2022.06.21.08.24
身体の異様に細長い、勿論、その四肢も異様に細長い半裸の人物が、腰を屈めた姿で海岸にいる。
彼は1匹の蛸 (Octopus) を獲り押さえているのだ。
よくみるとしかし、それはひとりの人物ではない。ふたりの男性が肩車 (Piggyback) を組んでいるのだ。しかもその上に、肩車 (Piggyback) されている人物の腕が異様に細長く、肩車 (Piggyback) している人物の脚が異様に細長いのだ。
そんな情景を描いたのは、水木しげる (Shigeru Mizuki) である。
このふたりをさして。手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) と謂う。

記憶を弄れば、その画像は、妖怪画集『水木しげるの妖怪文庫 (Mizuki Shigeru's Yokai Paperbacks)』 [1984年刊行] でみた筈だ。
そのふたりは、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [1965~1969年 週刊少年マガジン連載] に登場しているらしいのだが、その逸話は未読である。だから、単純に上掲の図 [こちらより] を、ひとつの絵画作品として知るばかりであり、このふたりがどの様な人物達であり、どの様な能力があるのか、また、なにが出来、なにを行い、そしてその結果としてどうなったのか、まったく知らない。
だから、ことのほかに異様な光景として、ぼくの眼には映っている。
先ず、何故、こんなに異様な身体をこのふたりはしているのだろうか。それが先ず、解らない。
その異様に長い四肢の動きは、あたかもクレーン (Crane) やパワー・ショベル (Excavator) の様な様相を呈しているのではあるが、それらがその様な形態をしているのは梃子の原理 (Lever) を応用する為だからなのである。
このふたり [否、正確には一方の人物である手長 (Tenaga : Long Arms) ひとり] が押さえつけているのは1匹の蛸 (Octopus) である。大した負荷にはならない。海岸に漂着した、もしくは、浅瀬に棲んでいるのであろう。そして後者であれば、その異様に細長い四肢は便利なのかもしれない。海水に身体を浸す必要がないのだから。
とは、謂っても、わざわざ、このふたりが1組となって行うべき作業なのだろうか。
なんだか至極、単純明快な作業を殊更に、まわりくどくしているのに過ぎない様に、ぼくには思える。
そして、そのまわりくどさからぼくに、三尺三寸箸 (Sanshaku-sansunbashi : One Meter Long Chopsticks) を思い起こさせるのである。
地獄 (Naraka) ないし極楽 (Sukhavati) で供される食餌には、その箸 (Chopsticks) を使う。名が体を顕す如く、その箸 (Chopsticks) の長さは3尺3寸、凡そ1メートルもある。それは通常の使用法ではとても喰えたモノではない。それ故に、地獄 (Naraka) での会食は、一切を喰する事が出来ずに終わる。また、その一方で、極楽 (Sukhavati) では、独自の使用法を駆使して、おもいのままに各自、会食を愉しむ事が出来る。
その箸 (Chopsticks) の異様な長さと、独特の使用法が、そっくりそのまま手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) にも該当しそうな気がするのだ。
つまり、綴り忘れていたのだが、箸 (Chopsticks) は2人1組でのみ使用出来るのだ。
次回は「が」。
と、ここで拙稿を終えてもなんの問題もない様な気もするが、もう少し続ける。ある意味、これ以降は蛇足 (Superfluity) 以外の何者でもない。
拙稿の続きを綴るその前に、事前にことわっておくべき事がひとつある。
このふたり、手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) と呼ばれる場合と足長手長 (Ashinaga Tenaga : Long Legs Long Arms) と呼ばれる場合がある。しかも差異は名称だけではない。
彼等の出自、その伝承、そしてそれぞれを研究する際の視点が異なるのだ。だが、その結果もたらされる、明確な差異が、このぼくには判別出来ていない。よって、拙稿に登場するのは、その両者を混濁したモノとなる。それをここで明確にしておくと共に、それぞれに対しての謝意としたい [しかもこれ以降、その様な佇まいの語句が幾つか登場する]。
では。
ここにひとつの平面があるとしよう。そこに直行するふたつの直線を描いてみる。横軸を体長比に於ける前肢の長さ、その比率を顕すモノとし、縦軸を体長比に於ける後肢の長さ、その比としよう。有り体に謂えば、腕が長いモノはふたつの直線の交点から右側に位置する事になるし、脚が長いモノはその交点より上方に位置する事になる。
だから、手長 (Tenaga : Long Arms) や手長猴 (Gibbon) や手長海老 (Freshwater Prawn) は、右側下方の近似値にそれらの位置を占めるのであろうし、足長 (Ashinaga : Long Legs) や足長蜂 (Paper Wasp)や高足蟹 (Japanese Spider Crab) は、左側上方の近似値にそれらの位置を占める事になるであろう。
