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2021.10.19.08.07

てらーはかせのきょうふ

恐怖映画専門の映画制作会社としてはライバルであるハマー・フィルム・プロ (Hammer Film Productions) へ向けた、アミカス・プロ (Amicus Productions) からの渾身の一撃、極端な表現をすればそう謂えるのだ。しかも、その会社のヒット作である映画『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』 [テレンス・フィッシャー (Terence Fisher) 監督作品 1958年制作] に対する意趣返しの様な意味あいすらも垣間みえる。

拙稿の主題である映画『テラー博士の恐怖 (Dr Terror's House Of Horrors)』 [フレディ・フランシス (Freddie Francis) 監督作品 1965年制作] は、5篇の短編恐怖映画作品を編んだアンソロジー映画である。この作品での成功によって、以降、アミカス・プロ (Amicus Productions) は本作も含めて全7作のホラー・アンソロジーを制作する。

夜行列車のあるコンパートメント席 (Compartment Coach) に、5人の乗客が席を確保する。ひとりひとりの男性の、入室する様やその所持品を注視すれば、個々の性格設定も自ずと知れるのかもしれない。彼等に少し遅れて老人がひとり乗車し、たったひとつの空席に身を埋める。それを待っていたかの様にして、列車は発車する。
本作はこの様にして始まる。
ふとしたきっかけで老人の所持品のひとつにタロット・カード (Tarot Cards) がある事が判明する。それを契機として、6人の中に会話が誕生する。老人は自身の所持品について語り出す。狭い空間で身動きがとれない5人の男性を前にして彼は、このカードが彼等の未来を告げると謂うのである。そして、5人の男性の未来、彼等それぞれがこれから遭遇するであろう恐怖、すなわちいつつの恐怖譚がここで今、語られ始めるのだ。

さて、注目すべきは5編の短編ではない。
ぼく達がみるべきは配役に関してだ。中でも、5人の乗客のひとり、フランクリン・マーシュ (Franklyn Marsh) はクリストファー・リー (Christopher Lee) が演じ、タロット・カード (Tarot Cards) によって一座を翻弄する老人、テラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) はピーター・カッシング (Peter Cushing) が演じているのだ。

こちらによればこの2人の共演作は24作品あると謂う。その24作品に於いてこの2人は、ある作品に於いては敵対する関係にあり、ある作品に於いては共闘する関係となる。
そして、本作出演以前の作品を数え挙げれば、その時点で既に9作品もあるのだ。

そんな事を前提にして本作をみると、例えばテラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) 登場のシーンはひとつのみものともなり得る。
既に窓際の席を確保したフランクリン・マーシュ (Franklyn Marsh) の左隣に、テラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) が座る瞬間である。その際に、フランクリン・マーシュ (Franklyn Marsh) ことクリストファー・リー (Christopher Lee) がテラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) ことピーター・カッシング (Peter Cushing) を一瞥するその表情を、この2人の俳優の関係を知る観客は如何様にも解釈可能なのである。

曰く「なんだ、またおまえか」
曰く「ほほう、今回はどんな役なのかな」
曰く「ぼくかい? ふふ。みてのおたのしみさ」
そんな身勝手極まりない理解が出来るのだ [実際のふたりは親友とも謂える程、お互いに俳優としての磁力を評価しあっていたらしいのだが]。

そして、この2人の出演歴を理解している観客はさらに異なる事も考え出す。
もしかしたら、この配役、本来ならば逆であるべきではないだろうか、と。

と、謂うのは、例えばハマー・フィルム・プロ (Hammer Film Productions) 制作作品での彼等の配役をみれば、本作でのそれは意外以外の何者でもないのだ。
その映画制作会社に於ける彼等の共演作は4作品ある。映画『フランケンシュタインの逆襲 (The Curse Of Frankenstein)』 [テレンス・フィッシャー (Terence Fisher) 監督作品 1957年制作]、『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』、映画『ミイラの幽霊 (The Mummy)』 [テレンス・フィッシャー (Terence Fisher) 監督作品 1959年制作]、そして映画『妖女ゴーゴン (The Gorgon)』 [テレンス・フィッシャー (Terence Fisher) 監督作品 1964年制作] である。そして、映画『妖女ゴーゴン (The Gorgon)』を例外にして、クリストファー・リー (Christopher Lee) はそれらの作品で勃発する怪奇の主因たる人物を演じ、ピーター・カッシング (Peter Cushing) はその怪奇の解決の為に苦闘する人物を演じているのだ。謂わば、それら3作品に於ける実質的にはタイトル・ロールに相当するモノはクリストファー・リー (Christopher Lee) が演じ、ピーター・カッシング (Peter Cushing) はその次席に甘んずるべき役を演じているのである。

images
それを前提にすれば、本作に於いてはその2人の立場が逆転している事になるのである。
[繰り返しになるが] ピーター・カッシング (Peter Cushing) が演ずる怪奇の存在、テラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) のタロット・カード (Tarot Cards) によって自身の未来を呈示される乗客のひとり、フランクリン・マーシュ (Franklyn Marsh) がクリストファー・リー (Christopher Lee) なのである [上掲画像はこちらから]。

