2021.09.14.07.47
最初に眼にはいるのは農民 (Peasant) が着用している朱色の衣服である。その絵画に、単独で赤系統の着色がされているのはそこだけだからだ。そうでなくとも彼の存在は最初に印象づけられるだろう。彼は画面手前中央から左方向にある、丘陵の上部にある畑に於いて、耕作に勤しんでいるのだ。そして、その彼の向こうには碧い海原と蒼い空が広がっている。そして前者を囲い込む様な形で両端に街並みを望む事が出来る。その形状からそこは大きな湾の様に想える。そこを巨大な帆船 (Sailing Ship) が行き交っている。
長閑であると同時に壮大である、そんなあい矛盾する様な表現がそこに成立する。そんな田園光景なのだ。
だが、作品名に綴られた神話上の人物、イカロス (Icarius) はどこにあるのかと謂うと、そう簡単には発見出来ない。
耕す農民 (Peasant) の背中の辺り、画面中央部に相当する位置には丘陵の麓があり、そこにひとりの羊飼 (Shepherd) が立っている。その彼は大空のどこか、1点を眺めている。そこに目指すべき人物がいるのだろうか。誰しもそう想う。
しかし彼の視線の先に、イカロス (Icarius) はいない。
彼は、羊飼 (Shepherd) の後方のさらに右、ひとりの釣人 (Angler) のまえで、今まさに水中に没しようとしている。彼の両脚しか我々は観る事が出来ない。
上に記述を試みたのは、絵画『イカロスの墜落のある風景 (Landschap met de val van Icarus)』 [作者不詳 (Anonymous) 1560 -1569年頃 ベルギー王立美術館 (Koninklijke Musea voor Schone Kunsten van Belgie) 所蔵] である。その作品を知った時、描いたのはピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) だと学んだが、1996年の調査によって、その信憑性は疑われている。
ところで、ぼくがこの作品を知ったのは、高校英語読本の教科書 (Reader For Hischool English Schoolbook) である。その教科書はクラウン (CROWN English Communication) [三省堂 (Sanseido Co.,Ltd.) だと記憶しているが、その辺は少しおぼつかない。だから、3年間のどの学年でその作品を知ったのかも、指摘できない。
その教科書で本作品が掲載された単元は、当時その作品の画家として信ぜられていたピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) についてのモノでもなければ、画題であるイカロス (Icarius) の墜落でもない。
単元の主題は、クレタ文明 (Cretan Civilization)、その発見に至る過程である。
すなわち、アーサー・エヴァンズ (Arthur Evans) による発見 [1900年] の端緒となったハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) によるトロイア遺蹟 (Troy Civilization) の発掘 [1873年] とそれを促した叙事詩『イーリアス (Ilias)』 [ホメーロス (Homeros) 著 紀元前8世紀半ば成立] の存在、情熱の生成とその成就を描いた一譚である。
ハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) は幼時に読んだ叙事詩『イーリアス (Ilias)』に感化されてその実在を信じ、それを自身の掌でもって発見する事にその生涯をかけたのである。
だから、単元の頁には恐らく、トロイア (Troy) 乃至クレタ (Crete) の遺構もしくは発掘品の写真が掲載されていたのかもしれない [が、ぼくはそれらに関してはとんと記憶がない。"恐らく"と謂う語句が躍るのはそんな理由だ]。それよりも、ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) の作品としての本作の方が、強く印象に遺っているのだ。
強く印象に遺っているとは謂っても、その作品に関して本文での言及はなかったと思う。そして、掲載図版の脚注としてあったのは多分、作品名と画家名だけの筈である。
と、謂うのは、高校生 (High-School Student) だったぼくは当時、本作をトロイア (Troy) もしくはクレタ (Crete) の田園風景を描いた作品だとばかりに思っていたからだ。
つまり、この作品の主題がイカロス (Icarius) と、彼の墜落であると認識したのは随分と後の事なのだ。その画家を知って、彼の幾つもある代表作のそのうちのひとつとして再会した際に、なのであろう。
その時点で初めて、作品の主題を知り、初めてイカロス (Icarius) は一体どこにいるのだろうと疑問を抱いたのである。
いや、その作品でイカロス (Icarius) がどこに居るのかを知るのは然程難しくはない。絵本『ウォーリーをさがせ! (Where's Wally?)』 [マーティン・ハンドフォード (Martin Handford) 作 1987年刊行] よりは遥かに簡単だ。眼を皿の様にして (Open One's Eyes Wide) まで作品の隅々にまで、眼を光らせる (On The Lookout) 必要もないだろう。
