fc2ブログ

2022.11.22.08.09

くろねこ

前回の主題となった小説『鏡地獄 (The Hell Of Mirror)』 [江戸川乱歩 (Edogawa Ranpo) 作 1926年 大衆文芸掲載] は、Kが語る証言として構成されていた。そこで語られているのは、ある人物の破滅、発狂の、そこに至るまでの過程である。
拙稿の主題もある人物の破滅が綴られているのだが、それを語るのは当の本人。その人物の主観で以って語られている。

だから、小説『黒猫 (The Black Cat)』 [エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) 1843年発表] を読むモノは、その人物の主張をそっくりとそのまま聴かされているのに等しい。物語の冒頭、語り手自らが自認している様に、彼が語ろうしている証言は、信憑性自体が疑われるモノだ。そんな物語を読者は読まされるのである。
しかし主人公の主張とは逆に、その証言の迫真性に促され、読者は次第に、物語に引き込まれていく。その結果、語り手に耳を傾けると謂うよりも、いつしか、当の読者自身が、語り手となっている様な気もしてくる。いつかどこかで誰かが語っていた話と謂うよりも、たったのいま、自身の眼前でそれが起こり、そしてそれこそが自身の身に迫ってくる、そうも思えて来てしまうのだ。
尤も、その様な効果は、この小説独自のモノではない。物語の登場人物、その主観によってのみ構成されている物語は大なり小なり、その様な演出を狙ってのモノだ。いや、そんな大仰なモノですらないのかもしれない。物語を音読する際、その間ずっと「ぼくは ...」「わたしは ... 」「おれは ...」と発話していれば、いつしかその物語の中の人物が読者に憑依しないとは限らないのも、事実だ。
とは謂え、それを認識した上にさらに、この小説は積極的にその様な効果を発生しようと仕向けている様に、ぼくには思える。

作品名にある黒猫 (Black Cat)、先ずこれが不吉の象徴である。しかも物語に登場する黒猫 (Black Cat) の名前はプルートー (Pluto) と謂う。ローマ神話 (Roman Mythology) に於ける冥府を司る神、その名である。
主人公は妻とつましい、否、貧困に喘ぐ生活をおくっている。しかも、彼女はずっと病弱である上に、自身にはアルコール依存症 (Alcoholism) の兆しがみられる [そしてその発作が事件の発端でもある]。経済の面でも、健康の面でも、ふたりには死の影が忍び寄っている様におもえる。
(Cat) は2匹登場する。無論、どちらも黒猫 (Black Cat) だ。1匹は主人公によってひとつの眼を喪い、1匹目が死亡した後に出逢うもう1匹、2匹目はその当初から眼はひとつだった。片眼の (Cat)、しかも漆黒の毛並みをしているだけで不吉な印象を醸し出しているのだが、時を違えて前後に出逢った結果、彼等は双児の様にも、[既に亡くなった黒猫 (Black Cat) の] 産まれ変わりの様にも、亡霊の様にも、看做す事が可能とも思える。
しかも、2匹目の胸元にあるしろい斑点はいつしか絞首台 (Gallows) の様にみえてくる。それはそのまま主人公の、1匹目に対して為された残虐な行為に対しての求刑である様にもおもえる。と、謂うのは、1匹目は、主人公によって殺害された後、死骸はあたかも絞首刑 (Hanging) の様に吊り下げられたからだ。2匹目の斑点からは、おまえはこうしたのだろう、おまえもこうしてあげようか、そんな声が聴こえてきそうなのだ。
と同時に、ある事故を経る事によって、その死骸は壁に埋め込まれ、まるで浮き彫りでもある様な影をそこに反映させて主人公を糾弾してもいるのだ。
一方の2匹目はその後、主人公によって惨殺された妻の遺骸と同時に、いきながら壁中に埋葬されてしまう。
しかし、彼は生存している。死後、壁中に埋葬された1匹目とは逆に、そこから救出されるであり、また、それはそのまま、主人公の破滅を結論づけるモノとなる。

