2022.05.24.08.43
雑誌の方ではない。
小説である。その小説は幾つもの映像化作品があるそうなのだが、ぼくは未見だ。だから、それらの原作に綴られた物語だけに関する事を綴っていく事とする。
雨中、男性ふたりの揉めている姿が冒頭にある [そこだけを外部のモノがみれば、雑誌『さぶ (Sabu)』[1974〜2002年 サン出版 (Sun Publishing) 刊行] 的な匂いを芳香に感じ取ってしまうかも知れない]。
彼等は、おなじ職場で修行を積んでいる兄弟弟子であり、一方の技量が高く評価されているのに対し、遺る一方はいつまで経っても仕事が憶えられない。そんな自身の愚かさを恥じて出奔しようとする弟弟子を、その兄弟子が必死になって引き止めているのだ。
その物語はその様にしてはじまる [序でに綴っておけば、この発端のシーンは極めて映像的である。後に幾つもの翻案作が産まれた理由はここにあるのかも知れない]。
そこだけをみれば、北島三郎 (Saburo Kitajima) 歌唱の演歌『兄弟仁義 (Kyodai Jingi)』 [作詞:星野哲郎 (Tetsuro Hoshino) 作曲:北原じゅん/ Jun Kitahara 1965年発表] とその映画化作品『兄弟仁義 (Kyodai Jingi)』 [山下耕作 (Kosaku Yamashita) 1966年制作] の様にも思えてしまう。
如才のない方は栄二 (eiji) であり、如才がある方をさぶ (Sabu) と謂う。彼等は同じ店舗で経師 (Kyoji) の徒弟として奉公しているのだ。
だから、この雨のシーンを読んだだけのぼくは、こう思ってしまう。おそらく、この弟分が兄貴分に代表される周囲の厳しい叱咤と穏やかな温情に恵まれ育まれて、いつしか立派な職人として一本立ちするまでの物語だろう、と。
例えば、TV番組『スチュワーデス物語 (The Stewardess Story)』 [1983〜1984年 TBS系列放映] での主人公松本千秋 (Chiaki Matsumoto) [演:堀ちえみ (Chiemi Hori) の様な物語だ。客室乗務員養成の専門学校 (Flight Attendant School)で「ドジでノロマな亀 / A Blunder Bakehead Tortoise」と自己批判させられてばかりいた彼女は物語の最後には一人前の客室乗務員 (Flight Attendant) として巣立っていく。
何故ならば、その物語の題名が、弟分の名前、小説『さぶ (Sabu)』 [山本周五郎 (Shugoro Yamamoto) 1963年 週刊朝日 (Weekly Asahi) 連載] だから、である。
このふたりのあいだにもうひとり、ある女性が存在する事になり、微温な三角関係 (The Eternal Traiangle) が成立しそうな雰囲気が醸し出されもする。それを発端として、ふたりの友情に亀裂が生じ、そこから争闘が生じる物語もあり得そうなのだが、そう謂う物語ではない。
題名が弟分のその名でありながら、物語はしばらく、その兄貴分である栄二 (Eiji) を中心にして語られる。
その雨の日から数年後、ふたりは彼等が勤めている店舗から派遣された得意先で勤務している。しかし、ある日、栄二 (Eiji) は冤罪 (Bad Rap) をかけられて、そこでの就業から外されてしまう。栄二 (Eiji) は納得が出来ない。自身に全く身に憶えのない事だから当然だ。その結果、自暴自棄となり、勤務先に多大な被害を与えてしまう。現在の言葉で謂えば、それはすくなく見積もっても迷惑行為 (Harassment) であり、場合によっては威力業務妨害 (Forcible Obstruction Of Business) と看做されてしまうかもしれない。
その結果、栄二 (Eiji) は、石川島 (Ishikawajima) にある人足寄場 (Labour Camp For Drifters) 送致となってしまう。
もしも、彼への尋問もしく評決の際に、自身の側からのその行為に及んだ理由を開陳すれば、情状酌量 (Taking The Circumstances Into Consideration) となって無罪放免 (Acquit His Of The Charge) となったのかもしれない。少なくとも、捜査官 (Investigator) や裁判官 (Court Judge) の立場でみれば、彼の行為に犯罪行為となる構成要件 (Tatbestand) は認められないのだ。
