2022.02.01.09.18
ミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) によるユニットである。1984年に始動する。
彼等それぞれが所属していたバンド、ジャパン (Japan) の解散 [1982年] から2年、バウハウス (Bauhaus) の解散 [1983年] から1年が経過していた。
当時、その一報を知ったぼくは吃驚した。
と、謂うのはこの2人を経絡させるモノが一切、みあたらなかったからだ。
ジャパン (Japan) はその当時こそ、ニュー・ロマンティック (New Romantic) の始祖の様な位置付けをされていたが、それはあくまでも後付けである。また、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) を始めとするワイ・エム・オーことイエロー・マジック・オーケストラ (YMO : Yellow Magic Orchestra) 派閥との交流はあったが、それがそのまま彼等自身の音楽性に反映されているとは思えない。
バウハウス (Bauhaus) は、現在でこそゴシック・ロック・バンド (Gothic Rock Band) の元祖たる評価を得てはいるが、それはあくまでも外見上の事だけである。その形容で紹介出来る彼等の音楽性は、彼等自身の一端でしかない。
敢えて謂えば、彼等双方に影響を受けたのは、後にヴィジュアル系 (Visual Kei) と呼ばれる、日本の一群、しかも黎明期のそれらでしかない [何故ならそれらは海外の動向とは無縁のところ、日本独自のモノとして展開していくからだ] 。それとも、志摩あつこ (Atsuko Shima) のマンガ『8ビートギャグ (Eight Beat Gag)』[音楽専科社 (Ongakusenkasha Co., Ltd.) 刊行雑誌に掲載] の常連キャラクターとして彼等によく似た人物達が登場していた事か。つまり、ある種独特の音楽への関わりを為していた少女達から彼等は熱い支持を受けていたのである。
それらを前提に考えれば、この2バンドはビッグ・イン・ジャパン (Big In Japan) の類型であると看做しても良い。
もしかしたら、本国よりも遥かにこの国での人気と評価が高かったのかもしれないのだ。
とは謂え、個性的なふたりによるこのユニットは、ぼくの興味を非常に駆り立てたのも、事実ではある。
そして、彼等の作品へと向かうのだ。

1984年に、彼等が結成したユニット、ダリズ・カー (Dalis Car) のデヴュー作『ウェイキング・アワー (The Waking Hour)』が発売された。
[上掲画像はその先行シングル『ザ・ジャッジメント・イズ・ザ・ミラー (The Judgement Is The Mirror)』 [1984年発表] に封入されていたポスターである。こちらから。]
期待が大きすぎていたのだろうか、すこしぼくはがっかりした。
その作品単体に向かえば、独特の世界観が呈示されているのにも関わらず、それに納得出来ないぼくがいる。極論を謂えば、その音楽に関わっている人物達がミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) でなければならない理由がそこにはない [視点を変えて謂えば、このふたりの名前と経歴にぼくは引き摺られていたのだろう、全くの新人の作品であったとしたら絶賛したかもしれない]。
何かが足りない。
では、その何かとはなんだ。
ジャパン (Japan) と謂うバンドは、[それは主にデヴィッド・シルヴィアン (David Sylvian) の内面にある世界観に導かれてのモノだが] 、自己と他己の相容れない関係、摩擦や軋轢を、その音楽の主題として来たバンドだ。それを表明するが為に、自身の美意識に没入もすれば、ヨーロッパ (Europe) 特有の個人主義 (Individualism) にも仮託する。
バウハウス (Bauhaus) と謂うバンドは、そのバンド名にある様に、20世紀初頭に顕れた様々な表現技法を自身の音楽性へと導入していく事によって独自の世界観を構築した。結果、その様な表現技法の根底にある欲求や主張をも主題とする。
と、大雑把に分類してみれば、ジャパン (Japan) とバウハウス (Bauhaus) は、最終的にはほぼ同一の主題を抱え込んではいるが、そこへと至る経路、もしくは出発点が真っ向から異なる地点にある。
ジャパン (Japan) が内から外へと向かうのだとしたら、バウハウス (Bauhaus) は外から内へと向かうのだ。
と、謂う様な事を踏まえると、ダリズ・カー (Dalis Car) には相い異なるベクトル (Vector) が内包されている事になり、その結果、衝突や波乱、もしくは摩擦や相克の様なモノがあって当然なのだ。そしてそれこそ彼等自身の音楽の発露へと繋がる筈なのである。
だが、実際の彼等の作品にはその様なモノが見出せない。
それが、当時のぼくの、不興の一端にあるのだと思う。
[不興の一端はもうひとつある。それは作品を飾るアートワークである。マックスフィールド・パリッシュ (Maxfield Parrishの絵画『夜明け (Daybreak』 [1922年発表] によったそのヴィジュアルは、彼等の構築する世界観を申し分なく視覚化せしめたモノではあるが、その絵画作品は先に、ムーディー・ブルース (The Moody Blues) が第11作『プレゼント - 新世界への道程 (The Present)』 [1983年発表] に起用しているのである。だからどうしても二番煎じ (Hand-me-down) の誹りを免れられないのだ。]