それよりも難問なのは、何故、この作品が、その教科書 (Scollbook) に掲載されていたか、と謂う疑問である。[繰り返しにはなるが] 少なくとも本文では一切、言及されていないのだ。
そして、それ故に、この作品はぼくに強く印象づけられているのである。
ギリシャ神話 (Greek Mythology) に登場するその青年、イカロス (Icarius) は父、ダイダロス (Daidalos) [こちらを参照の事] と共に、半人半牛ミノタウロス (Minotaurus, The Head And Tail Of A Bull And The Body Of A Man) を幽閉する為の迷宮 (Labyrinth) の建設を請け負った人物である。そして彼等親子は、彼等への発注者であるミノス王 (Minos) の奸計によってその迷宮に幽閉されてしまう。謂うまでもなくミノス王 (Minos) とは、半人半牛ミノタウロス (Minotaurus, The Head And Tail Of A Bull And The Body Of A Man) の父親と看做されるべき人物で、この物語の発端を担う人物のひとりでもある。
幽閉された親子は蜜蝋 (Beeswax) でつくった翼によって、自身による建築物からの脱出、逃亡を試みる。
イカロス (Icarius) とはその様な、あくまでも神話上の存在である。しかし、その実在を信じ、その実証を試みたのがハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) であり、アーサー・エヴァンズ (Arthur Evans) である。暴論ではあるがそう看做す事も出来るだろう。
つまり、彼等の発掘とは、彼の墜落地点 [それはクレタ文明 (Cretan Civilization) の末裔である現代社会とも謂える] から彼の離陸地を解明しようとする努力に他ならない。その為に彼等はみえない彼の飛翔航路を逆に辿ったのだ。
すなわち彼等は、その作品での、虚空を眺めていたひとりの羊飼 (Shepherd) 、その子孫なのである。
そして、その点を以て、この作品がその単元の挿絵のひとつとして掲載された理由ではないか、とぼくはおもう。
[屋上屋を架す (To Do Something Useless) 表現をしてしまえば] この絵画作品から画題を成す人物であるイカロス (Icarius) を捜す。そして、そこからイカロス (Icarius) と謂う人物の功績や人物を調査する。そしてそれを踏まえて、彼が何故、飛翔出来たのか、そして何故、失墜したのかを知る。それを発展させれば、彼が登場するギリシャ神話 (Greek Mythology) を彩る幾人もの人物達にも遭遇するだろうし、それを産み育てた土壌を知る事にもなる。
そんな思考の発展が、それまで神話上の存在として信ぜられていたトロイア文明 (Troy Civilization) とクレタ文明 (Cretan Civilization) の発掘へと誘っていったと看做す事も出来るだろう。
つまり、その作品は、結論として掲載されていたのではない。
その単元で扱う人物達が行動を開始する発端の場、ひらめきの象徴としてそこに掲載されていた。
そう、ここからはじまるのである。
次回も「い」。
附記 1.:
「ひらめきの象徴」としてその作品を解する事はすなわち、作品本来の趣旨を曲解する事になる。
その作品の意図は寧ろ、その逆である。
神話的言説や英雄的行動は必ずしも、一般の日々日常にはなんら利害をもたらすものでもないのだ、と。
少なくともぼくは、その作品の主張を、そんなふうに理解している。
附記 2.:
本作に描かれた耕作する農民 (Peasant) の図象には、諺 (Proverb) 「それでも農夫は耕し続けた (And The Farmer Continued To Plough… / En de boer … hij ploegde voort)」を表徴させたモノであろうと謂う説がある。
だけれども、描かれた諺 (Proverb) はそのひとつだけなのだろうか、とぼくは思う。と、謂うのは、 [イカロス (Icarius) が] 居もしない虚空を凝視し続けている羊飼 (Shepherd) の姿にも、自身の眼前でひとひとり [すなわちイカロス (Icarius)] が溺れているのにも関わらず、平然と自身の作業に熱中している釣人 (Angler) にも、寓話的ななにか、警句的ななにかの存在を窺ってしまえるからなのだ。
附記 2. :
下掲画像は絵画『イカロスの墜落のある風景 (Landscape With The Fall Of Icarus)』 [ヨース・デ・モンペル (Joos de Momper) 作 1579〜1635年 スウェーデン国立美術館 (Nationalmuseum) 所蔵] である。

附記 4. :
附記 3. に掲載したその作品は、イカロス (Icarius) が墜落し始めた直後の光景を描いたモノである。墜落する人物の左に悠然と飛翔する人物がいるが、これはその人物の父親、ダイダロス (Daidalos) なのだろう。だが、その光景は作品全体のなかのごく一部を構成しているのにすぎず、作品全体は、海洋が望める農耕地とその背後に控える森林や山脈を描いた風景画の様な趣きなのである。そして、この作品にも農民 (Peasant) と釣人 (Angler) といった人物等が描かれている [この作品での彼等は事件の目撃者として振る舞っている様にみえる]。
