2021.08.03.08.06
小山内桐人 (Kirihito Osanai) は、マンガ『きりひと讃歌 (Ode To Kirihito)』[手塚治虫 (Osamu Tezuka) 作 1970〜1972年 Com増刊連載] の主人公。
阿部切人 (Kirihito Abe) は、マンガ『魔太郎がくる!! (Matarou Ga Kuru!!)』 [藤子不二雄 (A) (Fujiko Fujio (A)) 作 1972~1975年 週刊少年チャンピオン連載] の主人公である浦見魔太郎 (Mataro Urami) とライバル関係にある。
その彼と読みこそ同じとは謂え、阿部キリヒト (Kirihito Abe) と綴る彼はマンガ『悪魔くん復活 千年王国 (Sennen Oukoku : Millenarism)』 [水木しげる (Shigeru Mizuki) 作 1972~1970年 週刊少年ジャンプ連載] の登場人物である。拙稿の主題は彼、阿部キリヒト (Kirihito Abe) なのである。
猶、彼は同じ作者によるその作品の原典、マンガ『悪魔くん (Akuma-kun)』 [水木しげる (Shigeru Mizuki) 作 1963年刊行] に登場し、そのクライマックスに於いて重要な役割を演ずる事にはなるのではあるが、拙稿ではそこでの彼には言及しない。あくまでもマンガ『悪魔くん復活 千年王国 (Sennen Oukoku : Millenarism)』の登場人物としての彼、阿部キリヒト (Kirihito Abe) について、である。
阿部キリヒト (Kirihito Abe) は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が転校した小学校での同級生として登場する。阿部キリヒト (Kirihito Abe) は、その小学校での模範生であり優等生であり、その彼を見習う様にと悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は、彼の隣席を与えられるのだ。
悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) がその小学校に転校したのは、宿敵ロナルド・サタン (Ronald Satan) の策謀により本拠地である奥軽井沢 (Okukaruizawa) を追われたからである。彼はやむなく、自身の智慧と能力を隠す為に、敢えて劣等生として、不良生徒としての態度と行動を執る事にする。それ故に、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は悉く、阿部キリヒト (Kirihito Abe) と対立する事になる。
しかし、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は、少しづつそして確実にその小学校での頭角を顕していくのだ。
ここまでは良い。
自身の地位と名誉を奪われ、そしてそこを追放された主人公の、貴種流離譚 (Monomyth) の物語、その典型を准っていると解釈出来なくもない。
その作品でも奥軽井沢 (Okukaruizawa) から東京 (Tokyo) へと舞台を移ての、物語の急展開はめをみはるものがある。悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の面目躍如たるモノをみないではない。
と、看做してみれば、阿部キリヒト (Kirihito Abe) はその物語に於ける、噛ませ犬 (Underdog) のひとりとしての機能だけをもたされたかの様に読める。
しかし、その次に阿部キリヒト (Kirihito Abe) がその物語に登場するのは、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の輩下たる12使徒 (Twelve Apostles) のひとり、第12使徒 (The Twelfth Apostle) として他の使徒達 (The Other Apostles) に紹介された際の事、しかも第11使徒 (The Eleventh Apostle) である松下太平 (Tahei Matsushita) [悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の実父] と同席しての事である。
そして、彼が実際にその物語で果たすべき役割はそこで終了してしまう。
主人公と敵対する同級生であり、後に彼に隷属するかたちをもって、物語に登場する阿部キリヒト (Kirihito Abe) の、物語に於ける存在意義とは一体、なんなのであろうか。
ひとつに考えられる事は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が通う小学校がまるごと、彼の下部組織として成立してしまったその象徴である、と謂う事だ。実際に、彼の新たなる本拠地ではその学校の児童達はおろか職員達までもが彼の為に働いているのである。
そしてそのもうひとつに考えられる事は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の輩下である12使徒 (Twelve Apostles) が彼の存在によって勢揃いする事である。つまり、単なる数合わせとしての登場人物である。但し、だとしても、その数合わせの最期のひとりがキリスト教 (Christianity) に於ける救世主 (Messias) とよく似た呼称をもっている事には着目しても良いであろう。何故ならば、その後に続く物語は、イエス・キリスト (Iesus) の受難 (Passio Christi) と復活 (Resurrectio Christi) をなぞる様なかたちで進行するのだから。
