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2023.04.11.08.46

やまさちひことうみさちひこ

その神話 (Mythology) に対して、なんとなくもやもやしたモノを感ずるのは、ぼくが長男、3歳下に弟がひとりいるからだ。
と、謂うのならば、『旧約聖書 (Vetus Testamentum)』は『創世記 (Liber Genesis)』、その第4章 (4) に登場する兄弟、カイン (Cain) とアベル (Abel) にも同種のモノを感ずる筈ではあるのだが、こちらは逆にどことなく誇らしくもおもうのも否定できない。
だからと謂って、ぼく達2人の仲が悪いと謂うモノでもないだろう。単に、もう数十年も逢っていないだけなのだ [そうだよなぁ?]。

ぼくの記憶が正しければ、この神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』は幼い時、人形アニメ (Puppetoons) で観た筈なのである。当時、ぼく達の棲んでいるところから歩いて数十分、いまの脚ならば十数分で辿り着けるところに、かつての城砦がある。そこは [ぼく達にとっての] 昔も今もおおきな公園となっている。かつてそこには児童向けの博物館があって、その2階は上映施設となっていた。そこで観た筈だ。その人形アニメ (Puppetoons) 以外に、映画『少年ジャックと魔法使い (Jack And The Witch)』 [藪下泰次 (Taiji Yabushita) 監督作品 1967年制作] を観た記憶はある。
[その記憶が同時の体験に基くモノだったのか、それとも、異なる年月日時だったのかは定かではない。序でに綴っておくと、その施設に向かう途上には、ナショナル (Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.) のショールーム (Showroom) があって、時折、児童向けの映画が上映されていた。そこで観たのは、映画『怪獣大戦争 (Invasion Of Astro-Monster)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1965年制作] なのである]。

[尚、ぼくの観た人形アニメ (Puppetoons) は、神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』のあらそいから後者の敗北へと至るまでの物語である。神話 (Mythology) それ自体は、前者を主人公とした英雄譚 (HIroic Tale) へと変転し、その後の物語へと継続していくのであるが、拙稿で指示するその神話 (Mythology) は、兄弟の和解、もしくは兄の弟に対する隷従までの範囲に限定しておこうとおもう。下掲画像は一瞬、前者の英雄譚 (HIroic Tale) を描いたモノの様にみえてしまうかもしれないが、そこに描かれている (Red Seabream) がこの神話 (Mythology) に果たした役割をみれば、必ずしもそうとは断言出来ない事が解るだろう。]

images
月岡芳年 (Tsukioka Yoshitoshi) 画 連作『美勇水滸伝 (Handsome And Brave Heroes Of The Suikoden)』[1867年作] より『炎出見命 (Hodemi No Mikoto Riding A Sea Bream)』 [1867年作]

と、謂う事を前提にして、検索してみると登場するのが、人形アニメ (Puppetoons)『海ひこ山ひこ (Umihiko Yamahiko)』 [渡辺和彦 'Kazuhiko Watanabwe) 監督作品 1968年制作] である。そして、それに付随して、東宝怪獣映画 (Toho Monster Movie) の2本立 (Duble Feature)、『怪獣総進撃 (Destroy All Monsters』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1968年制作] と映画『海底軍艦 (Atragon)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1963年制作] と併映されたのが、その映画の封切時だったとされている。
と、謂う資料を読むと、ぼくは頸を傾げてしまうのだ。と、謂うのは、その2本立怪獣映画 (The Monster Movies Souble Feature) はぼくも体験している筈だ。しかも、その2本立 (Double Feature) は、繁華街 [ぼく達はそこを "おまち" と呼び慣わしていた] にある映画館で観た数ヶ月後に、ぼくの近所にあった映画館 [今はとっくに亡い] でも体験している [だって11匹もの怪獣達が出てくるんだぜ]。でも、そのいずれの際でも、その映画を観たと謂う記憶はない [それとも単に忘却してしまっているだけなのか]。
また、現在ネット上で観る事の出来る映像はそこにはあるが、それがぼくの観た人形アニメ (Puppetoons) であると断定は出来ないのであった。もしかしたら、ぼくが当時棲んでいる地域では、その映画は併映されなかった、と謂う可能性はある。
ぼくの記憶にあるのは、もっと異なる映像であって、それがその映画の一部を成しているかも、なんとも謂えないのだ。
だから、もしかしたら、その映画とは異なる人形アニメ (Puppetoons) 、しかもその人形アニメ (Puppetoons) よりも早い時季に異なる人形アニメ (Puppetoons) が存在しているのではないだろうか、そんな気さえもするのである。

