2023.05.16.07.54
たべるのりとたべないのりがある。たべるのりだからといっていつたべてもいいわけではない。たべないのりだからといってたべられないわけでもない。そして、たべるたべないたべられるたべられないをきめるのもまたのりなのである。
禅問答 (Koan) の様な事を冒頭に綴ってしまった。
最初ののり (Nori) は糊 (Paste) と謂う。次ののり (Nori) は海苔 (Seaweed) と謂う。
そして最期に登場するのり (Nori) は法 (Nori) とか則 (Nori) とか典 (Nori) とか式 (Nori) とか律 (Nori) とか規 (Nori) とか範 (Nori) とか謂う。この他にもあるのかもしれないがそれ以前に、ここに列挙したのり (Nori) が総ておなじのり (Nori) の事なのかはいまのぼくにはよく解らない。そしてその英訳も総てロウ (Law) で良いのかどうかも解らない。冒頭でぼくが指し示した最期ののり (Nori) とはつまり、英語で謂うロウ (Law) の事なのである。そのロウ (Law) すなわちのり (Nori) には、慣習上のモノもあれば、成文化されたモノもある。そしてそれと同等に、概念としてのみ存在しているモノもあれば、書籍等、現実に物質として実在しているモノもあるのだから、個別の、その相違を把握する為には考えるべき事は幾らでもある。
こんな事を考えてしまったのは、民話 (Japanese Folktales)『舌切り雀 (Shita-kiri Suzume : Tongue-Cut Sparrow)』の事を考えたからである。
その民話 (Japanese Folktales) では、タイトル・ロール (Title Role) である雀 (Tree Sparrow) はのり (Nori) を喰べた、その罪科の処罰として、その民話 (Japanese Folktales) の実は、真の主人公たる老婆 (The Old Woman) によって、その舌 (Tongue) を切断されてしまうのである。
それは一体、何故か。
極論をもってすれば、雀 (Tree Sparrow) の行為はその所有者たる老婆 (The Old Woman) の財物を本人の許諾を得る事なく喰し、さらにそれに対する対価を支払わなかった事によって窃盗罪 (Larceny) が成立する事になる。
そうだとすると、と同時に実際にそうなのだが、それを事由に申し立てるのであるのならば、冒頭の禅問答 (Koan) は不要のモノとなってしまう。
ロウ (Law) すなわちのり (Nori) が稼働するだけだ。そして考えるべきはその次の段階に移行する。その為に、裁判所 (Court) と謂う存在があるのだ。
だがそれと、同時に、その様な申し立てに対しては、先ず、雀 (Tree Sparrow) が老婆 (The Old Woman) の配偶者たる老爺 (The Old Man) の飼育である事をもって反論する事が出来るかも知れない。
老爺 (The Old Man) の被飼育であると謂う点をもって、雀 (Tree Sparrow) の行為の管理責任は彼にこそあるのではないか、つまり、舌 (Tongue) 切断の処罰、もしくはそれに相応する罪科は老爺 (The Old Man) に対してこそ、有効ではないだろうか。また、配偶者の被飼育にあると謂う事はその雀 (Tree Sparrow) を彼等、夫婦 (The Couple) の家族と看做す事が可能ではないだろうか。だとすれば、家計を一にする家族内に於いて窃盗罪 (Larceny) を主張する事は困難ではないだろうか。裁判所 (Court) が活躍するべきところは先ずにここだ [この後にも登場の余地は何度かあるが、これ以降、指摘はしない]。
そう謂う事ではない。
考えるべき点は実は違う事にある。
老婆 (The Old Woman) ののり (Nori) を窃喰した点をもってすればそののり (Nori) とは食餌可能なモノだと判断出来る [食餌不可能なモノを喰したとなると、また違う問題は発生する。それは後に登場する]。