[もしかしたら阿部キリヒト (Kirihito Abe) が担うであろうイエス・キリスト (Iesus) の受難 (Passio Christi) と復活 (Resurrectio Christi) をいつのまにかどこかの時点で、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が自らの身をもっていれかわったと看做す事も出来ようか。]
と、謂う2点を踏まえた上で、ぼくはさらに次の様に考える。
この物語は当初、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) による、彼の為の12使徒 (Twelve Apostles) の召喚の物語として語られ始める。物語の冒頭に、後に第3使徒 (The Thrd Apostle) となるヤモリビト (Yamori-bito : Gecko-man) の依代となる佐藤 (Sato) が登場するのはそういった理由だ。そして、八仙 (The Eight Hermits) 傘下のフラン・ネール (Flan Nehru) の画策によりヤモリビト (Yamori-bito : Gecko-man) の憑依から解放された佐藤 (Sato) の存在と行動が、この物語の行方をおおきく左右する事になる。また、彼の視点を通じて、読者の多くは、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) やその他の登場人物達の思考や行動を理解していく事になる。つまり彼こそがその物語の語部 (The Narrator) であるのだ。
だが、12使徒 (Twelve Apostles) 召喚の物語としてのその作品は思わぬところで頓挫する。
ひとつには、第2使徒ふくろう女 (Fukuro-onna : Ural Owl Woman, The Second Apostle) の請願による、第4使徒占い杖 (The Dowsing Rod, The Fourth Apostle) の誕生である。占い杖 (The Dowsing Rod) があるからこそ、そこに彼女自身も含めた幾人もの人物達が悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の許に結集する事が出来た。それをもって彼女は占い杖 ((The Dowsing Rod) の第4使徒 (The Fourth Apostle) 就任の理由とする。しかし、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) が異議を唱える。否、彼でなくとも読者の殆どがそれを発するであろう。何故ならば、占い杖 (The Dowsing Rod) は特殊な霊的能力をもってはいるが、そこに知性や人格を認める事が不可能であると思われるからである。使徒 (The Apostle) ではない、道具である。そんな認識だ。
しかし、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は彼女の主張を諾とし、ここに第4使徒占い杖 (The Dowsing Rod, The Fourth Apostle) が誕生するのである。
ここに於いて、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) ならずとも、ぼく達読者は悩む事になるに違いない。使徒 (Apostle) とは一体、何か、と。
そして、その疑義をさらに助長すべき第7・第8・第9そして第10使徒 (Apostles Of The Seventh, The Eighth, The Ninth and The Tenth) が誕生するのだ。
第7使徒並びに第8使徒 (The Seventh Apostole And The Eighth Apostle) となる老夫妻は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が棲む別荘番 (Villa-keepers) のふたりであり、第9使徒 (The Ninth Apostle) は彼等の要請を受けて悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) へ注意喚起をしに顕れた駐在 (Residential Police) なのである。つまり、なんら特殊の能力も智力も持ち合わせない、一般人 [もしくはそれ以下の存在] なのである。そんな彼等自らが使徒 (Apostle) としての参加協力を申し出、しかも悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) はなんの疑いも持たずにそれを受理するのだ。
[猶、第10使徒幽霊 (A Ghost, The Tenth Apoistle) は、第6使徒家獣 (Kajyu ; The House-beast, The Sixth Apostles) の胎内に棲む存在で、その胎内に図らずも囚われ彷徨っていた3人、すなわち別荘番夫妻 (Villa-keepers) と駐在 (Residential Police) に遭遇するのだ。彼に第10使徒 (The Tenth Apostle) を任命した悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) も、彼についてはそれ以上の情報をなんら持ち合わせていない。]
第7・第8・第9使徒(Apostles Of The Seventh, The Eighth And The Ninth) の3名は使徒 (The Apostle) の任命を受けて、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) に対し、自身の安寧を要請するが、それをみたヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) は、それは逆ではないかと自問自答する。すなわち、彼の視点にたてば、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の安寧を保証する事こそが使徒 (Apostle) の第一の使命ではないか、と謂うのである。