だが、少し冷静になって考えてみよう。
ジャパン (Japan) の解散と前後する様に、ミック・カーン (Mick Karn) は彼自身のソロ第1作『タイトルズ (Titles)』 [1982年発表] を発売する。その延長線上に、ダリズ・カー (Dalis Car) があるとは看做せないだろうか? ミック・カーン (Mick Karn) のソロ作では、自身の歌唱を披露していたが、そこに彼自身が得心出来ていないなにかがあったのではないだろうか。自身の音楽性の発露には、優れたヴォーカリストが必要である、と。つまり、ミック・カーン (Mick Karn) にとってはダリズ・カー (Dalis Car) は自身のソロ作そのものでもあるのだ。そしてそれを踏まえて聴けば、"ゲスト・ヴォーカリスト (Guest Vocalist)"としての任を、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) は充分に果たしているのである。
では、一方のピーター・マーフィー (Peter Murphy) はどうなのか。
バウハウス (Bauhaus) 解散以降、彼は具体的な行動を採ってはいない。彼等以外の3人 [ダニエル・アッシュ (Daniel Ash)、デヴィッド・ジェイ (David J)、ケヴィン・ハスキンス (Kevin Haskins)] が、独自の音楽性を模索しつつ幾つかの音楽作品を発表しているのにも関わらずに、である。何故か、と謂うと、バウハウス (Bauhaus) の~と謂う形容が彼に重くのしかかっていたからではないか。その音楽性を継承するにも否定するにも、自ずとそれと比較される。その重圧だ。彼がソロ活動に先進するのはダリズ・カー (Dalis Car) 以降、すなわちソロ第1作『シュッド・ザ・ワールド・フォール・アパート (Should The World Fail To Fall Apart)』 [1986年発表] の発表以降である。だから、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) の視点からみれば、ダリズ・カー (Dalis Car) は後のソロ活動の為の試金石 (Touchstone) ではなかったのではないだろうか。この作品に於いて、バウハウス (Bauhaus) ではないピーター・マーフィー (Peter Murphy)、その軛から逃れ得た彼の、今後の方向性を明示したのではないだろうか。
当時の彼の意識はどうあれ、現在のぼくからはその様なモノとして映るのだ。
その結果、ダリズ・カー (Dalis Car) は恒久的な活動へとは発展せず、ミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) は個々それぞれの活動へと重点を移行する。ミック・カーン (Mick Karn) はその独特のベース・プレイを評価されて当時のぼくには思いも寄らない様な人脈、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto)〜ワイ・エム・オーことイエロー・マジック・オーケストラ (YMO : Yellow Magic Orchestra) 派閥のさらに向こうに控えている人物達との交流へと発展する。
そして、先に綴った様に、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) はソロ・ヴォーカリストとしての経歴を重ねていくのである。
当時のダリズ・カー (Dalis Car) の評価を思えば、それ以降のふたりの動向は全くもって当然至極のモノではある。
だが。
と、ふと思う。
それは、バウハウス (Bauhaus) 遺りの3人 [ダニエル・アッシュ (Daniel Ash)、デヴィッド・ジェイ (David J)、ケヴィン・ハスキンス (Kevin Haskins)] が、再結集して結成したバンド、ラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) を観ての事なのである。
彼等が活動を開始したのは1985年、彼等の第1作『夢飛行 (Seventh Dream Of Teenage Heaven)』 [1985年発表] を発表しての事だ。
その音楽はかつてのバウハウス (Bauhaus) とは似ても似つかない、サイケデリック (Psychedelic) な浮遊感に満ちたレイドバック(Laid-back)、とでも名づけ得る世界だ。
だが、逆にそのサウンドが米国 (United States Of America) で評価される。そしてその結果として、その国でのバウハウス (Bauhaus) の再評価へと繋がる。ラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) の音楽性とその成功がなければ、バウハウス (Bauhaus) はカルト (Cult) のひとつとして認知されているのみだったのかもしれない。
と、謂う様な事を考えてしまうと、ダリズ・カー (Dalis Car) も永続的な活動を続けていけば果たして、と思わなくもないのだ。
