2022.06.14.08.15
前回同様、こちらも保育園 (Day Nursery) のお遊戯でまなんだ筈だ。
その時間、いつもつまらなそうな表情をしていたぼくが愉しめた数少ないモノのひとつである。
その時間に行うモノに、前回の主題である童謡『かごめかごめ (Kagome Kagome)』を唄うその遊びの様に、ゲーム性があれば、もしくは勝ち負けを争うモノならば、問題ない。
と、謂っても病弱だったぼくだから、体力勝負や俊敏性を争うモノは、勝てる訳がない。そう謂うモノはやっぱりぼくはつまらない。そうではなくて、ごく僅かな智力を総動員して運試しをする様なモノがいいのだ。だから、童謡『かごめかごめ (Kagome Kagome)』を唄うその遊びは嫌いではない。
だけれども、そんな遊び、ゲームは意外とその時間、先生達 [現在で謂う保育士 (Nursery Teacher) の事である、念の為] は遊ばせてはくれないのだ。
その時間、先ず、おとこのことおんなのこにわかれて、それぞれがたていちれつにならぶ。男女別の2列縦隊をつくるのだ。だから、ぼくのとなりにはおんなのこがひとりいる。そしてそのことペアになってダンスをする。
これがとてもいやだった。
なにがかなしくて、おんなとてをつながなければいけないんだ、と。ゆびさきひとつだっていやだ。なのに、かたてとはいわず、りょうてとはいわず、しじゅうくっついていなければならない。しかも、そのうえでふたりしておなじどうさをするのだ。これはたまったものではない。
しかも、それはぼくのあいてもどうようだ。てをつなげろといわれても、ふたりのからだがふれあうのは、いやいや、ゆびのほんのひとさきだけですませてしまう。つまり、システィーナ礼拝堂天井画 (Volta della Cappella Sistina)』に於けるミケランジェロ・ブオナローティ (Michelangelo Buonarroti) の壁画『アダムの創造 (Creazione di Adamo)』 [1511年頃制作] での創造主と被創造物の様にして、映画『イーティー (E.T. The Extra-Terrestrial)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1982年制作] のポスターの様にして、触れても接してもいないのにあたかもふたりが親和となっている様に、先生にいわれたままにダンスの振り付けをなぞるのである。つまり、このふたりは共謀して大人を騙していた事になる [って考えると、実はお互いに意思疎通が出来ていた事になる。あんなにも蛇蝎が如くに互いが互いを憎んでいたのに。保育園児 (Nursery School Pupil) とはいえど、いろいろと気を遣わなければならない、大変なのだ]。
勿論、ぼくのパートーナーは固定されてはいない。日によって違うし、実際に踊る演目によっても変わる。そして、ひとつの曲が流れている間、次から次へと踊る相手を変えていくモノもある。
しかしながら、例えそれがどうであれ、ぼくはいやなのだった。おんなのこという存在そのものが。当時のぼく達にとっては彼女達は敵である様な、異生物である様な存在だったのだ。これがもう数年すると、敵であり異生物である彼女達に対し、贔屓も出来れば、選り好みも発生する。こいつなら仕方ないと謂う女子が顕れると同時に、差別やいじめの対象としてのみの女子も顕れるのではあった。しかし、当時の、保育園児 (Nursery School Pupil) であるぼく [達] には、女子と謂うモノ自体、その生物総体が、忌み嫌うモノではあったのだ。
勿論、ぼくにも幼馴染と呼ぶべき存在は確かにあった。それぞれのお誕生日会 (Birthday Party) に呼ばれたり呼んだりして、そこで親にねだって買ってもらったプレゼントを贈ったり贈られたりはしていた。だから、その様な彼女が同級生であれば、当時のぼくの女性達に対する態度や行動は、そこで齟齬が生じる筈ではあったのだろう。だが、幸か不幸か、彼女は別の幼稚園 (Another Kindergarten) に入学したのである。従って、 [同年代の] 女性達に関するぼくの言動には一切の矛盾が介入する余地はなくなってしまったのだ。
