する。それを銃を構えたままで横目で睨みつけるのが彼だ。彼と謂う俳優の独特の一瞥である。この視線をどう解釈したら良いのだろう。"あいつらしいや"、もしくは"やっぱりばかだ"、そんな批評が聴こえてきそうなのだ。そして、その真意を確かめる術もない。何故ならば、彼の登場はそこが最期なのだから。
附記 3. :
クリスチャン (Lt. Christian Diestl) が抱える問題も彼の死によってその追求が放棄された様に、幾つか問題が提起されてあるのにも関わらず、そのまま放置されている。
重症を追ったハーデンバーグ大尉 (Capt. Hardenberg) にはおそらく敗戦国の傷痍軍人 (Verwundetenabzeichen) と謂う生き方が待っている。
フランシス (Francoise) と彼女の友人シモーヌ (Simone) [演:ドラ・ドル (Dora Doll)] は、フランス (France) 解放後、コラボラシオン (Collaboration en France) として断罪される可能性、場合によっては手酷い私刑が待っているかもしれない。
そして。この映画はノア (Noah Ackerman) とホープ (Hope Plowman) との再会で終わっているが、もう1組の恋人達はどうなったのだろうか。
だからと謂って、戦禍が青年達の人生や恋愛を踏み躙ると謂うよくある物語でもない。寧ろ、戦争と謂う背景があるからこその挫折や成長なのである。
尤も、それはいまと謂う時代にいるぼくからの視点ではあるが。
と、謂うのは、一人のナチス・ドイツ (NS-Staat) の青年将校の挫折と失敗を観る為の映画と解し、それをもって溜飲を下げる事が出来ない事もないからだ。

"THE YOUNG LIONS (1958), Original Movie Poster Artwork" by Alberto Spagnoli
映画『若き獅子たち (The Young Lions)』 [アーウィン・ショー (Irwin Shaw) 原作 エドワード・ドミトリク (Edward Dmytryk) 監督作品 1958年制作] は3人の男優、すなわち、マーロン・ブランド (Marlon Brando)、モンゴメリー・クリフト (Montgomery Clift) そしてディーン・マーティン (Dean Martin) が主演する映画と謂う打ち出しを採用している様ではあるが、彼等が敵味方に別れて激しく敵対する映画でもない。
実質的な主人公はクリスチャン (Lt. Christian Diestl) [演:マーロン・ブランド (Marlon Brando)] であり、彼を主軸にして、それに呼応する様な対称関係として、様々な人物達がこの映画に登場する。誰かは必ず誰かの裏面もしくは影であり、それによって個々が抱える問題、もしくは戦争が与えるモノもしくはその状況が明確となる。勿論、逆もまた真なり、だ。
だけれども、それ故にそこにあるそれぞれの問題は相対化されて表層的なモノにみえてしまう。この映画の弱さはそこにある。
ナチス・ドイツ (NS-Staat) 将校である"主人公"クリスチャン (Lt. Christian Diestl) は、映画の中で3人の女性に出逢う。彼女達にはそれぞれが属する国家そのものを象徴させている様に思える。
米国人 (American) 女性マーガレット (Margaret Freemantle) [演:バーバラ・ラッシュ (Barbara Rush)] は、戦前にクリスチャン (Lt. Christian Diestl) と出逢い、友情以上のモノを彼に抱くが、彼が信奉するモノ、ナチス・ドイツ (NS-Staat) [1933~1945年] が目指しているモノを認める事が出来ない。それ故に、彼との最後の夜を過ごす事が出来ず、その場で別れを告げる。そして激化する戦禍に呼応する様に後に婦人陸軍部隊 (Women's Army Corps) に入隊する [尤も彼はその事実を最期まで知る事はない]。
彼女と対称化されるのが、ドイツ人 (Deutsche) 女性グレッチェン (Gretchen Hardenberg) [演:メイ・ブリット (May Britt)] とフランス人 (Francais) 女性フランシス (Francoise) [演:リリアン・モンテヴェッキ (Liliane Montevecchi)] である。
前者は彼の上官ハーデンバーグ大尉 (Capt. Hardenberg) [演:マクシミリアン・シェル (Maximilian Schell)] の妻であり、その命に従って彼女を訪問した彼は彼女と不倫関係に陥る。
その一方で、ナチス・ドイツ (NS-Staat) に占領されたパリ (Paris) で遭遇する後者には、彼は侮蔑的な態度をとられるが、それが逆に彼女への愛情へと発展する。米国人 (American) 女性であるマーガレット (Margaret Freemantle) の彼への態度は理念によるモノ [しかもそれはあまりにも優等生然としたモノにぼくにはおもえる] だが、フランス人 (Francais) 女性であるフランシス (Francoise) の彼への敵愾心は彼女の実体験があってのモノだからだ。
