2023.01.17.10.34
石畳の参道を高貴な人物 (The Horable) がこちらへ向かって歩んでいる。その参道を囲む木立、その画面左側には1本の巨樹が茂り、その幹を背にしてひとりの僧兵 (Sohei) が、潜んでいる。次の場面、一体、何が起こるのか、それは誰の眼にも明らかなのだ。
そんな図章を幼い時に観た記憶がある。どこでいつ、と謂うのは当然、憶えていない。
だけど、何故だかこんな心象をその図章が育んでいる。
そこに登場する2人の人物をぼくは客観的に眺める事が出来る。そして、僧兵 (Sohei) の眼がとらえているモノも解る様な気がする。ぼくが彼の立場ならば、刻一刻、1歩1歩、自身に向かってくるもうひとりの人物だけを凝視めているのに違いない。では、遺る1人はどうなのか。
ぼくには、その人物が今、ぼくが観ている図章とおなじ様な情景を観ている様な気がしてならない。
彼はわかっているのだ。おのれの命運を。
太宰治 (Osamu Dazai) の小説『右大臣実朝 (Sanetomo, Minister Of The Right)』 [1943年刊行] は、学生時代に1度読んだ。その作家の代表作『人間失格 (No Longer Human』 [1948年 展望連載] と同時期に体験したのだ。ぼくの記憶が間違っていなかったら、角川文庫 (Kadokawa Peoerback) だろう。代表作を表題として掲げるその書籍に、他の数篇の小説と併録されていたのだ。
その際の感慨はさしたるモノではない。何故ならば、その作家の作品を読む事自体が初めてだったのだから。彼が手掛けている数多くの作品群の中には、この様なモノもあるのだろう、そう看做して済んでしまっていたのだ。
1、2年前に、青空文庫 (Aozora Bunko) の蔵書に当時ある、その作家の作品を総て読んだ。
その際に感じたのが、何故、こんな小説があるのだろう、と謂う事だった。
一言をもってすれば、異色・異端以外のナニモノでないのだ。
その小説家にとっての初めての歴史小説 (HIstorical Novel) だと謂う。
物語は、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の、ある近習 (Varlet) の視点をもって語られていく。その際には既に、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は故人である。
そして、語り手 (Narrator) が観る源実朝 (Minamoto No Sanetomo)、語り手 (Narrator) が聴く源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が主題なのだろうかと謂うと必ずしもそうではない様な気がする。語り手 (Narrator) が紙幅を費やすのは、自身の主人たる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の周辺にいる人物達や彼等によって勃発する事件の方だ。それがあって初めて源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物の言動が語られる。しかもそれ以前に、当該人物を中心とした事件が、歴史書『吾妻鏡 (Azuma Kagami)』[筆者不詳 1300年頃成立] 等からの引用、編年体の語句によって紹介されているのだ。そして、そんな公的もしくは客観的な記述を踏まえて [もしくはそれに否を告げながら]、その語り手 (Narrator) は自身の見解もしくは感興を語っていくのだ。
そんな構成を採っているのならば、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 周辺の人物達の言動と源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 自身の言動へと視座が対等であっても不思議ではないのだが、そうはならない。
源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の発話は、片仮名語表記 (Writing Down On Katakana) で綴られ、そして、その文章が平易なモノである一方で、なんだか捉えどころない、不思議な響きをもってそこに顕れる。あたかも神 (God)、もしくはそれに相応する様な存在であるかの様な面持ちなのだ。語り手 (Narrator) によって、神聖視、聖別化されているかの様なのだ。その結果、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と語り手 (Narrator) の間にあるのは主従関係の筈なのだが、それとは一線を画する様な印象をぼくは受ける。だからと謂って、そこで源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が絶対的な権力を発揮したり、それらの人物達に法外な支配力を行使する訳ではない。そこで綴られているのは寧ろその逆で、神聖化され聖域の場所に祀り立てられる事によって、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は無力な存在と化しているのだ。彼はただそこに居り、そこで翻弄されるしかない。そんな印象を語り手 (Narator) の彼への態度から抱いてもしまうのだ。 [なんだかそこに小説執筆当時の日本国内、そこにある政治体制が象徴的に綴られてある様な気さえする]。
