2023.03.28.08.46
発見者であるアルキメデス (Archimedes) 曰く、「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」と。
これは自国シラクサ (Siracusa) とローマ帝国 (Imperium Romanum) との間に起こった第2次ポエニ戦争 (Secundum Bellum Punicum) [紀元前219年~201年] の際に、彼が発した言葉である。自身の発明品のひとつである投石器 (Trebuchet) がローマ帝国 (Imperium Romanum) との戦闘の際に、多大な威力を発揮したのである。彼の大言はその発明品が梃子の原理 (Principles Of Leverage) の成果であると同時に、その原理の絶大なる効果を誇示してのモノなのだ。
だが、彼の発言を聴いた当時の殆どは、その意味するところを全く理解出来なかったと謂う。

"Wall Painting Of Archimedes' Lever" 1599 - 1600 by Giulio Parigi at Uffizi Gallery
梃子の原理 (Principles Of Leverage) 自体は単純なモノだ。支点 (Fulcrum) があり力点 (Effort) があり作用点 (Load) がある。その3点はひとつの棒状のモノ、もしくはそれに擬せられるひとつの構造物、梃子 (Lever) にある。そして力点 (Effort) に加えられた微力なちからが作用点(Load) に於いて、大きなちからとなって顕れる。それが可能となるのは支点 (Fulcrum) ありき、でもある。
と、同時に、この原理を応用した構造、システムはぼく達の生活のあらゆるところに存在している。極言をもってすれば、物理的 (Physics) な効果を期待するべきモノの動きの中で、この原理が起用されていないモノは殆どと謂ってない。その原理が用いられないモノ、その原理が必要とされていないモノは押し並べて、直接的なちからの発揮であろう。そうではない、間接的な方法でもってちからの発揮を期待したいモノ、もしくはそうせざるを得ないモノは、総てにその原理が応用されているのではないだろうか。少なくとも、実際にあたえられたちから以上、もしくはその逆で、それ以下の効力を期待 / 必須とするところに於いては、その原理が稼働している筈と考えても良いのではなかろうか。
ところで、アルキメデス (Archimedes) がその発言を発して既に約23世紀と謂う歳月が経過している。その間、科学や技術はどこまで進化したのだろうか。だからその証明の意味をも含めて、彼が梃子の原理 (Principles Of Leverage) の偉大さを比喩的な意味を込めて発したその発言を、具体化させる事を考えても良いのではないだろうか。つまり、梃子 (Lever) によって地球 (The Earth) を動かす事を真剣に考えても良いのではなかろうか、とぼくはおもうのだ。
先に述べた様に、梃子 (Lever) には3点がある。支点 (Fulcrum)、力点 (Effort)、作用点 (Load) である。そしてアルキメデス (Archimedes) の発言は読み方次第によっては、支点 (Fulcrum) の不在、その嘆きと解する事も出来る。
力点 (Effort) にはアルキメデス (Archimedes) が待ち構えている。実際の彼の筋力は解らない。だけれどもその代わりに、現在の成人男子の平均体重と謂うモノは算出出来るだろうし、それを代入させても構わないだろう。力点 (Effort) にはそれだけのちからを働かせられるのだ。
一方、作用点 (Load) には地球 (The Earth) がある。それを持ち上げねばならない。その重量は現在の科学力ならば試算出来るだろうし、既に実際に試算されているのに違いない。
力点 (Effort) と作用点 (Load) の双方にそれだけのちからが加わる事を加味すれば、それを動かす為に必要な梃子 (Lever) 自体の形状とかかか荷重への耐久力、そしてさらに、それら一切合切を支える支点 (Fulcrum) にはどの様な形状乃とかかる荷重への耐久力が必要なのかは算出出来るだろうと思うのだが。実際はどうなのだろう [もしかしたら、既に某時代の某地の某氏が算出済みなのかもしれない]。
ここまで算出出来れば、あとは現実的にそんな構造を現在の科学力でもって構築は出来るや否やと謂う問題となる。果たして、それは可能だろうか。
と、ここまでの滅茶苦茶な思考 / 試考は、理数系 (Science And Mathematics Courses) 的な側面に於いての考察である。否、もしかすると算数 (Arithmetic) の埒内で解決してしまえる問題なのかもしれない。
以降は、そこから離れたところで、この原理を考えてみたい。
アルキメデス (Archimedes) 曰く「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」と。