[尚、ふたりは同じ小学校 (Same Primary School) に入学する事になるが、1学期を終えた時点で、同じ街 (Same City) の別の地域にぼくが引っ越したので、それ以降、逢ってもいない。また、ぼくには年下の従姉妹が何人かいたが、彼女達には、面倒見のいい優しいお兄さんとして行動は出来ていたのである。そしてそれ故に、彼女の母親達、つまりぼくにとっての叔母達には、とっても評判が良かったのである [同年代の] と括弧書きしたのはそおゆう理由だ。]
話が随分と逸れてしまった。
整理すると、ぼくはダンスが嫌いである。何故ならば、その相手が異性だからである [尤も、同性同士ではあっても、その踊りの振り付けが嫌だと謂うのは多々あった。例えば、片掌を自身の腰にあてて反対側に曲げ、その側にある脚をまっすぐ伸ばして前に出す、と謂う様な、如何にも幼児性を強調した様な身振りは]。
と、謂う事である。
フィンランド (Suomen tasavalta) の民謡『レットキス (Letkis)』とその歌曲を聴きながら踊るその踊りを、当時のぼくが愉しめたのは、別の視点から提出されたその証拠である。
何故ならば、1列縦隊となったおとこのこたちでおどるからである。
ぼくのまえにいるおとこのこのりょうかたそれぞれにぼくがてをのせる。と、どうじにぼくのうしろにいるおとこのこがぼくのりょうかたそれぞれにそのこがてをのせる。そうしてじゅずつなぎになったいちれつのおとこのこがきょくにあわせて、ぴょんぴょんと、まえへすすんだりうしろへさがったりするのだ。おんなのこがつくったいちれつがおなじようにぴょんぴょんとぜんしんしたりこうしんしたりするのは、とうぜんである。
そして、このダンスの利点は、振り付けがほとんどない、それにつきる。ぴょんぴょんはねていれば、それでいい。時には前進するタイミング、後進するタイミングを間違えてしまうが、それはそのまま、当人達に笑いが生じるだけなのだ。むしろ、わざとまちがえるくらいでちょうどいいのかもしれない。
次回は「て」。
附記 1. :
民謡『レットキス (Letkis)』はフィンランド (Suomen tasavalta) に伝わる歌曲である。それを1963年にラウノ・レティネン (Rauno Lehtinen) が編曲しロニエ・クランキン楽団 (Ronnie Kranckin Orkesteri) がレコーディングして発表し、世界的に流通する様になった。
日本でも幾つかのカヴァーが存在する様である。
ぼくが当時の保育園 (Day Nursery) で習ったのは、坂本九 (Kyu Sakamoto) 歌唱の歌謡曲『レットキス [ジェンカ] (Letkis [Jenkka])』 [永六輔 (Rokusuke Ei) 日本語詞 1966年発表] である。お遊戯の時間、その楽曲ないしダンスは『ジェンカ (Jenkka)』と呼ばれていた [振り付けはこちら (Here)を参照のこと]。
附記 2. :
当時のぼく達は、上の文章にある様に、同性達が1列に組んで踊った訳ではあるが、本来は下掲図にある様に、男女が交互に1列に並ぶべきモノらしい。
下に掲載したのは、その民謡の本国フィンランド (Suomen tasavalta) で1964年、独立記念日レセプション (Linnan juhlissa) の際に行われたパフォーマンスである。こちらによれば撮影もしくは写真提供がカッレ・クルタラ (Kalle Kultala) によるモノで、現在、フィンランド撮影美術館 (Suomen valokuvataiteen museo) に所収されている作品である。

附記 3. :
拙稿題名は、「附記 1.」で紹介した歌謡曲『レットキス [ジェンカ] (Letkis [Jenkka])』の歌詞、その1節である。歌詞を眺めれば解る様に、純然たるラヴ・ソングである。にも関わらずに、当時のぼく [達] は異性を度外視したかたちで、その楽曲にあわせて、ぴょんぴょんととんでいたのである。
なにやら、ここでもまたぼく達は、ミシェル・カルージュ (Michel Carrouges) 曰くの『独身者の機械 (Les Machines celibataires)』[1954年刊行] を再現していた様だ。
