2021.11.23.08.06
民謡『五木の子守唄 (Itsuki Lullaby)』 [作者不詳 (Anonymous)]、その歌い出しである。
小学校の音楽の授業 (Music Class In Primary School) で学習したと謂う記憶はある。だが、それ以前にこの子守唄 (Lullaby) は既知であった様に思う。だが、それがいつの事なのかは、一向に記憶がない。
その子守唄 (Lullaby) は例えば、次の様な叙景のなかで登場する。
思わぬ醜悪な姿、そして異様な巨躯へと改造されたある労働者が、彼の自宅へと帰還する。
そこでは失踪 (Vanished) した彼の安否を気遣う母子がいる。夜ももう遅い。若い母親は心配で寝つけぬ息子を安眠させようと子守唄 (Lullaby) を唄う。
♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと (I Will Stay Here Until Bon Comes)♪
その光景を見守っていた怪物 [第三者の眼にはそうとしか映らない] は嗚咽し始める。

マンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』 [原作:うしおそうじ (Soji Ushio) 作画:一峰大二 (Daiji Kazumine) 1971〜1972年 冒険王連載 後にマンガ『スペクトルマン (Spectreman)』と改題されたが初版単行本出版時まではその題名で流通していた 上掲画像はこちらから]、その第3話『ゴミ怪獣 ダストマン (Dustman, The Rubbish Monster)』での逸話である。
上述の怪物こそ、その物語の主人公、ダストマン (Dustman) である。彼は塵芥や廃棄物のみを主食とする怪獣 (Kaiju) であり、それらを喰す事によってのみ、自己の生存を確保出来る。彼は本来は一介の労働者であり、地球支配を目論む宇宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori) の掌によって、生体改造されて誕生した。しかも、彼は人間としての記憶もあれば、人間としての自覚もある。だから、彼に相対するスペクトルマン (Spectreman) は人間でもあるダストマン (Dustman) の打倒に苦慮せざるを得ない。宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori) の今回の企みの主軸はそこにこそあるのだ。
以上の様な物語の外郭とは違う視点で疑問に思うべき点がある。
上述の叙景に関して謂えば、何故、そこにその子守唄 (Lullaby) が登場したのだろうか、と謂う点である。
他の民謡、他の子守唄 (Lullaby) では成立し得ない逸話なのだろうか、と謂う疑問だ。
単純に、本作の2人の作者のいずれかの出身地が、その子守唄 (Lullaby) の発祥の地であろうと思ったが、原作者と作画家の故郷はそこ、熊本県球磨郡五木村 (Itsuki, Kumamoto) ではない。
と、なると、なんらかの創作上の作為、その逸話に於いてある役割を与えられた装置であろう、と考える事が出来る。
この子守唄 (Lullaby) の代わりに別の子守唄 (Lullaby) をその場面で歌わしてみる。なんでも良い。例えば、同じ子守唄 (Lullaby) でも歌曲『ねむれよい子よ庭や牧場に (Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein) [伝ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Attribute To Wolfgang Amadeus Mozart)] ではどうか。
だが、そうすると途端にその逸話の背景と齟齬を生じてくるのだ。
短絡な表現をすれば、その母親には、そんな子守唄 (Lullaby) は似合わないだろう、と謂う思いである。
なんとなくだが、彼女の出自や境遇を表出する為の機能をその子守唄 (Lullaby) が担っている様に感じるのである。
つまり、その子守唄 (Lullaby) の発祥の地、もしくはその近郊が彼女の出身地ではないだろうかと謂う推察が生じてくるのである。
しかも、その唄を聴いた怪獣 (Kaiju)、すなわち彼女の夫がその歌唱から感情を揺さぶられているのだ。それを考慮すれば、もしかしたらこの夫婦は同郷者であり、幼馴染夫婦もしくはそれぞれの上京後に知り合い、同郷のよしみで恋におち結婚した様にも思える。