ひとりのドイツ人 (Deutsche) 女性とひとりのフランス人 (Francais) 女性との差異は、彼がそれぞれに2度目に逢う際により明確になる。
前者は米軍 (United States Armed Forces) の攻撃によってみる影もなくなったかつての場所で、かつての彼との交情だけをよすがに彼を再び誘惑しようとする。しかも自身の夫の部下と謂うみくだす態度も健在なのだ。それが、彼には自身の祖国の没落した姿と重なってしまい、その怒りをそっくりそのまま彼女にぶつけてしまう事しか出来ない。
後者には、初めて逢った際の自身の態度に対する彼の紳士的な行動がいつしか愛情へと昇華させている。そんな印象をそのままフランス (France) と謂う国家に充当させてみると面白い。もしかするとノルマンディー上陸作戦 (Normandy Landings) 以降の激戦がなかったとしても、フランス (France) はナチス・ドイツ (NS-Staat) を懐柔させもしくは圧倒し、占領支配を形骸化させてしまったのかもしれない。そんな事をおもえるからだ。と、謂うのは、敗戦に次ぐ敗戦、撤退に次ぐ撤退を経て、"主人公"の信念が相当にぐらついてきたからなのである。否、それ以前にナチス・ドイツ (NS-Staat) の先鋒となって自身が占領地で行ってきた事が自身の理想とは相反するモノだったからでもある。
3人の女性達との出逢いとは、それらをさらに印象深くする事なのだ。
だから、映画を観ている過程でぼくはこんな事を思う。
”主人公" はグレッチェン (Gretchen Hardenberg) にもフランシス (Francoise) にも再会した。ならばマーガレット (Margaret Freemantle) にも再会せねばならないだろう。そして、自身のあやまちについて、そこで悔悟を表明せねばならない。この映画はそうして完結すべきなのだ、と。
だけれでも、敵味方に分かれて戦闘するふたりが再会すると謂う状況はどうやって実行されるのだろう。そんな危惧がずっとつきまとうのがこの映画だ。
マーガレット (Margaret Freemantle) には恋人がある。クリスチャン (Lt. Christian Diestl) にも表明している。それがマイケル (Michael Whiteacre) [演:ディーン・マーティン (Dean Martin)] である。だが、彼自身は映画の中に於いては、クリスチャン (Lt. Christian Diestl) と必ずしも対称関係とはならない。
そしてクリスチャン (Lt. Christian Diestl) が決して出逢えない女性がひとりいる。ホープ (Hope Plowman) [演:ホープ・ラング (Hope Lange)] である。マイケル (Michael Whiteacre) ともマーガレット (Margaret Freemantle) とも友人である彼女は、彼等の紹介によってユダヤ人 (Jews) 男性ノア (Noah Ackerman) [演:モンゴメリー・クリフト (Montgomery Clift)] に逢う。
映画の冒頭がドイツ (Deutschland)でのクリスチャン (Lt. Christian Diestl) とマーガレット (Margaret Freemantle) の別離であり、それに対称される様に、米国 (The United States Of America) を舞台として描かれるのは先ず、このふたりの出逢いの物語である。それ故にこの映画の"主人公"と対称されるべき人物を彼と看做す事が可能となる。
入隊した彼は、ユダヤ人 (Jews) であるが故に、そこで差別的な待遇に遭遇する。ユダヤ人 (Jews) 男性である彼との恋愛そして結婚をホープ (Hope Plowman) の父ジョン (John Plowman) [演:ヴォーン・テイラー (Vaughn Taylor)] に、自身の熱意をもってなんなく認められたのとは大きな落差が生じている。そしてその際と同様に彼は、ここでも自身の熱意によって真正面からのこの問題の解決を試みる。極めて愚直な方法だ。そう謂えば、彼のホープ (Hope Plowman) への告白もその様な真っ正直な体当たりだ。
そして、それをまのあたりにしたマイケル (Michael Whiteacre) は、兵役を拒否 (Conscientious Objector) する。だが彼は空爆下のロンドン (London) で、それまでの考えを一転し、その場で志願する。そこには婦人陸軍部隊兵 (A Soldier Of Women's Army Corps) のマーガレット (Margaret Freemantle) もいる。
ここで描かれるのは、第2次世界大戦 (World War II) に於いて、決して米軍 (United States Armed Forces) が盤石なモノではなかったと謂う事だ。その勝利には、影もあれば闇もある。それは、クリスチャン (Lt. Christian Diestl) と謂う存在自体が、ナチス・ドイツ (NS-Staat) も決して一枚岩ではない、その証左である事と同様でもある。