彼の発言内に於ける主語 (Subject) は日本語 (Japanese Laungage) の訳文では略されているが、我 (I) もしくはアルキメデス (Archimedes) である。そして動詞 (Verb) に該当する部分が動かすである。と、謂う事は自ずと目的語 (Object) は地球 (The Earth) と謂う事にはなる。このみっつでは英文法 (English Grammer) 上の第3文型 (SVO : Subject-Verb-Object) を形成させる事は出来るが、それだけでは実際に地球 (The Earth) を動かす事は出来ない。だからこそ、それを可能とする梃子 (Lever) と謂う存在が必要であり、その存在を文章上に認めるには、もうひとつの目的語 (Another Object) に該当する支点 (Fulcrum) が必須となる。すなわち、それらによる第4文型 (SVOO : Subject-Verb-Object-Object) を形成せねばならない。
つまり、支点 (Fulcrum) と謂う存在機能がある事によって、文法上、文章の構造に変化をもたらすと同時により高度な文型を生成させる事が出来る、と謂う事になる。
視点を裏返せば、もうひとつの目的語 (Another Object) と謂う英文法 (English Grammer) 上の機能は、梃子の原理 (Principles Of Leverage) に於ける支点 (Fulcrum) に相応する様な存在と看做す事が出来のではないだろうか。
そして、この発想をさらに発展させれば次の様な理解も可能となる。
アルキメデス (Archimedes) の眼前では第2次ポエニ戦争 (Secundum Bellum Punicum) [紀元前219年~201年] が起こりそこで、自身が発明した投石器 (Trebuchet) が活躍をしている。
そして投石器 (Trebuchet) が、そこで充分な機能を発揮出来ているのは梃子の原理 (Principles Of Leverage) を応用した機能が搭載されているからだ。
ならば、戦争と謂う局面に於いて、梃子の原理 (Principles Of Leverage) と同様の理論を稼働させる事は出来ないであろうか、そんな事を彼が考えたとしよう。
彼の発言「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」は、力点 (Effort) にアルキメデス (Archimedes) 自身がたち、作用点 (Load) に地球 (The Earth) を置かさしめて、作用点 (Load) にある地球 (The Earth) にアルキメデス (Archimedes) 自身のちからを発揮させる事である。それはここまでに何度となく言及している。しかも、その為には、ふたつの間に立つべき支点 (Fulcrum) の不在が問題なのである。その支点 (Fulcrum) さえ確保出来れば、彼は梃子 (Lever) でもって地球 (The Earth) を動かし得るのだ。
それと同様に、今、戦闘状態にある自国シラクサ (Siracusa) を力点 (Effort) に立たせ、敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) を作用点 (Load) に置かさしめて、作用点 (Load) にある敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) に対し、自国シラクサ (Siracusa) がちからを発揮する為にも、支点 (Fulcrum) もしくはそれに該当し得る存在が必要ではないだろうか、そう彼が考えても不思議ではない。と、ぼくはおもう。
つまり、戦闘状態にある現状の打破、自国シラクサ (Siracusa) による敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) の打倒に関しては、ふたつの敵対するこれらの国々とは別にもうひとつの国 [それが中立であるとは限らないが]、その存在とその活用こそ必要である。と謂う趣旨にアルキメデス (Archimedes) の発言を曲解する事が出来る。
つまり、彼のその発言の真意は、第3国を利用する事によって、現在の戦闘状態を打破する事も可能である、と読めなくもない。
そして、それは戦争と謂う局面に横着する前、つまり平時での外交に於いても同様の事が謂えるのではないだろうか。
さらに謂えば、もっと拡大的な解釈も可能だろう。
すなわち、ありとあらゆる人間関係に於いて、ふたつの対立もしくは対照する2者間に於いて、いずれにも与しない第3者の存在とその行動がおおきな意味をもつ、と。
アルキメデス (Archimedes) 曰くの発言「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」には、そんな理解さえも許容するモノなのだ。