しかし、頑なになってしまった栄二 (Eiji) は、黙秘権 (Aussageverweigerungsrecht) を行使するばかりなのだ。
そして、その自閉した心情の中にいつしか復讐心ばかりを養っている彼は、石川島 (Ishikawajima) へと護送されてしまうのである。
小説『さぶ (Sabu)』に於ける、栄二 (Eiji) の物語は以降、そこを舞台として語られる事となる。
人足寄場 (Labour Camp For Drifters) と謂う施設もしくは罪刑が登場しているのだから、この物語は江戸時代 (Edo Period) 中期以降に限定さる得る物語なのである。だけれども、読んでいるぼくとしては、この物語が時代劇 (Jidaigeki) であると謂う認識を抱く事が出来ない。明治期 (Meiji Period)、さもなければ太平洋戦争 (Pacific War) 以前の物語として読めてしまう。その責任の一端は、この物語に登場する幾人もの人物像とその内面にあるのかもしれないし、この物語がある特定の時代を超えた普遍性を備えているからかもしれない。さもなければ、作者が時代劇と謂う衣装を借りた現代劇 (Contemporary Dorama) を綴っているからかもしれない。
さて、ぼくが言及すべきは栄二 (Eiji) が送致された人足寄場 (Labour Camp For Drifters) [1790~1871年設置運営] に関して、である。
その施設もしくは罪刑は、松平定信 (Matsudaira Sadanobu) 主導による寛政の改革 (Kansei Reforms) [1787~1793年] のひとつであり、日本史 (History Of Japan) を習得する学生にとっては必修単語のひとつであるし、大学受験科目 (Subjects For College Entrance Examination) として日本史 (History Of Japan) を選択したモノにとってはさらに暗記必須単語のひとつでもある。
だけれども、その実態と謂うモノが解っている様で、実は全く解らない。解らなくても、受かる大学では受かる。松平定信 (Matsudaira Sadanobu) ⇔寛政の改革 (Kansei Reforms) ⇔人足寄場 (Labour Camp For Drifters)、この関係性を記憶しているだけで充分なのかもしれないのだ。
その一方で、その単語は、時代劇 (Jidaigeki) のお白洲 (Court Of Law) の場面で度々、登場する。
微罪 (Petty Offense)、もしくは、知らず知らずのうちに悪事に加担してしまった場合、さもなければ、やむを得ない事情で犯罪行為に掌を染めてしまったモノ達に科刑される [彼等をその様な立場へと追い込んだ巨悪 (Great Evil) が極刑 (Maximum Penalty) を言い渡された上での事であるのは無論である]。そして、その罪を命じられたモノ自身やその肉親ないし妻や恋人は、名判官 (Great Court Judge) の思わぬ温情に涙するのだ。
これに類するのが、所払い (Transportation) だ。これも言い渡された当人達は涙して喜びの意を告げる。
だけれども、画面を観ているぼく達にとっては、これらの刑罰の、実際の軽重が解っていない。それは刑罰としての笞打 (Flagellation) がどれほど苦痛なのか、解らないのと一緒なのだ。
そんな場所が、その小説の舞台となって語られていくのである。勿論、創作作品である以上、実際とは異なる虚構が潜んでいるのには違いないのだろう。だけれども、それを勘案したとしても、ぼくの興味はそそられる一方なのだ。
栄二 (Eiji) は頑ななままである。しかし、そんな彼を中心として、人足寄場 (Labour Camp For Drifters) と謂う特殊な場所もあって、幾つもの事件が起こる。と、同時に、そこで暮らさねばならない人々の、それぞれののっぴきならない事情やそれに起因する心情にも引導されて、栄二 (Eiji) の内心は徐々に氷解していく事となる。そして、それらとは別にその起動要因のひとつとなるのが、彼がうけとるさぶ (Sabu) からの手紙なのである。こんな事態に追い込まれるそれ以前から、栄二 (Eiji) はさぶ (Sabu) の仕事内容の充実ぶりを評価していた。しかし、それとは異なる点、さぶ (Sabu) と謂う人物そのひとの、評価をその手紙からよりたかいモノへと変更せざるをえなくなってしまうのだ。そして彼は、それを手紙そのモノから習得しようと試みるのである。
