2022.05.31.08.51
ハンナ・バーベラ・プロダクション (Hanna-Barbera Cartoons, Inc.) 制作のふたつのアニメ番組、その主人公である。
と、謂うと異論が噴出するのかもしれない。
だが、そこで米TVアニメ番組『チキチキマシン猛レース (Wacky Races)』 [1968~1969年 CBS放映:以下第1作と略す] の主人公はミルクちゃん (Penelope Pitstop) であると主張する人物達や、米TVアニメ番組『スカイキッドブラック魔王 (Dastardly And Muttley In Their Flying Machines)』 1969年 CBS放映:以下第2作と略す] の主人公はポッピー (Yankee Doodle Pigeon) であると主張する人物達とは、決して相容れないモノがある。喧嘩仲間、論争友達にもならないだろう。
その一方で、そのふたつの作品に出演するもう"ひとりの人物" [正しくは1匹の犬 (Dogs)] ケンケン (Muttley) こそが主人公であると主張する人物達はいるのかもしれない。そして、恐らく、そう主張する人物達が大半を占めるのであろう。
だが、彼 [正しくはその犬 (Dogs)] に関しては、ちょっと待っていて欲しい。何故ならば、彼もしくはその犬 (Dogs) は、拙稿の主人公であるブラック魔王 (Dick Dastardly) の配下 [もしくは飼犬] なのだから。先ずは、少し焦点を開いて、彼と彼 [もしくは犬 (Dogs) と飼主] を一体化して、考えてみてもらいたいのだ。
つまり、彼と彼 [もしくは犬 (Dogs) と飼主] は、どこから顕れたのか、と謂う疑問である。ここで綴るのは誕生秘話では勿論ない。
このふたり [もしくは1匹と1人] の出自はなにか。その犬 (Dogs) もしくはその飼主の原典となるモノがあるとすれば、それは一体なにか、と謂う疑問である。
そして、その解答は既に成されている。
映画『グレートレース (The Great Race)』 [ブレイク・エドワーズ (Blake Edwards) 監督作品 1965年制作] に於ける、フェイト教授 (Professor Fate) [演:ジャック・レモン (Jack Lemmon)] とマクシミリアン・ミーン (Maximilian Meen) [演:ピーター・フォーク (Peter Falk)] の主従、彼等2人のその作品内での役回りや所作が、彼と彼 [飼主とその飼犬] の原典である、と。
これに異を唱えるのは、相当に難しい。
だから、そんな主張がまかり通っている事は一度、忘却してしまってから、それとは少し違った視点で考えてみる。

"Model Sheet "Wacky Races The Mean Machine"" (C) 1970 Hanna-Barbera Cartoons, Inc.
ふたつの作品に於いて、彼等の行動原理はたったひとつの事しかない。
自身の眼前を颯爽と通過しようとする人物を妨害する、ただそれだけなのだ。
しかし、それが彼等にとっての第一義ではない。
第1作に於いては、自身が搭乗するレーシングカー (Racing Car) で優勝する事であり、第2作に於いては、敵軍の機密文書 (Confidential Documents) を奪取する事である。
その為に、第1作に於いては、自身と共に覇を競う他者 / 他車の妨害を行おうとするのであり、第2作に於いては、機密文書 (Confidential Documents) を搬送する伝書鳩 (Homing Pigeon) の捕獲を試みるのである。
ところが、世の大半によくある事例の様に、彼等もまた、手段がいつのまにか目的化し、本来の目的が看過されてしまう。
つまり、第1作に於いては妨害そのモノが目的となり、第2作に於いては捕獲そのモノが目的となってしまう [例えば第1作に於いては、妨害行為の為には常に先周りする事になり、そしてそれが可能ならばそのまま素直に疾走してしまえば優勝はいとも簡単に遂げられるのだ。第2作に於いてもまた然り。米TV番組『スパイ大作戦 ( Mission : Impossible)』 [1966~1973年 CBS放映] 等を充分に研究すれば、伝書鳩の捕獲以外の方法をもってすれば簡便な機密文書 (Confidential Documents) の入手方法は幾らでも出てくる筈なのだ]。
その結果、いつもどこでも、彼等は墓穴を掘る様にして失敗してしまう。しかも優勝が云々とか機密文書 (Confidential Documents) が云々と謂う次元の話ではない。それ以前の段階、つまり自身が巧妙に仕掛けた罠や作戦に自らが打尽されてしまうのである。