そして、そんなふたりの関係性を考えれば、金の卵 (Golden Egg) と謂う語句、集団就職 (Mass Employment In Postwar) と謂う語句が脳裏に澱む。そんな彼等が出逢うべくして出逢い、一人息子をもうけ、昨日まではささやかな家庭生活を築いていたのだろう、と思う。
そんな寄る辺ない彼等の生活が、この子守唄 (Lullaby) から想い描けてしまうのである。
と、同時に、この子守唄 (Lullaby) の歌詞を眺めると、ここまでとはまた違う光景もみえてくる。
♪盆が早よくりゃ早よもどる (The Sooner Bon Comes, The Sooner He Can Go Home.)♪
ここは失踪 (Vanished) したその後の展望と解釈し得る。お盆が来る頃には戻って来るだろう、だが、それ以前に帰還する気遣いはないのだから、今、ここで嘆いていても何にもならない。そんな諦念を含めた慰謝を歌詞のこの部分に委託しているのだ。
そして、その作品には登場しない2番の歌詞にはこうもあるのだ。
♪あん人たちゃよか衆 (They Are Rich People.)♪
ここでは自身の経済状況への言及と解釈し得る。この部分を翻訳すれば"彼等は裕福である"と謂う意味であり、すなわち、自身の窮乏を暗に述べているのである。
つまり、その子守唄 (Lullaby) の作者等、もしくは歌唱してきた数多くの人物達とその母自身は同じ境遇にあると、主張しているのである。
マンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』は、当時勃興しつつあった高度経済成長 (Japanese Economic Miracle) の幾つもの歪み、その中のひとつである公害問題 (Environmental Disaster) を題材とした作品である。公害 (Environmental Disaster) と謂う人災を、外惑星からの侵略者が放つ怪獣 (Kaiju) と謂うメタファー (Metaphor) としたのだ。
ダストマン (Dustman) もそのひとつである。塵芥や廃棄物を喰すと謂う彼の特徴を、塵芥や廃棄物の処理に利用出来ると楽観視は出来ない。何故ならば、彼は喰せば喰すだけ、巨大になるのだ。それは、塵芥や廃棄物が更なる塵芥や廃棄物を生成するのと同じである [娯楽作品だからそこに一切の描写や疑義は生じていないが、ダストマン (Dustman) の身体からの排出物、それはなにかを考えてみたまえ]。
だが、彼の登場するこの物語にはもうひとつの歪みが描かれている様な気がする。つまり、高度経済成長 (Japanese Economic Miracle) を支える労働者達、そしてその家族はどの様な状況にあるのか、と謂う事を。
世帯主による僅かな給与で日々の生活を凌ぐ家庭から、ある日、その稼ぎ手が失踪 (Vanished) してしまう。当時、各局のワイドショー (Tabloid Show) では定期的に失踪者 (Vanished) を巡る特集が組まれていたと思う。それ故に、彼がダストマン (Dustman) に改造されたから、と謂う理由以外にもそうなってしまう原因、もしくはそうしてしまう原因は幾らでも想像が及ぶのだ。そして、その原因が、失踪者 (Vanished) 自身、もしくは彼と同居する家族以外にある場合がない訳ではない。そんな事を考えれば、この子守唄 (Lullaby) が登場するその逸話は、そんな叙景をも描こうとしていたのではないだろうか。つまり、ダストマン (Dustman) の登場する回の主題は、塵芥廃棄物問題とは別にもうひとつの公害問題 (Environmental Disaster) がひっそりと描かれているのである。
その逸話では、窓の外から聴こえる不気味な咆哮の存在に気づいた母子は、そこに醜悪な怪物が佇んでいるのを認める。そして怪物は涙ながらに己の身をあかすのだ。
次回は「り」。
附記:
本文で述べたマンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』は、特撮TV番組『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』 [1971~1972年 フジテレビ系列放映 題名が後に『スペクトルマン』へと改題されたのは同様である。] のマンガ化作品である。そのTV番組には前後編にわたってダストマン (Dustman) は登場する [第5話『恐怖の公害人間!! (Terror Of The Pollution People)』及び第6話『美くしい地球のために!! (Save The Beautiful Earth)』] が、そこにマンガ版同様に民謡『五木の子守唄 (Itsuki Lullaby)』が登場するや否やは、未確認である。