とは謂え、それはあくまでも推測の域を出てはいない。
そして、ぼくは、ダリズ・カー (Dalis Car) とはミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) にとって一期一会 (Once-in-a-lifetime Meeting) の経歴そしてその結果としての作品だったのだろう、と思っていた。
だが、2010年に彼等は再結集し、作品制作を開始すると発表するのだ。
ちなみに、ミック・カーン (Mick Karn) はかつてのジャパン (Japan) のメンバー [デヴィッド・シルヴィアン (David Sylvian)、スティーヴ・ジャンセン (Steve Jansen)、リチャード・バルビエリ (Richard Barbieri)] と共に再結集し、レイン・トゥリー・クロウ (Rain Tree Crow) 名義で唯一の作品『レイン・トゥリー・クロウ (Rain Tree Crow)』 [1991年発表] を発表している。ピーター・マーフィー (Peter Murphy) はラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) の3人と共に、1998年にバウハウス (Bauhaus) 再結成に参画し、その10年後の2008年にバウハウス (Bauhaus) の新作、アルバム『暗闇のごとく現れ、白い陽炎のように去りゆく (Go Away White)』を発表している。
つまり、ミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) は2周目に入ったのだ、そう看做し得る行動ではある。
ただ残念な事に、その発表の年、ぼくたちはミック・カーン (Mick Karn) の訃報を聴く事になる。癌 (Cancer) だと謂う。
彼の死後発表されたミニ・アルバム『イングラッドアロウネス (Ingladaloneness)』 [2012年発表] 制作時には既に病魔に冒されていたのであろうか。彼自身既に、それを知っていたのであろうか。はたまた、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) を含めた関係者達にまで認知されていた事なのだろうか。
その作品の最終曲『行かないで (If You Go Away)』 [ジャック・ブレル (Jacques Brel) 作・歌唱の楽曲『行かないで (Ne me quitte pas)』[1959年発表] のカヴァー] が胸に響いて仕様がないのだ。彼等がこの曲に託したモノへと想いを馳せざるを得ないが為に。
だから、それを理由にして、ぼくはこの作品を聴きたくはない。
次回は「か」。
彼等それぞれが所属していたバンド、ジャパン (Japan) の解散 [1982年] から2年、バウハウス (Bauhaus) の解散 [1983年] から1年が経過していた。
当時、その一報を知ったぼくは吃驚した。
と、謂うのはこの2人を経絡させるモノが一切、みあたらなかったからだ。
ジャパン (Japan) はその当時こそ、ニュー・ロマンティック (New Romantic) の始祖の様な位置付けをされていたが、それはあくまでも後付けである。また、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) を始めとするワイ・エム・オーことイエロー・マジック・オーケストラ (YMO : Yellow Magic Orchestra) 派閥との交流はあったが、それがそのまま彼等自身の音楽性に反映されているとは思えない。
バウハウス (Bauhaus) は、現在でこそゴシック・ロック・バンド (Gothic Rock Band) の元祖たる評価を得てはいるが、それはあくまでも外見上の事だけである。その形容で紹介出来る彼等の音楽性は、彼等自身の一端でしかない。
敢えて謂えば、彼等双方に影響を受けたのは、後にヴィジュアル系 (Visual Kei) と呼ばれる、日本の一群、しかも黎明期のそれらでしかない [何故ならそれらは海外の動向とは無縁のところ、日本独自のモノとして展開していくからだ] 。それとも、志摩あつこ (Atsuko Shima) のマンガ『8ビートギャグ (Eight Beat Gag)』[音楽専科社 (Ongakusenkasha Co., Ltd.) 刊行雑誌に掲載] の常連キャラクターとして彼等によく似た人物達が登場していた事か。つまり、ある種独特の音楽への関わりを為していた少女達から彼等は熱い支持を受けていたのである。
それらを前提に考えれば、この2バンドはビッグ・イン・ジャパン (Big In Japan) の類型であると看做しても良い。
もしかしたら、本国よりも遥かにこの国での人気と評価が高かったのかもしれないのだ。
とは謂え、個性的なふたりによるこのユニットは、ぼくの興味を非常に駆り立てたのも、事実ではある。
そして、彼等の作品へと向かうのだ。

1984年に、彼等が結成したユニット、ダリズ・カー (Dalis Car) のデヴュー作『ウェイキング・アワー (The Waking Hour)』が発売された。
[上掲画像はその先行シングル『ザ・ジャッジメント・イズ・ザ・ミラー (The Judgement Is The Mirror)』 [1984年発表] に封入されていたポスターである。こちらから。]
