2023.01.03.07.55
その日本未公開映画に関しては、邦題『偉大なるトバー』としてムック『新映画宝庫 vol 1. モンスターパニック 超空想生物大百科 (Monster Panic Large Encyclopedia For Super Creatures Of Fancy)』 [2000年 大洋図書刊] で、坂井直 (Nao Sakai) が冒頭、次の様に綴っている。
「映像史において"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種というイメージから始まっている」
そうなのか?
そうおもったぼくがその映画『偉大なるトボー (Tobor The Great)』 [リー・ショレム (Lee Sholem 監督作品 1954年制作] と同年制作の、ロボット (Robot) が登場する他の映画作品を検索すると次の2作品が登場する。
映画『ロボット大襲来 (Target Earth)』 [シャーマン・A・ローズ (Sherman A. Rose) 監督作品 1954年制作] と映画『ゴッグ (Gog)』 [ハーバート・L・ストロック (Herbert L. Strock) 監督作品 1954年制作] である。
前者は地球征服に襲来した宇宙人が操作するモノで、登場するロボット (Robot) は侵略者の走狗、兵器としての役割を担っている。
後者は、所謂フランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex)、機能不全となった人工知能 (Artificial Intelligence)、彼の叛乱を主題とするモノである。ロボット (Robot) はその端末としての役割だ。
少なくとも、この2作品に於いては「"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種」と謂える。
ムックでは冒頭に引用した文章の後に、次の言葉が綴られている。
「もっとフレンドリーなロボットが出現。それがトバー (Tobor)だ。名前は"ロボット (Robot)"を逆から綴ったもの<中略>察するに既存のロボット観を覆す意図もあったのだろう」
ロボット (Robot) と謂う存在、ロボット (Robot) と謂う概念に関して多大なる影響力を発揮している基軸がロボット三原則 (Three Laws Of Robotics) である。
その黎明は、短編小説『ロビイ (Robbie)』 [アイザック・アシモフ (Isaac Asimov) 作 1940年発表 短編集『われはロボット (I, Robot)』[1950年刊行] 所収] に顕現する。
映画作品に於いて、この3原則 (Three Laws) が極めて初期に発動されたのが、本作なのである。
映画の舞台は宇宙開発 (Space Exploration) 初期の時代である。有人宇宙飛行 (Human Spaceflight) には遥かに遠く、数多くの危険、幾多にも及ぶ障壁がそこにある。映題名であるロボット (Robot)、トボー (Tobor) は有人宇宙飛行 (Human Spaceflight) 前の試験航行、その実験体として構想された。
だが、彼が宇宙へと旅たつ物語でも、彼が宇宙航行 (Space Navigation) をする物語でもない。それ以前、彼と謂う存在、彼にあるであろう能力、そしてそれを保証する技術を巡る物語である。
つまり、彼の略奪、もしくは彼の秘密の横奪を目的とする人物達が暗躍するのだ。
当初は、彼自身の奪取を目指して彼等は行動する。彼を発明したアーノルド・ノードスローム教授 (Professor Arnold Nordstrom) [演:テイラー・ホームズ (Taylor Holmes)] の自宅兼研究所への侵入を謀るが、事前に設置されていた警報装置の稼働により、その目的は未然に防がれる。
次に彼等が意図したのは、その技術の略取である。
彼等は博士と彼の孫ブライアン・ガッヂ・ロバーツ (Brian “Gadge” Roberts) [演:ビリー・チャピン (Billy Chapin)] を誘拐し、孫の身体生命を人質にその提供を促すのだ。
2人が誘拐された日は、政府関係者達へのトボー (Tobor) 披露の日であった。列席者達が集合したものの、肝心の博士は姿をみせない。行方もしれない。予定は急遽、中止かとおもわれた矢先に、トボー (Tobor) が突然稼働する。そして、彼の眼前にたちはだかるモノ、行手を遮ろうとするモノを悉く破壊、排除して何処かへと向かうのだ。そして、その不可解な行動を目の当たりにした列席者達は、彼を追跡する。
