2007.08.02.00.56

あくまでも個人的レベルで日常的に聴く"阿久悠作品"は、『東京物語』(作曲:川口真 オリジナル歌唱:森進一)と『きりきり舞い』(作曲:都倉俊一 オリジナル歌唱:山本リンダ)だけれども、実はこれ、近田春夫&ハルヲフォンの『電撃的東京
と、いうあだしごとはさておき、以下の別ページの本文で、ちゃあんと?論考してみましょう。
故人の作品で頭に浮んだものを(先の二曲を除いて)ばばばっと5曲並べてみると、こうなる。
『あの鐘を鳴らすのはあなた』 歌詞 Youtube画像
作曲:森田公一 オリジナル歌唱:和田アキ子 1972年発表 wiiki
『北の宿から』 歌詞 Youtube画像
作曲:小林亜星 オリジナル歌唱:都はるみ 1975年発表 wiiki
『勝手にしやがれ』 歌詞 Youtube画像
作曲:大野克夫 オリジナル歌唱:沢田研二 1977年発表 wiiki
『渚のシンドバッド』 歌詞 Youtube画像
作曲:都倉俊一 オリジナル歌唱:ピンク・レディー 1977年発表 wiiki
『津軽海峡・冬景色』 歌詞 Youtube画像
作曲:三木たかし オリジナル歌唱:石川さゆり 1977年発表 wiiki
思いっきりベタな選曲だなぁ~とこっ恥ずかしくなるけれども、事実だからしょうがない。と、言うか、元来は"阿久悠作品"という様な作家主義的な聴き方をしてきていないのだから。と、いうよりも意識的に音楽を聴く様になるとあへて避けていたのが"歌謡曲"というジャンルの音楽なのだから。無意識の内に脳内にインプリンティングされてしまった"阿久悠作品(≒歌謡曲)"がこの5曲と言うべきかもしれない。
一昨年、TBSの年末特番『超豪華!!歌謡史決定版ザ・ヒットメーカー 作詞家・阿久悠40周年記念特別企画』で"阿久悠作品"をフィーチャーしたTV番組を観た。そこでは勿論、"作詞家阿久悠"と彼の詞作品という切り口で取り上げられていて、あぁ、そう言われてみれば...この曲もあの曲もどの曲も的な感じで、改めて彼のことばへの凄みを感じた次第です。
確かに当時、各TV局が制作 / 放送していた歌番組の中の曲名クレジットに挙げられた「作詞:阿久悠」という文字は、嫌になる程、観てきた訳だから、故人の作詞家としての地位と評価は、嫌でも自覚させられていた筈である。
でも、それよりも、僕にとっては、故人は作詞家であるよりも前に、コンセプト・メーカーとかメディア・プランナーという意味合いの方が大きい。
つまり、これまで見えないところで行われて来た、新人オーディションをTVというメディアを活用して公然として行うというシステム、TV番組『スター誕生』を産み出しそれを最大限に活用した人物である、という位置付けである。
それまでは、それぞれの音楽事務所やら音楽プロダクションやらレコード会社やら劇団やらが、個別にそれぞれのスタンスで行っていた新人オーディションや新人スカウトを、TVというメディアを利用して大々的に行う。
デヴューしたい新人にとってはレコード・デヴュー前により多くの人々の眼に触れられる機会を得、新人をスカウトしたい組織にとってはこれまでのネットワークよりも幅広くそして低コスト / 低リスクで有望な新人に出会えるチャンスを得る。
そして、一番大事な点はここ。故人やその仲間であるクリエイターが審査員という名目で、己の抱えているアイデアを具現化出来る素材にいち早く出会え、彼または彼女達をスターとして孕み産み育てるプロジェクトに立案当初から参画出来るのだ。
その結果、"歌謡曲"や音楽業界がどの様になったかは、御存知の通り。『スター誕生』が輩出した10代のアイドル・シンガーが席巻し、"こころある歌謡曲ファン"は眉を潜めた。その最たるものが、「作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一」のコンビが産み出したピンク・レディーと、いうわけです。

そして、故人が『スター誕生』というTV番組を、モノマネ番組やのど自慢番組ではなくて、オーディション番組として機能させようという裏舞台は故人の著書『夢を食った男たち―「スター誕生」と黄金の70年代
"彼のことばへの凄み"に関しては、いずれまた。
故人のご冥福をお祈り致します。
ps : 全くもって蛇足以外のナニモノでもないのだけれども、サザン・オール・オールスターズのデヴュー曲『勝手にシンドバッド』(作詞・作曲 : 桑田佳祐)という曲名は、その当事のヒット曲二曲の曲名を強引にくっつけただけという話だけれども、その元曲となった二曲共が、"阿久悠"作品である、というところに、1977年頃の故人の勢いを推し量る事が出来ますね?
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