2021.11.02.08.07
ここ1ヶ月程、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) をずっと読んでいる。青空文庫 (Aozora Bunko) [1997年設立] で、だ。
それはさしたる理由がある訳ではない。
数年前に、その蔵書にある、五十音順に並んだ作家別一覧の"あ"から読み始めてようやく"み"まで辿り着いた。ただそれだけの事である。そしてこの作家の作品が現時点で1190作品 [長編小説もあれば、雑誌アンケートへの回答の様な短文 / 単文もある] 収められているからなのである。その一覧も五十音順であり、彼女の作品の"あ"から始めて今、ようやく"と"に辿り着いた、その結果なのだ。
そして拙稿の主題である小説『道標 (Dophyo : Landmark)』 [1947〜1950年 雑誌『展望』連載] を昨夜、ようやく読了したのだ。直前の文章に「ようやく」と謂う副詞 (Adverb) が登場するのは、この小説怖ろしくながいからである。なんだかんだでのべにして1週間と謂う時間を要した。
だから、これから綴る拙稿は、読みたてのほやほやの感想であると同時に、単純な思いつきに過ぎないモノである事を補足しておこう。謂い訳 (Excuse) として、である。少なくとも、青空文庫 (Aozora Bunko) 所収の1190作品一切を読了した時点でひっくり返らないとは限らない、あやふやで曖昧模糊としたモノであるからだ。
青空文庫 (Aozora Bunko) で彼女と彼女の作品に接する前のぼくが、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) と謂う作家に対して持っている認識は極めて乏しいものだ。例えばそれは、日本共産党員 (The Member OfJapanese Communist Party) である事や、宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻である事であって、彼女の文壇での評価は愚か、彼女の代表作の名称すら知らない。
そんなぼくは所蔵作品を五十音順に読んでいって、最初におもった事は彼女の作品群にひとつの分断がある、と謂う事だ。
大雑把に謂って仕舞えば、太平洋戦争 (Pacific War) [1941~1945年] を挟んでのモノ、しかし、それは所謂戦前戦後 (Pre War / Post War) と謂う区分けではない。そこで分断が生じている作家は幾らでもいる。その区分けをもう少し前の時間へとずらせば、恐らく転向作家、転向文学 (Tenko Literay) と謂う範疇に属するだろう。しかし、彼女は彼等でもない。彼等よりも早い。しかも彼女は彼等とは逆の指向をもっている様なのである。
極端な表現をすれば、ある時季までの彼女は、中條精一郎 (Sei-ichiro Chujo) の長女と謂う認識で語る事が出来たのに対し、ある時季以降は宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻と謂う認識で語る事が出来てしまうのかもしれない [某々の娘だとか某々の妻だとかこんな表現をしてしまうのは極めて差別的な物謂いである事は重々承知だ]。つまり、彼女はある日ある時をもって、自身の属している階級を変更してしまった様にぼくにはみえるのだ。そして、それ以降の彼女はあくまでもその階級の立場のモノとして自身の作品や自身の思考を発表していく [もしくは] いこうと努める。そんな認識がその分断を凝視める事によって、形成されるのだ。
勿論、実際にはその変更が一刀両断、一挙に挙行されたとはおもってはいない。例えば、拘禁中の夫に向けて綴り続けてきた書簡[1934〜1945年間執筆] を纏めた書簡集『12年の手紙:獄中への手紙 (The Letters of Twelve Years)』[1947〜1950年刊行] に垣間みられるのは必ずしも、宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻としてのそれではない。それ以前の彼女、その素顔と謂うモノが何度も何度も顔を出すのである [それは官憲による検閲 (Censorship) を前提を受けて綴られたモノであると謂う点を差し引いても] 。
そして、小説『道標 (Dophyo : Landmark)』を読むと、その分断が起こる理由、彼女の内面に起った変化 [しかもそれは宮本顕治 (Kenji Miyamoto) 云々ではない事も] が朦朧としたかたちで顕れてくるのである。
小説『道標 (Dophyo : Landmark)』は、彼女が実際に過ごした3年間 [1927〜1930年] のソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) [1922~1991年存在] 滞在を素材にしている。その間の見聞や交遊を基に小説化されているのだ。彼女自身と思われるその小説での主人公が佐々伸子 (Nobuko Sassa) であるのと同様に、登場人物の殆どは実在の人物に基づく仮名である様である。