例えば、老婆 (The Old Woman) が老爺 (The Old Man) の中食用の弁当をつくっているのならば、そののり (Nori) は食餌可能なモノとなる筈だ。また、例えば民話 (Japanese Folktales) の老夫婦 (The Old Couple) の住居地が漁村 (Fishing Village) であれば、そののり (Nori) は水産物 (Aquatic Product) もしくはそれに準ずる存在であると看做す事も出来る筈だ。だが、これに対しては、巖谷小波 (Iwaya Sazanami) の主張が障壁となる。この民話 (Japanese Folktales) の発祥地は磯部温泉 (Isobe Onsen) なのだと謂う。
しかも、その民話 (Japanese Folktales) の語る事に従えば、老婆 (The Old Woman) は洗濯に供する為に、のり (Nori) を使用していたとある。
で、あるのならば、そののり (Nori) は食餌でも水産物 (Aquatic Product) でもなく、接着剤 (Adhesive) である可能性の方が高い。
ところが、ここでややこしくなる。
冒頭に綴った様に、のり (Nori) には2種類ある。糊 (Paste) と海苔 (Seaweed) だ。だけれども、前者が非食用であり、後者が食用であると決定づける事は必ずしも可能ではない。糊 (Paste) は元来、穀物 (Grain) から生成されたモノでありその結果食餌可能なのであり、その一方で海苔 (Seaweed) には接着剤 (Adhesive) として使用可能な布海苔 (Gloiopeltis) があるからだ。
老婆 (The Old Woman) が洗濯に用いるつもりだったのり (Nori) はいずれであるだろうか。先に綴った様に、磯部温泉 (Isobe Onsen) が民話 (Japanese Folktales) 発祥地であるのならば、その土地に暮らす人々の職業が漁業 (Fishing Industry) であるとする可能性は少ないだろうが、だからと謂って、そこが温泉 (Onsen) と謂う遊興地であるのならば、自ずと商業 (Commerce) も発展しているであろう。穀物 (Grain) 由来の糊 (Paste) だろうと、水産物 (Aquatic Product) 由来の布海苔 (Gloiopeltis) だろうと、老婆 (The Old Woman) が購入する事が出来ないモノとは限らない。
と、謂う事は、のり (Nori) が糊 (Paste) であろうと海苔 (Seaweed) であろうと、老婆 (The Old Woman) が洗濯用に用意したのり (Nori) を喰した事、それ自体をもって、その刑罰が執行されたのであろうか。
つまり、食用が不可能なのり (Nori) を喰ったのがその責であるのではなく、食用するに相応しくない状況下に於いて喰した点にその責があるのであろうか。
つまり、TVアニメ番組『サザエさん (Sazae-san)』 [長谷川町子 (Machiko Hasegawa) 原作 1969フジテレビ系列放映] の文脈で謂えば、幼児たる波野イクラ (Ikura Namino) がその実母、波野タイコ (Taiko Namino) の眼の届かぬときに玩具を咥えてしまったと謂うよりも、磯野カツオ (Katsuo Isono) が茶箪笥にあるおやつをつまみ喰いしていた現場をその実姉、フグ田サザエ (Sazae Fuguta) が押さえ付けた、そんな状況に似ているのであろうか。
それは、英語文法 (English Grammar) の問題、助動詞 (English Auxiliary Verbs) のキャン (Can) とメイ (May) の相違もしくは使い分けの問題にもおもえる [それを禅問答 (Koan) の様に綴ってみせたのが冒頭文である]。
と、謂う点とは別に、雀 (Tree Sparrow) が喰ったのり (Nori) と謂うモノの評価もしくは価値と謂うモノが、実はよく解らないのだ。
それは果たして高価なモノだったのだろうか、さもないとしても仮に、自家製が可能なモノであるのならば、それに要する時間と労力は如何程のモノなのだろうか。そこが実はさっぱりと解らない。
つまり、のり (Nori) の窃盗罪 (Larceny) の懲罰として犯人の舌 (Tongue) を切断する、その行為の妥当性が不明なのである。
民話 (Japanese Folktales) の中で語られる、老婆 (The Old Woman) の行為をみてみると、彼女の断罪はその為にする行為、すなわち用意周到に設けられた計略である様にも読めるし、と同時にまた、のり (Nori) を喰わねばならぬ程に、雀 (Tree Sparrow) の飼育環境は過酷なモノだったのかもしれないとも読めてしまう。
