2022.10.16.07.56

いちばんすきな作品は前々作の第3作『シングル・マン (Single Man)』 [1976発表 1980年再発売] である。
購入した作品は、それとこれと当時のシングル・コンピレーション・アルバム『イーピーエルピー (Eplp)』[1980年発売]、そして自々作である第5作『ビート・ポップス (Beat Pops)』[1982年発売] だけなのだ。
彼等の存在とその音楽に接したのはFMラジオ番組『サウンドストリート (Sound Street)』 [1978~1987年 月~金 NHK FM放送] である。紹介したのが、火曜日担当の森永博志 (Hiroshi Morinaga) 1978~1981年] だったのか、水曜日担当の甲斐よしひろ (Yoshihiro Kai ) [1978~1980年] だったのかは憶えていない。木金担当の渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) [1978~1983年] である可能性がない訳ではないが、基本的に彼は新作、しかも洋楽作品中心の紹介だったから、仮にその番組で彼等の楽曲が放送されたとしても、もう少し後の事だったとおもう。
彼等のライブ演奏が放送されたのだ。
そのエアチェック音源は、倉庫と化した押し入れの中に潜り込めば、出てくる筈だ。だけれども、それはカセット音源だからいまや、聴く事も出来ない。
だけれども、そのライブ放送で彼等を知ったのではない。それ以前に、森永博志 (Hiroshi Morinaga) か甲斐よしひろ が楽曲を放送していた筈だ [当時、どこかで開催された音楽フェスの一景だったのだろうか、何故ならば、当時、彼等が音源として発表していなかった楽曲『スイート・ソウル・ミュージック (Sweet Soul Music)』等を聴いた記憶があるのだから]。そうでなければ、全くの初見 [正しくは初聴] のバンドのライブ演奏を収録する筈はないのだから。

ただ、ここで指摘すべきは、当時の他のバンドとは一線を画すモノがあった様におもえる、そう謂う事なのだ。
楽曲『スイート・ソウル・ミュージック (Sweet Soul Music)』はある種の定型に則った楽曲であり、と同時に彼等の出自が伺える楽曲である。
そして、当時の彼等の代表曲である楽曲『雨あがりの夜空に (Ame Agari No Yozorani : In The Night After The Rain)』[1980年発表 『イーピーエルピー (Eplp)』[1980年発売] 収録] もまた、同様である。だけれども、その楽曲がよりそった定型が少し違う。敢えて謂えば、曲調ではなくて歌詞にある。しかも主題ではなくて、その技法だ。
そこがぼくにとっては新鮮だった。
何故って、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のエピゴーネン (Epigonen) でしょう!? そんな杓子定規の言説で切り捨て様とおもえば、いくらでも可能なのだから。
寧ろ、その定石に従って、如何に自身の独自性を主張できるのか、そこがぼくには斬新なモノにみえたのだ。

そして大事な事だからここで綴っておく。当時のバンド編成は仲井戸麗市 (Reichi Nakaido) と小川銀次 (Ginji Ogawa) のツイン・ギター体制だった。本作では正式メンバーであるゴンタ2号ことジー・トゥー (G2 aka Gonta Ni-go) は、まだサポートメンバーであり、その存在と地位はそのライヴ音源収録の、彼等のオープニング楽曲『よォーこそ (Nice See You!)』 [アルバム『ラプソディー (Rhapsody)』収録 1980年発表] で聴く事が出来た。
だから、アルバム『ラプソディー (Rhapsody)』[1980年発表] が発売されて吃驚した。アルバム・ジャケットに未知の人物が掲載されていたのだから。
そしてその事由を知って残念におもった。単純に、かつての彼等の、ふたつのギターの絡みが大好きだったからだ [小川銀次 (Ginji Ogawa) 在籍時の音源はいまだ発売されていない様だ]。だからアルバム購入は手控えてしまったのだ。