その時、実は、博士は誘拐者達のめを逃れて、万年筆 (Fountain Pen) 型の発信機 (Transmitter) を操作していたのである。トボー (Tobor) の突然の起動と行動はこれが為なのだ。
映画を観ているぼく達は、トボー (Tobor) が博士達を無事に救助してこの物語は終わるのだろう。そうおもった矢先に苦難があらわれる。万年筆 (Fountain Pen) に対する博士の不可解な行動を咎めた誘拐者のひとりがそれを破壊してしまうのである。
そして、その結果、トボー (Tobor) は一切の行動が停止してしまうのだ。
博士はおもう。万策はこれで尽きた。誘拐者達は彼の眼前で孫への拷問を開始しようとする。孫は博士にトボー (Tobor) の情報を提供をおもいとどまらせようと請願すると同時に、決して顕れないであろうトボー (Tobor) に救命を祈念するのだ。
その時、何故かその時、トボー (Tobor) は再起動し、2人の救援に再び向かうのである。
物語のクライマックス部分を綴ると上の様なモノになる。
どこかでみた様な常套句がそこにある様な気がするが、それに関して、ぼくが謂うべき事はあまりない。
指摘したいのは、次の2場面だ。
ひとつは、映像の中で初めてトボー (Tobor) が登場する瞬間だ。ここには、謎の存在に接した際への、単純におどろきだけが支配している。
しかし、それ以上に観るべきは、孫が初めてトボー (Tobor) に遭遇する瞬間、そしてその次には彼はトボー (Tobor) の操作を試みる、その場面である。だが、決しておもいどおりにはならない。寧ろ、おもわぬ行動がでるばかりだ。何故なら、博士に無断でそこにいるからだ。発信機 (Transmitter) の操作方法すらわからない。だから怖い、自身の誤操作の結果だとしても。そしてどんどんとでてくる結果は悪化するばかりだ。
これらの描写はトボー (Tobor) と謂う存在に限っての事ではない。こんな場面は、これまでになんども観た。それだけではない。かつてぼく達が実際になんどか経験した事でもある。
未知のモノ、そして自身の好奇心を煽る存在に対するアプローチと、その結果だと集約する事もできる。
例えば、自身の誕生日、両親から飼い与えられた愛犬や愛猫でさえ、これと似た様な出来事はなかったか。
また。
物語はトボー (Tobor) が搭乗するロケット (Rocket) 発射の光景で幕を閉じる。今こそ、彼は本来任務 (Fundamentally Mission) に向かうのだ。
そこでぼくは感動してしまう。否、凄く新鮮なのだ。
上に綴った映画クライマックスの光景をみれば解る様に、トボー (Tobor) は発信機 (Transmitter) がなくとも、自身の意思で行動が出来る。彼には発明者にもおもいもしれぬ、潜伏する能力がある。
だから、幾多の同種の物語の幾つかがそうである様に、2人の救出の禍中、もしくは成功の後に、トボー (Tobor) の破壊もしくは自壊する物語へとなっても良い。
また、彼が自由意思で行動したのは、彼と孫のあいだに友情めいた感情の交歓があるとも考えられる。その結果、この救出劇の終了後、トボー (Tobor) と孫との友情の物語が語られ続けても良い。
いずれも、嫌になる程、なんどとなくみせられた物語の構成である。
だが、この映画は違う。
この物語は、トボー (Tobor) と謂う宇宙開発ロボット (Robot) の、本当の物語が開幕した時点で終了してしまうのである。
次回は「ぼ」。
附記 1. :
本映画のポスターは下掲する様に、ロボット (Robot) が女性を抱え上げているイラストが掲載されている。ちなみに本編にはこの様な場面はない。
ところで、このポスターだけを観たヒトビトはそこにどの様な物語を想像するのだろうか。と、謂うのは、このイラスト、ロボット (Robot) が、女性を略奪している様にも、救護している様にも、解釈出来るからだ。そして当時は、冒頭の引用文にある様に「"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種」なのだ。
映画観劇前の印象が良い意味で裏切られる、そんな効果を期待しての事なのだろうか。