その様な経緯と時間を経て、人間性が以前よりも一皮も二皮も剥けたときとなって、栄二 (Eiji) は人足寄場 (Labour Camp For Drifters) をあとにする。
そして、栄二 (Eiji) とさぶ (Sabu) は、一人前の経師 (Kyoji) として働きはじめるのだ。
ああ、ようやく、題名にある様に、さぶ (Sabu) 自身の物語が語られるのだな、とぼくはおもう。
だが、ぼくの予想に反して物語はあらぬ方向へと舵をきる。
栄二 (Eiji) の冤罪 (Bad Rap)、その真実が判明するのだ。しかも、その真相が当事者自身の口から語られる。
ぼくは吃驚する。
と、謂うのは彼の冤罪 (Bad Rap) とは、旧い身分制度、旧い家制度に病因がある問題から起因するモノとばかり想っていたからだ。江戸時代 (Edo Period) と謂う封建制度 (Feudalism) が産み出したモノではない、かつての本邦ならばどこでも起こり得る問題だ、否、もしかすると、現在ですら起こりかねない悲劇 [もしくは喜劇] であるのかもしれない。
だから、仮にどこぞの名探偵 (Great Detective) が捜査推理してもその犯人は決して顕れない。何故ならば、当事者それぞれの視点や視野が異なれば、そこにある筈の犯罪は全く異なった様相を呈示するのに違いないからだ。恐らく、証言をいくら数多く蒐集したとしても小説『藪の中 (In A Grove)』 [芥川龍之介 (Ryunosuke Akutaagawa) 作 1922年 新潮 (Shincho) 掲載] 宜しく、各人物が紡ぐ証言は喰い違うばかりであろう。つまり、立場が異なれば、そこに横臥している真実と謂うモノは、全く違う姿があるだけなのだ。栄二 (Eiji) の冤罪 (Bad Rap) もまさにその様な存在なのであろう。
そう想っていたぼくは、この小説がどんな終幕をひいたとしても、その事件は有耶無耶のままとなってしまうモノとばかり想っていたのだ。まさか、彼の冤罪 (Bad Rap) がこの物語の大事な伏線 (Foreshadowing) として雌伏し、ここで回収されるとはおもいもよらなかったのだ。
そして呆気にとられているその直後に、栄二 (Eiji) 達と共に、ぼくはさぶ (Sabu) の声を聴くのである。
そこでの彼の声、そこから感じられる彼の態度、それは物語冒頭となんにも変わっていない。
ここまで読んできた様に、この日までの栄二 (Eiji) は波乱万丈であった。そして、その結果としての成長をぼくは読む事ができた。
では、さぶ (Sabu) は?
そして、ぼくは知るのだ。そうだよね、物語の主人公はさぶ (Sabu) なんだ。決して栄二 (Eiji) ではない。
彼の登場する場面がその兄貴分より遥かに少なくとも。
だからこそ彼の名前が題名となっているんだ、と。
そして、そう理解出来た時、この物語は終る。
次回は「ぶ」。
附記 1.:
栄二 (Eiji) は当初からさぶ (Sabu) のつくる糊 (Glue) を高評価していた。
三谷一馬 (Kazuma MItani) 著の『江戸職人図聚 (Illustration Collection Of Craftsmen In Edo Period)』 [1984年 立風書房 (Rippu Shobo Publishin) 刊行] の「『経師』『表具師』」の項目に次の様な記述がある。
「経師、表具師の仕事の中で第一にむずかしいのは糊で、次は裂地選びの配色だと言います。 人によってはこの裂地の配色が一番むずかしいともいいます」
{下掲図は二代歌川国輝 (Utagawa Kuniteru II) 画『衣食住之内家職幼絵解之図 第四 経師 (Picture For Children Depicting Occupations Concerned With Clothing, Food And Housing : No. 4, Picture Framer)』 [19世紀の作]]

附記 2.:
さぶ (Sabu) が糊 (Glue)を得意とする一方で、栄二 (Eiji) はそれ以降の作業、すなわち裂地 (Fabric) 選びの配色を得意としていた。そして、発注主の視点、一般の視点では、栄二 (Eiji) の得意作業の方が当然、眼に入る。さぶ (Sabu) ではなくて栄二 (Eiji) がもてはやされるのは、それが理由のひとつだ [そしてそれ故の冤罪 (Bad Rap) となる]。だが、経師 (Kyoji) と謂う職業に於いては、このふたつの業務があってようやくひとつの仕事として成立し、上の引用文にもある様に、評者によってはその仕事の難易度や重要度が逆転する場合もある。