次回は「り」。
附記 1. :
アルキメデス (Archimedes) の発言には地球 (The Earth) と謂う語句が存在する。日本語 (Japanese Laungage) でこの語句を読むぼく達は、力点 (Effort) にたつアルキメデス (Archimedes) の視野の向こうに球状の物体、しかも巨大なそれが転がっている様な光景を考えてしまう。だけれども、少なくともその発言の英語 (English Laungage) 訳に於いては、ジ・アース (The Earth) としか語っていない。アルキメデス (Archimedes) の母語であろうギリシャ語 (Ancient Greek Laungage) ではどんな表現なのだろう。
尤も、アルキメデス (Archimedes) はぼく達がよって立つこの地 (The Earth) を球状のモノ、すなわち地球 (The Earth) として認識していた様であるから、ぼくの杞憂 (Imaginary Fears) は正しい意味での杞憂 (Imaginary Fears) なのかもしれない。
だけれど、我々の歴史が始まって以来、この地 (The Earth) の形状に関してはふたつの説が存在し、その実際が確認されるまでは地球平面説 (Flat Earth) と地球球体説 (Spherical Earth) の2説が存していたのである [そして少なからざるヒトビトがいまだに前者を信奉しているとも謂う]。
だから、地球平面説 (Flat Earth) によってアルキメデス (Archimedes) の発言を読むと、一体どんな光景が描かれるのだろう、と考え出すと、とっても奇妙なモノがぼくの脳裏に誕生するのであった。
附記 2. :
慣用句に梃子でも動かない (Refusing To Budge) と謂うモノがある。
アルキメデス (Archimedes) の発言を正直に読んでしまうと、それは地球 (The Earth) よりも重い [それが物理的 (Physics) な重量のみを示すとは限らない] モノとなる。
だけれども、ここまで読んできたあなたにはこう理解して欲しいのだ。
梃子の原理 (Principles Of Leverage) にある3つの点、すなわち支点 (Fulcrum)、力点 (Effort)、作用点 (Load) 、いずれかもしくは全部が機能不全に陥っている、その可能性は充分に考えらえるのだ。そしてその可能性の殆どが支点 (Fulcrum) に起因するのではないだろうか、と。
これは自国シラクサ (Siracusa) とローマ帝国 (Imperium Romanum) との間に起こった第2次ポエニ戦争 (Secundum Bellum Punicum) [紀元前219年~201年] の際に、彼が発した言葉である。自身の発明品のひとつである投石器 (Trebuchet) がローマ帝国 (Imperium Romanum) との戦闘の際に、多大な威力を発揮したのである。彼の大言はその発明品が梃子の原理 (Principles Of Leverage) の成果であると同時に、その原理の絶大なる効果を誇示してのモノなのだ。
だが、彼の発言を聴いた当時の殆どは、その意味するところを全く理解出来なかったと謂う。

"Wall Painting Of Archimedes' Lever" 1599 - 1600 by Giulio Parigi at Uffizi Gallery
梃子の原理 (Principles Of Leverage) 自体は単純なモノだ。支点 (Fulcrum) があり力点 (Effort) があり作用点 (Load) がある。その3点はひとつの棒状のモノ、もしくはそれに擬せられるひとつの構造物、梃子 (Lever) にある。そして力点 (Effort) に加えられた微力なちからが作用点(Load) に於いて、大きなちからとなって顕れる。それが可能となるのは支点 (Fulcrum) ありき、でもある。
と、同時に、この原理を応用した構造、システムはぼく達の生活のあらゆるところに存在している。極言をもってすれば、物理的 (Physics) な効果を期待するべきモノの動きの中で、この原理が起用されていないモノは殆どと謂ってない。その原理が用いられないモノ、その原理が必要とされていないモノは押し並べて、直接的なちからの発揮であろう。そうではない、間接的な方法でもってちからの発揮を期待したいモノ、もしくはそうせざるを得ないモノは、総てにその原理が応用されているのではないだろうか。少なくとも、実際にあたえられたちから以上、もしくはその逆で、それ以下の効力を期待 / 必須とするところに於いては、その原理が稼働している筈と考えても良いのではなかろうか。