[ここに先立つ命題として、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) は、地下より召喚された悪魔 (Demon) の存在意義とそこからの発露たる彼の能力と、それを召喚し得た悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の存在意義とその能力を比した疑義を、独白と謂うかたちをもって彼は読者に呈示している。]
果たして、どちらが正しいのであろうか。解答はだれからも一切ない。あるとすれば、12使徒 (Twelve Apostles) 達それぞれがそれぞれの場面や持ち場で一体なにをおこなったのか、それをひとつひとつ検証していくしかない。
そしてその疑問を復唱する様なかたちで第12使徒阿部キリヒト (Kirihito Abe, The Twelveth Apostle)が存在している様に、ぼくにはみえる。
次回は「と」。
附記:
本来ならば、拙稿の為に、阿部キリヒト (Kirihito Abe) もしくはそれに類する図象を呈示すべきなのだろうが、相応しい画像はネット上には発見できないのであった。
だから、マンガ『伝染るんです。 (Utsurun Desu. : Quick Infect )』 [吉田戦車 (Sensha Yoshida) 作 1989~1994年 週刊ビッグコミックスピリッツ連載] の登場人物のひとり、たけひろ (Takehiro) の画像を下に掲載する。悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が非業の死を遂げ、彼が復活するまでの3年間、彼が闇おちしたらたけひろ (Takehiro) の様な行動をとっていそうな気がするからだ。
何故ならば、ぼくが本作を体験したのは連載時にあたり、しかもその物語のなかの悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の設定である年齢と全くおなじ、つまり、同学年であった。つまり彼の同級生である阿部キリヒト (Kirihito Abe) とも同学年なのである。その当時のぼくからみれば、作品初登場時の阿部キリヒト (Kirihito Abe) の態度と行動、模範生然たる優等生然たるそれらに、少なからぬ恐怖と狂気を感じたのも事実である [さらに付け加えれば、中途半端に成績が良かったおかげで、周囲からは模範生の様な優等生の様な持ち上げられ方をしていたが為に、僕の内心が屈折していたせいでもあろう、正直に告白すればぼくは悪魔くん (Akuma-kun) になりたかったのだ]。
それ故に、ぼくが阿部キリヒト (Kirihito Abe) のなかにたけひろ (Takehiro) と同種のモノをみているのに違いない。
否、それよりも第一に、その容貌が似ていなくもない、それもが最大の理由のひとつだろう。

[上掲画像はこちらから]
阿部切人 (Kirihito Abe) は、マンガ『魔太郎がくる!! (Matarou Ga Kuru!!)』 [藤子不二雄 (A) (Fujiko Fujio (A)) 作 1972~1975年 週刊少年チャンピオン連載] の主人公である浦見魔太郎 (Mataro Urami) とライバル関係にある。
その彼と読みこそ同じとは謂え、阿部キリヒト (Kirihito Abe) と綴る彼はマンガ『悪魔くん復活 千年王国 (Sennen Oukoku : Millenarism)』 [水木しげる (Shigeru Mizuki) 作 1972~1970年 週刊少年ジャンプ連載] の登場人物である。拙稿の主題は彼、阿部キリヒト (Kirihito Abe) なのである。
猶、彼は同じ作者によるその作品の原典、マンガ『悪魔くん (Akuma-kun)』 [水木しげる (Shigeru Mizuki) 作 1963年刊行] に登場し、そのクライマックスに於いて重要な役割を演ずる事にはなるのではあるが、拙稿ではそこでの彼には言及しない。あくまでもマンガ『悪魔くん復活 千年王国 (Sennen Oukoku : Millenarism)』の登場人物としての彼、阿部キリヒト (Kirihito Abe) について、である。
阿部キリヒト (Kirihito Abe) は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が転校した小学校での同級生として登場する。阿部キリヒト (Kirihito Abe) は、その小学校での模範生であり優等生であり、その彼を見習う様にと悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は、彼の隣席を与えられるのだ。
悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) がその小学校に転校したのは、宿敵ロナルド・サタン (Ronald Satan) の策謀により本拠地である奥軽井沢 (Okukaruizawa) を追われたからである。彼はやむなく、自身の智慧と能力を隠す為に、敢えて劣等生として、不良生徒としての態度と行動を執る事にする。それ故に、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は悉く、阿部キリヒト (Kirihito Abe) と対立する事になる。
しかし、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は、少しづつそして確実にその小学校での頭角を顕していくのだ。
ここまでは良い。
自身の地位と名誉を奪われ、そしてそこを追放された主人公の、貴種流離譚 (Monomyth) の物語、その典型を准っていると解釈出来なくもない。