と、謂う様な光景は、この2作品に限った話ではない。米TVアニメではよくある着想である。
最もよく似ているのが、米TVアニメ番組『ルーニー・テューンズ (Looney Tunes)』 [1930~1969年 ワーナー・ブラザース (Warner Bros. Entertainment Inc.) 制作] の1コーナー、ロード・ランナー (Road Runner) とワイリー・コヨーテ (Wile E. Coyote) の物語 [1949~2014年まで、全50話] である。只管疾駆する前者を後者が何度も何度も妨害しようと試みる。後者の目的は、前者を自身の食餌とする事にある筈なのだが、いつのまにかどこかに忘却されてしまっている。観ているぼく達も、だ。そして、無い智慧を振り絞ってありとあらゆる手管をくだし、そしてその術中が一切後者の走行に影響を及ぼさない結果、前者は自らの作戦の罠に自らが陥ってしまう。
この2匹の物語を、自動車競争と謂う舞台に昇華してしまえば、そのまま第1作の基本構造は成立してしまう。
そして、ロード・ランナー (Road Runner) とワイリー・コヨーテ (Wile E. Coyote) の物語 [1945年から現在まで 全103話] の殆どには皆無の発想、追うモノと追われるモノ、もしくは襲うモノと襲われるモノとの間で多少なりとも駆け引き、すなわち智慧比べ的な要素を加味する [つまり第1作から第2作への変貌はその様な構造変化として成されている] と、その物語の類型は幾らでも頻出する。
例えば同じ番組内でみてみれば、トゥイーティー (Tweety Bird) とシルベスター・キャット (Sylvester Cat) の物語 [1945年から現在まで 全103話] がそうだ。この2人の対立に前者に与するグラニー (Granny) を介在させる事によって、その物語は幾らでも変奏が可能となってしまう。
この3者の構造をより多層なモノへと翻案させてみれば、米TVアニメ番組『トムとジェリー (Tom And Jerry)』 [1940年から ハンナ・バーベラ・プロダクション (Hanna-Barbera Cartoons, Inc.) 制作] が生成されるだろう。追われる鼠 (Mouse) と追う猫 (Cat) の物語に何度となく顔をみせ、物語の混乱に拍車をかける、犬 (Dogs) や猫 (Cats) や鼠 (Mouses) や人 (Humen Being) や鳥 (Birds) や魚 (Fish) 達といった多士済々の顔ぶれをおもいおこせば良いだろう。
ブラック魔王 (Dick Dastardly) と、彼を主軸とするふたつの物語は、その様な地点から生成されたのだ。
次回は「う」。
附記 1. :
ぢゃあケンケン (Muttley) とは一体、なにか、と謂う事になる。これはある意味で、ブラック魔王 (Dick Dastardly) のもうひとりの側面だ。ケンケン (Muttley) は必ずしも行為者ではない、彼は批評の為にのみ存在している。自嘲、自笑、そのモノである。つまり、ブラック魔王 (Dick Dastardly) 自身も自身の行為の無目的性、非生産性を認識しているのだ。しかし、だからと謂って、それをもって自制も抑制も出来る訳でもない。それ故に、ケンケン (Muttley) は、 [そうなるべき結果しか起こり得ようもないと知っているのにも関わらずに、否、それだからこそ] 事の成り行きを見届けた後になってはじめて、ほくそ笑むのだ。
尚、この主従の関係性は、小説『ドン・キホーテ (El ingenioso hidalgo don Quijote de la Mancha)』 [ミゲル・デ・セルバンテス (Miguel de Cervantes) 作 1605、1615年刊行] に於ける、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ (Don Quixote de la Mancha) とサンチョ・パンサ (Sancho Panza) の主従関係に起因しているのだとおもう。妄想的でしかもその妄想に実直に従う事しか出来ない愚かな主人と、自身の雇用主の愚かさを知っているが故に、その命令に唯々諾々と従う従者、ブラック魔王 (Dick Dastardly) とケンケン (Muttley) の原典はここにこそ、ある筈だ。
附記 2. :
そして、この主従をさらに翻案したのがタイムボカンシリーズ (Time Bokan Series) [1975~1983年 タツノコプロ (Tatsunoko Production) 制作] に於ける三悪 (Three Villans) なのである [2人組が何故3人組へと増殖したのか、その点こそは考えなければならないのではあるが]。