ところで、アルキメデス (Archimedes) がその発言を発して既に約23世紀と謂う歳月が経過している。その間、科学や技術はどこまで進化したのだろうか。だからその証明の意味をも含めて、彼が梃子の原理 (Principles Of Leverage) の偉大さを比喩的な意味を込めて発したその発言を、具体化させる事を考えても良いのではないだろうか。つまり、梃子 (Lever) によって地球 (The Earth) を動かす事を真剣に考えても良いのではなかろうか、とぼくはおもうのだ。
先に述べた様に、梃子 (Lever) には3点がある。支点 (Fulcrum)、力点 (Effort)、作用点 (Load) である。そしてアルキメデス (Archimedes) の発言は読み方次第によっては、支点 (Fulcrum) の不在、その嘆きと解する事も出来る。
力点 (Effort) にはアルキメデス (Archimedes) が待ち構えている。実際の彼の筋力は解らない。だけれどもその代わりに、現在の成人男子の平均体重と謂うモノは算出出来るだろうし、それを代入させても構わないだろう。力点 (Effort) にはそれだけのちからを働かせられるのだ。
一方、作用点 (Load) には地球 (The Earth) がある。それを持ち上げねばならない。その重量は現在の科学力ならば試算出来るだろうし、既に実際に試算されているのに違いない。
力点 (Effort) と作用点 (Load) の双方にそれだけのちからが加わる事を加味すれば、それを動かす為に必要な梃子 (Lever) 自体の形状とかかか荷重への耐久力、そしてさらに、それら一切合切を支える支点 (Fulcrum) にはどの様な形状乃とかかる荷重への耐久力が必要なのかは算出出来るだろうと思うのだが。実際はどうなのだろう [もしかしたら、既に某時代の某地の某氏が算出済みなのかもしれない]。
ここまで算出出来れば、あとは現実的にそんな構造を現在の科学力でもって構築は出来るや否やと謂う問題となる。果たして、それは可能だろうか。
と、ここまでの滅茶苦茶な思考 / 試考は、理数系 (Science And Mathematics Courses) 的な側面に於いての考察である。否、もしかすると算数 (Arithmetic) の埒内で解決してしまえる問題なのかもしれない。
以降は、そこから離れたところで、この原理を考えてみたい。
アルキメデス (Archimedes) 曰く「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」と。
彼の発言内に於ける主語 (Subject) は日本語 (Japanese Laungage) の訳文では略されているが、我 (I) もしくはアルキメデス (Archimedes) である。そして動詞 (Verb) に該当する部分が動かすである。と、謂う事は自ずと目的語 (Object) は地球 (The Earth) と謂う事にはなる。このみっつでは英文法 (English Grammer) 上の第3文型 (SVO : Subject-Verb-Object) を形成させる事は出来るが、それだけでは実際に地球 (The Earth) を動かす事は出来ない。だからこそ、それを可能とする梃子 (Lever) と謂う存在が必要であり、その存在を文章上に認めるには、もうひとつの目的語 (Another Object) に該当する支点 (Fulcrum) が必須となる。すなわち、それらによる第4文型 (SVOO : Subject-Verb-Object-Object) を形成せねばならない。
つまり、支点 (Fulcrum) と謂う存在機能がある事によって、文法上、文章の構造に変化をもたらすと同時により高度な文型を生成させる事が出来る、と謂う事になる。
視点を裏返せば、もうひとつの目的語 (Another Object) と謂う英文法 (English Grammer) 上の機能は、梃子の原理 (Principles Of Leverage) に於ける支点 (Fulcrum) に相応する様な存在と看做す事が出来のではないだろうか。
そして、この発想をさらに発展させれば次の様な理解も可能となる。
アルキメデス (Archimedes) の眼前では第2次ポエニ戦争 (Secundum Bellum Punicum) [紀元前219年~201年] が起こりそこで、自身が発明した投石器 (Trebuchet) が活躍をしている。
そして投石器 (Trebuchet) が、そこで充分な機能を発揮出来ているのは梃子の原理 (Principles Of Leverage) を応用した機能が搭載されているからだ。
ならば、戦争と謂う局面に於いて、梃子の原理 (Principles Of Leverage) と同様の理論を稼働させる事は出来ないであろうか、そんな事を彼が考えたとしよう。