その作品でも奥軽井沢 (Okukaruizawa) から東京 (Tokyo) へと舞台を移ての、物語の急展開はめをみはるものがある。悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の面目躍如たるモノをみないではない。
と、看做してみれば、阿部キリヒト (Kirihito Abe) はその物語に於ける、噛ませ犬 (Underdog) のひとりとしての機能だけをもたされたかの様に読める。
しかし、その次に阿部キリヒト (Kirihito Abe) がその物語に登場するのは、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の輩下たる12使徒 (Twelve Apostles) のひとり、第12使徒 (The Twelfth Apostle) として他の使徒達 (The Other Apostles) に紹介された際の事、しかも第11使徒 (The Eleventh Apostle) である松下太平 (Tahei Matsushita) [悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の実父] と同席しての事である。
そして、彼が実際にその物語で果たすべき役割はそこで終了してしまう。
主人公と敵対する同級生であり、後に彼に隷属するかたちをもって、物語に登場する阿部キリヒト (Kirihito Abe) の、物語に於ける存在意義とは一体、なんなのであろうか。
ひとつに考えられる事は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が通う小学校がまるごと、彼の下部組織として成立してしまったその象徴である、と謂う事だ。実際に、彼の新たなる本拠地ではその学校の児童達はおろか職員達までもが彼の為に働いているのである。
そしてそのもうひとつに考えられる事は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の輩下である12使徒 (Twelve Apostles) が彼の存在によって勢揃いする事である。つまり、単なる数合わせとしての登場人物である。但し、だとしても、その数合わせの最期のひとりがキリスト教 (Christianity) に於ける救世主 (Messias) とよく似た呼称をもっている事には着目しても良いであろう。何故ならば、その後に続く物語は、イエス・キリスト (Iesus) の受難 (Passio Christi) と復活 (Resurrectio Christi) をなぞる様なかたちで進行するのだから。
[もしかしたら阿部キリヒト (Kirihito Abe) が担うであろうイエス・キリスト (Iesus) の受難 (Passio Christi) と復活 (Resurrectio Christi) をいつのまにかどこかの時点で、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が自らの身をもっていれかわったと看做す事も出来ようか。]
と、謂う2点を踏まえた上で、ぼくはさらに次の様に考える。
この物語は当初、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) による、彼の為の12使徒 (Twelve Apostles) の召喚の物語として語られ始める。物語の冒頭に、後に第3使徒 (The Thrd Apostle) となるヤモリビト (Yamori-bito : Gecko-man) の依代となる佐藤 (Sato) が登場するのはそういった理由だ。そして、八仙 (The Eight Hermits) 傘下のフラン・ネール (Flan Nehru) の画策によりヤモリビト (Yamori-bito : Gecko-man) の憑依から解放された佐藤 (Sato) の存在と行動が、この物語の行方をおおきく左右する事になる。また、彼の視点を通じて、読者の多くは、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) やその他の登場人物達の思考や行動を理解していく事になる。つまり彼こそがその物語の語部 (The Narrator) であるのだ。
だが、12使徒 (Twelve Apostles) 召喚の物語としてのその作品は思わぬところで頓挫する。
ひとつには、第2使徒ふくろう女 (Fukuro-onna : Ural Owl Woman, The Second Apostle) の請願による、第4使徒占い杖 (The Dowsing Rod, The Fourth Apostle) の誕生である。占い杖 (The Dowsing Rod) があるからこそ、そこに彼女自身も含めた幾人もの人物達が悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の許に結集する事が出来た。それをもって彼女は占い杖 ((The Dowsing Rod) の第4使徒 (The Fourth Apostle) 就任の理由とする。しかし、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) が異議を唱える。否、彼でなくとも読者の殆どがそれを発するであろう。何故ならば、占い杖 (The Dowsing Rod) は特殊な霊的能力をもってはいるが、そこに知性や人格を認める事が不可能であると思われるからである。使徒 (The Apostle) ではない、道具である。そんな認識だ。
しかし、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) は彼女の主張を諾とし、ここに第4使徒占い杖 (The Dowsing Rod, The Fourth Apostle) が誕生するのである。