だから、そんな不思議な表記の発言よりも、折々に引用される源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の短歌 (Tanka) の方が、より雄弁にそして率直に彼自身の内面を語っている様にさえ、思える。
そして、ぼくはこんな事さえも思ってしまう。
ここにいる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物は、その小説の作家の他作品の登場人物達とあい通じる様な存在ではないだろうか、と。
それは、ぼくの中にある太宰治 (Osamu Dazai) 作品の印象にこの様なモノがあるからなのだった。
ある人物が没落、もしくは破滅にむかっている。そして、彼は自身がその渦中にある事は承知している。だからと謂ってそれに抗おうとも抗しようともしない。可能、不可能と謂う次元ではない。そして、来るべき破局が来るのをただ待っている。だが、それは諦観でも放棄でもない。どこか他所事、他人事の様な表情をたたえて超然としているのだ。
上に綴った印象、登場人物が実際に、太宰治 (Osamu Dazai) と謂う作家の遺した作品群に幾人も顕れていると断言出来る自信はない。と、同様に、彼の小説『右大臣実朝 (Sanetomo, Minister Of The Right)』での源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物を、上に綴った語句で評価出来ると断言出来る自負も、実はない。
もしかしたら、その様な人物を幾人もその作家は自身の作品に登場させた、そしてその最も典型的な小説が本作である、そうぼくが思いたいだけなのかもしれない。
小説の後半、そこで語られている物語が渦中となっていく中にあってようやく公暁 (Kugyo) が登場する。冒頭に綴った朦朧とした心象の中に登場する「僧兵 (Sohei)」、それが彼であり、彼こそが「高貴な人物 (The Horable) 」を殺害するのである。
だが、そう思いそこで膝を乗り出した直後に、物語は終焉してしまうのだ。
そこにあるのは、歴史書『吾妻鏡 (Azuma Kagami)』等に綴られた事件の概要しかなく、公暁 (Kugyo) による源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 暗殺そのもの、もしくはその結果を受けての余波に関しての語り手 (Narrator) による記述は一切ない。彼がその現場にいた可能性がないわけでもない上に、假令そうではなくとも、自身の主人の、不測の死に関して如何様にも語り得るのにも関わらずに、である。
だから、これまでこの小説は何度か読み返したが、その度に、ぼくは呆然としてしまうのであった。

松岡映丘 (Matsuoka Eikyu) 画『右大臣実朝 (Udaijin Sanetomo)』[1932年作 日本芸術院 The Japan Art Academy 所蔵]
次回は「も」。
附記 1. :
ぼくが源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物、その生涯を知ったのは小学生 (Primary School Student) の頃、全10巻の書籍『物語日本史 (The Story Of Japanese History)』 1967年 学研刊行] の第3巻『源平の合戦 三代将軍実朝 (The Genpei Wars And Sanetomo, The Third Shogun)』 {同上} に於いてだ。その全集は、ぼくとおなじ市営団地のおなじ棟に棲む、母方の従兄弟の所有物だった。彼、より正確に謂えば彼の両親から貸してもらって読んだ。
その書物は2部構成で、前半が小説『源平の合戦 (The Genpei Wars)』 [榊山潤 (Jun Sakakiyama) 作] であり、その後半 [と謂っても量としては1/3にも満たないモノだと思う] が小説『三代将軍実朝 (Sanetomo, The Third Shogun)』今西祐行 (Sukeyuki Imanishi) 作] である。この1冊で、武家勢力の擡頭と、政治権力が貴族階級から武士へと移行していく動きを語ると同時に、当時の武家勢力の2大派閥、平氏 (Taira Clan) と源氏 (Minamoto Clan) それぞれの興亡をも、書中におさめているのである。
内容は流石に憶えていない。そして、再読する事も殆ど不可能だ。
だけれどもこんな記憶はあるのだ。
物語の中で、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の位階 (Court Rank) に関する言及がある。最終的に彼は右大臣 (Minister Of The Right) [政権の次席] にまでなってしまう。その良否が問われた際に、源氏 (Minamoto Clan) の、ひいては武士全体の地位向上の為である、そんな解答があったのだ [物語内で誰が問い、誰がこたえたかはわからない。もしかしたらこの問答は、この物語とはべつのところで知ったモノかもしれない]。