と、謂うと異論が噴出するのかもしれない。
だが、そこで米TVアニメ番組『チキチキマシン猛レース (Wacky Races)』 [1968~1969年 CBS放映:以下第1作と略す] の主人公はミルクちゃん (Penelope Pitstop) であると主張する人物達や、米TVアニメ番組『スカイキッドブラック魔王 (Dastardly And Muttley In Their Flying Machines)』 1969年 CBS放映:以下第2作と略す] の主人公はポッピー (Yankee Doodle Pigeon) であると主張する人物達とは、決して相容れないモノがある。喧嘩仲間、論争友達にもならないだろう。
その一方で、そのふたつの作品に出演するもう"ひとりの人物" [正しくは1匹の犬 (Dogs)] ケンケン (Muttley) こそが主人公であると主張する人物達はいるのかもしれない。そして、恐らく、そう主張する人物達が大半を占めるのであろう。
だが、彼 [正しくはその犬 (Dogs)] に関しては、ちょっと待っていて欲しい。何故ならば、彼もしくはその犬 (Dogs) は、拙稿の主人公であるブラック魔王 (Dick Dastardly) の配下 [もしくは飼犬] なのだから。先ずは、少し焦点を開いて、彼と彼 [もしくは犬 (Dogs) と飼主] を一体化して、考えてみてもらいたいのだ。
つまり、彼と彼 [もしくは犬 (Dogs) と飼主] は、どこから顕れたのか、と謂う疑問である。ここで綴るのは誕生秘話では勿論ない。
このふたり [もしくは1匹と1人] の出自はなにか。その犬 (Dogs) もしくはその飼主の原典となるモノがあるとすれば、それは一体なにか、と謂う疑問である。
そして、その解答は既に成されている。
映画『グレートレース (The Great Race)』 [ブレイク・エドワーズ (Blake Edwards) 監督作品 1965年制作] に於ける、フェイト教授 (Professor Fate) [演:ジャック・レモン (Jack Lemmon)] とマクシミリアン・ミーン (Maximilian Meen) [演:ピーター・フォーク (Peter Falk)] の主従、彼等2人のその作品内での役回りや所作が、彼と彼 [飼主とその飼犬] の原典である、と。
これに異を唱えるのは、相当に難しい。
だから、そんな主張がまかり通っている事は一度、忘却してしまってから、それとは少し違った視点で考えてみる。

"Model Sheet "Wacky Races The Mean Machine"" (C) 1970 Hanna-Barbera Cartoons, Inc.
ふたつの作品に於いて、彼等の行動原理はたったひとつの事しかない。
自身の眼前を颯爽と通過しようとする人物を妨害する、ただそれだけなのだ。
しかし、それが彼等にとっての第一義ではない。
第1作に於いては、自身が搭乗するレーシングカー (Racing Car) で優勝する事であり、第2作に於いては、敵軍の機密文書 (Confidential Documents) を奪取する事である。
その為に、第1作に於いては、自身と共に覇を競う他者 / 他車の妨害を行おうとするのであり、第2作に於いては、機密文書 (Confidential Documents) を搬送する伝書鳩 (Homing Pigeon) の捕獲を試みるのである。
ところが、世の大半によくある事例の様に、彼等もまた、手段がいつのまにか目的化し、本来の目的が看過されてしまう。
つまり、第1作に於いては妨害そのモノが目的となり、第2作に於いては捕獲そのモノが目的となってしまう [例えば第1作に於いては、妨害行為の為には常に先周りする事になり、そしてそれが可能ならばそのまま素直に疾走してしまえば優勝はいとも簡単に遂げられるのだ。第2作に於いてもまた然り。米TV番組『スパイ大作戦 ( Mission : Impossible)』 [1966~1973年 CBS放映] 等を充分に研究すれば、伝書鳩の捕獲以外の方法をもってすれば簡便な機密文書 (Confidential Documents) の入手方法は幾らでも出てくる筈なのだ]。
その結果、いつもどこでも、彼等は墓穴を掘る様にして失敗してしまう。しかも優勝が云々とか機密文書 (Confidential Documents) が云々と謂う次元の話ではない。それ以前の段階、つまり自身が巧妙に仕掛けた罠や作戦に自らが打尽されてしまうのである。
と、謂う様な光景は、この2作品に限った話ではない。米TVアニメではよくある着想である。