それ故に例えば、小説『あしながおじさん (Daddy-Long-Legs)』 [ジーン・ウェブスター (Jean Webster) 作 1912年刊] に登場する、その名称でもって主人公ジルーシャ・アボット (Jerusha Abbott) に当初は畏れられ後に慕われる事となる人物は、交点より遥か彼方に位置するであろうし、マンガ『タンクタンクロー (Tank Tankuro)』 [阪本牙城 (Gajo Sakamoto) 作 1934~1936年 幼年倶楽部 (Yonen Club) 連載] の主人公のその名称を戦車 (Tank : Battlefield Mobility) ではなくて短躯 (Tank : Short Stature) に起因すると認めれば、交点に限りなく近い位置を占めるのではあろう。
と、謂う事を前提とすれば、ぢゃあ、交点から最も遠い場所、すなわち原点に、直行する2本の直線によって形成される直角を2分割した45度角の延長線の上、その遥か彼方にあるべきは一体、なんであるのだろうか。
つまり、前肢も後肢も異様に細長いモノ [それが生物や否やはここでは問うてはいない] とは、一体なんなのだろうか、そんな疑問が出来するのである。
こんな事を思い描いたぼくに浮かんだのは、実は、土蜘蛛 (Tsuchigumo) と謂う名称なのである。
それは巨大な蜘蛛 (Spider) の姿をしている妖怪 (Yokai) であると同時に、古代日本 (Ancient Japan) に暗躍した、大和朝廷 (Yamato Kingship) に反旗を翻した部族の [大和朝廷 (Yamato Kingship) 命名による] 名称なのである。
そうして、それを前提にすれば、その平面上に於いて、土蜘蛛 (Tsuchigumo) から最も遠い地点、すなわち交点にして原点にあるモノの姿が朧なかたちでぼくには顕れてきてしまうのだ。
土蜘蛛 (Tsuchigumo) が、前肢も下肢も異様に細長い存在だとしたら、原点にあるのは前肢も下肢も喪われたモノであらねばならない。
そうすると、水蛭子 (Hiruko) の名が浮かび上がってこないだろうか。勿論、その名称が登場するふたつの史書、すなわち歴史書『古事記 (Kojiki)』[太安万侶 (O No Yasumaro) 編纂 712年成立] や歴史書『日本書紀 (Nihon Shoki) [舎人親王 (Prince Toneri) 編纂 720年成立] には、そんな描写は一切ない。ただ、それらにある記述から類数するに、マンガ『どろろ (Dororo)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka)作 1967~ 1968年 週刊少年サンデー連載] の登場人物、百鬼丸 (Hyakkimaru) の誕生直後の姿と同態と思えてくる。もしくはマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [ 手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作 1973~1983年 週刊少年チャンピオン連載] の登場人物、ピノコ (Pinoko) の本来の姿、すなわち畸形嚢腫 (Teratoma) と、と謂うべきであろうか。
だが、ぼくが問題とすべきはそんな形状に関するモノではない。土蜘蛛 (Tsuchigumo) と水蛭子 (Hiruko) の身体上での差異ではない。このふたつを対比して考えると、土蜘蛛 (Tsuchigumo) が大和朝廷 (Yamato Kingship) に対し、否もしくは叛であるのならば、水蛭子 (Hiruko) は逆に、讃もしくは諾とならねばならない。そして、そんな地位にある水蛭子 (Hiruko) を彼を産んだ2神、伊邪那岐 (Izanagi) と伊邪那美 (Izanami) は放逐してしまうのだ。
もしも、日本神話 (Japanese Mythology) に原罪 (Original Sin) と謂う視点を与えて読むのならば、ここにそれがあるのではないか。
つまり、我々が楽園追放 (Paradise Lost) されたのは、この時なのだ、と。
次回は「が」。
附記 1. :
前肢も下肢も異様に短い、すなわち掌も脚も出ない (Be At A Loss What To Do) と解して仕舞えば、達磨 (Bodhidharma) の姿が思い浮かぶ。
と、同時に、手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) に対比するかたちでもって、寒山拾得 (Hanshan And Shide) がその姿を顕す。
そんな連想をしても良いのであろうか、果たして。
附記 2. :
手長 (Tenaga : Long Arms) には、盗癖と謂う意味もある。
足長 (Ashinaga : Long Legs) には、遠方まで出かけられると謂う意味もある。
では、この2者が統合すると、一体、なにを為す事が可能であろうか。
神出鬼没の盗賊 (Thief Appearing In Unexpected Places)、それは果たして、だれのことか?