そして、この様な手法は本映画ばかりではないのだ。本映画同様に、「フレンドリーなロボットが出現」する映画『禁断の惑星 (Forbidden Planet)』[フレッド・M・ウィルコックス (Fred M. Wilcox) 監督作品 1956年制作] の、そのポスターに於いても、同様の試みが為されているのである。そして勿論、その映画でもその様な場面はないのだ。

附記 2. :
トボー (Tobor) の造形は、映画『禁断の惑星 (Forbidden Planet)』でのロビー・ザ・ロボット (Robby The Robot) にも似ているし、遠く離れて特撮TV番組『ウルトラセブン (Ultraseven)』[1967~1968年 TBS系列放映] 第17話『地底Go! Go! Go! (Underground Go! Go! Go!)』 [上原正三 (Shozo Uehara) 脚本 円谷一 (Hajime Tsuburaya) 監督 (大木淳 Jun Oki) 特殊技術] に登場する地底ロボット ユートム (Underground Robot U-Tom) も彷彿とさせてくれる。
附記 3. :
トボー (Tobor) が登場するTVドラマ『ヒア・カムズ・トボー (Here Comes Tobor)』 [デューク・ゴールドストーン (Duke Goldstone) 監督作品 1956年制作] がある。パイロット・フィルム (Television Pilot) のみで実際に放映はされていないらしい。こちらは映画のスピン・オフ (Spin-Off) なのか、そして映画の続編なのか、それとも、それとは全く異なる物語なのかは現時点では解らない。
附記 4. :
物語の細部ではあるが、トボー (Tobor) の物語とは別に、幾つも観ていくべき箇所がある。
ひとつは、発信機 (Transmitter) の開発経過だ。当初は、ゲームパッド (Gamepad) の様な形態そしてサイズだった。それが最終的には上掲した様に、万年筆 (Fountain Pen) 型にまで縮小される。
また、博士の助手の様な執事の様な立場のカール (Karl) [演:フランツ・ロヘン (Franz Roehn)] がドイツ語 (Deutsche Sprache) 訛り [宇宙開発 (Space Exploration) の発端がどこにあるのかと謂う事だ] であるのも、孫が祖父である博士と同居している背景に朝鮮戦争 (Korean War) [1950〜1953年] が背景にあるのも、物語にリアリティを産んでいる様な気がする。
「映像史において"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種というイメージから始まっている」
そうなのか?
そうおもったぼくがその映画『偉大なるトボー (Tobor The Great)』 [リー・ショレム (Lee Sholem 監督作品 1954年制作] と同年制作の、ロボット (Robot) が登場する他の映画作品を検索すると次の2作品が登場する。
映画『ロボット大襲来 (Target Earth)』 [シャーマン・A・ローズ (Sherman A. Rose) 監督作品 1954年制作] と映画『ゴッグ (Gog)』 [ハーバート・L・ストロック (Herbert L. Strock) 監督作品 1954年制作] である。
前者は地球征服に襲来した宇宙人が操作するモノで、登場するロボット (Robot) は侵略者の走狗、兵器としての役割を担っている。
後者は、所謂フランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex)、機能不全となった人工知能 (Artificial Intelligence)、彼の叛乱を主題とするモノである。ロボット (Robot) はその端末としての役割だ。
少なくとも、この2作品に於いては「"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種」と謂える。
ムックでは冒頭に引用した文章の後に、次の言葉が綴られている。
「もっとフレンドリーなロボットが出現。それがトバー (Tobor)だ。名前は"ロボット (Robot)"を逆から綴ったもの<中略>察するに既存のロボット観を覆す意図もあったのだろう」
ロボット (Robot) と謂う存在、ロボット (Robot) と謂う概念に関して多大なる影響力を発揮している基軸がロボット三原則 (Three Laws Of Robotics) である。