だから、栄二 (Eiji) とさぶ (Sabu) が離れ難い絆を維持するのは、至極当然の事となる。と、謂うか、単純に考えれば、さぶ (Sabu) の仕事の出来如何によって、栄二 (Eiji) の仕事の評価も左右される。そして、この小説で語られている物語の構造も同様なのである。さぶ (Sabu) の物語を下部構造 (Unterbau) と捉えれば、栄二 (Eiji) の物語は上部構造 (Uberbau) なのである。
附記 3. :
栄二 (Eiji) の人足寄場 (Labour Camp For Drifters) での物語の位相 (Phaze) を操作すると、マンガ『あしたのジョー (Ashita No Joe : Tomorrow's Joe)』 [高森朝雄 (Asao Takamori) 原作 ちばてつや (Tetsuya Chiba) 作画 1968〜1973年 週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) 連載] での、東光特等少年院 (Tokko Special Juvenile Detention Center) に於ける矢吹丈 (Joe Yabuki) の物語へと変換出来るのかもしれない。頑な矢吹丈 (Joe Yabuki) の心情を、力石徹 (Toru Rikiishi) を代表とする少年院生達 (Members Of Tokko Special Juvenile Detention Center) とボクシング (Boxing) が変えていくのだ。そして、さぶ (Sabu) からの手紙で栄二 (Eiji) が学んだ様に、矢吹丈(Joe Yabuki) も丹下段平 (Danpei Tangei) からの「あしたのために / For Tommorow」と題した手紙で学んでいくのだ。
小説である。その小説は幾つもの映像化作品があるそうなのだが、ぼくは未見だ。だから、それらの原作に綴られた物語だけに関する事を綴っていく事とする。
雨中、男性ふたりの揉めている姿が冒頭にある [そこだけを外部のモノがみれば、雑誌『さぶ (Sabu)』[1974〜2002年 サン出版 (Sun Publishing) 刊行] 的な匂いを芳香に感じ取ってしまうかも知れない]。
彼等は、おなじ職場で修行を積んでいる兄弟弟子であり、一方の技量が高く評価されているのに対し、遺る一方はいつまで経っても仕事が憶えられない。そんな自身の愚かさを恥じて出奔しようとする弟弟子を、その兄弟子が必死になって引き止めているのだ。
その物語はその様にしてはじまる [序でに綴っておけば、この発端のシーンは極めて映像的である。後に幾つもの翻案作が産まれた理由はここにあるのかも知れない]。
そこだけをみれば、北島三郎 (Saburo Kitajima) 歌唱の演歌『兄弟仁義 (Kyodai Jingi)』 [作詞:星野哲郎 (Tetsuro Hoshino) 作曲:北原じゅん/ Jun Kitahara 1965年発表] とその映画化作品『兄弟仁義 (Kyodai Jingi)』 [山下耕作 (Kosaku Yamashita) 1966年制作] の様にも思えてしまう。
如才のない方は栄二 (eiji) であり、如才がある方をさぶ (Sabu) と謂う。彼等は同じ店舗で経師 (Kyoji) の徒弟として奉公しているのだ。
だから、この雨のシーンを読んだだけのぼくは、こう思ってしまう。おそらく、この弟分が兄貴分に代表される周囲の厳しい叱咤と穏やかな温情に恵まれ育まれて、いつしか立派な職人として一本立ちするまでの物語だろう、と。
例えば、TV番組『スチュワーデス物語 (The Stewardess Story)』 [1983〜1984年 TBS系列放映] での主人公松本千秋 (Chiaki Matsumoto) [演:堀ちえみ (Chiemi Hori) の様な物語だ。客室乗務員養成の専門学校 (Flight Attendant School)で「ドジでノロマな亀 / A Blunder Bakehead Tortoise」と自己批判させられてばかりいた彼女は物語の最後には一人前の客室乗務員 (Flight Attendant) として巣立っていく。
何故ならば、その物語の題名が、弟分の名前、小説『さぶ (Sabu)』 [山本周五郎 (Shugoro Yamamoto) 1963年 週刊朝日 (Weekly Asahi) 連載] だから、である。
