fc2ブログ

2022.05.10.08.37

ねこむすめ

一体、何人、何匹いるのだろう。
かつて、高橋葉介 (Yousuke Takahashi) は、自身が創造した人物、夢幻魔実也 (Mamiya Mugen) に関して、3人いると言明していた。その人物を主人公とする作品群が、掲載誌もしくはその作品の世界観に応じて、本来ならばたったの1人でいる筈の彼が、あい異なる容姿、能力、性格をもって描かれていたからだ。
それを踏まえれば、水木しげる (Shigeru Mizuki) 創造の猫娘 (Nekomusume) は一体、何人いるのだろうか。
夢幻魔実也 (Mamiya Mugen) に関しては、作者自身の断定があるのだから、その時点は、そこで議論はとまる [しかし、その後に登場する派生作品や後継作品をみれば、さらに夢幻魔実也 (Mamiya Mugen) は増殖したと看做すべきなのだろう。実際には今、彼は果たして何人、いるのであろうか]。しかし、水木しげる (Shigeru Mizuki) は、彼女に関して、その実際に対して、なんら態度表明をしていない [しなかった] と思える。

拙稿で取り上げるのは、水木しげる (Shigeru Mizuki) の創造した彼女に関して、である。
普通名詞としての猫娘 (Cat Girl) は看過してしまおう。また、その作家の作品群から発生している幾つもの翻案作、すなわち、6度に渡るアニメ・シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』や2作ある実写映画『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [本木克英 (Katsuhide Motoki) 監督作品] に於ける彼女達に関しても拘泥しない。田中麗奈 (Rena Tanaka) がいくら猫娘 (Nekomusume) そっくりの容姿や演技をしようとも、もしくはそこから如何様に逸脱しようとも、お構いなしと謂う事なのである。
だから、作家の出生地である境港市 (Sakaiminato, Tottori) にたつ猫娘像 (Nekomusume Structure) に関しても、関心を払う事もない。

とは謂っても、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品に於ける猫娘 (Nekomusume) に限定したとしても、実際に何人、何匹の彼女が存在しているのか、実はぼくには解らないのである。
ただ、謂える事は、ぼくの知っている猫娘 (Nekomusume) は3人 [もしくは3匹] いる、ただそれだけの事なのだ。

ぼくが出逢った3人 [もしくは3匹] の猫娘 (Nekomusume) は、以下の、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品に登場する。その出逢った順番、ぼくにとっての時系列に従えば、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [19651969週刊少年マガジン連載]、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [1971週刊少年サンデー連載]、そしてマンガ『鬼太郎夜話 (Kitaro's Night Tales)』[19671969ガロ連載] に於いて、である。
以下、それぞれの作品に於ける彼女達をその掲載誌の名称に従って、呼ぶ事にする。すなわち、これから綴るのは、ぼくが出逢った猫娘 (Nekomusume) 達、少年マガジン版 (Shonen Magazine Version)、少年サンデー版 (Shonen Sunday Version)、ガロ版 (Garo Version)、以上の3名 [3匹] である。
ちなみに、少年マガジン版 (Shonen Magazine Version) に前後して、TVアニメ第1シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [19681969フジテレビ系列放映] に於いて、もう1人 [1匹] の猫娘 (Nekomusume) にぼくは遭遇している訳ではあるが [そしてもしかするとぼくが遭遇した最初の猫娘 (Nekomusume) なのかもしれないが] 、その彼女に関しては殆ど、言及する事はない。

この3人 [3匹] の猫娘 (Nekomusume) は、容姿も異なれば、性格も異なる。3人 [3匹] を並び立たせれば、誰もが別人 [別猫] と看做すだろう。
だが、3者に共通する点がたったのひとつだけある。それは、 (Cat) と謂う生物が有している嗜好がそのまま如実に発揮されてしまう事だ。本人自身、その顕現を抑止する事は出来ない。
それを端的に謂ってしまうと、つまり、彼女の前に (Rat) が姿を顕すと、 (Cat) としての本性をおさえきれなくなる、と謂う事なのである。
そして、その結果、それぞれの物語に於いては、彼女はねずみ男 (Nezumiotoko) の天敵 (Lex Luthor) として機能する [それが故に、ねずみ男 (Nezumiotoko) は彼女との邂逅を如何に回避して、自身の悪巧みを実行せしめられるのかと謂う点を苦慮しなければならない]。