現代に於いては、洗濯に供するのり (Nori) が穀物 (Grain) 由来であろうと水産物 (Aquatic Product) 由来であろうとも、またはそれ以外の原材料が用いられていようとも、そしてそののり (Nori) が食餌可能や否やに関わらず、まずだれも喰そうとは思わない。その判別はもしかしたら、幼児たる波野イクラ (Ikura Namino) でさえも判断可能な事なのかも知れない。
だから、現代に暮らすぼく達は、のり (Nori) を喰す雀 (Tree Sparrow) の行為そのものが、愚かなモノに先ずは思えてしまう [それはそののり (Nori) が洗濯時に使用されると謂う前提があっての事だ]。
それ故に、その愚かさにつけこんでの老婆 (The Old Woman) の残虐行為とばかり、ぼく達は考えてしまってはいないだろうか [そしてその愚かさを見誤ったが故の、物語後半での老婆 (The Old Women) の失態が待っているのだ、と]。
次回は「り」。
附記:
下掲図は葛飾北斎 (Hokusai) による連作『肉筆画帖 (Nikuhitsugacho : Handwriting Sketch Book)』よりその1作『はさみと雀 (Sparrow And Scissors)』 [1835~1844年頃の作 島根県立美術館 (Shimane Art Museum) 所蔵] である。雀 (Tree Sparrow) と鋏 (Nigiri Shears) しか描かれていないのに関わらず、ぼく達がその民話 (Japanese Folktales) を想起するのは簡単だ。だが、この作品を含む連作10点が民話 (Japanese Folktales) を題材としたモノかと謂うと、そうでもない様だ。そこにあるのは生物もしくはそこから製造された食品と、ある景物との対比だけなのである。
と、謂う事は、本作を描いた画家に、雀 (Tree Sparrow) と謂えば鋏 (Nigiri Shears) と謂う連想が働いた、もしくはその逆で、鋏 (Nigiri Shears) と謂えば雀 (Tree Sparrow) が連想された、と謂う事なのであろうか。それ程に、その鳥類 (Aves) とその道具は不可分にも密接な関係にあるのであろうか。

禅問答 (Koan) の様な事を冒頭に綴ってしまった。
最初ののり (Nori) は糊 (Paste) と謂う。次ののり (Nori) は海苔 (Seaweed) と謂う。
そして最期に登場するのり (Nori) は法 (Nori) とか則 (Nori) とか典 (Nori) とか式 (Nori) とか律 (Nori) とか規 (Nori) とか範 (Nori) とか謂う。この他にもあるのかもしれないがそれ以前に、ここに列挙したのり (Nori) が総ておなじのり (Nori) の事なのかはいまのぼくにはよく解らない。そしてその英訳も総てロウ (Law) で良いのかどうかも解らない。冒頭でぼくが指し示した最期ののり (Nori) とはつまり、英語で謂うロウ (Law) の事なのである。そのロウ (Law) すなわちのり (Nori) には、慣習上のモノもあれば、成文化されたモノもある。そしてそれと同等に、概念としてのみ存在しているモノもあれば、書籍等、現実に物質として実在しているモノもあるのだから、個別の、その相違を把握する為には考えるべき事は幾らでもある。
こんな事を考えてしまったのは、民話 (Japanese Folktales)『舌切り雀 (Shita-kiri Suzume : Tongue-Cut Sparrow)』の事を考えたからである。
その民話 (Japanese Folktales) では、タイトル・ロール (Title Role) である雀 (Tree Sparrow) はのり (Nori) を喰べた、その罪科の処罰として、その民話 (Japanese Folktales) の実は、真の主人公たる老婆 (The Old Woman) によって、その舌 (Tongue) を切断されてしまうのである。
それは一体、何故か。
極論をもってすれば、雀 (Tree Sparrow) の行為はその所有者たる老婆 (The Old Woman) の財物を本人の許諾を得る事なく喰し、さらにそれに対する対価を支払わなかった事によって窃盗罪 (Larceny) が成立する事になる。
