2009.06.09.20.57
『ドクター・ノオ
(Dr.No)』 [テレンス・ヤング (Terence Young)監督作品] の冒頭、『ジェームズ・ボンドのテーマ (James Bond Theme)』と呼ばれるその楽曲とともに、乱舞するドット・パターンを眺めていると、突然、そのドット・パターンが変転してタイトル・クレジットが現れる。
その映像を観て、瞬時に江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)の処女作『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)
』を想い描く事が出来るヒトは、おそらくぼくの仲間なのである。
『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)
』に関してはすでに『ごじやうだんのなぞ』で書いたので、もう繰り返さない。
なぜなら、以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされてしまうからなのだ。
007シリーズ (007) の第一作である本作品を観る。否、むしろ、再び観る事によって、ぼく達はつぎからつぎへとあらゆる事どもに気づかされる。
つまり、それは本作品に登場した事象がそのまま後のシリーズ作品に継承されてゆくものの多さ / 豊かさと、それと同時に本作品のみの登場に留まり後に継承されないものの多さ / 豊かさである。
しかもそれは必ずしも一方がもう一方の存在を否定するものではない。両者が同時に共存しているのだ。
例えば、一番先に挙げたタイトル・シーン。
ぼく達にお馴染みのタイトル・シーンは次の様なものだろう。
暗転したスクリーンに銃口に設置された照準器 (Sight) と思しきスポットライトが、ある男性の歩みを追尾する。つまり、それは暗殺者の主観ショットなのだ。そして銃口の追尾に気づいた男が振り向き様に銃弾を発射する。照準器 (Sight) を模したスポットライトは紅く染まり、画面が暗転する。
この数秒のシークエンスに流れるのが『ジェームズ・ボンドのテーマ (James Bond Theme)』なのである。
これに続くのが、本編の導入部であり物語の動機を説明する大切なシーン[もっともシリーズ作品群の中には、ほんのさわりのサスペンスとしての意味合いしか持たないものもあるのだけれども]。
例えば次作『ロシアより愛をこめて
(From Russia With Love)』[テレンス・ヤング (Terence Young)監督作品] では、レッド・グラント (Red Grant)[演:ロバート・ショウ (Robert Shaw)] とジェームズ・ボンド (James Bond)[演:ショーン・コネリー (Sean Connery)] との暗闘から始る。勿論、これはジェームズ・ボンド (James Bond)[演:ショーン・コネリー (Sean Connery)] の偽者を使った訓練なのだけれども、これは即ち、この映画主題がジェームズ・ボンド (James Bond)[演:ショーン・コネリー (Sean Connery)] 暗殺に尽きるという謂なのである。つまり、ここで行われているのは、物語の導入部であると同時に、物語の世界観の構築なのである[例えば、いろいろな意味で悪名高い『007は二度死ぬ
(You Only Live Twice)』 [ルイス・ギルバート (Lewis Gilbert)監督作品] でのそれでは、SFというよりも質の悪い冗談か何かの様なシーンが展開される。しかし、この悪い冗談がそのまま通用する世界の物語として、我々はその映画を観て行かなければならない]。
そしてそれを受けて、主題歌の流れる中、真のタイトルバックが開始するのである。
では、これまで観た007シリーズ (007) の他の一編を思い起こしながら、先に掲載した動画をもう一度観て観よう。
お解り頂けただろうか? この『ドクター・ノオ
(Dr.No)』 [テレンス・ヤング (Terence Young)監督作品] のオープニングには、物語の導入部=世界観の構築と、主題歌が欠落しているのである。
ここから先は、いつか別の日に論考を綴ってみたいと想います。
次回は「お」。
追伸:『ダイ・アナザー・デイ
(Die Another Day)』 [リー・タマホリ (Lee Tamahori)監督作品] で登場したボンド・ガール (Bond Girl)、ジンクス(Giacinta 'Jinx' Johnson) [演:ハル・ベリー (Halle Berry)] が『ドクター・ノオ
(Dr.No)』 [テレンス・ヤング (Terence Young)監督作品] に登場したボンド・ガール (Bond Girl)、ハニー・ライダー (Honey Ryder) [演:ウルスラ・アンドレス (Ursula Andress)] へのオマージュであるというのが定説だけれども、『ドクター・ノオ
(Dr.No)』 [テレンス・ヤング (Terence Young)監督作品] のオマージュ作品は誰がなんと言っても『燃えよドラゴン
(Enter The Dragon)』 [ロバート・クローズ (Robert Clouse)監督作品]に他ならないのだ。
その映像を観て、瞬時に江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)の処女作『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)
『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)
なぜなら、以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされてしまうからなのだ。
007シリーズ (007) の第一作である本作品を観る。否、むしろ、再び観る事によって、ぼく達はつぎからつぎへとあらゆる事どもに気づかされる。
つまり、それは本作品に登場した事象がそのまま後のシリーズ作品に継承されてゆくものの多さ / 豊かさと、それと同時に本作品のみの登場に留まり後に継承されないものの多さ / 豊かさである。
しかもそれは必ずしも一方がもう一方の存在を否定するものではない。両者が同時に共存しているのだ。
例えば、一番先に挙げたタイトル・シーン。
ぼく達にお馴染みのタイトル・シーンは次の様なものだろう。
暗転したスクリーンに銃口に設置された照準器 (Sight) と思しきスポットライトが、ある男性の歩みを追尾する。つまり、それは暗殺者の主観ショットなのだ。そして銃口の追尾に気づいた男が振り向き様に銃弾を発射する。照準器 (Sight) を模したスポットライトは紅く染まり、画面が暗転する。
この数秒のシークエンスに流れるのが『ジェームズ・ボンドのテーマ (James Bond Theme)』なのである。
これに続くのが、本編の導入部であり物語の動機を説明する大切なシーン[もっともシリーズ作品群の中には、ほんのさわりのサスペンスとしての意味合いしか持たないものもあるのだけれども]。
例えば次作『ロシアより愛をこめて
そしてそれを受けて、主題歌の流れる中、真のタイトルバックが開始するのである。
では、これまで観た007シリーズ (007) の他の一編を思い起こしながら、先に掲載した動画をもう一度観て観よう。
お解り頂けただろうか? この『ドクター・ノオ
ここから先は、いつか別の日に論考を綴ってみたいと想います。
次回は「お」。
追伸:『ダイ・アナザー・デイ
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