その時間、いつもつまらなそうな表情をしていたぼくが愉しめた数少ないモノのひとつである。
その時間に行うモノに、前回の主題である童謡『かごめかごめ (Kagome Kagome)』を唄うその遊びの様に、ゲーム性があれば、もしくは勝ち負けを争うモノならば、問題ない。
と、謂っても病弱だったぼくだから、体力勝負や俊敏性を争うモノは、勝てる訳がない。そう謂うモノはやっぱりぼくはつまらない。そうではなくて、ごく僅かな智力を総動員して運試しをする様なモノがいいのだ。だから、童謡『かごめかごめ (Kagome Kagome)』を唄うその遊びは嫌いではない。
だけれども、そんな遊び、ゲームは意外とその時間、先生達 [現在で謂う保育士 (Nursery Teacher) の事である、念の為] は遊ばせてはくれないのだ。
その時間、先ず、おとこのことおんなのこにわかれて、それぞれがたていちれつにならぶ。男女別の2列縦隊をつくるのだ。だから、ぼくのとなりにはおんなのこがひとりいる。そしてそのことペアになってダンスをする。
これがとてもいやだった。
なにがかなしくて、おんなとてをつながなければいけないんだ、と。ゆびさきひとつだっていやだ。なのに、かたてとはいわず、りょうてとはいわず、しじゅうくっついていなければならない。しかも、そのうえでふたりしておなじどうさをするのだ。これはたまったものではない。
しかも、それはぼくのあいてもどうようだ。てをつなげろといわれても、ふたりのからだがふれあうのは、いやいや、ゆびのほんのひとさきだけですませてしまう。つまり、システィーナ礼拝堂天井画 (Volta della Cappella Sistina)』に於けるミケランジェロ・ブオナローティ (Michelangelo Buonarroti) の壁画『アダムの創造 (Creazione di Adamo)』 [1511年頃制作] での創造主と被創造物の様にして、映画『イーティー (E.T. The Extra-Terrestrial)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1982年制作] のポスターの様にして、触れても接してもいないのにあたかもふたりが親和となっている様に、先生にいわれたままにダンスの振り付けをなぞるのである。つまり、このふたりは共謀して大人を騙していた事になる [って考えると、実はお互いに意思疎通が出来ていた事になる。あんなにも蛇蝎が如くに互いが互いを憎んでいたのに。保育園児 (Nursery School Pupil) とはいえど、いろいろと気を遣わなければならない、大変なのだ]。
勿論、ぼくのパートーナーは固定されてはいない。日によって違うし、実際に踊る演目によっても変わる。そして、ひとつの曲が流れている間、次から次へと踊る相手を変えていくモノもある。
しかしながら、例えそれがどうであれ、ぼくはいやなのだった。おんなのこという存在そのものが。当時のぼく達にとっては彼女達は敵である様な、異生物である様な存在だったのだ。これがもう数年すると、敵であり異生物である彼女達に対し、贔屓も出来れば、選り好みも発生する。こいつなら仕方ないと謂う女子が顕れると同時に、差別やいじめの対象としてのみの女子も顕れるのではあった。しかし、当時の、保育園児 (Nursery School Pupil) であるぼく [達] には、女子と謂うモノ自体、その生物総体が、忌み嫌うモノではあったのだ。
勿論、ぼくにも幼馴染と呼ぶべき存在は確かにあった。それぞれのお誕生日会 (Birthday Party) に呼ばれたり呼んだりして、そこで親にねだって買ってもらったプレゼントを贈ったり贈られたりはしていた。だから、その様な彼女が同級生であれば、当時のぼくの女性達に対する態度や行動は、そこで齟齬が生じる筈ではあったのだろう。だが、幸か不幸か、彼女は別の幼稚園 (Another Kindergarten) に入学したのである。従って、 [同年代の] 女性達に関するぼくの言動には一切の矛盾が介入する余地はなくなってしまったのだ。