このふたりのあいだにもうひとり、ある女性が存在する事になり、微温な三角関係 (The Eternal Traiangle) が成立しそうな雰囲気が醸し出されもする。それを発端として、ふたりの友情に亀裂が生じ、そこから争闘が生じる物語もあり得そうなのだが、そう謂う物語ではない。
題名が弟分のその名でありながら、物語はしばらく、その兄貴分である栄二 (Eiji) を中心にして語られる。
その雨の日から数年後、ふたりは彼等が勤めている店舗から派遣された得意先で勤務している。しかし、ある日、栄二 (Eiji) は冤罪 (Bad Rap) をかけられて、そこでの就業から外されてしまう。栄二 (Eiji) は納得が出来ない。自身に全く身に憶えのない事だから当然だ。その結果、自暴自棄となり、勤務先に多大な被害を与えてしまう。現在の言葉で謂えば、それはすくなく見積もっても迷惑行為 (Harassment) であり、場合によっては威力業務妨害 (Forcible Obstruction Of Business) と看做されてしまうかもしれない。
その結果、栄二 (Eiji) は、石川島 (Ishikawajima) にある人足寄場 (Labour Camp For Drifters) 送致となってしまう。
もしも、彼への尋問もしく評決の際に、自身の側からのその行為に及んだ理由を開陳すれば、情状酌量 (Taking The Circumstances Into Consideration) となって無罪放免 (Acquit His Of The Charge) となったのかもしれない。少なくとも、捜査官 (Investigator) や裁判官 (Court Judge) の立場でみれば、彼の行為に犯罪行為となる構成要件 (Tatbestand) は認められないのだ。
しかし、頑なになってしまった栄二 (Eiji) は、黙秘権 (Aussageverweigerungsrecht) を行使するばかりなのだ。
そして、その自閉した心情の中にいつしか復讐心ばかりを養っている彼は、石川島 (Ishikawajima) へと護送されてしまうのである。
小説『さぶ (Sabu)』に於ける、栄二 (Eiji) の物語は以降、そこを舞台として語られる事となる。
人足寄場 (Labour Camp For Drifters) と謂う施設もしくは罪刑が登場しているのだから、この物語は江戸時代 (Edo Period) 中期以降に限定さる得る物語なのである。だけれども、読んでいるぼくとしては、この物語が時代劇 (Jidaigeki) であると謂う認識を抱く事が出来ない。明治期 (Meiji Period)、さもなければ太平洋戦争 (Pacific War) 以前の物語として読めてしまう。その責任の一端は、この物語に登場する幾人もの人物像とその内面にあるのかもしれないし、この物語がある特定の時代を超えた普遍性を備えているからかもしれない。さもなければ、作者が時代劇と謂う衣装を借りた現代劇 (Contemporary Dorama) を綴っているからかもしれない。
さて、ぼくが言及すべきは栄二 (Eiji) が送致された人足寄場 (Labour Camp For Drifters) [1790~1871年設置運営] に関して、である。
その施設もしくは罪刑は、松平定信 (Matsudaira Sadanobu) 主導による寛政の改革 (Kansei Reforms) [1787~1793年] のひとつであり、日本史 (History Of Japan) を習得する学生にとっては必修単語のひとつであるし、大学受験科目 (Subjects For College Entrance Examination) として日本史 (History Of Japan) を選択したモノにとってはさらに暗記必須単語のひとつでもある。
だけれども、その実態と謂うモノが解っている様で、実は全く解らない。解らなくても、受かる大学では受かる。松平定信 (Matsudaira Sadanobu) ⇔寛政の改革 (Kansei Reforms) ⇔人足寄場 (Labour Camp For Drifters)、この関係性を記憶しているだけで充分なのかもしれないのだ。
その一方で、その単語は、時代劇 (Jidaigeki) のお白洲 (Court Of Law) の場面で度々、登場する。