その黎明は、短編小説『ロビイ (Robbie)』 [アイザック・アシモフ (Isaac Asimov) 作 1940年発表 短編集『われはロボット (I, Robot)』[1950年刊行] 所収] に顕現する。
映画作品に於いて、この3原則 (Three Laws) が極めて初期に発動されたのが、本作なのである。
映画の舞台は宇宙開発 (Space Exploration) 初期の時代である。有人宇宙飛行 (Human Spaceflight) には遥かに遠く、数多くの危険、幾多にも及ぶ障壁がそこにある。映題名であるロボット (Robot)、トボー (Tobor) は有人宇宙飛行 (Human Spaceflight) 前の試験航行、その実験体として構想された。
だが、彼が宇宙へと旅たつ物語でも、彼が宇宙航行 (Space Navigation) をする物語でもない。それ以前、彼と謂う存在、彼にあるであろう能力、そしてそれを保証する技術を巡る物語である。
つまり、彼の略奪、もしくは彼の秘密の横奪を目的とする人物達が暗躍するのだ。
当初は、彼自身の奪取を目指して彼等は行動する。彼を発明したアーノルド・ノードスローム教授 (Professor Arnold Nordstrom) [演:テイラー・ホームズ (Taylor Holmes)] の自宅兼研究所への侵入を謀るが、事前に設置されていた警報装置の稼働により、その目的は未然に防がれる。
次に彼等が意図したのは、その技術の略取である。
彼等は博士と彼の孫ブライアン・ガッヂ・ロバーツ (Brian “Gadge” Roberts) [演:ビリー・チャピン (Billy Chapin)] を誘拐し、孫の身体生命を人質にその提供を促すのだ。
2人が誘拐された日は、政府関係者達へのトボー (Tobor) 披露の日であった。列席者達が集合したものの、肝心の博士は姿をみせない。行方もしれない。予定は急遽、中止かとおもわれた矢先に、トボー (Tobor) が突然稼働する。そして、彼の眼前にたちはだかるモノ、行手を遮ろうとするモノを悉く破壊、排除して何処かへと向かうのだ。そして、その不可解な行動を目の当たりにした列席者達は、彼を追跡する。
その時、実は、博士は誘拐者達のめを逃れて、万年筆 (Fountain Pen) 型の発信機 (Transmitter) を操作していたのである。トボー (Tobor) の突然の起動と行動はこれが為なのだ。
映画を観ているぼく達は、トボー (Tobor) が博士達を無事に救助してこの物語は終わるのだろう。そうおもった矢先に苦難があらわれる。万年筆 (Fountain Pen) に対する博士の不可解な行動を咎めた誘拐者のひとりがそれを破壊してしまうのである。
そして、その結果、トボー (Tobor) は一切の行動が停止してしまうのだ。
博士はおもう。万策はこれで尽きた。誘拐者達は彼の眼前で孫への拷問を開始しようとする。孫は博士にトボー (Tobor) の情報を提供をおもいとどまらせようと請願すると同時に、決して顕れないであろうトボー (Tobor) に救命を祈念するのだ。
その時、何故かその時、トボー (Tobor) は再起動し、2人の救援に再び向かうのである。
物語のクライマックス部分を綴ると上の様なモノになる。
どこかでみた様な常套句がそこにある様な気がするが、それに関して、ぼくが謂うべき事はあまりない。
指摘したいのは、次の2場面だ。
ひとつは、映像の中で初めてトボー (Tobor) が登場する瞬間だ。ここには、謎の存在に接した際への、単純におどろきだけが支配している。
しかし、それ以上に観るべきは、孫が初めてトボー (Tobor) に遭遇する瞬間、そしてその次には彼はトボー (Tobor) の操作を試みる、その場面である。だが、決しておもいどおりにはならない。寧ろ、おもわぬ行動がでるばかりだ。何故なら、博士に無断でそこにいるからだ。発信機 (Transmitter) の操作方法すらわからない。だから怖い、自身の誤操作の結果だとしても。そしてどんどんとでてくる結果は悪化するばかりだ。
これらの描写はトボー (Tobor) と謂う存在に限っての事ではない。こんな場面は、これまでになんども観た。それだけではない。かつてぼく達が実際になんどか経験した事でもある。
未知のモノ、そして自身の好奇心を煽る存在に対するアプローチと、その結果だと集約する事もできる。
例えば、自身の誕生日、両親から飼い与えられた愛犬や愛猫でさえ、これと似た様な出来事はなかったか。
また。
