2022.08.30.09.18
と、いうのはTVドラマ番組『すし屋のケンちゃん(Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』 [1971〜1972年 TBS系列放映] の冒頭で流れる主題歌『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』 [作詞:多地映一 (Ei-ichi Taji) 作曲:井上かつお (Katsuo Inoue) 歌唱:藤田淑子 (Toshiko Fujita)]、その歌い出しの部分である。

歌詞はそのあと、♪いそぎの出前だ お手伝い / オカモチさげて♪ (Do Outside Catering, Hurry. / With A Carrying Case For Sushi Dishes ) 云々と続く。そして、その歌詞に誂えたかの様に、その楽曲が流れる番組冒頭のタイトルバック [上掲画像はこちらより] では、その番組の主人公ケンイチ (Ken-Ichi) [演:宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki)] が、岡持 (Okamochi : Carrying Case For Sushi Dishes) を携え暖簾 (Noren) をくぐって、こちらに出てくる。
リアルタイムでその番組を観ていたぼく達は、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) が羨ましくて仕方がなかった。何故ならば、ぼく達の大好物である寿司 (Sushi) を、彼の立場であるのならば好きな時に好きなだけ喰えそうな気がしたからだ。
そして、そうおもっていたのはぼく達ばかりではないのだろう。番組は好評を得、それが反映されてか、その番組が放映されたその曜日その時間帯には、同じ様な設定の番組が続けて登場するのだ。
TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』を嚆矢とするその、その曜日その時間帯そのチャンネルの、子供むけTVドラマの不思議な点は先ず、そこにある。
何故なら、例えばTVアニメ番組『オバケのQ太郎 (Obake No Q-Taro)』 [1965~1967年 TBS系列放映] を嚆矢とする藤子不二雄 (Fujio Fujiko) 作品のアニメ化作品は、どれも、ホワイトカラー (White-collar) のサラリーマン宅 (Semi-European-style House In Japan) が舞台となっているからだ [例外はTVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [藤子不二雄 A ( Fujio A Fujiko) 原作 1968~1969年 TBS系列放映] で、安アパート (Cheap Apartment House) での兄妹のふたり暮らし、でもこの様な寂しい環境がなければ妖怪〜怪物 (Yokai - Monsters) 達も登場しづらいだろう]。TVアニメ番組『サザエさん (Sazae- san)』 [長谷川町子 (Machiko Hasegawa) 原作 1969年放送開始 フジテレビ系列] も同様である。丁寧に根気よく捜せば幾らでも例外は出てくるのかもしれないが、ぼくの脳裏にあるもうひとつの例外はTVアニメ番組『もーれつア太郎 (Moretsu Ataro)』 [赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 原作 1969~1970年 テレビ朝日系列放映] ぐらいしかない。この作品での主人公ア太郎 (Ataro) は、自らが八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) を経営しているのだ。
と、謂う周囲の状況を考えれば、寿司屋 (Sushi Shop) を稼業とする実家に暮らす少年が主人公の物語は、異例とも謂っても良いのではないだろうか。
その理由は単純である。既に上に綴ってある。
ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) が羨ましい。番組制作関係者は、主たる視聴者達にそうおもわせたいのだ。そして寿司屋 (Sushi Shop) と謂う職種は、実際にぼく達にそうおもわせる職種のひとつなのである。
だからと謂って、それは決してその番組の主たる視聴者である少年少女達の憧れではないのだ。憧れ、と謂うのは余所にある。それは彼等自身がいつか、もしくは今すぐ、就きたい職業だ。
だが、この職種はそうではない。自分達の両親がそんな店舗の経営者だったら、そこから生じる恩恵を自由気侭に蕩尽出来るだろう、と謂う単純な発想がそこにあるのだ。一言で謂えばさっき綴った様に、喰いたい時に好きなだけ寿司 (Sushi) を喰えるだろう、と。
と、謂うのは当時のぼく達の身近なところ、すなわち幾人かの同級生達にその様な羨望をいつも抱いていたからである。
ぼくの保育園生 (Pupil of Day Nursery) 時代、玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) や映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre)、そして理髪店のTくん (T, The Son Of A Barber Shop) はいた。
玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) が何故、羨ましいのかは敢えて綴るまでもない。彼の自室を訪ねれば、本来ならば商品として陳列されている、ぼく達には掌が届く事のない新商品がごろごろとしているのだ [第一にTVドラマ番組『おもちゃ屋ケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Toy Store)』 [1973〜1974年 TBS系列放映] もある]。
映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre) も同様だ。一度、彼に案内されて映写室 (Projection Booth) なる場所を訪問した。その職業に就けばきっと毎日映画が観れるのだ。だけれどもそうおもったのはほんの一瞬で、でもここぢゃあなぁとおもいなおした。と、謂うのはぼく達が頻繁に訪れる [もしくは訪れたい] のは もう一方の映画館であって、Fくんのいえではない。その映画館こそ、特撮怪獣映画 (Special Effects Monster Film) の新作を封切るところなのである。でも、その映画館には同級生はいないのだ。 ... 。そんな身勝手な事を思ったればこそ、ぼくは映画『ニュー・シネマ・パラダイス (Nuovo Cinema Paradiso)』 [ジュゼッペ・トルナトーレ (Giuseppe Tornatore) 監督作品 1988年制作] の主人公サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ (Salvatore Di Vita) [演:サルヴァトーレ・カシオ (Salvatore Cascio)~マルコ・レオナルディ (Marco Leonardi)~ジャック・ペラン (Jacques Perrin)] になれなかったのであろう。
理髪店のFくん (T, The Son Of A Barber Shop) には、こんな逸話がある。ぼく達が彼の自宅に遊びにいったところ、彼の父親、すなわち、その理髪店店主が、真新しいヘアカットガウン (Haircut Gown) をお披露目してくれたのだ。真っ白いガウンには、つい先頃放映が始まったばかりの特撮TV番組の主人公ふたりが描かれてあった。店主自らが描いたのだ。今度、きみ達がうちにきたら、これで頭をかってやろう。彼はそう宣言したのだ。そして、それ以降、その店で散髪するときはいつも、そのヘアカットガウン (Haircut Gown) を着用する事になった [と謂うか、ヘアカットガウン(Haircut Gown) 云々よりも、そんなイラストが描けると謂うところこそが羨ましかったのに違いない]。
そんな些細な逸話の積み重ねを裏付ける様にぼくにとっては、そのTVドラマ番組はある。
学校が代わり、クラス変更の積み重ねによって、保育園生 (Pupil of Day Nursery) 生から小学生 (Primary School Student) の時代のぼくには、3人の八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) がいる。八百屋のMちゃん (M, The Daughter Of A Fruit And Vegetable Shop) と、八百屋のKさん (K, The Daughter Of A Fruit And Vegetable Shop) ) と、八百屋のSくん (S, The Son Of A Fruit And Vegetable Shop) ) だ。彼等には、玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) や映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre)、や理髪店のTくん (T, The Son Of A Barber Shop) の様な逸話はない [とは謂うモノのこの3人と謂う人数に、ア太郎 (Ataro) が八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) を自営している理由が垣間みられる様な気もしないでもない]。
あると謂えば、八百屋のSくん (S, The Son Of A Fruit And Vegetable Shop) ) で、理科 (Science) の実習用の猩猩蠅 (Fruit Fly) の捕獲に彼の店先を借用した事があるくらいだ。捕獲用のプラスチックの容器に、バナナ (Banana) の小片を据え、それを店舗の一隅に配置させてもらうのである。同じ装置を自宅台所に据えてもうんともすんともならなかった代わりに、面白い、否、気味が悪くなる程、捕獲出来た。持つべきモノは友 (What You Shold Have Is Friends.) だなとおもったが、ぼく達のお礼 [おかげで沢山獲れました] を聴いた店主はどう思ったんのだろう。
だからと謂って、その番組が現実を丁寧に反映する事は決してないのだ。