長閑であると同時に壮大である、そんなあい矛盾する様な表現がそこに成立する。そんな田園光景なのだ。
だが、作品名に綴られた神話上の人物、イカロス (Icarius) はどこにあるのかと謂うと、そう簡単には発見出来ない。
耕す農民 (Peasant) の背中の辺り、画面中央部に相当する位置には丘陵の麓があり、そこにひとりの羊飼 (Shepherd) が立っている。その彼は大空のどこか、1点を眺めている。そこに目指すべき人物がいるのだろうか。誰しもそう想う。
しかし彼の視線の先に、イカロス (Icarius) はいない。
彼は、羊飼 (Shepherd) の後方のさらに右、ひとりの釣人 (Angler) のまえで、今まさに水中に没しようとしている。彼の両脚しか我々は観る事が出来ない。
上に記述を試みたのは、絵画『イカロスの墜落のある風景 (Landschap met de val van Icarus)』 [作者不詳 (Anonymous) 1560 -1569年頃 ベルギー王立美術館 (Koninklijke Musea voor Schone Kunsten van Belgie) 所蔵] である。その作品を知った時、描いたのはピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) だと学んだが、1996年の調査によって、その信憑性は疑われている。
ところで、ぼくがこの作品を知ったのは、高校英語読本の教科書 (Reader For Hischool English Schoolbook) である。その教科書はクラウン (CROWN English Communication) [三省堂 (Sanseido Co.,Ltd.) だと記憶しているが、その辺は少しおぼつかない。だから、3年間のどの学年でその作品を知ったのかも、指摘できない。
その教科書で本作品が掲載された単元は、当時その作品の画家として信ぜられていたピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) についてのモノでもなければ、画題であるイカロス (Icarius) の墜落でもない。
単元の主題は、クレタ文明 (Cretan Civilization)、その発見に至る過程である。
すなわち、アーサー・エヴァンズ (Arthur Evans) による発見 [1900年] の端緒となったハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) によるトロイア遺蹟 (Troy Civilization) の発掘 [1873年] とそれを促した叙事詩『イーリアス (Ilias)』 [ホメーロス (Homeros) 著 紀元前8世紀半ば成立] の存在、情熱の生成とその成就を描いた一譚である。
ハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) は幼時に読んだ叙事詩『イーリアス (Ilias)』に感化されてその実在を信じ、それを自身の掌でもって発見する事にその生涯をかけたのである。
だから、単元の頁には恐らく、トロイア (Troy) 乃至クレタ (Crete) の遺構もしくは発掘品の写真が掲載されていたのかもしれない [が、ぼくはそれらに関してはとんと記憶がない。"恐らく"と謂う語句が躍るのはそんな理由だ]。それよりも、ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel de Oude) の作品としての本作の方が、強く印象に遺っているのだ。
強く印象に遺っているとは謂っても、その作品に関して本文での言及はなかったと思う。そして、掲載図版の脚注としてあったのは多分、作品名と画家名だけの筈である。
と、謂うのは、高校生 (High-School Student) だったぼくは当時、本作をトロイア (Troy) もしくはクレタ (Crete) の田園風景を描いた作品だとばかりに思っていたからだ。
つまり、この作品の主題がイカロス (Icarius) と、彼の墜落であると認識したのは随分と後の事なのだ。その画家を知って、彼の幾つもある代表作のそのうちのひとつとして再会した際に、なのであろう。
その時点で初めて、作品の主題を知り、初めてイカロス (Icarius) は一体どこにいるのだろうと疑問を抱いたのである。
いや、その作品でイカロス (Icarius) がどこに居るのかを知るのは然程難しくはない。絵本『ウォーリーをさがせ! (Where's Wally?)』 [マーティン・ハンドフォード (Martin Handford) 作 1987年刊行] よりは遥かに簡単だ。眼を皿の様にして (Open One's Eyes Wide) まで作品の隅々にまで、眼を光らせる (On The Lookout) 必要もないだろう。
それよりも難問なのは、何故、この作品が、その教科書 (Scollbook) に掲載されていたか、と謂う疑問である。[繰り返しにはなるが] 少なくとも本文では一切、言及されていないのだ。