そうだとすると、と同時に実際にそうなのだが、それを事由に申し立てるのであるのならば、冒頭の禅問答 (Koan) は不要のモノとなってしまう。
ロウ (Law) すなわちのり (Nori) が稼働するだけだ。そして考えるべきはその次の段階に移行する。その為に、裁判所 (Court) と謂う存在があるのだ。
だがそれと、同時に、その様な申し立てに対しては、先ず、雀 (Tree Sparrow) が老婆 (The Old Woman) の配偶者たる老爺 (The Old Man) の飼育である事をもって反論する事が出来るかも知れない。
老爺 (The Old Man) の被飼育であると謂う点をもって、雀 (Tree Sparrow) の行為の管理責任は彼にこそあるのではないか、つまり、舌 (Tongue) 切断の処罰、もしくはそれに相応する罪科は老爺 (The Old Man) に対してこそ、有効ではないだろうか。また、配偶者の被飼育にあると謂う事はその雀 (Tree Sparrow) を彼等、夫婦 (The Couple) の家族と看做す事が可能ではないだろうか。だとすれば、家計を一にする家族内に於いて窃盗罪 (Larceny) を主張する事は困難ではないだろうか。裁判所 (Court) が活躍するべきところは先ずにここだ [この後にも登場の余地は何度かあるが、これ以降、指摘はしない]。
そう謂う事ではない。
考えるべき点は実は違う事にある。
老婆 (The Old Woman) ののり (Nori) を窃喰した点をもってすればそののり (Nori) とは食餌可能なモノだと判断出来る [食餌不可能なモノを喰したとなると、また違う問題は発生する。それは後に登場する]。
例えば、老婆 (The Old Woman) が老爺 (The Old Man) の中食用の弁当をつくっているのならば、そののり (Nori) は食餌可能なモノとなる筈だ。また、例えば民話 (Japanese Folktales) の老夫婦 (The Old Couple) の住居地が漁村 (Fishing Village) であれば、そののり (Nori) は水産物 (Aquatic Product) もしくはそれに準ずる存在であると看做す事も出来る筈だ。だが、これに対しては、巖谷小波 (Iwaya Sazanami) の主張が障壁となる。この民話 (Japanese Folktales) の発祥地は磯部温泉 (Isobe Onsen) なのだと謂う。
しかも、その民話 (Japanese Folktales) の語る事に従えば、老婆 (The Old Woman) は洗濯に供する為に、のり (Nori) を使用していたとある。
で、あるのならば、そののり (Nori) は食餌でも水産物 (Aquatic Product) でもなく、接着剤 (Adhesive) である可能性の方が高い。
ところが、ここでややこしくなる。
冒頭に綴った様に、のり (Nori) には2種類ある。糊 (Paste) と海苔 (Seaweed) だ。だけれども、前者が非食用であり、後者が食用であると決定づける事は必ずしも可能ではない。糊 (Paste) は元来、穀物 (Grain) から生成されたモノでありその結果食餌可能なのであり、その一方で海苔 (Seaweed) には接着剤 (Adhesive) として使用可能な布海苔 (Gloiopeltis) があるからだ。
老婆 (The Old Woman) が洗濯に用いるつもりだったのり (Nori) はいずれであるだろうか。先に綴った様に、磯部温泉 (Isobe Onsen) が民話 (Japanese Folktales) 発祥地であるのならば、その土地に暮らす人々の職業が漁業 (Fishing Industry) であるとする可能性は少ないだろうが、だからと謂って、そこが温泉 (Onsen) と謂う遊興地であるのならば、自ずと商業 (Commerce) も発展しているであろう。穀物 (Grain) 由来の糊 (Paste) だろうと、水産物 (Aquatic Product) 由来の布海苔 (Gloiopeltis) だろうと、老婆 (The Old Woman) が購入する事が出来ないモノとは限らない。
と、謂う事は、のり (Nori) が糊 (Paste) であろうと海苔 (Seaweed) であろうと、老婆 (The Old Woman) が洗濯用に用意したのり (Nori) を喰した事、それ自体をもって、その刑罰が執行されたのであろうか。