小学校の音楽の授業 (Music Class In Primary School) で学習したと謂う記憶はある。だが、それ以前にこの子守唄 (Lullaby) は既知であった様に思う。だが、それがいつの事なのかは、一向に記憶がない。
その子守唄 (Lullaby) は例えば、次の様な叙景のなかで登場する。
思わぬ醜悪な姿、そして異様な巨躯へと改造されたある労働者が、彼の自宅へと帰還する。
そこでは失踪 (Vanished) した彼の安否を気遣う母子がいる。夜ももう遅い。若い母親は心配で寝つけぬ息子を安眠させようと子守唄 (Lullaby) を唄う。
♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと (I Will Stay Here Until Bon Comes)♪
その光景を見守っていた怪物 [第三者の眼にはそうとしか映らない] は嗚咽し始める。

マンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』 [原作:うしおそうじ (Soji Ushio) 作画:一峰大二 (Daiji Kazumine) 1971〜1972年 冒険王連載 後にマンガ『スペクトルマン (Spectreman)』と改題されたが初版単行本出版時まではその題名で流通していた 上掲画像はこちらから]、その第3話『ゴミ怪獣 ダストマン (Dustman, The Rubbish Monster)』での逸話である。
上述の怪物こそ、その物語の主人公、ダストマン (Dustman) である。彼は塵芥や廃棄物のみを主食とする怪獣 (Kaiju) であり、それらを喰す事によってのみ、自己の生存を確保出来る。彼は本来は一介の労働者であり、地球支配を目論む宇宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori) の掌によって、生体改造されて誕生した。しかも、彼は人間としての記憶もあれば、人間としての自覚もある。だから、彼に相対するスペクトルマン (Spectreman) は人間でもあるダストマン (Dustman) の打倒に苦慮せざるを得ない。宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori) の今回の企みの主軸はそこにこそあるのだ。
以上の様な物語の外郭とは違う視点で疑問に思うべき点がある。
上述の叙景に関して謂えば、何故、そこにその子守唄 (Lullaby) が登場したのだろうか、と謂う点である。
他の民謡、他の子守唄 (Lullaby) では成立し得ない逸話なのだろうか、と謂う疑問だ。
単純に、本作の2人の作者のいずれかの出身地が、その子守唄 (Lullaby) の発祥の地であろうと思ったが、原作者と作画家の故郷はそこ、熊本県球磨郡五木村 (Itsuki, Kumamoto) ではない。
と、なると、なんらかの創作上の作為、その逸話に於いてある役割を与えられた装置であろう、と考える事が出来る。
この子守唄 (Lullaby) の代わりに別の子守唄 (Lullaby) をその場面で歌わしてみる。なんでも良い。例えば、同じ子守唄 (Lullaby) でも歌曲『ねむれよい子よ庭や牧場に (Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein) [伝ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Attribute To Wolfgang Amadeus Mozart)] ではどうか。
だが、そうすると途端にその逸話の背景と齟齬を生じてくるのだ。
短絡な表現をすれば、その母親には、そんな子守唄 (Lullaby) は似合わないだろう、と謂う思いである。
なんとなくだが、彼女の出自や境遇を表出する為の機能をその子守唄 (Lullaby) が担っている様に感じるのである。
つまり、その子守唄 (Lullaby) の発祥の地、もしくはその近郊が彼女の出身地ではないだろうかと謂う推察が生じてくるのである。
しかも、その唄を聴いた怪獣 (Kaiju)、すなわち彼女の夫がその歌唱から感情を揺さぶられているのだ。それを考慮すれば、もしかしたらこの夫婦は同郷者であり、幼馴染夫婦もしくはそれぞれの上京後に知り合い、同郷のよしみで恋におち結婚した様にも思える。
そして、そんなふたりの関係性を考えれば、金の卵 (Golden Egg) と謂う語句、集団就職 (Mass Employment In Postwar) と謂う語句が脳裏に澱む。そんな彼等が出逢うべくして出逢い、一人息子をもうけ、昨日まではささやかな家庭生活を築いていたのだろう、と思う。
