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2009.05.12.21.18

らふぉんてーぬのせみとあり

せみとあり (La Cigale et la Fourmi)』の寓話、つまり一般的には『ありときりぎりす (The Ant And The Grasshopper)』と知られているこの寓話は、イソップ物語 (Aesop's Fables) に由来するもので、17世紀 フランス (France) の詩人、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (Jean de la Fontaine) もまた、この寓話を採り上げて一編の作品としている。
そしてその様にして、イソップ物語 (Aesop's Fables) や様々な民間伝承を下敷きに書きあげたのが『寓話 (Fables)』という作品群である。

さて、 (Cicadidae) が何故、螽蟖 (Caelifera) に変わってしまったのか、というと、なんのことはない、イソップ物語 (Aesop's Fables) を編んだアイソーポス (Aesop) の棲んでいた地域には (Cicadidae) がおり、アイソーポス (Aesop) やジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (Jean de la Fontaine) の愛読者達が棲んでいる地域には (Cicadidae) が居なかった。
だから、 (Cicadidae) と同様に、一年間のある限られた時季にのみ、我々の前に姿を現し、文字通り騒がしいまでに己の存在証明に勤しむ、つまり、鳴いて[遊びほうけてばかり]いる昆虫螽蟖 (Caelifera) がその代役を演じたからである。

さて何故、夏には (Cicadidae) 、秋には螽蟖 (Caelifera) の他にも幾種類もの鳴く蟲がいるのにも関わらず、ここ日本では (Cicadidae) ではなくて螽蟖 (Caelifera) なのだろうか。
なんのことはない。
我が国でこの物語が主に『ありときりぎりす (The Ant And The Grasshopper)』として伝播されているのは、アイソーポス (Aesop) やジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (Jean de la Fontaine) 自らが書き表した書物が伝わったのではなくて、それらの愛読者がさも己らが執筆したかの様に、我々に[こっそりと]教えてくれたからに他ならない。

それよりもむしろ大事な事は、主役を交代させてまでも、この一編から汲み取りたかったメッセージである。

(Formicidae) に象徴されるメッセージは変わらない。演じる俳優自身が変わらないからだ。しかし、その共演者がすげ替えられてしまっている。と、いう事は、即ち、変更されたキャスティングの以前と以後で、共通のものを見出し得れば、それがメッセージに他ならない。

そして空いている空欄に、「怠惰 (acedia) の戒め」とか「勤勉の勧め」とかありきたりの空々しいご高説を書けば、まぁ及第点はもらえるだろう。

images
ところが、従来の『せみとあり (La Cigale et la Fourmi)』もしくは『ありときりぎりす (The Ant And The Grasshopper)』には、もう少し異なる解釈も可能ではないのか? と、想わせるのがここに掲載するギュスターヴ・ドレ (Gustave Dore) による『せみとあり (La Cigale et la Fourmi)』の挿絵である。
この作品から果たして『せみとあり (La Cigale et la Fourmi)』もしくは『ありときりぎりす (The Ant And The Grasshopper)』に通底する様なメッセージを見出せるのだろうか。
(Formicidae) と擬せられる人物は画面左手にいる年配の女性であり、 (Cicadidae) もしくは螽蟖 (Caelifera) と擬せられる人物は画面左手に佇むギターを抱えた若い女性だろう。
ところで、ふたりの間に立つこどもは誰の...否、どちらの側に組しているだろうか。
(Formicidae) の子供ならば、従来通りの解釈で問題はない。だが、しかし、仮に (Cicadidae) もしくは螽蟖 (Caelifera) の子供[ないしは幼い弟妹]だったとしたら?
全然、異なる物語が生まれ出るのではないだろうか。

ギュスターヴ・ドレ (Gustave Dore) が生きた時代は19世紀後半。そして彼の祖国フランス (France) では、その時代、産業革命 (Révolution industrielle) が成し遂げられる、そのまっただ中にあった。新しい産業形態、新しいビジネス・モデルが生成し、それに加担するもしくは屈服させられる、新しい階級が誕生するのだ。
かつてつまりは、アイソーポス (Aesop) やジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (Jean de la Fontaine) が生きた時代では、 (Formicidae) は産まれた時から死ぬ時まで (Formicidae) であり、それは (Cicadidae) もしくは螽蟖 (Caelifera) も同様であった。しかし、ギュスターヴ・ドレ (Gustave Dore) が生きた時代、それは必ずしも通用しなくなる。 (Formicidae) は (Cicadidae) もしくは螽蟖 (Caelifera) にもなり得るし、その逆もまた真だ。
つまり、夏の (Formicidae) として産まれ、冬の (Cicadidae) もしくは冬の螽蟖 (Caelifera) として死すべき場合すらあり得るのだ。
そんな時代に描かれたのが前掲の作品なのである。

次回は「」。
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