ここに於いて、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) ならずとも、ぼく達読者は悩む事になるに違いない。使徒 (Apostle) とは一体、何か、と。
そして、その疑義をさらに助長すべき第7・第8・第9そして第10使徒 (Apostles Of The Seventh, The Eighth, The Ninth and The Tenth) が誕生するのだ。
第7使徒並びに第8使徒 (The Seventh Apostole And The Eighth Apostle) となる老夫妻は、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が棲む別荘番 (Villa-keepers) のふたりであり、第9使徒 (The Ninth Apostle) は彼等の要請を受けて悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) へ注意喚起をしに顕れた駐在 (Residential Police) なのである。つまり、なんら特殊の能力も智力も持ち合わせない、一般人 [もしくはそれ以下の存在] なのである。そんな彼等自らが使徒 (Apostle) としての参加協力を申し出、しかも悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) はなんの疑いも持たずにそれを受理するのだ。
[猶、第10使徒幽霊 (A Ghost, The Tenth Apoistle) は、第6使徒家獣 (Kajyu ; The House-beast, The Sixth Apostles) の胎内に棲む存在で、その胎内に図らずも囚われ彷徨っていた3人、すなわち別荘番夫妻 (Villa-keepers) と駐在 (Residential Police) に遭遇するのだ。彼に第10使徒 (The Tenth Apostle) を任命した悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) も、彼についてはそれ以上の情報をなんら持ち合わせていない。]
第7・第8・第9使徒(Apostles Of The Seventh, The Eighth And The Ninth) の3名は使徒 (The Apostle) の任命を受けて、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) に対し、自身の安寧を要請するが、それをみたヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) は、それは逆ではないかと自問自答する。すなわち、彼の視点にたてば、悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の安寧を保証する事こそが使徒 (Apostle) の第一の使命ではないか、と謂うのである。
[ここに先立つ命題として、ヤモリビトこと佐藤 (Yamori-bito : Gecko-man aka Sato) は、地下より召喚された悪魔 (Demon) の存在意義とそこからの発露たる彼の能力と、それを召喚し得た悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の存在意義とその能力を比した疑義を、独白と謂うかたちをもって彼は読者に呈示している。]
果たして、どちらが正しいのであろうか。解答はだれからも一切ない。あるとすれば、12使徒 (Twelve Apostles) 達それぞれがそれぞれの場面や持ち場で一体なにをおこなったのか、それをひとつひとつ検証していくしかない。
そしてその疑問を復唱する様なかたちで第12使徒阿部キリヒト (Kirihito Abe, The Twelveth Apostle)が存在している様に、ぼくにはみえる。
次回は「と」。
附記:
本来ならば、拙稿の為に、阿部キリヒト (Kirihito Abe) もしくはそれに類する図象を呈示すべきなのだろうが、相応しい画像はネット上には発見できないのであった。
だから、マンガ『伝染るんです。 (Utsurun Desu. : Quick Infect )』 [吉田戦車 (Sensha Yoshida) 作 1989~1994年 週刊ビッグコミックスピリッツ連載] の登場人物のひとり、たけひろ (Takehiro) の画像を下に掲載する。悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) が非業の死を遂げ、彼が復活するまでの3年間、彼が闇おちしたらたけひろ (Takehiro) の様な行動をとっていそうな気がするからだ。
何故ならば、ぼくが本作を体験したのは連載時にあたり、しかもその物語のなかの悪魔くんこと松下一郎 (Ichiro Matsushita aka Akuma-kun) の設定である年齢と全くおなじ、つまり、同学年であった。つまり彼の同級生である阿部キリヒト (Kirihito Abe) とも同学年なのである。その当時のぼくからみれば、作品初登場時の阿部キリヒト (Kirihito Abe) の態度と行動、模範生然たる優等生然たるそれらに、少なからぬ恐怖と狂気を感じたのも事実である [さらに付け加えれば、中途半端に成績が良かったおかげで、周囲からは模範生の様な優等生の様な持ち上げられ方をしていたが為に、僕の内心が屈折していたせいでもあろう、正直に告白すればぼくは悪魔くん (Akuma-kun) になりたかったのだ]。
それ故に、ぼくが阿部キリヒト (Kirihito Abe) のなかにたけひろ (Takehiro) と同種のモノをみているのに違いない。
否、それよりも第一に、その容貌が似ていなくもない、それもが最大の理由のひとつだろう。

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