期待が大きすぎていたのだろうか、すこしぼくはがっかりした。
その作品単体に向かえば、独特の世界観が呈示されているのにも関わらず、それに納得出来ないぼくがいる。極論を謂えば、その音楽に関わっている人物達がミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) でなければならない理由がそこにはない [視点を変えて謂えば、このふたりの名前と経歴にぼくは引き摺られていたのだろう、全くの新人の作品であったとしたら絶賛したかもしれない]。
何かが足りない。
では、その何かとはなんだ。
ジャパン (Japan) と謂うバンドは、[それは主にデヴィッド・シルヴィアン (David Sylvian) の内面にある世界観に導かれてのモノだが] 、自己と他己の相容れない関係、摩擦や軋轢を、その音楽の主題として来たバンドだ。それを表明するが為に、自身の美意識に没入もすれば、ヨーロッパ (Europe) 特有の個人主義 (Individualism) にも仮託する。
バウハウス (Bauhaus) と謂うバンドは、そのバンド名にある様に、20世紀初頭に顕れた様々な表現技法を自身の音楽性へと導入していく事によって独自の世界観を構築した。結果、その様な表現技法の根底にある欲求や主張をも主題とする。
と、大雑把に分類してみれば、ジャパン (Japan) とバウハウス (Bauhaus) は、最終的にはほぼ同一の主題を抱え込んではいるが、そこへと至る経路、もしくは出発点が真っ向から異なる地点にある。
ジャパン (Japan) が内から外へと向かうのだとしたら、バウハウス (Bauhaus) は外から内へと向かうのだ。
と、謂う様な事を踏まえると、ダリズ・カー (Dalis Car) には相い異なるベクトル (Vector) が内包されている事になり、その結果、衝突や波乱、もしくは摩擦や相克の様なモノがあって当然なのだ。そしてそれこそ彼等自身の音楽の発露へと繋がる筈なのである。
だが、実際の彼等の作品にはその様なモノが見出せない。
それが、当時のぼくの、不興の一端にあるのだと思う。
[不興の一端はもうひとつある。それは作品を飾るアートワークである。マックスフィールド・パリッシュ (Maxfield Parrishの絵画『夜明け (Daybreak』 [1922年発表] によったそのヴィジュアルは、彼等の構築する世界観を申し分なく視覚化せしめたモノではあるが、その絵画作品は先に、ムーディー・ブルース (The Moody Blues) が第11作『プレゼント - 新世界への道程 (The Present)』 [1983年発表] に起用しているのである。だからどうしても二番煎じ (Hand-me-down) の誹りを免れられないのだ。]
だが、少し冷静になって考えてみよう。
ジャパン (Japan) の解散と前後する様に、ミック・カーン (Mick Karn) は彼自身のソロ第1作『タイトルズ (Titles)』 [1982年発表] を発売する。その延長線上に、ダリズ・カー (Dalis Car) があるとは看做せないだろうか? ミック・カーン (Mick Karn) のソロ作では、自身の歌唱を披露していたが、そこに彼自身が得心出来ていないなにかがあったのではないだろうか。自身の音楽性の発露には、優れたヴォーカリストが必要である、と。つまり、ミック・カーン (Mick Karn) にとってはダリズ・カー (Dalis Car) は自身のソロ作そのものでもあるのだ。そしてそれを踏まえて聴けば、"ゲスト・ヴォーカリスト (Guest Vocalist)"としての任を、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) は充分に果たしているのである。
では、一方のピーター・マーフィー (Peter Murphy) はどうなのか。
バウハウス (Bauhaus) 解散以降、彼は具体的な行動を採ってはいない。彼等以外の3人 [ダニエル・アッシュ (Daniel Ash)、デヴィッド・ジェイ (David J)、ケヴィン・ハスキンス (Kevin Haskins)] が、独自の音楽性を模索しつつ幾つかの音楽作品を発表しているのにも関わらずに、である。何故か、と謂うと、バウハウス (Bauhaus) の~と謂う形容が彼に重くのしかかっていたからではないか。その音楽性を継承するにも否定するにも、自ずとそれと比較される。その重圧だ。彼がソロ活動に先進するのはダリズ・カー (Dalis Car) 以降、すなわちソロ第1作『シュッド・ザ・ワールド・フォール・アパート (Should The World Fail To Fall Apart)』 [1986年発表] の発表以降である。だから、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) の視点からみれば、ダリズ・カー (Dalis Car) は後のソロ活動の為の試金石 (Touchstone) ではなかったのではないだろうか。この作品に於いて、バウハウス (Bauhaus) ではないピーター・マーフィー (Peter Murphy)、その軛から逃れ得た彼の、今後の方向性を明示したのではないだろうか。
