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2021.12.07.09.21

くうそうてきしゃかいしゅぎ

「『だって――それじゃ、オーエンだわ』
 伸子が、おどろいた眼で黒川を見つめた。
「そう云われるだろうと実は、はじめっから思っていたんです。失礼ながら、あなたがたは、ボルシェビキの理論しか御存じないから……』」

上に引用したのは、小説『道標 (Dophyo : Landmark)』 [宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 作 19471950年 雑誌『展望』連載] からである。
モスクワ (Moscow) 遊学中の主人公、佐々伸子 (Nobuko Ssasa) が渡仏した家族と合流する為に、彼等の到着港であるマルセイユ (Marseille) に向かう途上、ウィーン (Wien) での出来事である。抜粋したのは、そこで知り合った黒川隆三 (Ryuzo Kurokawa) と主人公との会話なのだ。

佐々伸子 (Nobuko Sassa) の発言にある「オーエン」とは、文脈から判断するにロバート・オウエン (Robert Owen) の事であるらしい。
彼の名前をそこに認めたぼくは吃驚してしまった。

ロバート・オウエン (Robert Owen) [1771年生 1858年没] は、アンリ・ド・サン=シモン (Claude-Henri de Rouvroy de Saint-Simon) [1760年生 1825年没] やシャルル・フーリエ (Charles Fourier) [1772年生 1837年没] と並んで、空想的社会主義 (Utopian Socialism) を提唱した人物だ。高校 (High School) での授業、倫理社会 (Ethics And Sociology) や政治経済 (Political Science And Economics) の中に登場したと思う。カール・マルクス (Karl Heinrich Marx) とフリードリヒ・エンゲルス (Friedrich Engels) とが提唱する思想、経済体制、政治体制の前駆的思想をもった人物達、そのひとりである。と、謂うよりもカール・マルクス (Karl Heinrich Marx) とフリードリヒ・エンゲルス (Friedrich Engels) とが自身の出張をより明確化する為に、自身のよってたつモノを科学的社会主義 (Scientific Socialism) と命名し、彼等と彼等の主張を空想的社会主義者 (Utopian Socialist) 並びに空想的社会主義 (Utopian Socialism) として差別化、排除したのである。後者の著書『空想から科学へ (Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft)』 [フリードリヒ・エンゲルス (Friedrich Engels) 著 1880年刊行]、その題名にある語句が端的にそれを意図している。

ぼくが吃驚したのは、そんな主張が、その小説の時代設定の中で、主人公の否定的な見解と共に登場したところにある。

小説『道標 (Dophyo : Landmark)』は作者の自伝的作品であって、彼女の1927年から1930年の3年間、モスクワ (Moscow) 滞在を基に作品化されている。否、仮令、作者自身の体験を基としたモノでなくとも、その作品の舞台は、ソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) [19221991年存在] の新経済政策 (Novaya Ekonomicheskaya Politika) [1921年施行] から第一次五カ年計画 (The First Five Year Plan) [19281932年] へと謂う経済政策の変化する時期である事は小説を読めば自明の事である。
そして、そんな時代にあたかも前世紀の遺物であるかの様な面持ちをした主張が登場しているのである [上に名を連ねた空想的社会主義者 (Utopian Socialist) の生没年を眺めて貰えば、ぼくの認識を理解してくれるであろう]。

高校 (High School) の倫理社会 (Ethics And Sociology) や政治経済 (Political Science And Economics) の授業で紹介された彼等の主張は、高校生 (High School Student) だったぼくにもその欠陥がみえてしまう様なモノだ。何故ならば、彼等の主張はあまりに性善説 (Inherent Goodness) に根ざし過ぎている。理想主義 (Idealism) と謂えば聴こえは良いが、それに根ざしたモノだけでは、世の中と謂うモノは決して動かないだろう。否、たとえ動いたとしてもやがてはいずこからか綻び、破綻するのに違いない。人間の中にあるごく一面しかみていない、その結果が如実に判明する様にぼくには思えたのだ。
そして、それが原因や否やを具体的に指摘する事は出来ないモノの、彼等の主張とそれに基づく行動は全て失敗してしまっているのだ。