そして、そんな趣旨の説明がある事を踏まえれば、この物語は、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が暗殺される事、そのひとつに向けて物語が収斂していった様に思える。
附記 2. :
1泊2日の小学校 (Primary School) の修学旅行 (School Trip) では、鶴岡八幡宮 (Tsurugaoka Hachimangu) も見学地のひとつだった。そこが源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 暗殺の現場である事は謂うまでもない。バスガイド (Bus Tour Conductor) も無論、それに言及したであろう。そして大事な事に当時は、公暁 (Kugyo) が潜伏したと謂われている隠れ銀杏 (The Hidden Ginkgo) [2010年倒壊] の巨木も健在だった。
だから、クラスのお調子者の何人かが、参道をひょいと外れて、その巨木の根本でかくれんぼ (Hide-and-seek) めいた所作をしたのである。
尤も、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 役をひきうける健気な人物は、ぼくのクラスには不在ではあったのだが。
附記 3. :
権力者、為政者とは別の側面、歌人としての彼、その実績である源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の自選歌集『金槐和歌集 (Kinkai Wakashu)』 [1213年頃成立] は学校の授業で学んだ筈だ。だけれども、中学生時代 なのか高校生時代なのか、時期が一向にはっきりとしない。はっきりとはしないが、その際に教科書に掲載された短歌 (Tanka) のいくつかは脳裏にはある様だ。
尚、歌人としての源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は、小説『三代将軍実朝 (Sanetomo, The Third Shogun)』に於いてはどの様な扱いではあったのか。その方面での彼の師、藤原定家 (Fujiwara No Teika) との交流も含めて。
附記 4 :
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人 (The 13 Lords Of The Shogun)』 [三谷幸喜 (Koki Mitani 脚本 2022年 NHK放映] は未見である。だから柿澤勇人 (Hayato Kakizawa) 演じる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) に関して論究する事は出来ない。
そんな図章を幼い時に観た記憶がある。どこでいつ、と謂うのは当然、憶えていない。
だけど、何故だかこんな心象をその図章が育んでいる。
そこに登場する2人の人物をぼくは客観的に眺める事が出来る。そして、僧兵 (Sohei) の眼がとらえているモノも解る様な気がする。ぼくが彼の立場ならば、刻一刻、1歩1歩、自身に向かってくるもうひとりの人物だけを凝視めているのに違いない。では、遺る1人はどうなのか。
ぼくには、その人物が今、ぼくが観ている図章とおなじ様な情景を観ている様な気がしてならない。
彼はわかっているのだ。おのれの命運を。
太宰治 (Osamu Dazai) の小説『右大臣実朝 (Sanetomo, Minister Of The Right)』 [1943年刊行] は、学生時代に1度読んだ。その作家の代表作『人間失格 (No Longer Human』 [1948年 展望連載] と同時期に体験したのだ。ぼくの記憶が間違っていなかったら、角川文庫 (Kadokawa Peoerback) だろう。代表作を表題として掲げるその書籍に、他の数篇の小説と併録されていたのだ。
その際の感慨はさしたるモノではない。何故ならば、その作家の作品を読む事自体が初めてだったのだから。彼が手掛けている数多くの作品群の中には、この様なモノもあるのだろう、そう看做して済んでしまっていたのだ。
1、2年前に、青空文庫 (Aozora Bunko) の蔵書に当時ある、その作家の作品を総て読んだ。
その際に感じたのが、何故、こんな小説があるのだろう、と謂う事だった。
一言をもってすれば、異色・異端以外のナニモノでないのだ。
その小説家にとっての初めての歴史小説 (HIstorical Novel) だと謂う。
物語は、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の、ある近習 (Varlet) の視点をもって語られていく。その際には既に、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は故人である。
