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2023.01.24.09.14

もりんじのせんしゃ

ムック『目で見る日本昔ばなし集 (The Visual Anthology For Japanese Old Tales)』[鳥越信 (Shin Torigoe) 1986文春文庫ビジュアル版刊行] の1項目に『昔話もうひとつのよみ方 (How to Read The Old Tales In Another Way)』がある。楠山正雄 (Masao Kusuyama) が選定したと謂われている日本10大昔話 (The Ten Great Old Tales In Japan) と呼ばれている10の物語に10人の作家達がその作品を主題とする随筆を寄せているのである。
ちなみにそのうちのひとつ、民話『猫の草紙 (The Cats Papers)』を担当したのは井上ひさし (Hisashi Inoue) であって、それに関しては既にこちらに綴ってある。
拙稿は、その中のひとつ、民話『分福茶釜 (Bunbuku Chagama)』を担当した永六輔 (Rokusuke Ei) の随筆を題材としたモノである。

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講談社の絵本 分福茶釜) (Bunbuku Chagama from the series Kodansha No Ehon : Picture Books of Kodansha』 [石井滴水 (Tekisui Ishii) 絵 北村寿夫 (Hisao Kitamura) 文 1938講談社 (Kodansha) 刊行] より [上掲画像はこちらから]。

上掲画像は、そのムックでの永六輔 (Rokusuke Ei) 著した随筆『分福茶釜 (Bunbuku Chagama』の挿絵として掲載されている。
ちなみに、この挿絵の原典である絵本は [版は異なっているとは思うが]、ぼくが幼少時に実際に慣れ親しんだモノである。両親がぼくに買い与えたのか、それとも、ぼく自身がおねだりしたのかは知らない。だけれども、この絵本、そしてこの挿絵を未だに憶えているのは、その後に邂逅する大怪獣ガメラ (Gamera, Giant Monster) [映画『大怪獣ガメラ (Gamera, The Giant Monster)』 [湯浅憲明 (Noriaki Yuasa) 監督作品 1965年制作] にて初登場] と関係があるのかもしれない。それとも、茶釜 (Chagama : Tea Kettle) と謂う無機物と (Raccoon Dog) と謂う生物の融合と謂う点をもって、デストロン怪人 (Destron) [特撮TV番組『仮面ライダーV3 (Kamen Rider V3)』 [石森章太郎 (Shotaro Ishimori) 原作 19861974NET系列放映] の遠い祖先だとおもったのかもしれない。恐らくそんなかたちで幼児期の記憶が補完 / 保管されてきたのだろう。

閑話休題。

永六輔 (Rokusuke Ei) が綴るその随筆は、紀行文である。その随筆の中で著者は、 文福茶釜 (Bunbuku Chagama) が奉納されている茂林寺 (Morinji Temple) へ参拝するのだ。最寄駅である館林 (Tatebayashi Station) からの短い行程である。その短い道中、彼がそこで観たモノを随時紹介していく。例えばぶんぶく茶釜童謡碑 (The Monument For The Nursery Rhyme "Bunbuku Chagama") [そこに刻まれてある歌詞は巖谷小波 (Iwaya Sazanami)の作詞 [『日本昔噺 (Japanese Old Tale)』掲載 1894博文館 (Hakubunkan) 刊行]] である。だがそこで著者は踏みとどまらない。その結果に沸き起こる感慨や疑問へとそこよりもひろい視点でもって、綴っていくのだ。

例えば、参道に居並ぶ幾匹もの「男と同じような大きさの狸」を観て、彼等の下半身に備わっている巨大な逸物から「狸の金玉、八畳敷」と謂う成句を想い浮かべる。そして、その成句が成立する由来は、金箔 (Gold Leaf) に由来すると謂う事や、自身の出自である放送作家 (Writer For Television, Radio And New Media) の大先輩である曾我廼家十吾 (Jugo Soganoya)、彼の筆名がこの寺院とそこに祀られた怪異に由来する茂林寺文福 (Morinji Bunbuku) であると謂う様な事だ。
これらは、本来が普遍的な事項でもあると同時に、著者ならではの指摘として今でも有効なモノではある [ここで大慌てで追加しておくと、著者は作詞家でもある。だからこそ、ぶんぶく茶釜童謡碑 (The Monument For The Nursery Rhyme "Bunbuku Chagama") への言及もあると看做すべきなのだろう]。

しかし、その一方で、執筆時もしくは出版時には有効であった警句じみた語句が、現在では空回りしてその言葉の矛先がどこへ向かっているのか解らなくなってしまったモノもある。
例えば、現在では正田記念館 (Shoda Memorial Museum) である建築物がかつては「正田家」の邸宅である事は勿論ではあるが、それをここで「この家はあるお姫様の実家で、そのことを町の人たちは誇りに思っているようでした」として紹介する意味が不明となってしまっている。恐らく当時はこの指摘は何らかの批評性を備えていたのだろうが、現在でもそれがそっくりそのまま適応出来ているのだろうか。
また、民話『分福茶釜 (Bunbuku Chagama)』でのそこに登場する妖怪 文福茶釜 (Bunbuku Chagama, The Yokai) に対するヒトビトの対応、搾取の比喩として、当時の自民党単独政権 ( Single‐party Government By Liberal Democratic Party) [19551993年] を揶揄している様な文章がそこには綴られてはあるが、その指摘がそのまま現在の 連立政権 (Coalition Government By Liberal Democratic Party And Komeito) [199920092012年以降] にもそのまま合致するのかどうか。
[尤も、その随筆は1986年の執筆、37年も昔のモノでもあるし、それ以前に著者が既に故人ではある。だからと謂って、直上のぼくの文章が公明党 (Komeito) の存在を評価してのモノでもない。]