にも関わらずに、小説『道標 (Dophyo : Landmark)』の中では、否定されるが為とは謂え、ある人物の主義主張として、提唱されているのである。
ぼくがその小説のその件を読んで、吃驚したのは、奈辺に理由がある。

そして、その感情が落ち着きを取り戻すと、ふと思い出したのは、小説『大菩薩峠 (Daibosatsu Toge)』 [中里介山 (Nakazato Kaizan) 作 19131941都新聞等連載] である。その長い物語、しかも未完の小説の最終部 [その小説が作者自身が主宰した雑誌『隣人之友 (Friends And Neighbors)』 [19331934年連載]に掲載されていた期間、1933年に発表された箇所である] に於いて、空想的社会主義 (Utopian Socialism) と思われる施策が登場する。しかもひとつではない。同時季に異なる環境、異なる条件に於いて、ふたりの登場人物、お銀様 (Ogin-sama) と駒井能登守甚三郎 (Jinzaburo "Notonokami" Komai) それぞれによって個別に着手される。尤も、前者はいつの間にやら当人自身によって放棄され、後者はいつのまにやら未だみぬ新天地を目指す渡航へと変更されてしまっているのではあるが [そして小説はそこで作者の死去を以って中断されてしまう]。
猶、小説の舞台は幕末 (Bakumatsu : End Of The Bakufu)、1858年から1867年の間であり、この時季をそのまま併行させると、ヨーロッパ (Europa) に於いて空想的社会主義 (Utopian Socialism) が大手をふって主張された時代の直後に該当する [ここでも空想的社会主義者 (Utopian Socialist) 3名の生没年を参照する事]。だから、作者自身としては、ヨーロッパ (Europa) に顕れた新たなる主張が、ここ幕末 (Bakumatsu : End Of The Bakufu) の日本 (Japan) に於いても登場しても不思議ではないだろう、と謂う見解がそこにはあるのかもしれない。
だが、果たしてそれに過ぎないモノなのだろうか、と謂う疑念はぼくにはある。

小説『道標 (Dophyo : Landmark)』の作者である宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) がモスクワ (Moscow) に渡航したのは、先にも綴った様に1927年である。勿論、その小説の主人公、佐々伸子 (Nobuko Sassa) のモスクワ (Moscow) 滞在もその年に始まっている。
そして、それより約10年も前、1918年に、日本 (Japan) ではふたつの試みが開始されている。
ひとつは武者小路実篤 (Saneatsu Mushanokoji) による新しき村 (Atarashiki-mura) の開村である。
ひとつは渋沢栄一 (Eiichi Shibusawa)による田園都市株式会社 (Denen Toshi Co., Ltd.) の設立である。現在の田園調布 (Den-en-chofu) に該する地域の開発を主目的とした組織である。
このふたつの試みはそれぞれ異なる主張や思想に根付いて現実化されたモノであって、決して同一の観点から語る事は出来ない様ではある。少なくとも後者にあっては、その思想は1898年の、エベネザー・ハワード (Ebenezer Howard) 提唱の田園都市 (Garden City) に基づくモノだ。
それに類するモノは前者には見出し難い。敢えて謂えば、武者小路実篤 (Saneatsu Mushanokoji) の所属している文学的派閥である白樺派 (Shirakabaha : White Birch Society") の、その思想の実践となるのではあろうか?
だけれども、そのふたつの試みのいずれも、選ばれし者等が自身を投企して開発されるべき理想の共同体としてみるのならば、このふたつは同根である。
ぼくには、そこに空想的社会主義 (Utopian Socialism) と同種のモノが潜んでいる様に思える。

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東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通 (Asia’s First Subway Begins Operation Between Ueno And Asakusa)』 [杉浦非水 (Hisui Sugiura) 画1927年制作 愛媛県美術館 (The Museum Of Art, Ehime) 所蔵]