物語はトボー (Tobor) が搭乗するロケット (Rocket) 発射の光景で幕を閉じる。今こそ、彼は本来任務 (Fundamentally Mission) に向かうのだ。
そこでぼくは感動してしまう。否、凄く新鮮なのだ。
上に綴った映画クライマックスの光景をみれば解る様に、トボー (Tobor) は発信機 (Transmitter) がなくとも、自身の意思で行動が出来る。彼には発明者にもおもいもしれぬ、潜伏する能力がある。
だから、幾多の同種の物語の幾つかがそうである様に、2人の救出の禍中、もしくは成功の後に、トボー (Tobor) の破壊もしくは自壊する物語へとなっても良い。
また、彼が自由意思で行動したのは、彼と孫のあいだに友情めいた感情の交歓があるとも考えられる。その結果、この救出劇の終了後、トボー (Tobor) と孫との友情の物語が語られ続けても良い。
いずれも、嫌になる程、なんどとなくみせられた物語の構成である。
だが、この映画は違う。
この物語は、トボー (Tobor) と謂う宇宙開発ロボット (Robot) の、本当の物語が開幕した時点で終了してしまうのである。
次回は「ぼ」。
附記 1. :
本映画のポスターは下掲する様に、ロボット (Robot) が女性を抱え上げているイラストが掲載されている。ちなみに本編にはこの様な場面はない。
ところで、このポスターだけを観たヒトビトはそこにどの様な物語を想像するのだろうか。と、謂うのは、このイラスト、ロボット (Robot) が、女性を略奪している様にも、救護している様にも、解釈出来るからだ。そして当時は、冒頭の引用文にある様に「"ロボット"は悪の手先やモンスターの一種」なのだ。
映画観劇前の印象が良い意味で裏切られる、そんな効果を期待しての事なのだろうか。
そして、この様な手法は本映画ばかりではないのだ。本映画同様に、「フレンドリーなロボットが出現」する映画『禁断の惑星 (Forbidden Planet)』[フレッド・M・ウィルコックス (Fred M. Wilcox) 監督作品 1956年制作] の、そのポスターに於いても、同様の試みが為されているのである。そして勿論、その映画でもその様な場面はないのだ。

附記 2. :
トボー (Tobor) の造形は、映画『禁断の惑星 (Forbidden Planet)』でのロビー・ザ・ロボット (Robby The Robot) にも似ているし、遠く離れて特撮TV番組『ウルトラセブン (Ultraseven)』[1967~1968年 TBS系列放映] 第17話『地底Go! Go! Go! (Underground Go! Go! Go!)』 [上原正三 (Shozo Uehara) 脚本 円谷一 (Hajime Tsuburaya) 監督 (大木淳 Jun Oki) 特殊技術] に登場する地底ロボット ユートム (Underground Robot U-Tom) も彷彿とさせてくれる。
附記 3. :
トボー (Tobor) が登場するTVドラマ『ヒア・カムズ・トボー (Here Comes Tobor)』 [デューク・ゴールドストーン (Duke Goldstone) 監督作品 1956年制作] がある。パイロット・フィルム (Television Pilot) のみで実際に放映はされていないらしい。こちらは映画のスピン・オフ (Spin-Off) なのか、そして映画の続編なのか、それとも、それとは全く異なる物語なのかは現時点では解らない。
附記 4. :
物語の細部ではあるが、トボー (Tobor) の物語とは別に、幾つも観ていくべき箇所がある。
ひとつは、発信機 (Transmitter) の開発経過だ。当初は、ゲームパッド (Gamepad) の様な形態そしてサイズだった。それが最終的には上掲した様に、万年筆 (Fountain Pen) 型にまで縮小される。
また、博士の助手の様な執事の様な立場のカール (Karl) [演:フランツ・ロヘン (Franz Roehn)] がドイツ語 (Deutsche Sprache) 訛り [宇宙開発 (Space Exploration) の発端がどこにあるのかと謂う事だ] であるのも、孫が祖父である博士と同居している背景に朝鮮戦争 (Korean War) [1950〜1953年] が背景にあるのも、物語にリアリティを産んでいる様な気がする。
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