最もよく似ているのが、米TVアニメ番組『ルーニー・テューンズ (Looney Tunes)』 [1930~1969年 ワーナー・ブラザース (Warner Bros. Entertainment Inc.) 制作] の1コーナー、ロード・ランナー (Road Runner) とワイリー・コヨーテ (Wile E. Coyote) の物語 [1949~2014年まで、全50話] である。只管疾駆する前者を後者が何度も何度も妨害しようと試みる。後者の目的は、前者を自身の食餌とする事にある筈なのだが、いつのまにかどこかに忘却されてしまっている。観ているぼく達も、だ。そして、無い智慧を振り絞ってありとあらゆる手管をくだし、そしてその術中が一切後者の走行に影響を及ぼさない結果、前者は自らの作戦の罠に自らが陥ってしまう。
この2匹の物語を、自動車競争と謂う舞台に昇華してしまえば、そのまま第1作の基本構造は成立してしまう。
そして、ロード・ランナー (Road Runner) とワイリー・コヨーテ (Wile E. Coyote) の物語 [1945年から現在まで 全103話] の殆どには皆無の発想、追うモノと追われるモノ、もしくは襲うモノと襲われるモノとの間で多少なりとも駆け引き、すなわち智慧比べ的な要素を加味する [つまり第1作から第2作への変貌はその様な構造変化として成されている] と、その物語の類型は幾らでも頻出する。
例えば同じ番組内でみてみれば、トゥイーティー (Tweety Bird) とシルベスター・キャット (Sylvester Cat) の物語 [1945年から現在まで 全103話] がそうだ。この2人の対立に前者に与するグラニー (Granny) を介在させる事によって、その物語は幾らでも変奏が可能となってしまう。
この3者の構造をより多層なモノへと翻案させてみれば、米TVアニメ番組『トムとジェリー (Tom And Jerry)』 [1940年から ハンナ・バーベラ・プロダクション (Hanna-Barbera Cartoons, Inc.) 制作] が生成されるだろう。追われる鼠 (Mouse) と追う猫 (Cat) の物語に何度となく顔をみせ、物語の混乱に拍車をかける、犬 (Dogs) や猫 (Cats) や鼠 (Mouses) や人 (Humen Being) や鳥 (Birds) や魚 (Fish) 達といった多士済々の顔ぶれをおもいおこせば良いだろう。
ブラック魔王 (Dick Dastardly) と、彼を主軸とするふたつの物語は、その様な地点から生成されたのだ。
次回は「う」。
附記 1. :
ぢゃあケンケン (Muttley) とは一体、なにか、と謂う事になる。これはある意味で、ブラック魔王 (Dick Dastardly) のもうひとりの側面だ。ケンケン (Muttley) は必ずしも行為者ではない、彼は批評の為にのみ存在している。自嘲、自笑、そのモノである。つまり、ブラック魔王 (Dick Dastardly) 自身も自身の行為の無目的性、非生産性を認識しているのだ。しかし、だからと謂って、それをもって自制も抑制も出来る訳でもない。それ故に、ケンケン (Muttley) は、 [そうなるべき結果しか起こり得ようもないと知っているのにも関わらずに、否、それだからこそ] 事の成り行きを見届けた後になってはじめて、ほくそ笑むのだ。
尚、この主従の関係性は、小説『ドン・キホーテ (El ingenioso hidalgo don Quijote de la Mancha)』 [ミゲル・デ・セルバンテス (Miguel de Cervantes) 作 1605、1615年刊行] に於ける、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ (Don Quixote de la Mancha) とサンチョ・パンサ (Sancho Panza) の主従関係に起因しているのだとおもう。妄想的でしかもその妄想に実直に従う事しか出来ない愚かな主人と、自身の雇用主の愚かさを知っているが故に、その命令に唯々諾々と従う従者、ブラック魔王 (Dick Dastardly) とケンケン (Muttley) の原典はここにこそ、ある筈だ。
附記 2. :
そして、この主従をさらに翻案したのがタイムボカンシリーズ (Time Bokan Series) [1975~1983年 タツノコプロ (Tatsunoko Production) 制作] に於ける三悪 (Three Villans) なのである [2人組が何故3人組へと増殖したのか、その点こそは考えなければならないのではあるが]。
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