上掲作は、表題に顕れている様に、 [佐々伸子 (Nobuko Sassa) こと宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) がモスクワ (Moscow) に向ったその年] 1927年の [現在で謂う] 東京メトロ銀座線 (Tokyo Metro Ginza Line) の開通を受けて、その広告作品である。大正デモクラシー (Taisho Democracy) と謂う語句を半ば象徴する視覚作品として紹介される事がある。
そこにある地下鉄開通と謂う事件と、そこにある風俗、そしてそれを描いた作風や表現技法、それらのどの観点からも大正デモクラシー (Taisho Democracy) と謂う表徴を解読する事が出来る作品であるからである。
そして、ぼくには拙稿で取り上げたふたつの小説を読む事によって、その大正デモクラシー (Taisho Democracy) が夢み孕みたモノのひとつが空想的社会主義 (Utopian Socialism) の現実化もしくはその追求である様な気がしてくる。

だからこそ、そんな大正デモクラシー (Taisho Democracy) の風潮それ自体を佐々伸子 (Nobuko Sassa) こと宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) は「だって――それじゃ、オーエンだわ」と難じようとしているのではないだろうか。小説内での彼女のその発言は、そこでの対話の相手である黒川隆三 (Ryuzo Kurokawa) のみに限ってはいないのだ。

次回は「ぎ」。

附記 1. :
田園都市株式会社 (Denen Toshi Co., Ltd.) の理想が瓦解、否、換骨奪胎されて全く異なるモノへと変貌していくその様は、評論『土地の神話 (Tochi No Shinwa : The Mythology Of landed Estste)』 [猪瀬直樹 (Naoki Inose) 著 1988年刊行] に詳しい。

附記 2. :
小説『道標 (Dophyo : Landmark)』で「オーエン」すなわち空想的社会主義者 (Utopian Socialist) 並びに空想的社会主義 (Utopian Socialism) が、主人公による黒川隆三 (Ryuzo Kurokawa) への言下の発言でもって否定されるのは、恐らく以下に綴る様な論理思考が働いていると看做す事も可能だろう。
主人公は、カール・マルクス (Karl Heinrich Marx) とフリードリヒ・エンゲルス (Friedrich Engels) とが提唱する科学的社会主義 (Scientific Socialism) が、ソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) と謂う新しい国家によって現実化されている姿を目の当たりにしている。そしてそれをそのまま鵜呑みにして、その主張とそれに基づく国家の在り方を肯定してしまっている。だから、そうではない主張やそうではない国家体制が極めて旧く、そして否定されるに相応しい存在であると信じている。それ故に、一見すると理想的とも進歩的とも思われるロバート・オウエン (Robert Owen) の主張 [そしてそれは恐らく彼女が渡航する前の、日本 (Japan) の知識階級 (Intjelligjencija) の一般的な認識なのであろう] を否定せざるを得ない。寧ろ、貶めたい。それによって、彼等の主張よりも自身が一歩前進した事の証左となり得る。そしてそれをなし得た理由は自身のモスクワ (Moscow) 滞在、実体験に根ざしたモノであると謂わんが為なのであろう [逆に謂えば、知識階級 (Intjelligjencija) の認識には実態的かつ具体的な裏付けがないと解してもいるのであろう]。
上に「小説『道標 (Dophyo : Landmark)』の中では、否定されるが為とは謂え、ある人物の主義主張として、提唱されている」と綴ったのはそんな事をぼくが考えているからである。猶、この前段落の主語は佐々伸子 (Nobuko Sassa) ではあるが、そっくりそのまま作者、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) に差し替えてもらっても何ら抵触するモノではない。
と、謂うのは、黒川隆三 (Ryuzo Kurokawa) の視点から佐々伸子 (Nobuko Sassa) こと宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) の見解の狭窄さを指摘しておきながら、その観点がこの後に問題視される事も、新たなる展開を呼ぶ事がないからである。彼女はそれを認識しておきながら少なくともその小説内に於いての、その解決を看過してしまっているのだ。
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