そして、読書中のぼくはこの設定に関して始終ぐらぐらしてしまう。つまり、何故、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身を主人公としなかったのか、と。さもなければ逆に佐々伸子 (Nobuko Sassa) をもっと突き放した客観的な描写もあり得るのではないだろうかと。
理由のひとつははっきりしている、本作は彼女の小説『伸子 (Nobuko)』 [1924〜1926年 雑誌『改造』連載] の続編としての位置を与えられているからだ。この小説も自伝的な要素が強いらしいのだが、ぼくは未読だ [なんせその小説は"の"の項に該当するのだから]。その一方で、彼女の他の作品でその小説への言及を読むと、自身にとってとても重きをなす作品であり主人公であるらしいのだ。
逆に謂えば、彼女自身の行動や思考を佐々伸子 (Nobuko Sassa) に委ねたと謂えるのかもしれない。
だけれども、とここでぼくは拘泥してしまうのだ。
[ちなみに創作物とそのモデルとなった人物のプライバシー (Privacy) の問題が表面化された宴のあと事件 (After The Banquet Case) は1961年、本作発表よりも10年以上も後の事であるから、本作執筆当時は作中に実在の人物が登場する事に関しては憂慮すべき点は然程なかった筈である。]
何故ならば、本作品に於ける佐々伸子 (Nobuko Sassa) と謂う人物はあまりに優等生として描かれすぎているからだ。彼女の行動や彼女の認識はそのまま肯定されている。しかも作家である宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身によって。勿論、失敗は失敗として、失態は失態として描いてはいよう。だが、ただそれだけの事なのである。
何故か、本作には死の影が付き纏っている。訃報の場面、葬儀の場面が時折、登場する。しかしその中でも物語に最もおおきな影を落としているのは、主人公の弟の自死である [他の死はその反芻もしくは残響の様にも思える]。それが巡り巡って、主人公家族一同の渡仏と謂う事態を出来せしめ、彼女はソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) での生活を離れパリ (Paris) で家族との生活に勤しまねばならない事態へと陥る。その結果、彼女とその家族との関係、なかでも実母との軋轢がおおきなかたちとなってぼくの前へと差し出される。家族内での異様な支配被支配の関係が、パリ (Paris) と謂う異郷にあって非常に突出したかたちで顕れるのである。
そんな事件が小説にあっても決してぼくは構わない。そして、そこでの幾つもの逸話が、実際の作者にもあり得たのかもしれない。でも、だからと謂って、それはソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) 滞在記としてのこの小説の効用を弱めはしないだろうか。否それよりも、その事件がずっと主人公佐々伸子 (Nobuko Sassa) の視点のみで綴られているのが、ぼくには不可解なのである。逆の立場、彼女と対向する人物達からの視点と謂うのは決して描写されていないのだ。
それだから、ここでももたげるのだ。何故、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身を主人公としなかったのか、と。
物語の中では、ソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) から一端離れた他国、とりわけそこで暮らす労働者達を観る事によって、逆にソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) が行っている新しい試みを評価するかたちを採っている。中でも彼女の脳裏にあるのは、長期の入院生活を余儀なくされた際に出逢った女性、つまり彼女を担当する看護師 (Nurse) の地位と労働条件そして勤務時間外での生活である。弱者である労働者、その中でも更なる弱者である女性労働者への政策を念頭にして彼女は、ヨーロッパ (Europe) 他国の労働者達の環境とソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) でのそれをみくらべているのだ。
つまりそれを可能ならしめるモノとして、物語の構造としてはパリ (Paris) 生活とは必然のモノであると結果的に、そこでは主張しているのだ。
だけれども。