ぼくの中学生 (Junior High School Srudent) 時代には、寿司屋のNくん (N, The Son Of A Sushi Shop) と蕎麦屋のI (I, The Sun Of A Soba Shop) くんがいた [TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』後継番組にTVドラマ『おそば屋ケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Soba Shop』 [1975~1976年 TBS系列放映] がある。]。彼等を羨ましいがる事は決してなかった。何故ならば、第一に同じ学区内とは謂え、その2店に食事に行く事は先ずない事がある。と、同時にぼく達を悩ましている問題のひとつに進学と謂うモノがあった。彼等には大なり小なり、家業を引き継ぐべきや否や、そんな問題が頭をもたげていたのである。
それは、拙稿記事題名に引用した歌詞にある語句♪父ちゃん僕すし屋になるよ♪ (Father, I'll Become The Master Of The Sushi Shop.) とは似て非なる問題、もっと切実で直近の問題なのである。
[蛇足として付け加えるとすれば、当時既に、映画不況の煽りを受けて、Fくんの映画館 (A Movie Thetre Of F) は閉館している。その跡地にはスーパーマーケット (Supermarket) が開業していた。]
次回は「の」。
附記 1. :
TVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』 [1962~1982年 TBS系列放映]、その名称を冠する番組は、TVドラマ『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』のそれ以前にもあるが、番組内容の結構がきちんと定まってはいなかった。
小学生 (Primary School Student) を主人公とはするモノの、主人公は必ずしもケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) ではなかったし、主人公の実家の稼業が番組内容の基本的方針を左右するモノでもなかった。
つまり、子役俳優宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) がケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) と呼称される小学生 (Primary School Student) を演じる事と、彼の実家の稼業が自営業である事が、そのTVドラマシリーズの骨子なのである。
[宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) の成長に伴って、それまで彼の弟役を演じた岡浩也 (Hiroya Oka) が主役に抜擢されて以降も指して、そのシリーズ名で呼ばれるのだが、残念ながら岡浩也 (Hiroya Oka) 主役のTVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』をぼくは観ていない。何故ならば宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) が成長するのと同様に、ぼくも成長したのだ、多分。]
と、謂う様な理由をもって、TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』は、そのシリーズの実質的な第1弾であると同時に、そのシリーズを代表する最も顕著な作品でもある。
と、謂うのは、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) の実家の稼業が寿司屋 (Sushi Shop) だからだ [云々と謂う事は既に上に綴ってある]。この設定を継承して以降のシリーズ作品は皆、主人公の実家は自営業を営む事になっている。だけれども、その選択と設定は必ずしも成功しているとは謂えない。
寿司屋 (Sushi Shop) で人気が出たのならば、飲食店ならば良いかと謂うとそうではない。子供の憧れの職業であれば良いのだろうと考えると、自営業を前提とした業態でその条件を併せ持つ職業は実はあまり存在しないのだ。
結果的にこのTVドラマシリーズは、主人公の実家が飲食店を経営する物語が過半を占める事となったが、そのシリーズの主たる視聴者達が、飲食店と謂うモノ、もしくは飲食店を経営する両親に、憧れや尊敬を持っているとは決して断言出来ないのだ。
附記 2. :
TVドラマ『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』が放映されていた当時、おなじチャンネルの、違う曜日、違う放送時間帯にTVドラマ『時間ですよ (It's Time For)』 [1965〜1990年 TBS系列放映] が放映されていた。その物語の舞台である銭湯 (Sento) 松の湯 (Matsu No Yu) の店員に宮崎健 (Ken Miyazaki) [演:堺正章 (Masaaki Sakai)] がいる。つまり、風呂屋のケンちゃん (Ken, The Worker Of The Sento) である。
だから、そのTVドラマの放映の永きを眺めると、TVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』の、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) は風呂屋のケンちゃん (Ken, The Worker Of The Sento) の照射なのかもしれない、ともおもう。何故って、彼の職種は、ある意味で世の男性陣羨望の的でもあるのだから。