少年マガジン版 (Shonen Magazine Version) の彼女は、ぼく達の最もよく知るところの猫娘 (Nekomusume) である。
容姿、服装、性格、そのいずれも、後に登場する翻案作の原型として機能している。むっつもあるアニメ・シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』も2作ある実写映画『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』も、少年マガジン版 (Shonen Magazine Version) の彼女を雛形として、生成させているのだ。

と、ここまではよくある話だ。
だけれども、少年サンデー版 (Shonen Sunday Version) の彼女は、同じ水木しげる (Shigeru Mizuki) の作品でありながら、そこに登場しているのは、全く違う彼女なのだ。
和装である。頭髪は、蕃茄 (Tomato) の蔕 (Calyx) の様である。この2点を捕まえれば、まるで、茶柱キリ太 (Kirita Chabashira) [マンガ『いまどきのこども (Imadoki No Kodomo : The Children Nowadays)』 [玖保キリコ (Kiriko Kubo) 19861991ビッグコミックスピリッツ連載] 登場] がバカボン (Bakabon) [マンガ『天才バカボン (The Genius Bakabon)』赤塚不二夫 (Fujio Akatuska) 作 19671978週刊少年マガジン連載] 登場] のコスプレをしている様にもみえてしまう。
そして彼女の物謂いは、少年マガジン版 (Shonen Magazine Version) での彼女よりもませたモノ、大人びた様にも思える [でも、眼前にねずみ男が登場すれば、態度が豹変するのは、両者になんら代わりはない]。
問題とすべきは、何故、この様な猫娘 (Nekomusume) がその作品に登場したのか、と謂う点である。
これまで週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) に於いて掲載されてきていたマンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』が、その連載終了から2年後、週刊少年サンデー (Weekly Shonen Sunday) にマンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』として連載される様になったのかと謂うと、恐らく、TVアニメ第2シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』 [19711972フジテレビ系列放映] が放映された事によるのだろう。だが、だとしても、そのアニメ・シリーズに登場する猫娘 (Nekomusume) は、少年サンデー版(Shonen Sunday Version) の彼女の様な容姿はしていないのだ。寧ろ、少年マガジン版 (Shonen Magazine Version) をそっくりそのまま踏襲しているのである。つまり、週刊少年サンデー (Weekly Shonen Sunday) に於けるマンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』はこと猫娘 (Nekomusume) に関する限り、同時期に放映されていたアニメ作品とは連携していないのである [と綴ると語弊があるのか、何故ならば、両方のメディアに於いて、同じ妖怪 (Yokai) が登場し、同じ逸話がそれぞれ語られており、そこには同じ様な役割をする為に猫娘 (Nekomusume) が登場しているのだから。少なくとも、週刊少年サンデー (Weekly Shonen Sunday) 連載のマンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitaro)』には、幾つもの謎が存在しているとだけ、ここでは指摘しておこう]。

ガロ版 (Garo Version) の猫娘 (Nekomusume) は、正しくは寝子 (Neko) と謂う。
鬼太郎 (Kitaro) 父子が止宿していた三味線 (Shamisen) の1人娘である。一般的な評価基準に従えば、3者の中では最もおしとやかで、最も大人びていて、しかも最も美形である。だが、猫娘 (Nekomusume) としての自己同一性 (Identity) はきちんと護られている。護られているが故に、先に綴った彼女自身の印象から結果的に、最も強く怪奇色を発揮する事になる。
しかも、彼女は、ねずみ男 (Nezumiotoko) の奸計によって、衆人環視の許で自身に備わる怪異を発露させてしまったが故に自死せざるを得ない [そして、それ故に、寝子(Neko) は名実共に妖怪 (Yokai) 猫娘 (Nekomusume) に変異するのだろうし、これ以降、猫娘 (Nekomusume)はねずみ男 (Nezumiotoko) を常に捕獲せんとし、ねずみ男 (Nezumiotoko)は猫娘 (Nekomusume) から常に逃避し続けなければならなくなる]。

images
寝子 (Neko) は、後に登場する数多くの猫娘 (Nekomusume) の、真の意味での原型である。
何故ならば、彼女が登場するマンガ『鬼太郎夜話 (Kitaro's Night Tales)』のひとこまとして、上掲画像 が描かれているからである。
寝子 (Neko) が猫娘 (Nekomusume) として生きなければならなくなった因果 [そしてそれはそのまま彼女の後継である何人・何匹もの猫娘 (Nekomusume) にも応報している筈だ] が、ここに描かれている様にもみえるのだ。

次回は「」。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/3525-683c1536

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here