3年間のソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) 滞在を終了しなければならなかった理由のひとつが世界恐慌 (Great Depression) [1929年勃発] の煽りを受けて興った昭和恐慌 (Showa Depression) [1930〜1931年] であり、それが遠因となって彼女の外遊の為の資金調達を不可能とせしめたのに対し、もうひとつの理由は別のところにある。それはソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) の経済政策の変更、すなわち、新経済政策 (Novaya Ekonomicheskaya Politika) [1921年施行] から第一次五カ年計画 (The First Five Year Plan) [1928〜1932年] への転換があった事は、読者であるぼくからみれば、自明なのである。
それに関して、小説内では佐々伸子 (Nobuko Sassa) から疑義も発せられなければ、批判も登場しない。主人公はそれを唯々諾々として受理して帰国の途を選ぶ。しかも、もうひとつの選択肢が彼女に呈示されていたのにも関わらずに。
そして、そこに主人公佐々伸子 (Nobuko Sassa) の、否、小説家宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) の限界が顕れてやしないだろうかと、ぼくは訝しむ。

「それは、ソヴェト同盟の三〇カペイキの郵便切手だった。さっぱりした長方形の水色地に、アジアとヨーロッパの地図が白く出ていて、そこに地球の六分の一を占めるソヴェト同盟の全領域が、いきいきと目にとびついて来るように鮮やかな赤で刷り出されているものだった」[小説『道標 (Dophyo : Landmark)』より]
上掲画像はこちらからである。額面こそ違え図案は上記引用文そのままである事から掲載してみた。
そして思うのは、引用文にあるがままに、佐々伸子 (Nobuko Sassa) は解したのであろう。そして恐らく、その作家自身も。
しかし、出身国や政治的主張が異なれば、ここにある図案を引用文の様に解する事が出来るとは限らない。その図案を脅威の眼で凝視するモノがないとは決して謂えない筈なのである。
にも関わらずに、作中の佐々伸子 (Nobuko Sassa) は、一顧だにせずに、ある人物への贈与としてその切手を差し出すのである。そこにある楽観が本作全体を支配していると謂えるのかもしれない。
次回は「う」。
附記:
本作の続編が作家はさらに構想していたと謂う。そこで佐々伸子 (Nobuko Sassa) の思想の変遷もしくは熟成と謂うモノが綴られたのであろうか [本作にある楽観がどの様に変節するのか、もしくはしないのか、それが重要にぼくには思えるのだ]。しかし、それに着手する前に作家は物故してしまったのである。
仮に、ソビエト崩壊 (Dissolution Of The Soviet Union) [1991年] を佐々伸子 (Nobuko Sassa) が見聞し得たら ....、と思わないでもない。
それはさしたる理由がある訳ではない。
数年前に、その蔵書にある、五十音順に並んだ作家別一覧の"あ"から読み始めてようやく"み"まで辿り着いた。ただそれだけの事である。そしてこの作家の作品が現時点で1190作品 [長編小説もあれば、雑誌アンケートへの回答の様な短文 / 単文もある] 収められているからなのである。その一覧も五十音順であり、彼女の作品の"あ"から始めて今、ようやく"と"に辿り着いた、その結果なのだ。
そして拙稿の主題である小説『道標 (Dophyo : Landmark)』 [1947〜1950年 雑誌『展望』連載] を昨夜、ようやく読了したのだ。直前の文章に「ようやく」と謂う副詞 (Adverb) が登場するのは、この小説怖ろしくながいからである。なんだかんだでのべにして1週間と謂う時間を要した。
だから、これから綴る拙稿は、読みたてのほやほやの感想であると同時に、単純な思いつきに過ぎないモノである事を補足しておこう。謂い訳 (Excuse) として、である。少なくとも、青空文庫 (Aozora Bunko) 所収の1190作品一切を読了した時点でひっくり返らないとは限らない、あやふやで曖昧模糊としたモノであるからだ。
青空文庫 (Aozora Bunko) で彼女と彼女の作品に接する前のぼくが、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) と謂う作家に対して持っている認識は極めて乏しいものだ。例えばそれは、日本共産党員 (The Member OfJapanese Communist Party) である事や、宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻である事であって、彼女の文壇での評価は愚か、彼女の代表作の名称すら知らない。
そんなぼくは所蔵作品を五十音順に読んでいって、最初におもった事は彼女の作品群にひとつの分断がある、と謂う事だ。
大雑把に謂って仕舞えば、太平洋戦争 (Pacific War) [1941~1945年] を挟んでのモノ、しかし、それは所謂戦前戦後 (Pre War / Post War) と謂う区分けではない。そこで分断が生じている作家は幾らでもいる。その区分けをもう少し前の時間へとずらせば、恐らく転向作家、転向文学 (Tenko Literay) と謂う範疇に属するだろう。しかし、彼女は彼等でもない。彼等よりも早い。しかも彼女は彼等とは逆の指向をもっている様なのである。