微罪 (Petty Offense)、もしくは、知らず知らずのうちに悪事に加担してしまった場合、さもなければ、やむを得ない事情で犯罪行為に掌を染めてしまったモノ達に科刑される [彼等をその様な立場へと追い込んだ巨悪 (Great Evil) が極刑 (Maximum Penalty) を言い渡された上での事であるのは無論である]。そして、その罪を命じられたモノ自身やその肉親ないし妻や恋人は、名判官 (Great Court Judge) の思わぬ温情に涙するのだ。
これに類するのが、所払い (Transportation) だ。これも言い渡された当人達は涙して喜びの意を告げる。
だけれども、画面を観ているぼく達にとっては、これらの刑罰の、実際の軽重が解っていない。それは刑罰としての笞打 (Flagellation) がどれほど苦痛なのか、解らないのと一緒なのだ。
そんな場所が、その小説の舞台となって語られていくのである。勿論、創作作品である以上、実際とは異なる虚構が潜んでいるのには違いないのだろう。だけれども、それを勘案したとしても、ぼくの興味はそそられる一方なのだ。
栄二 (Eiji) は頑ななままである。しかし、そんな彼を中心として、人足寄場 (Labour Camp For Drifters) と謂う特殊な場所もあって、幾つもの事件が起こる。と、同時に、そこで暮らさねばならない人々の、それぞれののっぴきならない事情やそれに起因する心情にも引導されて、栄二 (Eiji) の内心は徐々に氷解していく事となる。そして、それらとは別にその起動要因のひとつとなるのが、彼がうけとるさぶ (Sabu) からの手紙なのである。こんな事態に追い込まれるそれ以前から、栄二 (Eiji) はさぶ (Sabu) の仕事内容の充実ぶりを評価していた。しかし、それとは異なる点、さぶ (Sabu) と謂う人物そのひとの、評価をその手紙からよりたかいモノへと変更せざるをえなくなってしまうのだ。そして彼は、それを手紙そのモノから習得しようと試みるのである。
その様な経緯と時間を経て、人間性が以前よりも一皮も二皮も剥けたときとなって、栄二 (Eiji) は人足寄場 (Labour Camp For Drifters) をあとにする。
そして、栄二 (Eiji) とさぶ (Sabu) は、一人前の経師 (Kyoji) として働きはじめるのだ。
ああ、ようやく、題名にある様に、さぶ (Sabu) 自身の物語が語られるのだな、とぼくはおもう。
だが、ぼくの予想に反して物語はあらぬ方向へと舵をきる。
栄二 (Eiji) の冤罪 (Bad Rap)、その真実が判明するのだ。しかも、その真相が当事者自身の口から語られる。
ぼくは吃驚する。
と、謂うのは彼の冤罪 (Bad Rap) とは、旧い身分制度、旧い家制度に病因がある問題から起因するモノとばかり想っていたからだ。江戸時代 (Edo Period) と謂う封建制度 (Feudalism) が産み出したモノではない、かつての本邦ならばどこでも起こり得る問題だ、否、もしかすると、現在ですら起こりかねない悲劇 [もしくは喜劇] であるのかもしれない。
だから、仮にどこぞの名探偵 (Great Detective) が捜査推理してもその犯人は決して顕れない。何故ならば、当事者それぞれの視点や視野が異なれば、そこにある筈の犯罪は全く異なった様相を呈示するのに違いないからだ。恐らく、証言をいくら数多く蒐集したとしても小説『藪の中 (In A Grove)』 [芥川龍之介 (Ryunosuke Akutaagawa) 作 1922年 新潮 (Shincho) 掲載] 宜しく、各人物が紡ぐ証言は喰い違うばかりであろう。つまり、立場が異なれば、そこに横臥している真実と謂うモノは、全く違う姿があるだけなのだ。栄二 (Eiji) の冤罪 (Bad Rap) もまさにその様な存在なのであろう。
そう想っていたぼくは、この小説がどんな終幕をひいたとしても、その事件は有耶無耶のままとなってしまうモノとばかり想っていたのだ。まさか、彼の冤罪 (Bad Rap) がこの物語の大事な伏線 (Foreshadowing) として雌伏し、ここで回収されるとはおもいもよらなかったのだ。
そして呆気にとられているその直後に、栄二 (Eiji) 達と共に、ぼくはさぶ (Sabu) の声を聴くのである。
そこでの彼の声、そこから感じられる彼の態度、それは物語冒頭となんにも変わっていない。
ここまで読んできた様に、この日までの栄二 (Eiji) は波乱万丈であった。そして、その結果としての成長をぼくは読む事ができた。
では、さぶ (Sabu) は?