彼は1匹の蛸 (Octopus) を獲り押さえているのだ。
よくみるとしかし、それはひとりの人物ではない。ふたりの男性が肩車 (Piggyback) を組んでいるのだ。しかもその上に、肩車 (Piggyback) されている人物の腕が異様に細長く、肩車 (Piggyback) している人物の脚が異様に細長いのだ。
そんな情景を描いたのは、水木しげる (Shigeru Mizuki) である。
このふたりをさして。手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) と謂う。

記憶を弄れば、その画像は、妖怪画集『水木しげるの妖怪文庫 (Mizuki Shigeru's Yokai Paperbacks)』 [1984年刊行] でみた筈だ。
そのふたりは、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [1965~1969年 週刊少年マガジン連載] に登場しているらしいのだが、その逸話は未読である。だから、単純に上掲の図 [こちらより] を、ひとつの絵画作品として知るばかりであり、このふたりがどの様な人物達であり、どの様な能力があるのか、また、なにが出来、なにを行い、そしてその結果としてどうなったのか、まったく知らない。
だから、ことのほかに異様な光景として、ぼくの眼には映っている。
先ず、何故、こんなに異様な身体をこのふたりはしているのだろうか。それが先ず、解らない。
その異様に長い四肢の動きは、あたかもクレーン (Crane) やパワー・ショベル (Excavator) の様な様相を呈しているのではあるが、それらがその様な形態をしているのは梃子の原理 (Lever) を応用する為だからなのである。
このふたり [否、正確には一方の人物である手長 (Tenaga : Long Arms) ひとり] が押さえつけているのは1匹の蛸 (Octopus) である。大した負荷にはならない。海岸に漂着した、もしくは、浅瀬に棲んでいるのであろう。そして後者であれば、その異様に細長い四肢は便利なのかもしれない。海水に身体を浸す必要がないのだから。
とは、謂っても、わざわざ、このふたりが1組となって行うべき作業なのだろうか。
なんだか至極、単純明快な作業を殊更に、まわりくどくしているのに過ぎない様に、ぼくには思える。
そして、そのまわりくどさからぼくに、三尺三寸箸 (Sanshaku-sansunbashi : One Meter Long Chopsticks) を思い起こさせるのである。
地獄 (Naraka) ないし極楽 (Sukhavati) で供される食餌には、その箸 (Chopsticks) を使う。名が体を顕す如く、その箸 (Chopsticks) の長さは3尺3寸、凡そ1メートルもある。それは通常の使用法ではとても喰えたモノではない。それ故に、地獄 (Naraka) での会食は、一切を喰する事が出来ずに終わる。また、その一方で、極楽 (Sukhavati) では、独自の使用法を駆使して、おもいのままに各自、会食を愉しむ事が出来る。
その箸 (Chopsticks) の異様な長さと、独特の使用法が、そっくりそのまま手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) にも該当しそうな気がするのだ。
つまり、綴り忘れていたのだが、箸 (Chopsticks) は2人1組でのみ使用出来るのだ。
次回は「が」。
と、ここで拙稿を終えてもなんの問題もない様な気もするが、もう少し続ける。ある意味、これ以降は蛇足 (Superfluity) 以外の何者でもない。
拙稿の続きを綴るその前に、事前にことわっておくべき事がひとつある。
このふたり、手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) と呼ばれる場合と足長手長 (Ashinaga Tenaga : Long Legs Long Arms) と呼ばれる場合がある。しかも差異は名称だけではない。
彼等の出自、その伝承、そしてそれぞれを研究する際の視点が異なるのだ。だが、その結果もたらされる、明確な差異が、このぼくには判別出来ていない。よって、拙稿に登場するのは、その両者を混濁したモノとなる。それをここで明確にしておくと共に、それぞれに対しての謝意としたい [しかもこれ以降、その様な佇まいの語句が幾つか登場する]。
では。
ここにひとつの平面があるとしよう。そこに直行するふたつの直線を描いてみる。横軸を体長比に於ける前肢の長さ、その比率を顕すモノとし、縦軸を体長比に於ける後肢の長さ、その比としよう。有り体に謂えば、腕が長いモノはふたつの直線の交点から右側に位置する事になるし、脚が長いモノはその交点より上方に位置する事になる。
だから、手長 (Tenaga : Long Arms) や手長猴 (Gibbon) や手長海老 (Freshwater Prawn) は、右側下方の近似値にそれらの位置を占めるのであろうし、足長 (Ashinaga : Long Legs) や足長蜂 (Paper Wasp)や高足蟹 (Japanese Spider Crab) は、左側上方の近似値にそれらの位置を占める事になるであろう。