その前後に知ったのが吉見佑子 (Yuko Yoshimi) 主導による「『シングル・マン』再発実行委員会」 (The Executive Committee For Re-release Of The Album "Single Man") が決行した、アルバム『シングル・マン (Single Man)』の再発運動である。FMラジオ番組『サウンドストリート (Sound Street)』でも、水曜日なのか木曜日なのかは記憶にはないのだけれども、その活動は知らされていた。ぼくの中では当時、楽曲『スローバラード (Slow Ballad)』のスタジオ録音ヴァージョンが収録されている作品と謂う認識だ。先に紹介したライヴ音源でもクラマックス・ナンバーとして披露されていた様におもう。
そして、その活動の成果が結実した時に、収録楽曲の幾つかが放送された様におもう。そこで渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) が登場した様な記憶があるが、定かではない。だけれどもその作品の収録曲のひとつ、楽曲『やさしさ (Considerate)』 [シングル『スローバラード (Slow Ballad)』 B面収録曲] は、渋谷陽一 (Yoichi Shibuya) の声とセットになってぼくの記憶にあるのだ。

当時のぼくは高校在籍、受験生だった。だから、本作を購入し、初めて聴いた時は面映いおもいがした。それはひとえにふたつの楽曲、楽曲『トランジスタ・ラジオ (Transistor Radio)』と楽曲『体操しようよ (Let's Work Out)』の存在である。
そのふたつの楽曲の主題の様な状況がぼくにもあった様にも、なかった様にもおもえる。こんな曖昧な事をほざくのも、どちらか一方に与したとしても、そこにどこかしら嘘がありそうなのだから。
それよりもいまとなっては、楽曲『いい事ばかりは ありゃしない (It Ain't Always Eazy)や楽曲『あきれて物も言えない (So Funny, I Forgot To Laugh)』の方が心情的に汲みしやすい。高校を卒業し一年浪人し大学に入学する為に上京してからずっと、そんな事ばかりをしている。少なくとも楽曲『ダーリン・ミシン (Darlin' Sawing Machine)』の様なつましい同棲生活があっても良さそうなのに、そんな事すら実現できていない。ただひたすらに「金が欲しくて 働いて 眠るだけ ( Just Working Because Want Money And Only Sleeping)」とか「汗だくになってやるよりも 死んでる方がまだましだぜ (Than Working Harder Dying It's Better)」とか、謂ってばかりなのである。
ここで大好きなアルバム『シングル・マン (Single Man)』の事を綴っても良い様な気もするし、アルバム『ビート・ポップス (Beat Pops)』以降、彼等への興味を喪った事を綴っても良い様な気もするが、それは別のところにするべきなのだろう。
ここまで、そしてこのあとでも、ひとことも触れていない忌野清志郎 (Kiyoshiro Imawano) に関しても、だ。
ただ、ひとつだけあからさまにしておきたい事がある。
それはこんな事だ。
高校3年生の夏休み、地元で音楽フェスが開催された。しかも、自宅から目と鼻の先が開催地だ [その開催を巡って、論争が地元で起こったのだが、それはここでは問題としない。教育上宜しくない、一方の主張はそれに尽きるんだ]。
ぼくはその日まで1週間、高校主催の、受験の為の合宿に参加していたから、そこへ出向く事はなかった。
勿論、帰宅した当夜、行こうとおもえば行けない事もなかった。帰宅するとポンポンポン、花火が聴こえる。呑気な母親は、気分転換として勧めてくれはしたが、そんな妄言に従うつもりは毛頭になかった。
彼等はみたい。だけれどもそれ以外の出演者達が嫌だ。何故ならば、四畳半フォーク (Folk Songs For The Life In Small Personality Life) の残党やその後継であるニューミュージック (New Music) を主張する輩ばかりなのだから。
後日、その夜の模様がTV放送された。彼等の他にも気になるバンド、アーティスト達が登場する筈だったから、土曜日の真昼間、観る事にした。
退屈だった。放送されるのは各参加者の1曲のみだ。それ以上に、司会もしくは場繋ぎとして何度となく登場する人物達がいる。それが鬱陶しい。
だが、アール・シー・サクセション (Rc Succession) は登場する。楽曲『雨あがりの夜空に (Ame Agari No Yozorani : In The Night After The Rain)』が放送された。
だけど、なんだか悔しくなった。
と、謂うのは、その演奏中、フェスの出演者の主だったモノ達がジェンカ (Jenkka) 宜しく徒党を組んでステップ (Step) を踏んでいるのである。
そんな阿呆らしい行動をする彼等も彼等だが、それを許してしまう [許してしまえる]、アール・シー・サクセション (Rc Succession) には納得が行かない。
彼等、と謂うのは後者を指しての事だけれども、そんな映像を観て以降、もやもやとしたモノばかりがぼくに遺されてしまうのである。