極端な表現をすれば、ある時季までの彼女は、中條精一郎 (Sei-ichiro Chujo) の長女と謂う認識で語る事が出来たのに対し、ある時季以降は宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻と謂う認識で語る事が出来てしまうのかもしれない [某々の娘だとか某々の妻だとかこんな表現をしてしまうのは極めて差別的な物謂いである事は重々承知だ]。つまり、彼女はある日ある時をもって、自身の属している階級を変更してしまった様にぼくにはみえるのだ。そして、それ以降の彼女はあくまでもその階級の立場のモノとして自身の作品や自身の思考を発表していく [もしくは] いこうと努める。そんな認識がその分断を凝視める事によって、形成されるのだ。
勿論、実際にはその変更が一刀両断、一挙に挙行されたとはおもってはいない。例えば、拘禁中の夫に向けて綴り続けてきた書簡[1934〜1945年間執筆] を纏めた書簡集『12年の手紙:獄中への手紙 (The Letters of Twelve Years)』[1947〜1950年刊行] に垣間みられるのは必ずしも、宮本顕治 (Kenji Miyamoto) の妻としてのそれではない。それ以前の彼女、その素顔と謂うモノが何度も何度も顔を出すのである [それは官憲による検閲 (Censorship) を前提を受けて綴られたモノであると謂う点を差し引いても] 。
そして、小説『道標 (Dophyo : Landmark)』を読むと、その分断が起こる理由、彼女の内面に起った変化 [しかもそれは宮本顕治 (Kenji Miyamoto) 云々ではない事も] が朦朧としたかたちで顕れてくるのである。
小説『道標 (Dophyo : Landmark)』は、彼女が実際に過ごした3年間 [1927〜1930年] のソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) [1922~1991年存在] 滞在を素材にしている。その間の見聞や交遊を基に小説化されているのだ。彼女自身と思われるその小説での主人公が佐々伸子 (Nobuko Sassa) であるのと同様に、登場人物の殆どは実在の人物に基づく仮名である様である。
そして、読書中のぼくはこの設定に関して始終ぐらぐらしてしまう。つまり、何故、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身を主人公としなかったのか、と。さもなければ逆に佐々伸子 (Nobuko Sassa) をもっと突き放した客観的な描写もあり得るのではないだろうかと。
理由のひとつははっきりしている、本作は彼女の小説『伸子 (Nobuko)』 [1924〜1926年 雑誌『改造』連載] の続編としての位置を与えられているからだ。この小説も自伝的な要素が強いらしいのだが、ぼくは未読だ [なんせその小説は"の"の項に該当するのだから]。その一方で、彼女の他の作品でその小説への言及を読むと、自身にとってとても重きをなす作品であり主人公であるらしいのだ。
逆に謂えば、彼女自身の行動や思考を佐々伸子 (Nobuko Sassa) に委ねたと謂えるのかもしれない。
だけれども、とここでぼくは拘泥してしまうのだ。
[ちなみに創作物とそのモデルとなった人物のプライバシー (Privacy) の問題が表面化された宴のあと事件 (After The Banquet Case) は1961年、本作発表よりも10年以上も後の事であるから、本作執筆当時は作中に実在の人物が登場する事に関しては憂慮すべき点は然程なかった筈である。]
何故ならば、本作品に於ける佐々伸子 (Nobuko Sassa) と謂う人物はあまりに優等生として描かれすぎているからだ。彼女の行動や彼女の認識はそのまま肯定されている。しかも作家である宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身によって。勿論、失敗は失敗として、失態は失態として描いてはいよう。だが、ただそれだけの事なのである。
何故か、本作には死の影が付き纏っている。訃報の場面、葬儀の場面が時折、登場する。しかしその中でも物語に最もおおきな影を落としているのは、主人公の弟の自死である [他の死はその反芻もしくは残響の様にも思える]。それが巡り巡って、主人公家族一同の渡仏と謂う事態を出来せしめ、彼女はソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) での生活を離れパリ (Paris) で家族との生活に勤しまねばならない事態へと陥る。その結果、彼女とその家族との関係、なかでも実母との軋轢がおおきなかたちとなってぼくの前へと差し出される。家族内での異様な支配被支配の関係が、パリ (Paris) と謂う異郷にあって非常に突出したかたちで顕れるのである。