それ故に例えば、小説『あしながおじさん (Daddy-Long-Legs)』 [ジーン・ウェブスター (Jean Webster) 作 1912年刊] に登場する、その名称でもって主人公ジルーシャ・アボット (Jerusha Abbott) に当初は畏れられ後に慕われる事となる人物は、交点より遥か彼方に位置するであろうし、マンガ『タンクタンクロー (Tank Tankuro)』 [阪本牙城 (Gajo Sakamoto) 作 1934~1936年 幼年倶楽部 (Yonen Club) 連載] の主人公のその名称を戦車 (Tank : Battlefield Mobility) ではなくて短躯 (Tank : Short Stature) に起因すると認めれば、交点に限りなく近い位置を占めるのではあろう。
と、謂う事を前提とすれば、ぢゃあ、交点から最も遠い場所、すなわち原点に、直行する2本の直線によって形成される直角を2分割した45度角の延長線の上、その遥か彼方にあるべきは一体、なんであるのだろうか。
つまり、前肢も後肢も異様に細長いモノ [それが生物や否やはここでは問うてはいない] とは、一体なんなのだろうか、そんな疑問が出来するのである。
こんな事を思い描いたぼくに浮かんだのは、実は、土蜘蛛 (Tsuchigumo) と謂う名称なのである。
それは巨大な蜘蛛 (Spider) の姿をしている妖怪 (Yokai) であると同時に、古代日本 (Ancient Japan) に暗躍した、大和朝廷 (Yamato Kingship) に反旗を翻した部族の [大和朝廷 (Yamato Kingship) 命名による] 名称なのである。
そうして、それを前提にすれば、その平面上に於いて、土蜘蛛 (Tsuchigumo) から最も遠い地点、すなわち交点にして原点にあるモノの姿が朧なかたちでぼくには顕れてきてしまうのだ。
土蜘蛛 (Tsuchigumo) が、前肢も下肢も異様に細長い存在だとしたら、原点にあるのは前肢も下肢も喪われたモノであらねばならない。
そうすると、水蛭子 (Hiruko) の名が浮かび上がってこないだろうか。勿論、その名称が登場するふたつの史書、すなわち歴史書『古事記 (Kojiki)』[太安万侶 (O No Yasumaro) 編纂 712年成立] や歴史書『日本書紀 (Nihon Shoki) [舎人親王 (Prince Toneri) 編纂 720年成立] には、そんな描写は一切ない。ただ、それらにある記述から類数するに、マンガ『どろろ (Dororo)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka)作 1967~ 1968年 週刊少年サンデー連載] の登場人物、百鬼丸 (Hyakkimaru) の誕生直後の姿と同態と思えてくる。もしくはマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [ 手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作 1973~1983年 週刊少年チャンピオン連載] の登場人物、ピノコ (Pinoko) の本来の姿、すなわち畸形嚢腫 (Teratoma) と、と謂うべきであろうか。
だが、ぼくが問題とすべきはそんな形状に関するモノではない。土蜘蛛 (Tsuchigumo) と水蛭子 (Hiruko) の身体上での差異ではない。このふたつを対比して考えると、土蜘蛛 (Tsuchigumo) が大和朝廷 (Yamato Kingship) に対し、否もしくは叛であるのならば、水蛭子 (Hiruko) は逆に、讃もしくは諾とならねばならない。そして、そんな地位にある水蛭子 (Hiruko) を彼を産んだ2神、伊邪那岐 (Izanagi) と伊邪那美 (Izanami) は放逐してしまうのだ。
もしも、日本神話 (Japanese Mythology) に原罪 (Original Sin) と謂う視点を与えて読むのならば、ここにそれがあるのではないか。
つまり、我々が楽園追放 (Paradise Lost) されたのは、この時なのだ、と。
次回は「が」。
附記 1. :
前肢も下肢も異様に短い、すなわち掌も脚も出ない (Be At A Loss What To Do) と解して仕舞えば、達磨 (Bodhidharma) の姿が思い浮かぶ。
と、同時に、手長足長 (Tenaga Ashinaga : Long Arms Long Legs) に対比するかたちでもって、寒山拾得 (Hanshan And Shide) がその姿を顕す。
そんな連想をしても良いのであろうか、果たして。
附記 2. :
手長 (Tenaga : Long Arms) には、盗癖と謂う意味もある。
足長 (Ashinaga : Long Legs) には、遠方まで出かけられると謂う意味もある。
では、この2者が統合すると、一体、なにを為す事が可能であろうか。
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