附記 3. :
ビデオ映画『洗濯屋ケンちゃん (Ken-chan, The Worker Of Laundry)』[1982年制作] がその様な題名を掲げる事になった理由のひとつもそこにこそ、あるのだろう。

歌詞はそのあと、♪いそぎの出前だ お手伝い / オカモチさげて♪ (Do Outside Catering, Hurry. / With A Carrying Case For Sushi Dishes ) 云々と続く。そして、その歌詞に誂えたかの様に、その楽曲が流れる番組冒頭のタイトルバック [上掲画像はこちらより] では、その番組の主人公ケンイチ (Ken-Ichi) [演:宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki)] が、岡持 (Okamochi : Carrying Case For Sushi Dishes) を携え暖簾 (Noren) をくぐって、こちらに出てくる。
リアルタイムでその番組を観ていたぼく達は、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) が羨ましくて仕方がなかった。何故ならば、ぼく達の大好物である寿司 (Sushi) を、彼の立場であるのならば好きな時に好きなだけ喰えそうな気がしたからだ。
そして、そうおもっていたのはぼく達ばかりではないのだろう。番組は好評を得、それが反映されてか、その番組が放映されたその曜日その時間帯には、同じ様な設定の番組が続けて登場するのだ。
TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』を嚆矢とするその、その曜日その時間帯そのチャンネルの、子供むけTVドラマの不思議な点は先ず、そこにある。
何故なら、例えばTVアニメ番組『オバケのQ太郎 (Obake No Q-Taro)』 [1965~1967年 TBS系列放映] を嚆矢とする藤子不二雄 (Fujio Fujiko) 作品のアニメ化作品は、どれも、ホワイトカラー (White-collar) のサラリーマン宅 (Semi-European-style House In Japan) が舞台となっているからだ [例外はTVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [藤子不二雄 A ( Fujio A Fujiko) 原作 1968~1969年 TBS系列放映] で、安アパート (Cheap Apartment House) での兄妹のふたり暮らし、でもこの様な寂しい環境がなければ妖怪〜怪物 (Yokai - Monsters) 達も登場しづらいだろう]。TVアニメ番組『サザエさん (Sazae- san)』 [長谷川町子 (Machiko Hasegawa) 原作 1969年放送開始 フジテレビ系列] も同様である。丁寧に根気よく捜せば幾らでも例外は出てくるのかもしれないが、ぼくの脳裏にあるもうひとつの例外はTVアニメ番組『もーれつア太郎 (Moretsu Ataro)』 [赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 原作 1969~1970年 テレビ朝日系列放映] ぐらいしかない。この作品での主人公ア太郎 (Ataro) は、自らが八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) を経営しているのだ。
と、謂う周囲の状況を考えれば、寿司屋 (Sushi Shop) を稼業とする実家に暮らす少年が主人公の物語は、異例とも謂っても良いのではないだろうか。
その理由は単純である。既に上に綴ってある。
ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) が羨ましい。番組制作関係者は、主たる視聴者達にそうおもわせたいのだ。そして寿司屋 (Sushi Shop) と謂う職種は、実際にぼく達にそうおもわせる職種のひとつなのである。
だからと謂って、それは決してその番組の主たる視聴者である少年少女達の憧れではないのだ。憧れ、と謂うのは余所にある。それは彼等自身がいつか、もしくは今すぐ、就きたい職業だ。
だが、この職種はそうではない。自分達の両親がそんな店舗の経営者だったら、そこから生じる恩恵を自由気侭に蕩尽出来るだろう、と謂う単純な発想がそこにあるのだ。一言で謂えばさっき綴った様に、喰いたい時に好きなだけ寿司 (Sushi) を喰えるだろう、と。
と、謂うのは当時のぼく達の身近なところ、すなわち幾人かの同級生達にその様な羨望をいつも抱いていたからである。
ぼくの保育園生 (Pupil of Day Nursery) 時代、玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) や映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre)、そして理髪店のTくん (T, The Son Of A Barber Shop) はいた。
玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) が何故、羨ましいのかは敢えて綴るまでもない。彼の自室を訪ねれば、本来ならば商品として陳列されている、ぼく達には掌が届く事のない新商品がごろごろとしているのだ [第一にTVドラマ番組『おもちゃ屋ケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Toy Store)』 [1973〜1974年 TBS系列放映] もある]。
映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre) も同様だ。一度、彼に案内されて映写室 (Projection Booth) なる場所を訪問した。その職業に就けばきっと毎日映画が観れるのだ。だけれどもそうおもったのはほんの一瞬で、でもここぢゃあなぁとおもいなおした。と、謂うのはぼく達が頻繁に訪れる [もしくは訪れたい] のは もう一方の映画館であって、Fくんのいえではない。その映画館こそ、特撮怪獣映画 (Special Effects Monster Film) の新作を封切るところなのである。でも、その映画館には同級生はいないのだ。 ... 。そんな身勝手な事を思ったればこそ、ぼくは映画『ニュー・シネマ・パラダイス (Nuovo Cinema Paradiso)』 [ジュゼッペ・トルナトーレ (Giuseppe Tornatore) 監督作品 1988年制作] の主人公サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ (Salvatore Di Vita) [演:サルヴァトーレ・カシオ (Salvatore Cascio)~マルコ・レオナルディ (Marco Leonardi)~ジャック・ペラン (Jacques Perrin)] になれなかったのであろう。
理髪店のFくん (T, The Son Of A Barber Shop) には、こんな逸話がある。ぼく達が彼の自宅に遊びにいったところ、彼の父親、すなわち、その理髪店店主が、真新しいヘアカットガウン (Haircut Gown) をお披露目してくれたのだ。真っ白いガウンには、つい先頃放映が始まったばかりの特撮TV番組の主人公ふたりが描かれてあった。店主自らが描いたのだ。今度、きみ達がうちにきたら、これで頭をかってやろう。彼はそう宣言したのだ。そして、それ以降、その店で散髪するときはいつも、そのヘアカットガウン (Haircut Gown) を着用する事になった [と謂うか、ヘアカットガウン(Haircut Gown) 云々よりも、そんなイラストが描けると謂うところこそが羨ましかったのに違いない]。
そんな些細な逸話の積み重ねを裏付ける様にぼくにとっては、そのTVドラマ番組はある。
学校が代わり、クラス変更の積み重ねによって、保育園生 (Pupil of Day Nursery) 生から小学生 (Primary School Student) の時代のぼくには、3人の八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) がいる。八百屋のMちゃん (M, The Daughter Of A Fruit And Vegetable Shop) と、八百屋のKさん (K, The Daughter Of A Fruit And Vegetable Shop) ) と、八百屋のSくん (S, The Son Of A Fruit And Vegetable Shop) ) だ。彼等には、玩具屋のNくん (N, The Son Of A Toy Store) や映画館のFくん (F, The Son Of A Movie Thetre)、や理髪店のTくん (T, The Son Of A Barber Shop) の様な逸話はない [とは謂うモノのこの3人と謂う人数に、ア太郎 (Ataro) が八百屋 (Fruit And Vegetable Shop) を自営している理由が垣間みられる様な気もしないでもない]。
あると謂えば、八百屋のSくん (S, The Son Of A Fruit And Vegetable Shop) ) で、理科 (Science) の実習用の猩猩蠅 (Fruit Fly) の捕獲に彼の店先を借用した事があるくらいだ。捕獲用のプラスチックの容器に、バナナ (Banana) の小片を据え、それを店舗の一隅に配置させてもらうのである。同じ装置を自宅台所に据えてもうんともすんともならなかった代わりに、面白い、否、気味が悪くなる程、捕獲出来た。持つべきモノは友 (What You Shold Have Is Friends.) だなとおもったが、ぼく達のお礼 [おかげで沢山獲れました] を聴いた店主はどう思ったんのだろう。
だからと謂って、その番組が現実を丁寧に反映する事は決してないのだ。
ぼくの中学生 (Junior High School Srudent) 時代には、寿司屋のNくん (N, The Son Of A Sushi Shop) と蕎麦屋のI (I, The Sun Of A Soba Shop) くんがいた [TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』後継番組にTVドラマ『おそば屋ケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Soba Shop』 [1975~1976年 TBS系列放映] がある。]。彼等を羨ましいがる事は決してなかった。何故ならば、第一に同じ学区内とは謂え、その2店に食事に行く事は先ずない事がある。と、同時にぼく達を悩ましている問題のひとつに進学と謂うモノがあった。彼等には大なり小なり、家業を引き継ぐべきや否や、そんな問題が頭をもたげていたのである。