そして、それ故に、この作品はぼくに強く印象づけられているのである。
ギリシャ神話 (Greek Mythology) に登場するその青年、イカロス (Icarius) は父、ダイダロス (Daidalos) [こちらを参照の事] と共に、半人半牛ミノタウロス (Minotaurus, The Head And Tail Of A Bull And The Body Of A Man) を幽閉する為の迷宮 (Labyrinth) の建設を請け負った人物である。そして彼等親子は、彼等への発注者であるミノス王 (Minos) の奸計によってその迷宮に幽閉されてしまう。謂うまでもなくミノス王 (Minos) とは、半人半牛ミノタウロス (Minotaurus, The Head And Tail Of A Bull And The Body Of A Man) の父親と看做されるべき人物で、この物語の発端を担う人物のひとりでもある。
幽閉された親子は蜜蝋 (Beeswax) でつくった翼によって、自身による建築物からの脱出、逃亡を試みる。
イカロス (Icarius) とはその様な、あくまでも神話上の存在である。しかし、その実在を信じ、その実証を試みたのがハインリヒ・シュリーマン (Heinrich Schliemann) であり、アーサー・エヴァンズ (Arthur Evans) である。暴論ではあるがそう看做す事も出来るだろう。
つまり、彼等の発掘とは、彼の墜落地点 [それはクレタ文明 (Cretan Civilization) の末裔である現代社会とも謂える] から彼の離陸地を解明しようとする努力に他ならない。その為に彼等はみえない彼の飛翔航路を逆に辿ったのだ。
すなわち彼等は、その作品での、虚空を眺めていたひとりの羊飼 (Shepherd) 、その子孫なのである。
そして、その点を以て、この作品がその単元の挿絵のひとつとして掲載された理由ではないか、とぼくはおもう。
[屋上屋を架す (To Do Something Useless) 表現をしてしまえば] この絵画作品から画題を成す人物であるイカロス (Icarius) を捜す。そして、そこからイカロス (Icarius) と謂う人物の功績や人物を調査する。そしてそれを踏まえて、彼が何故、飛翔出来たのか、そして何故、失墜したのかを知る。それを発展させれば、彼が登場するギリシャ神話 (Greek Mythology) を彩る幾人もの人物達にも遭遇するだろうし、それを産み育てた土壌を知る事にもなる。
そんな思考の発展が、それまで神話上の存在として信ぜられていたトロイア文明 (Troy Civilization) とクレタ文明 (Cretan Civilization) の発掘へと誘っていったと看做す事も出来るだろう。
つまり、その作品は、結論として掲載されていたのではない。
その単元で扱う人物達が行動を開始する発端の場、ひらめきの象徴としてそこに掲載されていた。
そう、ここからはじまるのである。
次回も「い」。
附記 1.:
「ひらめきの象徴」としてその作品を解する事はすなわち、作品本来の趣旨を曲解する事になる。
その作品の意図は寧ろ、その逆である。
神話的言説や英雄的行動は必ずしも、一般の日々日常にはなんら利害をもたらすものでもないのだ、と。
少なくともぼくは、その作品の主張を、そんなふうに理解している。
附記 2.:
本作に描かれた耕作する農民 (Peasant) の図象には、諺 (Proverb) 「それでも農夫は耕し続けた (And The Farmer Continued To Plough… / En de boer … hij ploegde voort)」を表徴させたモノであろうと謂う説がある。
だけれども、描かれた諺 (Proverb) はそのひとつだけなのだろうか、とぼくは思う。と、謂うのは、 [イカロス (Icarius) が] 居もしない虚空を凝視し続けている羊飼 (Shepherd) の姿にも、自身の眼前でひとひとり [すなわちイカロス (Icarius)] が溺れているのにも関わらず、平然と自身の作業に熱中している釣人 (Angler) にも、寓話的ななにか、警句的ななにかの存在を窺ってしまえるからなのだ。
附記 2. :
下掲画像は絵画『イカロスの墜落のある風景 (Landscape With The Fall Of Icarus)』 [ヨース・デ・モンペル (Joos de Momper) 作 1579〜1635年 スウェーデン国立美術館 (Nationalmuseum) 所蔵] である。

附記 4. :
附記 3. に掲載したその作品は、イカロス (Icarius) が墜落し始めた直後の光景を描いたモノである。墜落する人物の左に悠然と飛翔する人物がいるが、これはその人物の父親、ダイダロス (Daidalos) なのだろう。だが、その光景は作品全体のなかのごく一部を構成しているのにすぎず、作品全体は、海洋が望める農耕地とその背後に控える森林や山脈を描いた風景画の様な趣きなのである。そして、この作品にも農民 (Peasant) と釣人 (Angler) といった人物等が描かれている [この作品での彼等は事件の目撃者として振る舞っている様にみえる]。
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