そんな事件が小説にあっても決してぼくは構わない。そして、そこでの幾つもの逸話が、実際の作者にもあり得たのかもしれない。でも、だからと謂って、それはソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) 滞在記としてのこの小説の効用を弱めはしないだろうか。否それよりも、その事件がずっと主人公佐々伸子 (Nobuko Sassa) の視点のみで綴られているのが、ぼくには不可解なのである。逆の立場、彼女と対向する人物達からの視点と謂うのは決して描写されていないのだ。
それだから、ここでももたげるのだ。何故、宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) 自身を主人公としなかったのか、と。
物語の中では、ソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) から一端離れた他国、とりわけそこで暮らす労働者達を観る事によって、逆にソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) が行っている新しい試みを評価するかたちを採っている。中でも彼女の脳裏にあるのは、長期の入院生活を余儀なくされた際に出逢った女性、つまり彼女を担当する看護師 (Nurse) の地位と労働条件そして勤務時間外での生活である。弱者である労働者、その中でも更なる弱者である女性労働者への政策を念頭にして彼女は、ヨーロッパ (Europe) 他国の労働者達の環境とソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) でのそれをみくらべているのだ。
つまりそれを可能ならしめるモノとして、物語の構造としてはパリ (Paris) 生活とは必然のモノであると結果的に、そこでは主張しているのだ。
だけれども。
3年間のソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) 滞在を終了しなければならなかった理由のひとつが世界恐慌 (Great Depression) [1929年勃発] の煽りを受けて興った昭和恐慌 (Showa Depression) [1930〜1931年] であり、それが遠因となって彼女の外遊の為の資金調達を不可能とせしめたのに対し、もうひとつの理由は別のところにある。それはソビエト社会主義共和国連邦 (Soyuz Sovetskikh Sotsialistícheskikh Respublik) の経済政策の変更、すなわち、新経済政策 (Novaya Ekonomicheskaya Politika) [1921年施行] から第一次五カ年計画 (The First Five Year Plan) [1928〜1932年] への転換があった事は、読者であるぼくからみれば、自明なのである。
それに関して、小説内では佐々伸子 (Nobuko Sassa) から疑義も発せられなければ、批判も登場しない。主人公はそれを唯々諾々として受理して帰国の途を選ぶ。しかも、もうひとつの選択肢が彼女に呈示されていたのにも関わらずに。
そして、そこに主人公佐々伸子 (Nobuko Sassa) の、否、小説家宮本百合子 (Miyamoto Yuriko) の限界が顕れてやしないだろうかと、ぼくは訝しむ。

「それは、ソヴェト同盟の三〇カペイキの郵便切手だった。さっぱりした長方形の水色地に、アジアとヨーロッパの地図が白く出ていて、そこに地球の六分の一を占めるソヴェト同盟の全領域が、いきいきと目にとびついて来るように鮮やかな赤で刷り出されているものだった」[小説『道標 (Dophyo : Landmark)』より]
上掲画像はこちらからである。額面こそ違え図案は上記引用文そのままである事から掲載してみた。
そして思うのは、引用文にあるがままに、佐々伸子 (Nobuko Sassa) は解したのであろう。そして恐らく、その作家自身も。
しかし、出身国や政治的主張が異なれば、ここにある図案を引用文の様に解する事が出来るとは限らない。その図案を脅威の眼で凝視するモノがないとは決して謂えない筈なのである。
にも関わらずに、作中の佐々伸子 (Nobuko Sassa) は、一顧だにせずに、ある人物への贈与としてその切手を差し出すのである。そこにある楽観が本作全体を支配していると謂えるのかもしれない。
次回は「う」。
附記:
本作の続編が作家はさらに構想していたと謂う。そこで佐々伸子 (Nobuko Sassa) の思想の変遷もしくは熟成と謂うモノが綴られたのであろうか [本作にある楽観がどの様に変節するのか、もしくはしないのか、それが重要にぼくには思えるのだ]。しかし、それに着手する前に作家は物故してしまったのである。
仮に、ソビエト崩壊 (Dissolution Of The Soviet Union) [1991年] を佐々伸子 (Nobuko Sassa) が見聞し得たら ....、と思わないでもない。
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