そして、ぼくは知るのだ。そうだよね、物語の主人公はさぶ (Sabu) なんだ。決して栄二 (Eiji) ではない。
彼の登場する場面がその兄貴分より遥かに少なくとも。
だからこそ彼の名前が題名となっているんだ、と。
そして、そう理解出来た時、この物語は終る。
次回は「ぶ」。
附記 1.:
栄二 (Eiji) は当初からさぶ (Sabu) のつくる糊 (Glue) を高評価していた。
三谷一馬 (Kazuma MItani) 著の『江戸職人図聚 (Illustration Collection Of Craftsmen In Edo Period)』 [1984年 立風書房 (Rippu Shobo Publishin) 刊行] の「『経師』『表具師』」の項目に次の様な記述がある。
「経師、表具師の仕事の中で第一にむずかしいのは糊で、次は裂地選びの配色だと言います。 人によってはこの裂地の配色が一番むずかしいともいいます」
{下掲図は二代歌川国輝 (Utagawa Kuniteru II) 画『衣食住之内家職幼絵解之図 第四 経師 (Picture For Children Depicting Occupations Concerned With Clothing, Food And Housing : No. 4, Picture Framer)』 [19世紀の作]]

附記 2.:
さぶ (Sabu) が糊 (Glue)を得意とする一方で、栄二 (Eiji) はそれ以降の作業、すなわち裂地 (Fabric) 選びの配色を得意としていた。そして、発注主の視点、一般の視点では、栄二 (Eiji) の得意作業の方が当然、眼に入る。さぶ (Sabu) ではなくて栄二 (Eiji) がもてはやされるのは、それが理由のひとつだ [そしてそれ故の冤罪 (Bad Rap) となる]。だが、経師 (Kyoji) と謂う職業に於いては、このふたつの業務があってようやくひとつの仕事として成立し、上の引用文にもある様に、評者によってはその仕事の難易度や重要度が逆転する場合もある。
だから、栄二 (Eiji) とさぶ (Sabu) が離れ難い絆を維持するのは、至極当然の事となる。と、謂うか、単純に考えれば、さぶ (Sabu) の仕事の出来如何によって、栄二 (Eiji) の仕事の評価も左右される。そして、この小説で語られている物語の構造も同様なのである。さぶ (Sabu) の物語を下部構造 (Unterbau) と捉えれば、栄二 (Eiji) の物語は上部構造 (Uberbau) なのである。
附記 3. :
栄二 (Eiji) の人足寄場 (Labour Camp For Drifters) での物語の位相 (Phaze) を操作すると、マンガ『あしたのジョー (Ashita No Joe : Tomorrow's Joe)』 [高森朝雄 (Asao Takamori) 原作 ちばてつや (Tetsuya Chiba) 作画 1968〜1973年 週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) 連載] での、東光特等少年院 (Tokko Special Juvenile Detention Center) に於ける矢吹丈 (Joe Yabuki) の物語へと変換出来るのかもしれない。頑な矢吹丈 (Joe Yabuki) の心情を、力石徹 (Toru Rikiishi) を代表とする少年院生達 (Members Of Tokko Special Juvenile Detention Center) とボクシング (Boxing) が変えていくのだ。そして、さぶ (Sabu) からの手紙で栄二 (Eiji) が学んだ様に、矢吹丈(Joe Yabuki) も丹下段平 (Danpei Tangei) からの「あしたのために / For Tommorow」と題した手紙で学んでいくのだ。
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