当時の彼の意識はどうあれ、現在のぼくからはその様なモノとして映るのだ。
その結果、ダリズ・カー (Dalis Car) は恒久的な活動へとは発展せず、ミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) は個々それぞれの活動へと重点を移行する。ミック・カーン (Mick Karn) はその独特のベース・プレイを評価されて当時のぼくには思いも寄らない様な人脈、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto)〜ワイ・エム・オーことイエロー・マジック・オーケストラ (YMO : Yellow Magic Orchestra) 派閥のさらに向こうに控えている人物達との交流へと発展する。
そして、先に綴った様に、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) はソロ・ヴォーカリストとしての経歴を重ねていくのである。
当時のダリズ・カー (Dalis Car) の評価を思えば、それ以降のふたりの動向は全くもって当然至極のモノではある。
だが。
と、ふと思う。
それは、バウハウス (Bauhaus) 遺りの3人 [ダニエル・アッシュ (Daniel Ash)、デヴィッド・ジェイ (David J)、ケヴィン・ハスキンス (Kevin Haskins)] が、再結集して結成したバンド、ラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) を観ての事なのである。
彼等が活動を開始したのは1985年、彼等の第1作『夢飛行 (Seventh Dream Of Teenage Heaven)』 [1985年発表] を発表しての事だ。
その音楽はかつてのバウハウス (Bauhaus) とは似ても似つかない、サイケデリック (Psychedelic) な浮遊感に満ちたレイドバック(Laid-back)、とでも名づけ得る世界だ。
だが、逆にそのサウンドが米国 (United States Of America) で評価される。そしてその結果として、その国でのバウハウス (Bauhaus) の再評価へと繋がる。ラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) の音楽性とその成功がなければ、バウハウス (Bauhaus) はカルト (Cult) のひとつとして認知されているのみだったのかもしれない。
と、謂う様な事を考えてしまうと、ダリズ・カー (Dalis Car) も永続的な活動を続けていけば果たして、と思わなくもないのだ。
とは謂え、それはあくまでも推測の域を出てはいない。
そして、ぼくは、ダリズ・カー (Dalis Car) とはミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) にとって一期一会 (Once-in-a-lifetime Meeting) の経歴そしてその結果としての作品だったのだろう、と思っていた。
だが、2010年に彼等は再結集し、作品制作を開始すると発表するのだ。
ちなみに、ミック・カーン (Mick Karn) はかつてのジャパン (Japan) のメンバー [デヴィッド・シルヴィアン (David Sylvian)、スティーヴ・ジャンセン (Steve Jansen)、リチャード・バルビエリ (Richard Barbieri)] と共に再結集し、レイン・トゥリー・クロウ (Rain Tree Crow) 名義で唯一の作品『レイン・トゥリー・クロウ (Rain Tree Crow)』 [1991年発表] を発表している。ピーター・マーフィー (Peter Murphy) はラブ・アンド・ロケッツ (Love And Rockets) の3人と共に、1998年にバウハウス (Bauhaus) 再結成に参画し、その10年後の2008年にバウハウス (Bauhaus) の新作、アルバム『暗闇のごとく現れ、白い陽炎のように去りゆく (Go Away White)』を発表している。
つまり、ミック・カーン (Mick Karn) とピーター・マーフィー (Peter Murphy) は2周目に入ったのだ、そう看做し得る行動ではある。
ただ残念な事に、その発表の年、ぼくたちはミック・カーン (Mick Karn) の訃報を聴く事になる。癌 (Cancer) だと謂う。
彼の死後発表されたミニ・アルバム『イングラッドアロウネス (Ingladaloneness)』 [2012年発表] 制作時には既に病魔に冒されていたのであろうか。彼自身既に、それを知っていたのであろうか。はたまた、ピーター・マーフィー (Peter Murphy) を含めた関係者達にまで認知されていた事なのだろうか。
その作品の最終曲『行かないで (If You Go Away)』 [ジャック・ブレル (Jacques Brel) 作・歌唱の楽曲『行かないで (Ne me quitte pas)』[1959年発表] のカヴァー] が胸に響いて仕様がないのだ。彼等がこの曲に託したモノへと想いを馳せざるを得ないが為に。
だから、それを理由にして、ぼくはこの作品を聴きたくはない。
次回は「か」。
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