そんな寄る辺ない彼等の生活が、この子守唄 (Lullaby) から想い描けてしまうのである。
と、同時に、この子守唄 (Lullaby) の歌詞を眺めると、ここまでとはまた違う光景もみえてくる。
♪盆が早よくりゃ早よもどる (The Sooner Bon Comes, The Sooner He Can Go Home.)♪
ここは失踪 (Vanished) したその後の展望と解釈し得る。お盆が来る頃には戻って来るだろう、だが、それ以前に帰還する気遣いはないのだから、今、ここで嘆いていても何にもならない。そんな諦念を含めた慰謝を歌詞のこの部分に委託しているのだ。
そして、その作品には登場しない2番の歌詞にはこうもあるのだ。
♪あん人たちゃよか衆 (They Are Rich People.)♪
ここでは自身の経済状況への言及と解釈し得る。この部分を翻訳すれば"彼等は裕福である"と謂う意味であり、すなわち、自身の窮乏を暗に述べているのである。
つまり、その子守唄 (Lullaby) の作者等、もしくは歌唱してきた数多くの人物達とその母自身は同じ境遇にあると、主張しているのである。
マンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』は、当時勃興しつつあった高度経済成長 (Japanese Economic Miracle) の幾つもの歪み、その中のひとつである公害問題 (Environmental Disaster) を題材とした作品である。公害 (Environmental Disaster) と謂う人災を、外惑星からの侵略者が放つ怪獣 (Kaiju) と謂うメタファー (Metaphor) としたのだ。
ダストマン (Dustman) もそのひとつである。塵芥や廃棄物を喰すと謂う彼の特徴を、塵芥や廃棄物の処理に利用出来ると楽観視は出来ない。何故ならば、彼は喰せば喰すだけ、巨大になるのだ。それは、塵芥や廃棄物が更なる塵芥や廃棄物を生成するのと同じである [娯楽作品だからそこに一切の描写や疑義は生じていないが、ダストマン (Dustman) の身体からの排出物、それはなにかを考えてみたまえ]。
だが、彼の登場するこの物語にはもうひとつの歪みが描かれている様な気がする。つまり、高度経済成長 (Japanese Economic Miracle) を支える労働者達、そしてその家族はどの様な状況にあるのか、と謂う事を。
世帯主による僅かな給与で日々の生活を凌ぐ家庭から、ある日、その稼ぎ手が失踪 (Vanished) してしまう。当時、各局のワイドショー (Tabloid Show) では定期的に失踪者 (Vanished) を巡る特集が組まれていたと思う。それ故に、彼がダストマン (Dustman) に改造されたから、と謂う理由以外にもそうなってしまう原因、もしくはそうしてしまう原因は幾らでも想像が及ぶのだ。そして、その原因が、失踪者 (Vanished) 自身、もしくは彼と同居する家族以外にある場合がない訳ではない。そんな事を考えれば、この子守唄 (Lullaby) が登場するその逸話は、そんな叙景をも描こうとしていたのではないだろうか。つまり、ダストマン (Dustman) の登場する回の主題は、塵芥廃棄物問題とは別にもうひとつの公害問題 (Environmental Disaster) がひっそりと描かれているのである。
その逸話では、窓の外から聴こえる不気味な咆哮の存在に気づいた母子は、そこに醜悪な怪物が佇んでいるのを認める。そして怪物は涙ながらに己の身をあかすのだ。
次回は「り」。
附記:
本文で述べたマンガ『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』は、特撮TV番組『宇宙猿人ゴリ (Dr. Gori, The Ape From The Space)』 [1971~1972年 フジテレビ系列放映 題名が後に『スペクトルマン』へと改題されたのは同様である。] のマンガ化作品である。そのTV番組には前後編にわたってダストマン (Dustman) は登場する [第5話『恐怖の公害人間!! (Terror Of The Pollution People)』及び第6話『美くしい地球のために!! (Save The Beautiful Earth)』] が、そこにマンガ版同様に民謡『五木の子守唄 (Itsuki Lullaby)』が登場するや否やは、未確認である。
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