fc2ブログ

2022.02.20.07.52

『”マック・ザ・ナイフ”=エラ・イン・ベルリン (MACK THE KNIFE - ELLA IN BERLIN)』 by エラ・フィッツジェラルド (ELLA FITZGERALD)

images
彼女の単独名義の作品は、実はこれしか所有していない。
ルイ・アームストロング (Louis Armstrong) とのデュオ作『エラ・アンド・ルイ (Ella And Louis)』 [1956年発表] があるばかりである [大昔にこちらで紹介している]。

だけれども、彼女の歌唱は他のかたちで実によく聴くのだ。

例えば、ある楽曲、しかもそれがジャズ (Jazz) のスタンダード・ナンバー (Standard) である場合だ。
特定の、ある歌唱者の特定の楽曲を聴きたい場合は勿論、違う。しかし、そうではない場合、曲名だけがうろ憶えのとき、もしくはその逆、歌詞や主旋律のごく一部だけが記憶の片隅にあるとき、そんな場合等は、楽曲の同定する為に、彼女の歌唱を聴くのだ。

例えば、ユーチューブ (Youtube) 等で検索する際に、それを利用する。
前者の場合は、そのうろ憶えの楽曲名で検索すれば、様々な歌唱者による歌唱に混じって、ほぼ確実に彼女の歌唱が登場する。
後者の場合の、歌詞のときは、一旦、検索エンジンで曲名を同定出来れば、上の方法で彼女の歌唱に辿り着けるだろうし、それが不可能だった場合や主旋律の場合は、彼女の名前で検索して登場した楽曲のラインナップからアプローチする。

何故、と尋ねられれば、ぼくはこう答えるであろう。
彼女の歌唱が規範なのだ、と。

ジャズ (Jazz) に於ける場合、歌唱者であろうと演奏者であろうと、はたまた編曲者であろうと、従来からある楽曲を歌唱ないし演奏ないし編曲する場合、如何に自身独自の表現が出来るであろうかと試みる。下衆な表現をすれば、どこまでその楽曲を自身のてによって崩せるのか、それが彼等にとっての大命題である様に、思える時すらある。
その為の、直接的な対象となるモノは、殆どの場合、その楽曲が世に顕れた初出のかたち、それは譜面である場合もあるだろうし、録音物である場合もあるだろう。そればかりではない。その楽曲が最も普遍的なかたちで世に認知されている場合だ。

エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) の歌唱には、その様なかたちで認知されている楽曲が非常に多い様な気がする。彼女がその楽曲を [ジャズ (Jazz) として] 初めて歌唱した、彼女の歌唱を通してその楽曲が [ジャズ (Jazz) として] 認知された、そんな場合であり、そんな楽曲である。

だけれども、それだけぢゃあないのだ。
彼女の歌唱は、そんな外観や経緯とは異なるところで、その楽曲のあるべき姿、普遍的な解釈として成立している場合が非常に多い様な気がする。

ある特定の楽曲に関しては、彼女による歌唱を聴いた上で、それと対比する様なかたちで、他の歌唱者によるその楽曲を聴くのだ。そうすれば、その楽曲自身に潜む魅力の正体が自ずと知れる様な気がする。
また、ある特定の歌唱者による歌唱こそが世間で流通している楽曲ですら、その楽曲に彼女の歌唱ヴァージョンがありさえすれば、何故、その楽曲がその特定の歌唱者によって認知されているのか、その理由をも理解出来る様な気がするのだ。

以前に、ぼくはここサラ・ヴォーン (Sarah Vaughan) の歌唱を変化球 (Breaking Ball) であると評した。
その比喩の顰みに倣 (Imitate Ridiculously) えば、エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) の歌唱は直球ど真ん中 (Fast Ball For Dead Center Right In The Middle)、なのである。そして、それ以外の投球を彼女は一切、試みようとはしない。

だから、例えば、ユーチューブ (Youtube) で彼女の歌唱を検索すると登場するジョー・パス (Joe Pass) とのデュオ (Duo) のライヴ映像 [DVD『エラ・フィッツジェラルド・デュエット・イン・ハノーヴァー 1975 (Ella Fitzgerald : Duets In Hannover 1975)』 [1975年秋雨録] よりのモノだろう] を観る [それは正に円熟の境地 (The state Of Maturity)、そんな手垢にまみれた表現が相応しい名演名唱ではあるが]。そこでは何故か、歌唱している彼女の一挙手一等足やその際の表情よりも、抱え込んだギター (Guitar) から丸みのある音色を紡ぎ出している彼の挙動や表情の方に、関心が向かってしまったりもするのだ。
彼女の歌唱が高度に優れたモノである事を大前提に置いた上で敢えて苦言を呈すれば、彼女の歌唱は、いつでも直球ど真ん中 (Fast Ball For Dead Center Right In The Middle) であるが故に、どこを切っても金太郎 (First, Last And Always All The Time) 的な評価にも陥ってしまうのだ。

