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2022.02.15.09.02

せろひきのごーしゅ

当時、ぼくが通っていた保育園 (Day Nursery) の蔵書の1冊としてあった。
あらかじめ、断っておくが、その絵本は宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) の作品ではない。それを幼児向けに翻案したモノである。

表紙の中央に、大きなヴァイオリン (Violin) を両脚で挟み込んだ男性がいる。このひとがゴーシュ(Gauche) なんだろう、そしてこのヴァイオリン (Violin) をセロ ( Cello) と謂うのだ。と、往時のぼくは思ったのかもしれない。
そして、彼の周囲に幾匹もの小動物等が楽しげに佇んでいる。まるで、童謡『山の音楽家 (Ich bin ein musikante)』 [ドイツ民謡 (Deutsche Volkslieder) 日本語詞 : 水田詩仙 (Shisen Mizuta) 歌唱:ダークダックス (Dark Ducks) 1964年 TV番組『みんなのうた (Minna no Uta : Everyone's Songs)』にて放映] だ、と。

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[キンダーおはなしえほん (Kinder Tales And Pictures Book) 第1集第9号 First Series Vol. 9 『セロひきのゴーシュ (Gauche The Cellist)』 [宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) : 原作 三越左千夫 (Sachio Mitsukoshi) : 文 鈴木寿雄 (Toshio Suzuki) 1967フレーベル館刊行]

その時の読後感までは流石に憶えてはいない。
ぼくの記憶にあるのは、ある楽団の練習風景、そして、セロ ( Cello) にあるF型の穴 (F-hole) から放り込まれる小ねずみ (A Child Of Wild Mouse) の姿である。
少なくとも、表紙にある様な光景、童謡『山の音楽家 (Ich bin ein musikante)』の再演の様な光景は、本文には登場しなかったと思う。

その絵本の原作者である宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) を知ったのは、小学校2年生 (Second Year Student Of Elementary School) の時である。その夏休みに親が買い与えた児童書『せかいのいじん』[筆者、出版社等不明] に掲載されていた。題名にある様に古今東西の偉人等の、主に少年少女時代を描いた選集 (Anthology) である。
彼の生涯はその冒頭を飾る。いや、そればかりか彼の少年時での失態がカラー口絵として掲載されてあり、本文には、教壇に立つ彼の肖像写真 (His Portrait photography At His Teaching Platform) が掲載されている。そこには勿論、彼の代表作である小説『風の又三郎 (Matasaburo Of The Wind)』 [1934年 『宮沢賢治全集 (The Collected Edition Of Kenji MIyazawa)』所収 文圃堂書店刊行] や、拙稿の主題たる童話『セロ弾きのゴーシュ (Gauche The Cellist)』 [1934年 『宮沢賢治全集 (The Collected Edition Of Kenji MIyazawa)』所収 文圃堂書店刊行] の作者である事は言及されてはいたが、主題は寧ろ別のところにあるのだ。農業改革、農業教育に奮闘する、文学者ではない彼の姿であって、それはそのまま彼の詩『雨ニモマケズ (Ame Ni Mo Makezu : Be Not Defeated By The Rain)』[1934岩手日報掲載] へと集約されている。本文挿絵にあるのは、豪雨の中、雨合羽 (Rain Coat) を着て奔走する彼の姿なのだ [その児童書が想定する読書層が、もしくは彼等のその後をどう想定していたのだろうか、そんな観点が自ずと知れる]。

ところで、ぢゃあ、宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) の作たる童話『セロ弾きのゴーシュ (Gauche The Cellist)』をぼくはいつ、体験したのだろうか。とんと、記憶がない。だけれども、彼が独り、自身の楽器たるセロ ( Cello) を修練する深夜に、幾匹かの動物達が訪れ、彼の演奏によって慰撫されていく、と謂う様な骨子 [それが多分に間違ったモノであっても] は、いつの間にか、知っていたのである。
そして、それはこの童話ばかりの事ではなく、彼の他の作品、小説『風の又三郎 (Matasaburo Of The Wind)』や童話『銀河鉄道の夜 (Night On The Galactic Railroad)』 [1934年 『宮沢賢治全集 (The Collected Edition Of Kenji MIyazawa)』所収 文圃堂書店刊行] でも同様の現象が生じているのである。序でに敢えて補足すれば、後者に関しては、その翻案マンガ『銀河鉄道の夜 (Night On The Galactic Railroad)』 [ますむらひろし (Hiroshi Masumura) 1983年刊行] やその映像化作品である映画『銀河鉄道の夜 (Night On The Galactic Railroad)』 [杉井ギサブロー (Gisaburo Sugii) 監督作品 1985年制作] によるのではない。それらの翻案作の登場以前に、その物語は、読んでもいない筈のくせに既にぼくにとっては、体験済みの物語と化していたのである。