上にみてきた様に、物語に登場する些細な事象、些細な事物は、独立した存在であるよりも、必ずなにかに関連、もしくは対比させる事が可能である。そして、それを主人公の視点に立てば、なにがしかの予兆、預言となって解釈可能なモノなのだ。だからこそ、彼はすこしづつ、じわじわとおいつめられていく、しかもそれは不可避のモノであり、ただひとつの結末へと収斂していく様に、ぼく達は読んでしまう。

ところでぼくには、その関連、対比の最もおおきなモノがある様におもえる。しかも、それは小説のそとにある。
ぼくには、この小説はいやおうもなく、作者エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の実人生がそのまま反映されている様におもえてしまっているのだ。
この小説の発表の前年である1842年、彼の妻ヴァージニア・クレム (Virginia Eliza Clemm Poe) は結核 (Tuberculosis) を患い、その5年後、1847年に病死してしまう。
彼はあらたな事業計画、新雑誌創刊を画策するが、途中放棄の憂き目にあう。発表される創作物の評価もおもわしいモノではない。それらが原因なのだろうか、彼はアルコール依存症 (Alcoholism) に陥ってしまう。
そして、妻の死から2年後の1849年の彼の不可解な死も、その疾病が遠因であるかの印象を受ける。
エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の晩年を観ると、黒猫 (Black Cat) こそそこには登場しないが、外形的にはこの小説の主人公とおなじ様な状況下にある様におもえてならない。否、寧ろ、作家自身の苦境 [それは経済的なモノばかりではなく、精神上のものも含む] を黒猫 (Black Cat) と謂う象徴を用いる事によって、語ろうとしたのではないか。そんな気さえするのだ。

この小説を翻案した作品は様々なジャンルに偏在している様におもわれるが、ぼくの少ない体験の中では、成功作と呼べる様なモノはない。
映像化作品としては、原作たるべき小説の短さからであろうか、どうしても余剰なモノ、不必要な要素が混入する。だけれどもそれは、物語のながさを充足させるためだから、それだけではないのだ。原作が1人称の視点で語られているのに対し、映像化作品は畢竟、3人称の視点が混入せざるを得なくなる。その結果、原作において微妙な存在、解釈の点に於いてゆらぎが必須の事象であっても、実在化されてしまう。いくつもある映像化作品の失敗は、そこ起因する様な気がする。

また、2次元作品と謂えども、それは同様だ。
エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の諸作を題材とした絵画作品と謂えば、ハリー・クラーク (Harry Clarke) によるモノになるのだろうが、何故か、この作品に関してはそぐわない様な気がしてならない [こちらを参照]。オーブリー・ビアズリー (Aubrey Beardsley) が描いたモノ [こちらを参照]、アーサー・ラッカム (Arthur Rackham) が描いたモノ [こちらを参照] も同様である。そこに描かれている黒猫達 (Black Cats) は、どこかのだれかがみた黒猫 (Black Cat) であって、その主人公の眼に映えるそれではない様な気がするのだ。但し、幾つかの作品はもしかしたら、彼の妻がみていた黒猫 (Black Cat)、その妻の死骸の発掘に関与した警官達がみた黒猫 (Black Cat)、そのいずれかにはなり得よう。しかし、それがそのまま、主人公がみていた黒猫 (Black Cat) にはなるとは限るまい。
勿論、それが叶わぬ願いであるのは、ぼくにはわかっている。だから、ぼくの要求をこう読み替えても良い。その小説の読了直後、主人公になりかわって恐怖の体験をしたぼくの、そのぼくがみた黒猫 (Black Cat) を、このぼくがみたいのだ、と。

本連載では画像1点を掲載するのが慣例である。それに倣って下掲図を掲載するが、それがぼくの欲しい黒猫 (Black Cat) の描写では必ずしもない事を言明、もしくは弁明しておく。
にも関らずに、下掲図掲載のはこびとなったのは、原作に次の様な叙述があるからだ。