ちなみにアルバム『カバーズ (Covers)>』 [1988年 キティレコード (Kitty Records) より発売] を巡って起こった事件に関しては、隣りの芝生 (The Grass Is Always Greener On The Other Side.) だった、と謂うかなにを今更、と証言しておこう。白龍 (Hakuryu) の第1作『光州シティ (Gwangju City)』 [1981年 自主制作盤として発売] をはじめ、何度となく起こってきた問題だ。だから、事態の推移にこそ着目していたが、今となっては、あれが東芝EMI (Toshiba EMI Ltd.) から発売出来なかったからこそ、幾つもの事象が顕現した様にもおもう。極端な話、あれがそのままするっと発売されてしまえば、着目されたのはバンドの意思や姿勢のみだっろう。
そして、それらを前提に彼等がなすべき事、なさざるを得ない事が幾つもあった様にもおもえる。
ザ・タイマーズ (The Timers) と謂うバンドの登場は、アール・シー・サクセション (Rc Succession) と謂うバンドが置かれていた状況を別の観点から炙りだしている様にもおもえる。
映画『ラスト・ワルツ (The Last Waltz)』 [マーティン・スコセッシ (Martin Scorsese) 監督作品 1978年制作] でのロビー・ロバートソン (Robbie Robertson) の発言を引用すれば、この事こそ彼等にとっての「始まりの終わり、終わりの始まり (The Beginning Of The Beginning Of The End Of The Beginning)」なのだとおもう。
『拝啓EMI殿 - E.M.I.』 [アルバム『勝手にしやがれ!! (Never Mind The Bollocks, Here's The Sex Pistols)』 [1977発表] 収録]と歌ったセックス・ピストルズ (Sex Pistols) とはそこが違うのだ [いいわるいの話ではなく資質の問題として]。
ものづくし (click in the world!) 240. :"PLEASE" by RC SUCCESSION