つまり、食用が不可能なのり (Nori) を喰ったのがその責であるのではなく、食用するに相応しくない状況下に於いて喰した点にその責があるのであろうか。
つまり、TVアニメ番組『サザエさん (Sazae-san)』 [長谷川町子 (Machiko Hasegawa) 原作 1969フジテレビ系列放映] の文脈で謂えば、幼児たる波野イクラ (Ikura Namino) がその実母、波野タイコ (Taiko Namino) の眼の届かぬときに玩具を咥えてしまったと謂うよりも、磯野カツオ (Katsuo Isono) が茶箪笥にあるおやつをつまみ喰いしていた現場をその実姉、フグ田サザエ (Sazae Fuguta) が押さえ付けた、そんな状況に似ているのであろうか。
それは、英語文法 (English Grammar) の問題、助動詞 (English Auxiliary Verbs) のキャン (Can) とメイ (May) の相違もしくは使い分けの問題にもおもえる [それを禅問答 (Koan) の様に綴ってみせたのが冒頭文である]。
と、謂う点とは別に、雀 (Tree Sparrow) が喰ったのり (Nori) と謂うモノの評価もしくは価値と謂うモノが、実はよく解らないのだ。
それは果たして高価なモノだったのだろうか、さもないとしても仮に、自家製が可能なモノであるのならば、それに要する時間と労力は如何程のモノなのだろうか。そこが実はさっぱりと解らない。
つまり、のり (Nori) の窃盗罪 (Larceny) の懲罰として犯人の舌 (Tongue) を切断する、その行為の妥当性が不明なのである。
民話 (Japanese Folktales) の中で語られる、老婆 (The Old Woman) の行為をみてみると、彼女の断罪はその為にする行為、すなわち用意周到に設けられた計略である様にも読めるし、と同時にまた、のり (Nori) を喰わねばならぬ程に、雀 (Tree Sparrow) の飼育環境は過酷なモノだったのかもしれないとも読めてしまう。
現代に於いては、洗濯に供するのり (Nori) が穀物 (Grain) 由来であろうと水産物 (Aquatic Product) 由来であろうとも、またはそれ以外の原材料が用いられていようとも、そしてそののり (Nori) が食餌可能や否やに関わらず、まずだれも喰そうとは思わない。その判別はもしかしたら、幼児たる波野イクラ (Ikura Namino) でさえも判断可能な事なのかも知れない。
だから、現代に暮らすぼく達は、のり (Nori) を喰す雀 (Tree Sparrow) の行為そのものが、愚かなモノに先ずは思えてしまう [それはそののり (Nori) が洗濯時に使用されると謂う前提があっての事だ]。
それ故に、その愚かさにつけこんでの老婆 (The Old Woman) の残虐行為とばかり、ぼく達は考えてしまってはいないだろうか [そしてその愚かさを見誤ったが故の、物語後半での老婆 (The Old Women) の失態が待っているのだ、と]。
次回は「り」。
附記:
下掲図は葛飾北斎 (Hokusai) による連作『肉筆画帖 (Nikuhitsugacho : Handwriting Sketch Book)』よりその1作『はさみと雀 (Sparrow And Scissors)』 [1835~1844年頃の作 島根県立美術館 (Shimane Art Museum) 所蔵] である。雀 (Tree Sparrow) と鋏 (Nigiri Shears) しか描かれていないのに関わらず、ぼく達がその民話 (Japanese Folktales) を想起するのは簡単だ。だが、この作品を含む連作10点が民話 (Japanese Folktales) を題材としたモノかと謂うと、そうでもない様だ。そこにあるのは生物もしくはそこから製造された食品と、ある景物との対比だけなのである。
と、謂う事は、本作を描いた画家に、雀 (Tree Sparrow) と謂えば鋏 (Nigiri Shears) と謂う連想が働いた、もしくはその逆で、鋏 (Nigiri Shears) と謂えば雀 (Tree Sparrow) が連想された、と謂う事なのであろうか。それ程に、その鳥類 (Aves) とその道具は不可分にも密接な関係にあるのであろうか。

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