[尚、ふたりは同じ小学校 (Same Primary School) に入学する事になるが、1学期を終えた時点で、同じ街 (Same City) の別の地域にぼくが引っ越したので、それ以降、逢ってもいない。また、ぼくには年下の従姉妹が何人かいたが、彼女達には、面倒見のいい優しいお兄さんとして行動は出来ていたのである。そしてそれ故に、彼女の母親達、つまりぼくにとっての叔母達には、とっても評判が良かったのである [同年代の] と括弧書きしたのはそおゆう理由だ。]
話が随分と逸れてしまった。
整理すると、ぼくはダンスが嫌いである。何故ならば、その相手が異性だからである [尤も、同性同士ではあっても、その踊りの振り付けが嫌だと謂うのは多々あった。例えば、片掌を自身の腰にあてて反対側に曲げ、その側にある脚をまっすぐ伸ばして前に出す、と謂う様な、如何にも幼児性を強調した様な身振りは]。
と、謂う事である。
フィンランド (Suomen tasavalta) の民謡『レットキス (Letkis)』とその歌曲を聴きながら踊るその踊りを、当時のぼくが愉しめたのは、別の視点から提出されたその証拠である。
何故ならば、1列縦隊となったおとこのこたちでおどるからである。
ぼくのまえにいるおとこのこのりょうかたそれぞれにぼくがてをのせる。と、どうじにぼくのうしろにいるおとこのこがぼくのりょうかたそれぞれにそのこがてをのせる。そうしてじゅずつなぎになったいちれつのおとこのこがきょくにあわせて、ぴょんぴょんと、まえへすすんだりうしろへさがったりするのだ。おんなのこがつくったいちれつがおなじようにぴょんぴょんとぜんしんしたりこうしんしたりするのは、とうぜんである。
そして、このダンスの利点は、振り付けがほとんどない、それにつきる。ぴょんぴょんはねていれば、それでいい。時には前進するタイミング、後進するタイミングを間違えてしまうが、それはそのまま、当人達に笑いが生じるだけなのだ。むしろ、わざとまちがえるくらいでちょうどいいのかもしれない。
次回は「て」。
附記 1. :
民謡『レットキス (Letkis)』はフィンランド (Suomen tasavalta) に伝わる歌曲である。それを1963年にラウノ・レティネン (Rauno Lehtinen) が編曲しロニエ・クランキン楽団 (Ronnie Kranckin Orkesteri) がレコーディングして発表し、世界的に流通する様になった。
日本でも幾つかのカヴァーが存在する様である。
ぼくが当時の保育園 (Day Nursery) で習ったのは、坂本九 (Kyu Sakamoto) 歌唱の歌謡曲『レットキス [ジェンカ] (Letkis [Jenkka])』 [永六輔 (Rokusuke Ei) 日本語詞 1966年発表] である。お遊戯の時間、その楽曲ないしダンスは『ジェンカ (Jenkka)』と呼ばれていた [振り付けはこちら (Here)を参照のこと]。
附記 2. :
当時のぼく達は、上の文章にある様に、同性達が1列に組んで踊った訳ではあるが、本来は下掲図にある様に、男女が交互に1列に並ぶべきモノらしい。
下に掲載したのは、その民謡の本国フィンランド (Suomen tasavalta) で1964年、独立記念日レセプション (Linnan juhlissa) の際に行われたパフォーマンスである。こちらによれば撮影もしくは写真提供がカッレ・クルタラ (Kalle Kultala) によるモノで、現在、フィンランド撮影美術館 (Suomen valokuvataiteen museo) に所収されている作品である。

附記 3. :
拙稿題名は、「附記 1.」で紹介した歌謡曲『レットキス [ジェンカ] (Letkis [Jenkka])』の歌詞、その1節である。歌詞を眺めれば解る様に、純然たるラヴ・ソングである。にも関わらずに、当時のぼく [達] は異性を度外視したかたちで、その楽曲にあわせて、ぴょんぴょんととんでいたのである。
なにやら、ここでもまたぼく達は、ミシェル・カルージュ (Michel Carrouges) 曰くの『独身者の機械 (Les Machines celibataires)』[1954年刊行] を再現していた様だ。
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