だから、もしかしたら数ヶ月前に青空文庫 (Aozora Bunko) の蔵書のひとつとして"再読"したのが、実はぼくにとってのその童話の初体験だったのかもしれない。

読んで思うのは、主人公であるゴーシュ (Gauche) と謂う人物のつまらなさだ。性格が悪い事この上ない。力量が伴わないくせに尊大に振る舞っている ... と、書き綴っていけば、いくらでも悪態が飛び出してしまう。そしてその殆どは、嫌になるくらいにぼく自身にも該当しているから、うんざりだ。
だから、彼についてはこれ以上に触れない。彼と謂う人物、彼の人格に関しては擱筆する。唯一、ぼくが言及すべきは、冒頭に紹介した絵本に登場するゴーシュ (Gauche) とは全く異なる人物像である様な気がする、と謂う様な事だ。

変な話だなぁ、と思う。
そして、一体、どこが変なのか、その説明が難しい。
と、謂うより、変と謂う印象自体が正しいモノなのか、それすらも怪しいのだ。
そんな奇妙な感覚ばかりが、いつまでも印象に遺っているのだ。

ウィキペディア (Wikipedia) の本作に関するには要約すると、次の様な指摘がある。
ゴーシュ (Gauche) の、自身が勤める金星音楽団 (The Venus Orchestra) での練習中に楽長 (His conductor) が指摘する彼の欠点は3点ある。そして、その3点は夜毎、彼を訪う動物達との応対でいつのまにか克服されていく、と。そして、彼等によって克服されていく欠点は1夜、1匹ないし1羽によってその中の1点のみである。総てが1対1対応 (One-to-one Correspondence) なのだ。

だけれども、そこだけを認じて、解った様な素振りはするべきではないと思う。
少なくとも、小説『クリスマス・キャロル (A Christmas Carol)』 [チャールズ・ディケンズ (Charles Dickens) 作 1843年刊行] の様な、御都合主義 (Deus Ex Machina) ばかりの横行を許してはいけないと思う。

例えば、民話『猿蟹合戦 (The Crab And The Monkey)』に、登場する仇討ちを目論む (Crab) の助太刀に賛助したモノ達だ。 (Chestnut) に (Bee) に (Dung) に (Mill)。一見すると、彼等がなんの役に立つのか解らない。相手は、海千山千 (Crafty Old Fox) の (Macaque) なのだ。智慧もあれば力もある。
やたらと重そうな (Mill) や、一撃必殺の武器をもつ (Bee) はともかく、 (Chestnut) に何が出来ようか。況や、 (Dung) に於いてをや。
ところがこの民話の作者の掌にかかれば、あたかもそれぞれがジグソーパズル (Jigsaw Puzzle) の1片であるかの様に、絶対的に必要な位置に於いて、絶対的な威力を (Macaque) に対して発揮する [そういう観点から謂えば、 (Dung) は他のモノ達と比較して、相対的に、存在感が薄い。昨今、彼が登場しないヴァージョンがみられるのはそこに理由がある]。
だが、童話『セロ弾きのゴーシュ (Gauche The Cellist)』に登場する小動物達は決してその様な存在ではない、その様な役割を与えられてはいないと思う。また、そうあっては欲しくないとも思う。