ある夜、町のそちこちにある自分の行きつけの酒場の一つからひどく酔っぱらって帰って来ると、その猫がなんだか私の前を避けたような気がした。 (One night, returning home, much intoxicated, from one of my haunts about town, I fancied that the cat avoided my presence. )』

images
[上掲画像は『ア・ドリーム・ウィズイン・ア・ドリーム(A Dream Within A Dream : Edgar Allan Poe)』 [トレント・パーク (Trent Parke) 撮影 2017年発表] より]

次回は「」。

附記:
エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の小説には、語り手の主観によってのみで構成されている作品が多いとおもう。
その一方で、この小説家を推理小説の元祖として結果的にしたてあげたみっつの小説 [小説『モルグ街の殺人 (The Murders In The Rue Morgue)』 [1841年発表]、小説『マリー・ロジェの謎 (The Mystery Of Marie Roget)』[1842年発表]、小説『盗まれた手紙 (The Purloined Letter)』[1844年発表]] では、その手法が採用されていない。探偵であるC・オーギュスト・デュパン (C. Auguste Dupin) の同居人が書記としての役割を担っていて、ぼく達は彼の記述作品を読む事によって、それらの小説を堪能する事になる [おなじ構造は、暗号文解読を主題とする小説『黄金虫 (The Gold Bug)』 [1843年発表] にも採用されている] 。
そして、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) はエドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) のみっつの小説の構成を援用して、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) と謂う名探偵を創造せしめた。彼の推理と成功の殆どは、その書記役であるジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の文章として構成されている。
殆ど、と綴ったのは全作品総てに書記としてのジョン・H・ワトスン (John H. Watson) が登場する訳ではないからだ。
その数少ない例外のひとつとして小説『白面の兵士 (The Adventure Of The Blanched Soldier)』 [1926ストランド・マガジン (The Strand Magazine) 掲載 『シャーロック・ホームズの事件簿 (The Case-Book Of Sherlock Holmes)』[1927年刊行] 所収] がある。
そこでは、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) がジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の不在を嘆くシーンがある。
そして、さらにこんな発言もある。
ああ、自分語りをすれば手の内をさらけ出さねばならない! ワトソンは、つながった鎖の中からいくつかの環を隠しておくことによって、物語の最後にとってつけた結末を持って来ることができたのか。 (Alas, that I should have to show my hand so when I tell my own story! It was by concealing such links in the chain that Watson was enabled to produce his meretricious finales. )」
シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) によるジョン・H・ワトスン (John H. Watson) への言及は、そっくりそのまま作者アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) の嘆きであろう。彼と謂う人物を仮構する事によって、事件と推理そしてその解決を、物語として構成し得たのである。
そして、上に引用した発言こそが、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) の推理小説への技法、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の物語の構造の図解なのである。つまり、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) は犯罪捜査の端緒についた時点で既に、犯罪解明に必須な謎の解明は終えている。しかし、それをその時点で言及しては、物語としてのおもしろみは半減する。謎は謎のまま、そこに潜む秘密は伏せたままで、その証拠や実証の探求に着手し、晴れて真犯人逮捕の時点が横着した時点で初めて、その謎の解明を開陳すべきなのだ、物語はそうでなければならない、そしてそれを完遂する為には、ジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の様な書記の存在が必要である。シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) [そしてそれは作者アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) 自身の発言でもあろう] はそう言明しているのだ。
そして、ぼくはおもう。
シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の発言はそっくりそのまま、推理小説と怪奇小説の分岐点を解明する、重要なモノにならないだろうか、と。
ぼくの脳裏にあるのは、エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) と謂う作家に於いての小説『黒猫 (The Black Cat)』とみっつの小説との分岐点に関してなのだ。
そして、その反照として、江戸川乱歩 (Edogawa Ranpo) は小説『鏡地獄 The Hell Of Mirror)』を怪奇小説としてではなく、推理小説として綴っていたのではないだろうか、ともおもわされるのだ [小説『白面の兵士 (The Adventure Of The Blanched Soldier)』が語り手主観の推理小説である様に、総ての作品に於いて、この発想が援用可能とはおもわれないのだが]。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/3657-edac26a7

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here