そして、語り手 (Narrator) が観る源実朝 (Minamoto No Sanetomo)、語り手 (Narrator) が聴く源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が主題なのだろうかと謂うと必ずしもそうではない様な気がする。語り手 (Narrator) が紙幅を費やすのは、自身の主人たる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の周辺にいる人物達や彼等によって勃発する事件の方だ。それがあって初めて源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物の言動が語られる。しかもそれ以前に、当該人物を中心とした事件が、歴史書『吾妻鏡 (Azuma Kagami)』[筆者不詳 1300年頃成立] 等からの引用、編年体の語句によって紹介されているのだ。そして、そんな公的もしくは客観的な記述を踏まえて [もしくはそれに否を告げながら]、その語り手 (Narrator) は自身の見解もしくは感興を語っていくのだ。
そんな構成を採っているのならば、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 周辺の人物達の言動と源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 自身の言動へと視座が対等であっても不思議ではないのだが、そうはならない。
源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の発話は、片仮名語表記 (Writing Down On Katakana) で綴られ、そして、その文章が平易なモノである一方で、なんだか捉えどころない、不思議な響きをもってそこに顕れる。あたかも神 (God)、もしくはそれに相応する様な存在であるかの様な面持ちなのだ。語り手 (Narrator) によって、神聖視、聖別化されているかの様なのだ。その結果、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と語り手 (Narrator) の間にあるのは主従関係の筈なのだが、それとは一線を画する様な印象をぼくは受ける。だからと謂って、そこで源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が絶対的な権力を発揮したり、それらの人物達に法外な支配力を行使する訳ではない。そこで綴られているのは寧ろその逆で、神聖化され聖域の場所に祀り立てられる事によって、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は無力な存在と化しているのだ。彼はただそこに居り、そこで翻弄されるしかない。そんな印象を語り手 (Narator) の彼への態度から抱いてもしまうのだ。 [なんだかそこに小説執筆当時の日本国内、そこにある政治体制が象徴的に綴られてある様な気さえする]。
だから、そんな不思議な表記の発言よりも、折々に引用される源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の短歌 (Tanka) の方が、より雄弁にそして率直に彼自身の内面を語っている様にさえ、思える。
そして、ぼくはこんな事さえも思ってしまう。
ここにいる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物は、その小説の作家の他作品の登場人物達とあい通じる様な存在ではないだろうか、と。
それは、ぼくの中にある太宰治 (Osamu Dazai) 作品の印象にこの様なモノがあるからなのだった。
ある人物が没落、もしくは破滅にむかっている。そして、彼は自身がその渦中にある事は承知している。だからと謂ってそれに抗おうとも抗しようともしない。可能、不可能と謂う次元ではない。そして、来るべき破局が来るのをただ待っている。だが、それは諦観でも放棄でもない。どこか他所事、他人事の様な表情をたたえて超然としているのだ。
上に綴った印象、登場人物が実際に、太宰治 (Osamu Dazai) と謂う作家の遺した作品群に幾人も顕れていると断言出来る自信はない。と、同様に、彼の小説『右大臣実朝 (Sanetomo, Minister Of The Right)』での源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物を、上に綴った語句で評価出来ると断言出来る自負も、実はない。
もしかしたら、その様な人物を幾人もその作家は自身の作品に登場させた、そしてその最も典型的な小説が本作である、そうぼくが思いたいだけなのかもしれない。
小説の後半、そこで語られている物語が渦中となっていく中にあってようやく公暁 (Kugyo) が登場する。冒頭に綴った朦朧とした心象の中に登場する「僧兵 (Sohei)」、それが彼であり、彼こそが「高貴な人物 (The Horable) 」を殺害するのである。
だが、そう思いそこで膝を乗り出した直後に、物語は終焉してしまうのだ。
そこにあるのは、歴史書『吾妻鏡 (Azuma Kagami)』等に綴られた事件の概要しかなく、公暁 (Kugyo) による源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 暗殺そのもの、もしくはその結果を受けての余波に関しての語り手 (Narrator) による記述は一切ない。彼がその現場にいた可能性がないわけでもない上に、假令そうではなくとも、自身の主人の、不測の死に関して如何様にも語り得るのにも関わらずに、である。