ところで、神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』では、ふたりっきりの兄弟が、自身の環境を交換 (Exchange) する事から始まる。そして、その結果、いずれに対してもあらたな環境は自身に相応しくはないのだと知る。つまり、お互いがお互いに、隣の芝生は青くみえていた (The Grass Is Always Greener On The Other Side) だけと謂う事実が明らかになる。と、謂う点だけを眺めてみると、同種の物語が幾つかおもいつく。
例えばイソップ寓話 (Aesop's Fables) の童話『田舎の鼠と町の鼠 (The Town Mouse And The Country Mouse)』である。そして、そこから得るべき教訓を悪用した様な物語に、同じく童話『狐と鶴の御馳走 (The Fox And The Stork)』がある。
そして、それをやや近代的な教訓めいた物語に仕立て上げたのが児童文学『王子と乞食 (The Prince And The Pauper)』 [マーク・トウェイン (1881年発表] なのであろう。この物語は、隣の芝生が青くみえる (The Grass Is Always Greener On The Other Side) 事を知った後、お互いが元の環境に立ち返った後のお互いが共に、ほんの少し成長している事が暗示されている。単に、他者を羨む事を慎むだけでなく、他者の立場や地位と謂うモノが理解出来る様になるのだ。おもいやり (Compassion) と謂うモノ、寛容 (Cahrity) と謂うモノの誕生である。
そんな児童文学『王子と乞食 (The Prince And The Pauper)』のきっと影響なのだろう、本来は物語『とりかへばや物語 (Torikaebaya Monogatari : "If Only I Could Exchange Them!)』 [作者不詳 11~12世紀頃] の翻案、現代化で済むべき処をそうではない結末へと横着させているのが、児童文学『おれがあいつであいつがおれで (I Are You, You Am Me)』 [山中恒 (Hisashi Yamanaka) 作 19791980年 小6時代連載] と、それを原作とする映画『転校生 (I Are You, You Am Me)』 [大林宣彦 (Nobuhiko Obayashi) 監督作品 1982年制作] である。しかもそればかりではない。以降、その原作小説とその翻案映画を原典、もしくは参照して登場する入れ替わり (Replacement) の物語群がある。これらの作品群が原義としているのは、元を糺せば、児童文学『王子と乞食 (The Prince And The Pauper)』なのだろう。だが、それではぼくは面白くはない。そうではなくて、童話『田舎の鼠と町の鼠 (The Town Mouse And The Country Mouse)』にこそ、その原義を求めるべき筈である、とぼくは思うのだ。何故ならば、その様な入れ替わり (Replacement) の物語群の繁茂にいい加減うんざりしてもいるからだからだ。入れ替わり (Replacement) の対象のヴァリエーション (Variation) ではなく、その結果の帰着のヴァリエーション (varieation) をこそ要求したいとおもっているからなのである。
極論を弄べば、童話『狐と鶴の御馳走 (The Fox And The Stork)』の現代版が登場すべきではないか、そう思っているのである [それともぼくが知らないだけで既にその様な作品はあるのだろうか]。

拙稿の行方がすこし妖しくなってきた。軌道を修正しよう。

本来ならば、童話『田舎の鼠と町の鼠 (The Town Mouse And The Country Mouse)』から児童文学『王子と乞食 (The Prince And The Pauper)』へと至るおなじ潮流を漂流しているべき作品、すなわち交換 (Exchange) の物語であるのにも関わらず、神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』はそうではない。
交換 (Exchabge) から始まるその物語は、ひとつの瑕疵からお互いの間に、齟齬も生ずれば確執も生じ、結果的に争闘へと転換していく。

そしてそれがあるが故に、ぼく達は『旧約聖書 (Vetus Testamentum)』は『創世記 (Liber Genesis)』、その第4章 (4) に登場する兄弟、カイン (Cain) とアベル (Abel) をおもいだしてしまうのだ。
その結果、このふたつを対比・対照させて語る幾つもの言説に遭遇してしまうのだ。
曰く、このふたつの物語の背景には、末子相続制 (Ultimogeniture) と長子相続制 (Primogeniture) の争いがある、と。
曰く、カイン (Cain) に遊牧民族 (Momads) に象徴させ、アベル (Abel) に農民族 (Peasant) を象徴させる事によって、ふたつの民族の生存競争 (Struggle For Esistnce) の結果があの物語を産んだ様に、神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』もそれぞれが象徴する民族があり、その生存競争 (Struggle For Esistnce) がこの神話 (Mythologt) となった、と。
と、考えるべき事象は幾らでも登場してしまうのである。

次回は「」。

附記:
もしも、ぼくが観た人形アニメ (Puppetoons) が人形アニメ (Puppetoons) 『海ひこ山ひこ (Umihiko Yamahiko)』なのだとしたら、ぼくはその神話 (Mythology) をもっと別のかたちで既に体験している事になる。
映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラフランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ (The War Of The Gargantuas)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1966年制作] である。この映画も封切公開時にぼくは体験している。
ここに登場する2匹の怪獣達は、1匹が山間部に棲息し、1匹が海洋部に棲息しているのだ。しかも、この映画は前作『フランケンシュタイン対地底怪獣(Frankenstein vs. Baragon)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1965年制作] の続篇であり、その映画に登場したフランケンシュタイン (Frankensteins Monster) の細胞から分裂して発生したのが、この2匹の怪獣達なのである。否応なく、彼等は兄弟であるのだ。神話 (Mythology) 『山幸彦と海幸彦 (Yamasachihiko And Umisachihiko)』を怪獣映画へと変換せしめたその成果が、この映画なのだ。
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