"PLEASE" by RC SUCCESSION
SIDE 1
DARLIN' MICHIN KIYOSHIRO IMAWANO
TRANSISTOR RADIO KIYOSHIRO IMAWANO / G. 1,238, 471
MORNIG CALL WO YOROSHIKU KIYOSHIRO IMAWANO
TATOEBA KON-NA LOVE SONG KIYOSHIRO IMAWANO / YAWAO KOBAYASHI
DD WA CC RIDER G./a>. KI. REI
SWEET SOUL MUSIC KIYOSHIRO IMAWANO
SIDE 2
BOKU WA TAORU KIYOSHIRO IMAWANO
MR. TV PRODUCER KIYOSHIRO IMAWANO / REICHI NAKAIDO
IITOKO BAKARI WA ARYA SHINAI KIYOSHIRO IMAWANO
AKIRETE MONO MO IENAI KIYOSHIRO IMAWANO
TAISOO SHIYO-YO KIYOSHIRO IMAWANO
Arrangement by RC SUCCESSION
Recording Date ... 1980 SUMMER~FALL
Recorded at ... POLYDOR IZU STUDIO / POLYDOR-1.3. STUDIO / KRS-A .B. STUDIO
Mixed at .... KRS-B. STUDIO
SPECIAL THANKS TO FOLLOWING PEOPLE
KAZUTOKI UMEZU ... From SEIKATSU KOJO IINKAI
HIROAKI KATAYAMA ... From SEIKATSU KOJO IINKAI
HARUKI SATO ... From SEIKATSU KOJO IINKAI
SHINZI YASUDA ... From SEIKATSU KOJO IINKAI
BACKING VOCAL
MARI KANEKO SOUL SISTER ... Appears by The Courtesy of CSE/SONY INC.
STAFF
Executive Producer ... YOSHIYUKI OKUDA / RIBBON
Executive Producer ... HIDENORI TAGA / KITTY RECORDS
Personal Manager ... KISAKU SAKATA
Public Relations ... KAZUO MUNAKATA
Co-Director ... YOSHINOBU FRANCIS MORIKAWA
Engineer ... AKIO ITO
Assistant Engineer ... SUSUMU OTIS YAMAZAKI
Assistant Engineer ... KINSUKE KOBAYSHI
Photographer ... HISAKO OKUBO
Stylist ... EMIKO UMEKUBO
Hairdress & Make-Up ... TETSUYA SEKI
Cover Design ... MASAO HIRUMA / TESTPATTERN
Roadies ... MASAMI FUJII, TATSUO ARAI
Recording Director ... ICHIRO MAEDA
Produced by ICHIRO MAEDA & RC SUCCESSION
Pix by HISAKO OKUBO
RECORDS AND TAPES MANUFACTURED AND DISTRIBUTED BY POLYDOR K.K., JAPAN (P) ''80
PLEASE, play it loud
SIDE 1
ダーリン・ミシン
●作詞・作曲:忌野清志郎 2:48
Darlin' Sawing Machine ● Kiyoshiro Imawano
トランジスタ・ラジオ ●作詞・作曲:忌野清志郎・G. 1,238, 471 4:41
Transistor Radio ● Kiyoshiro Imawano / G. 1,238, 471
モーニング・コールをよろしく ●作詞・作曲:忌野清志郎 3:52
Please Don't Forget The Morning Call ● Kiyoshiro Imawano
たとえばこんなラヴ・ソング ●作詞・作曲:忌野清志郎・小林和生 3:54
Here's Another Love Song ● Kiyoshiro Imawano / Yawao Kobayashi
DDはCCライダー ●作詞・作曲:G 忌 麗 3:46
DD, the CC Rider ● G. Ki. Rei.
Sweet Soul Music ● 作詞作曲:忌野清志郎 4:10
Sweet Soul Music ● Kiyoshiro Imawano
SIDE 2
ぼくはタオル ●作詞・作曲:忌野清志郎 2:56
I'm An Used Towel ● Imawano KIyoshiro
ミスター・TVプロデューサー ● 作詞・作曲:忌野清志郎 / 仲井戸麗市 3:07
Mr. TV Producer ● Kiyoshiro Imawano / Reichi Nakaido
いい事ばかりは ありゃしない ● 作詞・作曲:忌野清志郎 6:28
It Ain't Always Eazy ● Kiyoshiro Imawano
あきれて物も言えない ● 作詞・作曲:忌野清志郎 5:40
So Funny, I Forgot To Laugh ● Kiyoshiro Imawano
体操しようよ 作詞・作曲:忌野清志郎 3:43
Let's Work Out ● Kiyoshiro Imawano
TRANSTLATED BY STANLEY KITADAI
企画 - (株)りぼん
制作 - (株)なかよしグループ、キティレコード
問い合わせ先 - 軽罪新聞 川口好美
唄と演奏 - RCサクセション
●このレコードには、人工甘味料、合成着色料、防腐剤などいっさい使用されておらず、すべてバンドマンだけで演奏されています。安心して御利用下さい。
●レコードから無断でテープその他に録音することは法律で禁じられています。
(C) 1980 KITTY MUSIC COOPERATION, NAKAYOSHI GROUP
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