だから、これまでこの小説は何度か読み返したが、その度に、ぼくは呆然としてしまうのであった。

松岡映丘 (Matsuoka Eikyu) 画『右大臣実朝 (Udaijin Sanetomo)』[1932年作 日本芸術院 The Japan Art Academy 所蔵]
次回は「も」。
附記 1. :
ぼくが源実朝 (Minamoto No Sanetomo) と謂う人物、その生涯を知ったのは小学生 (Primary School Student) の頃、全10巻の書籍『物語日本史 (The Story Of Japanese History)』 1967年 学研刊行] の第3巻『源平の合戦 三代将軍実朝 (The Genpei Wars And Sanetomo, The Third Shogun)』 {同上} に於いてだ。その全集は、ぼくとおなじ市営団地のおなじ棟に棲む、母方の従兄弟の所有物だった。彼、より正確に謂えば彼の両親から貸してもらって読んだ。
その書物は2部構成で、前半が小説『源平の合戦 (The Genpei Wars)』 [榊山潤 (Jun Sakakiyama) 作] であり、その後半 [と謂っても量としては1/3にも満たないモノだと思う] が小説『三代将軍実朝 (Sanetomo, The Third Shogun)』今西祐行 (Sukeyuki Imanishi) 作] である。この1冊で、武家勢力の擡頭と、政治権力が貴族階級から武士へと移行していく動きを語ると同時に、当時の武家勢力の2大派閥、平氏 (Taira Clan) と源氏 (Minamoto Clan) それぞれの興亡をも、書中におさめているのである。
内容は流石に憶えていない。そして、再読する事も殆ど不可能だ。
だけれどもこんな記憶はあるのだ。
物語の中で、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の位階 (Court Rank) に関する言及がある。最終的に彼は右大臣 (Minister Of The Right) [政権の次席] にまでなってしまう。その良否が問われた際に、源氏 (Minamoto Clan) の、ひいては武士全体の地位向上の為である、そんな解答があったのだ [物語内で誰が問い、誰がこたえたかはわからない。もしかしたらこの問答は、この物語とはべつのところで知ったモノかもしれない]。
そして、そんな趣旨の説明がある事を踏まえれば、この物語は、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) が暗殺される事、そのひとつに向けて物語が収斂していった様に思える。
附記 2. :
1泊2日の小学校 (Primary School) の修学旅行 (School Trip) では、鶴岡八幡宮 (Tsurugaoka Hachimangu) も見学地のひとつだった。そこが源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 暗殺の現場である事は謂うまでもない。バスガイド (Bus Tour Conductor) も無論、それに言及したであろう。そして大事な事に当時は、公暁 (Kugyo) が潜伏したと謂われている隠れ銀杏 (The Hidden Ginkgo) [2010年倒壊] の巨木も健在だった。
だから、クラスのお調子者の何人かが、参道をひょいと外れて、その巨木の根本でかくれんぼ (Hide-and-seek) めいた所作をしたのである。
尤も、源実朝 (Minamoto No Sanetomo) 役をひきうける健気な人物は、ぼくのクラスには不在ではあったのだが。
附記 3. :
権力者、為政者とは別の側面、歌人としての彼、その実績である源実朝 (Minamoto No Sanetomo) の自選歌集『金槐和歌集 (Kinkai Wakashu)』 [1213年頃成立] は学校の授業で学んだ筈だ。だけれども、中学生時代 なのか高校生時代なのか、時期が一向にはっきりとしない。はっきりとはしないが、その際に教科書に掲載された短歌 (Tanka) のいくつかは脳裏にはある様だ。
尚、歌人としての源実朝 (Minamoto No Sanetomo) は、小説『三代将軍実朝 (Sanetomo, The Third Shogun)』に於いてはどの様な扱いではあったのか。その方面での彼の師、藤原定家 (Fujiwara No Teika) との交流も含めて。
附記 4 :
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人 (The 13 Lords Of The Shogun)』 [三谷幸喜 (Koki Mitani 脚本 2022年 NHK放映] は未見である。だから柿澤勇人 (Hayato Kakizawa) 演じる源実朝 (Minamoto No Sanetomo) に関して論究する事は出来ない。
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