何故ならば、小説『クリスマス・キャロル (A Christmas Carol)』や民話『猿蟹合戦 (The Crab And The Monkey)』のそれらに準ずる様にして、そんな理解をこの童話にしてしまうのは、アンコール (Encore) を求める観客等の前に送り出されたゴーシュ (Gauche) が、楽曲『印度の虎狩り (Tiger Hunt In India)』を演奏したのか、と謂う点に関して、思慮が足りないのではないか、と思えてしまうからだ。
素直に考えればここは、三毛猫 (Calico Cat) があの夜求めた様にピアノ曲『トロイメライ (Traumerei / Dreaming)』 [ロマチックシューマン (Robert "Romantik" Schumann) 1838作]を、もしくは、野ねずみのお母さん (A Mother Of Wild Mouse) があの夜求めた様に「何とかラプソディとかいうもの (LIke A Rhapsody Or Something)」を演奏する筈なのだ。観客が求めているモノこそを最期に改めて提供する、それがアンコール (Encore) と謂うモノだ。
ゴーシュ (Gauche) が楽曲『印度の虎狩り (Tiger Hunt In India)』をその夜、そこで披露出来たのは、ここ数夜の体験とそれによって自身が獲得したモノを一切、理解していないからだ。
彼があの夜の三毛猫 (Calico Cat) に抱いた感情と全く同じ感情を金星音楽団員 (Members Of The Venus Orchestra) や観客達に抱き、それへの発露を行ったのに過ぎない。
そして、それが何故、好評価を得たのかさえも理解していない。
物語の最文末で、ゴーシュ (Gauche) が三毛猫 (Calico Cat) に対し一言も言及していないのはその証左である。
それ故に、この物語の中で語られている経験が、彼に対して、総て有効であったとは謂えないだ。彼は気づいていない、そして、最も大事な事をみてはいない。
最文末での彼の独白は、それについて語らないが故に、その事について語っている様に、ぼくには思える。
つまり、結果論 [彼の欠点を動物達との交流によって改善された事自体、それ以前に彼等が彼を訪った事自体も、偶然の積み重ねでしかない] としてであり、決して、大団円 (Grand Finale) でも目出度目出度 (Happy Ever After) でもないのだ。

そして視点を変えれば、こうもまた謂える。

楽長 (His conductor) が指摘した彼の欠点は、リズム感の不足、不正確な調弦、感情の露出の不確からしさである。
だが、その3点は対等にあるのではない。また、1点の解決を待たなければ他点の解決が出来ないモノでもない。それぞれは独立した問題ではあり、しかも、演奏者やその教育者の視点でみれば、優先劣後が存在する上に、その判断基準は、個々人によって異なるであろう。
しかし、この童話に於いては、その順列は確かなモノとして位置付けられている様に思える。
作者、宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) の視点に立てば、最も重要なモノは最期の、感情の露出である筈なのだ。
だからこそ、三毛猫 (Calico Cat) との応酬とその結果としての怒りの発露が楽曲『印度の虎狩り (Tiger Hunt In India)』であったのと同様に、金星音楽団員 (Members Of The Venus Orchestra) と観客達への怒りの発露がその楽曲であり、だからこそ、彼の感情の、嘘偽りもない感情の爆発であるが故に、その対象たる観客達の感動を呼んだのである。[あらためてまた綴っておこう] 観客があらためて、最期に求めているモノを提供する、それがアンコール (Encore) である。彼はその夜、それが出来たのだ。
小説家であり詩人である宮沢賢治 (Kenji Miyazawa) が最も重きを置いたのがきっと、ここなのだ。芸術もしくは創作が必須とするのは、技術ではないところにある、もしくは技術を習得する以前に存在している、作品へ向かう動機なのだ。

次回は「」。

附記 1. :
あまり考えたくはないのだが、三毛猫 (Calico Cat) こそが実は楽長 (His conductor) の化身した姿だった、と時に思いたくもなる。ゴーシュ (Gauche) にあるべき感情の発露を教育するが為に、その動物へと変化して、敢えて憎まれ役を引き受けたのだ、と。
少なくとも、楽長 (His conductor) の主張を最も正しく理解し、その主張を具体的にゴーシュ (Gauche) に指摘しているのは、三毛猫 (Calico Cat) なのである。
[そんな発想に引き摺られてしまうと、他の小動物達も楽長 (His Cpnductor) = 三毛猫 (Calico Cat) の采配によって登場する、ゴーシュ (Gauche) の同僚達の化身であって ... と謂う様なとてもちっぽけな改悪作が成立してしまう]。

附記 2. :
ああかっこう (Common Cuckoo)。それに (Raccoon Dog)。今回はすまなかったなあ、ひとこともおまえたちについて綴らないで。おれは忘れたわけじゃなかったんだが。
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