その結果、本作を観るぼく達にはこれまでみたこともない様なクリストファー・リー (Christopher Lee) を観る事になる。彼が演じるフランクリン・マーシュ (Franklyn Marsh) と謂う人物は、テラー博士 (Dr. Schreck aka Dr. Terror) の神秘学的 (Occultism) な主張を頭ごなしに否定しまくる合理的な考えに凝り固まった人物であるかの様にみえる。それは間違ってはいないだろう。だが、彼の言動をみていると、神経質な、否、それ以上に、極めて臆病な人物であるかの様にみえる。

クリーチャー (The Creature) やドラキュラ伯爵 (Count Dracula) やミイラ男カーリス (Kharis, The Mummy) を演じた彼、その彼が終始、怯え、慄いているのである。
しかもそれは、その中のひとり、ドラキュラ伯爵 (Count Dracula) が終生の敵対者、ヴァン・ヘルシング博士 (Doctor Van Helsing) を怖れるのとは全くもって違うところから起こっている。

そんな彼が主演する短編は、第4話『切断された手首 (Disembodied Hand)』 [邦訳は拙訳。以下同。] である。
そして、その短編のタイトル・ロールとはマイケル・ガフ (Michael Gough) が演ずる画家エリック・ランドー (Eric Landor) の掌なのである。

さぁ、ここで憶い出してみよう、映画『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』に於いて、アーサー・ホルムウッド (Arthur Holmwood) を演ずるのがマイケル・ガフ (Michael Gough) である事を。彼が演ずるその役は、吸血鬼 (Vampire) の毒牙によって彼の妹ルーシー・ホルムウッド (Lucy Holmwood) [演:キャロル・マーシュ (Carol Marsh)] を亡き者、すなわち吸血鬼 (Vampire) へと転生させられた男なのだ。彼はヴァン・ヘルシング博士 (Doctor Van Helsing) [演:ピーター・カッシング (Peter Cushing)] を補助するかたちでドラキュラ伯爵 (Count Dracula) 打倒にのりだすのである。
つまり、その短編に於いても、クリストファー・リー (Christopher Lee) とマイケル・ガフ (Michael Gough) の立場が入れ替わっているのである。あらためて再び繰り返すと、マイケル・ガフ (Michael Gough) の掌がクリストファー・リー (Christopher Lee) を襲うのである。

ピーター・カッシング (Peter Cushing) とマイケル・ガフ (Michael Gough) が共闘して怪異なる存在、クリストファー・リー (Christopher Lee) を打倒する物語、それが映画『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』である。
一方、本作では、怪異なる存在であるピーター・カッシング (Peter Cushing) とマイケル・ガフ (Michael Gough) が、ひとりの一般人、クリストファー・リー (Christopher Lee) を破滅させるのだ。

次回は「」。

附記 1. :
本作第4話『切断された手首 (Disembodied Hand)』は、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitarou)』[水木しげる (Shigeru Mizuki):作 19651969週刊少年マガジン連載] の逸話『 (A Hand)』 [1965年掲載] と殆ど同趣向である。
同第2話『蔦が這う (Creeping Vine)』を、植物が住居を覆い尽くす物語と解釈してしまえば、やはり同じマンガの逸話『妖怪花 (Yokai-ka : Flower Monster)』[1969年掲載] が想い出されてしまう [尤も、植物がそんな行動を採る理由は全く違う]。
そして、同第3話『ブードゥー (Voodoo)』を、門外不出の楽曲が盗用された報復の物語と解釈してしまえば、ここでも同じマンガの逸話『さら小僧 (Sara Kozo : Monster A Dish On His Head)』[1967年掲載] の存在に気づいてしまう。
さらに謂えば、映画全体の骨子を、深夜の列車内で体験する恐怖と解釈してしまえば、同じマンガの逸話『ゆうれい電車 (Yurei Densha : A Tram With Monsters)』 [1966年掲載] に横着してしまうのだ。
さて、この暗合に対してどう処すべきなのだろうか。

附記 2.:
本作の乗客のひとりボブ・キャロル (Dr. Bob Carroll) としてドナルド・サザーランド (Donald Sutherland) が登場するのだが、ぼくの知っている彼の本領は発揮されていない。彼の快進撃は1970年代に入ってから、なのだろう。
そしてその彼が自滅する物語である第5話『吸血鬼 (Vampire) 』こそ吸血鬼 (Vampire) を主題とする作品ではあるが、ここにクリストファー・リー (Christopher Lee) を出演させる訳にはいかない。

附記 3. :
その代わりに [と謂うのもおかしな話だが] 本作を想い出すといつも、映画『吸血鬼ドラキュラ (Dracula)』でのクリストファー・リー (Christopher Lee) とピーター・カッシング (Peter Cushing) の配役をそっくりそのまま交換するのは可能だろうか、とおもったりもする。
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