そしてそんな評価をせざるを得ないのには、もうひとつの理由がある。
彼女の歌唱は、聴くモノの興味や関心や感動を歌そのものに向かわせこそすれ、歌唱者自身、すなわちエラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) と謂う個人、人格、ひいてはその人生へとは向かわせないのだ。
彼女はビリー・ホリデイ (Billie Holiday) では決してない。ビリー・ホリデイ (Billie Holiday) の歌唱は彼女の生き様を如実に反映させる表徴としての機能を有している [だからこそ、聴くモノは涙を流さざるを得ない]。 だが、エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) の歌唱には、そんな機能はない。ビリー・ホリデイ (Billie Holiday) よりも遥かに長いエラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) の人生も勿論、波乱と謂う形容が可能であるのにも関わらずに。否、寧ろ、その様な聴き方を彼女自身は拒否している様にすら思える。

だから、いつ、どの作品を聴いても安心していられる。彼女と謂う存在を通じて名曲、名演、名編曲に出逢えると思う。
勿論、非常に細部に渡って分析、研究すれば、[エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) と謂う規範の中にも] 良し悪しはあるだろう。
例えば、幾度となく彼女が歌唱した同一曲を比較すれば、その初期はおのれに自惚れた若気の至り (Youthful Follies) があるやも知れず、経年劣化による歌唱力の衰えも見出せるかも知れないし、それを補ってあまりある練達の手腕、熟練の技量が垣間みえるやも知れない [ちなみにこれ、エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) に限らず、活動歴の長い誰にでもある事であって、しかもどちらも良い悪いの判断が出来るモノでもないんだよね]。
でも、それ以上に、彼女の歌唱の背後にある、編成の違い、演奏者の解釈の違い、編曲者の拘りの方が、明瞭に顕れて来るのではないだろうか。

ところで、ぼくが本作を入手したのは、そんな彼女への理解が全くもって存在しなかった時季、彼女の名前こそ何度となく聴くがその実際を未だ知らなかった頃、とにかく彼女の代表作と謂えば本作である、と謂う世評に素直に従ったまでの事なのだ。
だから、初めて聴く彼女の歌唱にとても吃驚した記憶がある。
可憐にして伸びやかなその声質に。しかもあの体躯 [それは雑誌等で幾度となくみかけたモノだ] から。
ぼくのそんな第一印象は勿論、正しくはない。敢えての表現をすれば、あの体躯だからこそ、あの声質を獲得、維持し得ているのだ。それは、名楽器に於ける"鳴り"に喩えられ得よう。発音体から生じたその音源を楽器全体で響かせる事によって、美しい音色を得られる、と謂う意味に於いて。
ある種の歌唱を評してホーン・ライク (Horn Like) と謂う形容がある。本来は、器楽演奏の様な歌唱法、感情移入の乏しい歌唱を評す語句である。だが、それとは違う理由によって、違う意味を与える事によって、エラ・フィッツジェラルド (Ella Fitzgerald) の歌唱をホーン・ライク (Horn Like) と呼べる様な気がぼくはするのである。

ものづくし (click in the world!) 232. :『”マック・ザ・ナイフ”=エラ・イン・ベルリン (MACK THE KNIFE - ELLA IN BERLIN)』 by エラ・フィッツジェラルド (ELLA FITZGERALD)


images
”マック・ザ・ナイフ”=エラ・イン・ベルリン (MACK THE KNIFE - ELLA IN BERLIN)』 by エラ・フィッツジェラルド (ELLA FITZGERALD)

グラミー賞受賞作品 不滅の名唱「マック・ザ・ナイフ」をはじめ、どこをとっても言うことなしの大傑作”

★パーソネル:エラ・フィッツジェラルド (vo)、ポール・スミス (p)、ジム・ホール (g)、ウィルフレッド・ミドルブルックス (b)、ガス・ジョンソン (ds)
19602月13日ベルリンにて録音。

1. 風と共に去りぬ
 GONE WITH THE WIND [2:15]
 (Magidson / Wrubel)
2. ミスティ
 MISTY [2:38]
 (Garner / Burke)
3. ザ・レディ・イズ・ア・トランプ
 THE LADY IS A TRAMP [2:50]
 (Rodgers / Hart)
4. 私の彼氏
 THE MAN I LOVE [3:32]
 (G. & I. Gershwin)
5. サマータイム
 SUMMERTIME [2:42]
 (G. & I. Gershwin)
6. トゥー・ダン・ホット
 TOO DARN HOT [3:06]
 (Porter)
7. ローレライ
 LORELEI [3:03]
 (G. & I. Gershwin)
8. マック・ザ・ナイフ
 MACK THE KNIFE [4:39]
 (Weill / Brecht)
9. ハウ・ハイ・ザ・ムーン
 HOW HIGH THE MOON
[7:56]
 (Hamilton / Lewis)

Ella Fitzgerald (vocal)

The Paul Smith Quartet
Paul Smith (p), Jim Hall (g), Wilfred Middlebrooks (b), Gus Johnson (ds).

Recorded : Deutschland- Hall, Berlin, February 13, 1960

Cover Photo : Jay Thompson
Art Direction : Merle Shore

Original Liner-notes : Norman Granz

POLYDOR K. K., Made in Japan

ぼくの所有しているポリドール株式会社 (Polydor K. K.) 発売の国内盤には、岩浪洋三 (Yozo Iwanami) の解説が封入されている。
関連記事

theme : おすすめ音楽♪ - genre : 音楽

adventures of t. g. chaung | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/3472-647e17a2

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here