だけれども、その解決、少なくともこの映画に於けるそれはあまりに牧歌的なモノの様にぼくにはみえる。
それはこの映画がハリウッド資本 (Hollywood) だから、と謂う事なのだろうか。
ユダヤ人差別 (Anti-Semitism) を題材にした作品として映画『紳士協定 (Gentleman's Agreement)』 [ ローラ・Z・ホブソン (Laura Z. Hobson) 原作 エリア・カザン (Elia Kazan) 監督作品 1947年制作] を以前に観たのだけれども、そこでも感じた隔靴掻痒をここでも感じるのだ。尤も、その映画は公開時にはセンセーショナルなモノだったそうだけれども。
少なくとも、ここで描かれているのはノア (Noah Ackerman) と謂うユダヤ人 (Jews) 青年ひとりに起きた事なのだ。彼自身もそう思っている。それがユダヤ人 (Jews) と謂う民族全体の問題として、彼に認識されるのは出兵して マイケル (Michael Whiteacre) と共に占拠解放したユダヤ人収容所 (Konzentrationslager) を観てからの事なのだ。だから、彼の真の物語はここから始まるべきなのかもしれない。
そこで彼等ふたりはクリスチャン (Lt. Christian Diestl) に初めて出逢うのである。
彼等に遭遇する直前、敵機からの攻撃を逃れて彼はそのユダヤ人収容所 (Konzentrationslager) に辿りつきナチス・ドイツ (NS-Staat) の非道をさらに突きつけられたのである。それ故に彼は失望し、身を護るにしかるべき銃も抛棄し、彷徨っていたのだ。
そんな無防備のナチス・ドイツ (NS-Staat) 将校たる彼を射殺するのが、ユダヤ人 (Jews) の一兵卒ノア (Noah Ackerman) なのである。
だからクリスチャン (Lt. Christian Diestl) はマーガレット (Margaret Freemantle) とは再会しない。再会しないどころか、彼の体験と彼の絶望を誰も知るモノがないのである。
次回は「ち」。
附記 1.:
マーガレット (Margaret Freemantle) が婦人陸軍部隊 (Women's Army Corps) に入隊するのとは対照的にホープ (Hope Plowman) は、ノア (Noah Ackerman) と結婚し彼との1児を得る事になる。ある意味で戦時下に於ける女性の生き方の対称がここでは為されている訳ではあるが、この映画には本来あるべきもうひとつの女性像、ポスター『ロージー・ザ・リベッター (Rosie The Riveter : We Can Do It!)』[J・ハワード・ミラー (J. Howard Miller) 作 1942年制作] に象徴され得る様な勤労女性は登場しないのではあった。
附記 2 . :
ノア (Noah Ackerman) に対する兵舎での差別的行為に参画したのが、彼の直属の上官リケット (1st Sgt. Rickett [演:リー・ヴァン・クリーフ (Lee Van Cleef)] である。こんな役を演ずるのには最適の配役なのかもしれない。印象に遺るのが、このシーンだ。
戦場で敵に包囲された彼の所属部隊から援軍を求めに決死隊を派遣する事になる [その援軍にはマイケル (Michael Whiteacre) が偶然、所属しているのであった]。そのひとりとしてノア (Noah Ackerman) が志願する。それを銃を構えたままで横目で睨みつけるのが彼だ。彼と謂う俳優の独特の一瞥である。この視線をどう解釈したら良いのだろう。"あいつらしいや"、もしくは"やっぱりばかだ"、そんな批評が聴こえてきそうなのだ。そして、その真意を確かめる術もない。何故ならば、彼の登場はそこが最期なのだから。
附記 3. :
クリスチャン (Lt. Christian Diestl) が抱える問題も彼の死によってその追求が放棄された様に、幾つか問題が提起されてあるのにも関わらず、そのまま放置されている。
重症を追ったハーデンバーグ大尉 (Capt. Hardenberg) にはおそらく敗戦国の傷痍軍人 (Verwundetenabzeichen) と謂う生き方が待っている。
フランシス (Francoise) と彼女の友人シモーヌ (Simone) [演:ドラ・ドル (Dora Doll)] は、フランス (France) 解放後、コラボラシオン (Collaboration en France) として断罪される可能性、場合によっては手酷い私刑が待っているかもしれない。
そして。この映画はノア (Noah Ackerman) とホープ (Hope Plowman) との再会で終わっているが、もう1組の恋人達はどうなったのだろうか。
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