それは、拙稿記事題名に引用した歌詞にある語句♪父ちゃん僕すし屋になるよ♪ (Father, I'll Become The Master Of The Sushi Shop.) とは似て非なる問題、もっと切実で直近の問題なのである。
[蛇足として付け加えるとすれば、当時既に、映画不況の煽りを受けて、Fくんの映画館 (A Movie Thetre Of F) は閉館している。その跡地にはスーパーマーケット (Supermarket) が開業していた。]
次回は「の」。
附記 1. :
TVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』 [1962~1982年 TBS系列放映]、その名称を冠する番組は、TVドラマ『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』のそれ以前にもあるが、番組内容の結構がきちんと定まってはいなかった。
小学生 (Primary School Student) を主人公とはするモノの、主人公は必ずしもケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) ではなかったし、主人公の実家の稼業が番組内容の基本的方針を左右するモノでもなかった。
つまり、子役俳優宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) がケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) と呼称される小学生 (Primary School Student) を演じる事と、彼の実家の稼業が自営業である事が、そのTVドラマシリーズの骨子なのである。
[宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) の成長に伴って、それまで彼の弟役を演じた岡浩也 (Hiroya Oka) が主役に抜擢されて以降も指して、そのシリーズ名で呼ばれるのだが、残念ながら岡浩也 (Hiroya Oka) 主役のTVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』をぼくは観ていない。何故ならば宮脇康之 (Yasuyuki MIyawaki) が成長するのと同様に、ぼくも成長したのだ、多分。]
と、謂う様な理由をもって、TVドラマ番組『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』は、そのシリーズの実質的な第1弾であると同時に、そのシリーズを代表する最も顕著な作品でもある。
と、謂うのは、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) の実家の稼業が寿司屋 (Sushi Shop) だからだ [云々と謂う事は既に上に綴ってある]。この設定を継承して以降のシリーズ作品は皆、主人公の実家は自営業を営む事になっている。だけれども、その選択と設定は必ずしも成功しているとは謂えない。
寿司屋 (Sushi Shop) で人気が出たのならば、飲食店ならば良いかと謂うとそうではない。子供の憧れの職業であれば良いのだろうと考えると、自営業を前提とした業態でその条件を併せ持つ職業は実はあまり存在しないのだ。
結果的にこのTVドラマシリーズは、主人公の実家が飲食店を経営する物語が過半を占める事となったが、そのシリーズの主たる視聴者達が、飲食店と謂うモノ、もしくは飲食店を経営する両親に、憧れや尊敬を持っているとは決して断言出来ないのだ。
附記 2. :
TVドラマ『すし屋のケンちゃん (Ken-chan, The Son Of The Sushi Shop)』が放映されていた当時、おなじチャンネルの、違う曜日、違う放送時間帯にTVドラマ『時間ですよ (It's Time For)』 [1965〜1990年 TBS系列放映] が放映されていた。その物語の舞台である銭湯 (Sento) 松の湯 (Matsu No Yu) の店員に宮崎健 (Ken Miyazaki) [演:堺正章 (Masaaki Sakai)] がいる。つまり、風呂屋のケンちゃん (Ken, The Worker Of The Sento) である。
だから、そのTVドラマの放映の永きを眺めると、TVドラマシリーズ『ケンちゃんシリーズ (Ken-Chan Series)』の、ケンちゃんことケンイチ (Ken-ichi aka Ken-chan) は風呂屋のケンちゃん (Ken, The Worker Of The Sento) の照射なのかもしれない、ともおもう。何故って、彼の職種は、ある意味で世の男性陣羨望の的でもあるのだから。
附記 3. :
ビデオ映画『洗濯屋ケンちゃん (Ken-chan, The Worker Of Laundry)』[1982年制作] がその様な題名を掲げる事になった理由のひとつもそこにこそ、あるのだろう。
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