彼の発言「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」は、力点 (Effort) にアルキメデス (Archimedes) 自身がたち、作用点 (Load) に地球 (The Earth) を置かさしめて、作用点 (Load) にある地球 (The Earth) にアルキメデス (Archimedes) 自身のちからを発揮させる事である。それはここまでに何度となく言及している。しかも、その為には、ふたつの間に立つべき支点 (Fulcrum) の不在が問題なのである。その支点 (Fulcrum) さえ確保出来れば、彼は梃子 (Lever) でもって地球 (The Earth) を動かし得るのだ。
それと同様に、今、戦闘状態にある自国シラクサ (Siracusa) を力点 (Effort) に立たせ、敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) を作用点 (Load) に置かさしめて、作用点 (Load) にある敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) に対し、自国シラクサ (Siracusa) がちからを発揮する為にも、支点 (Fulcrum) もしくはそれに該当し得る存在が必要ではないだろうか、そう彼が考えても不思議ではない。と、ぼくはおもう。
つまり、戦闘状態にある現状の打破、自国シラクサ (Siracusa) による敵国ローマ帝国 (Imperium Romanum) の打倒に関しては、ふたつの敵対するこれらの国々とは別にもうひとつの国 [それが中立であるとは限らないが]、その存在とその活用こそ必要である。と謂う趣旨にアルキメデス (Archimedes) の発言を曲解する事が出来る。
つまり、彼のその発言の真意は、第3国を利用する事によって、現在の戦闘状態を打破する事も可能である、と読めなくもない。
そして、それは戦争と謂う局面に横着する前、つまり平時での外交に於いても同様の事が謂えるのではないだろうか。
さらに謂えば、もっと拡大的な解釈も可能だろう。
すなわち、ありとあらゆる人間関係に於いて、ふたつの対立もしくは対照する2者間に於いて、いずれにも与しない第3者の存在とその行動がおおきな意味をもつ、と。
アルキメデス (Archimedes) 曰くの発言「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。 (Give Me A Place To Stand On, And I Will Move The Earth.)」には、そんな理解さえも許容するモノなのだ。
次回は「り」。
附記 1. :
アルキメデス (Archimedes) の発言には地球 (The Earth) と謂う語句が存在する。日本語 (Japanese Laungage) でこの語句を読むぼく達は、力点 (Effort) にたつアルキメデス (Archimedes) の視野の向こうに球状の物体、しかも巨大なそれが転がっている様な光景を考えてしまう。だけれども、少なくともその発言の英語 (English Laungage) 訳に於いては、ジ・アース (The Earth) としか語っていない。アルキメデス (Archimedes) の母語であろうギリシャ語 (Ancient Greek Laungage) ではどんな表現なのだろう。
尤も、アルキメデス (Archimedes) はぼく達がよって立つこの地 (The Earth) を球状のモノ、すなわち地球 (The Earth) として認識していた様であるから、ぼくの杞憂 (Imaginary Fears) は正しい意味での杞憂 (Imaginary Fears) なのかもしれない。
だけれど、我々の歴史が始まって以来、この地 (The Earth) の形状に関してはふたつの説が存在し、その実際が確認されるまでは地球平面説 (Flat Earth) と地球球体説 (Spherical Earth) の2説が存していたのである [そして少なからざるヒトビトがいまだに前者を信奉しているとも謂う]。
だから、地球平面説 (Flat Earth) によってアルキメデス (Archimedes) の発言を読むと、一体どんな光景が描かれるのだろう、と考え出すと、とっても奇妙なモノがぼくの脳裏に誕生するのであった。
附記 2. :
慣用句に梃子でも動かない (Refusing To Budge) と謂うモノがある。
アルキメデス (Archimedes) の発言を正直に読んでしまうと、それは地球 (The Earth) よりも重い [それが物理的 (Physics) な重量のみを示すとは限らない] モノとなる。
だけれども、ここまで読んできたあなたにはこう理解して欲しいのだ。
梃子の原理 (Principles Of Leverage) にある3つの点、すなわち支点 (Fulcrum)、力点 (Effort)、作用点 (Load) 、いずれかもしくは全部が機能不全に陥っている、その可能性は充分に考えらえるのだ。そしてその可能性の殆どが支点 (Fulcrum) に起因するのではないだろうか、と。
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