随筆に綴られてある、館林 (Tatebayashi Station) から茂林寺 (Morinji Temple) への短い行程の辿り着いたそこにある目的物、民話『分福茶釜 (Bunbuku Chagama)』の由来である、文福茶釜 (Bunbuku Chagama) なる名称の茶釜 (Chagama : Tea Kettle) の拝観とそこからの発想が、この随筆の中心主題となるべきなのに、どう読んでもぼくには、その様に読めないのだ [もしかしたら意図的に曲解しているのかもしれないが、それはそれで大目にみてもらおう、だってそうではないのなら、拙稿の題名の存在理由が抹消されてしまいかねないのだから]。

著者は参道にある1台の戦車 (Tank) に着目する。
そしてこう考える。

「<前略>ふと狸と狸の間に戦車をみつけてビックリしました。戦車です。M24型、75ミリ対戦車砲を備えた正真正銘の戦車があるのです。
ダラリと金玉をぶらさげた狸ののどかさと較 [くら] べて、この戦車のなんと殺風景なこと。
これも狸が化けたのでしょうか。
『分福戦車』というのも茂林寺の名物なのでしょうか。
もし、狸が茶釜だけでなく、こんな立派な戦車に化けるのならば、自衛隊は狸を飼育すべきです。」 [角括弧内は原文ではルビ。以下同様]

さらに後日、自身の参拝を自身が勤めるラジオ番組で報告する。そして、その戦車 (Tank) が何故、そこにあるのだろうと聴取者に尋ねるのだ。

その結果をこの随筆にこう綴るのだ。

「そうしたらたくさんの手紙が来ました。
それをまとめてみますと ...。
昔、昔、第二次世界大戦といういくさがあり、この茂林寺の近所に住んでいたMさんという方が、ビルマで玉砕した部隊の唯一の生残りとして、戦友の冥福を祈って供養 [くよう] のために寄付なさったとのこと。
そして、Mさんは今でも玉砕した南方の地を訪ねて、日本酒や新米を供えてくるそうです。」

そしてさらにこうつけくわえる事も忘れてはいない。

「本堂の脇に建立 [こんりゅう] されいる戦車第二師団(ルソン島サクラサク峠で玉砕)慰霊碑とは関係がない、という念のいったお手紙もいただきました。」

敢えて、この指摘を記述したのは、恐らく著者は、戦車 (Tank) と「戦車第二師団(ルソン島サクラサク峠で玉砕)慰霊碑」とがそこにある理由、もしくは存在意義を差別化したいのだろう。
そうして、何故、差別化したいのか、それを考えるべきなのかもしれないが、現在では少なくとも戦車 (Tank) は撤去されてしまっているのだ。

だから著者がこの随筆で示した、戦車 (Tank) の存在理由も今となっては確認の仕様がない。
それに第一、確認する必要すらないのかもしれない。

と、謂うのは、それ以前に著者は最文末でこうも綴っているからである。

「男はこの話をたしかめようとはしませんでした。
なぜなら、誰かが戦車を主人公にして、勇ましいお伽話をでっちあげる邪魔をしてはいけないと思ったからです。」

随筆では、それを起点として自身の出自ならではの発想の展開をみせるのだが、それとは異なる点で、著者が忘れてしまっている事がひとつある。

彼は妖怪 文福茶釜 (Bunbuku Chagama, The Yokai) を指してこう指摘している。
「見世物として狸は茶釜に化けているのではなく、茶釜を胴にして頭と尾、そして手足を出していることです。」と。

実は、その様な存在が戦車 (Tank) 化した存在が、彼の幼少時に既に誕生、そして活躍している事を。

マンガ『タンクタンクロー (Tank Tankuro)』 [阪本牙城 (Gajo Sakamoto) 作 19341936年 幼年倶楽部 (Yonen Club) 連載] の主人公、タンクタンクロー (Tank Tankuro) である。
炭団 (Charcoal Briquette) の様な砲丸 (Shot) の様な、まっくろな球体からニョキニョキと顔やら掌脚をだすばかりではなく、様々な道具や武器をもその中に包含しているのだ。

茂林寺 (Morinji Temple) に供えられるべき「誰かが戦車を主人公にして、勇ましいお伽話」、その主人公とは、恐らく彼の様な形態をしているのに違いない。
大怪獣ガメラ (Gamera, Giant Monster) やデストロン怪人 (Destron) は彼の末裔、そしてこれから後に供えられるであろう人物もしくは事物、さもなければ怪異の祖先でもあるのだ。

次回は「」。
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