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2021.04.27.08.47

みづのあじ

その夏のある日、近所にある母方の祖父母の家で、ぼくはテレビ (Television Set) をみていた。
何故、その日、その時間そこにいたかと謂うと、いくつかの理由がある。

当時のぼくは所謂、鍵っ子 (Latchkey Kid) だった。平日の日中、ぼくの家には誰もいなくなる。小学校 (Primary School) の長期休暇 (School Holidays) は勢い、ぼくと3歳下の弟とふたりっきりだ。昼食はあらかじめ用意されていたモノを喰うか、渡されたいくばくかの金で惣菜等を買って喰う。時には、近所の飲食店に赴く事もあっただろう。そんな選択肢のひとつが祖父母の家だったと思う。
「今日はうちで喰べていくか」と。

否、その家で昼食を喰うのはあくまでも次いでだ。それが主目的ではない。テレビ (Television Set) なのである。当時のぼくの家にあるのは、いつ壊れても不思議ではない白黒のテレビ (Black‐and‐white Television) だった。
そして、長期休暇 (School Holidays) のその時間帯は、小中学生 (For Primary School Students and Junior High School Students) 向けに昔のアニメ番組を帯番組として放映していたのだ。例えば、夏休み (Summer Holidays) と謂えば、海洋冒険モノと謂う観点からかアニメ番組『海のトリトン (Triton Of The Sea)』 [原作:手塚治虫 (Tezuka Osamu) 1972TBS系列放映] が毎夏の様に放映されていた筈だ。
さもなければ、お盆 (Bon Festival) に合わせた怪談 (Ghost Story)、恐怖譚 (Scary Story) を題材とした特撮映画だ。例えば映画『ハエ男の恐怖 (The Fly)』 [カート・ニューマン (Kurt Neumann) 監督作品 1958年制作] は、そんな環境下で観た作品である。但し、こちらの場合は、カラー (Color Television Set) で観たいとは別の理由がもうひとつあった。子供2人っきりで観るのは怖い、でも観たい、ぢゃあ、大人がいる場所で観よう。そんな、今のぼくからみれば、微笑ましくも情けない心情が発動していたのである。

恐らく、そんないずれかの理由でその夏のある日、ぼくはそこにあるテレビ (Television Set) を観ていた筈だ。お目当ての番組が放映されるのは、まだ早い。ブラウン管 (Cathode-ray Tube) に映るのは、朝のワイドショー (Talk Show) の類いである。
番組名は憶えていない。
しかし、そこで交わされた司会者達の会話のごく一部だけがぼくのなかに遺っている。
その語句が拙稿の題材、"みずのあじ (A Taste Of Water)"なのである。

会話の主題は、確か名門私立中学校 (Prestige Private Junior High Schools) の受験問題に関してと記憶している。
そしてこんな発言があったのだ。
「問題のなかには、みずのあじとはなにか、というものがあります」
そんな発言を受けて、一同からはどれも似通った反応、「むずかしい」と謂うモノが返ってきた。

その問題が難しいか否かと聴かれれば、当時のぼくだって同様の反応しかかえせなかっただろう。
否、それよりも、それ以前の事で躓いてしまう。
"みずにあじなんかあるの? (Does Water Has Taste?)"と。

images
"Noorsarai, Indiac - A New, Deeper Well Replaces An Old One That Has Dried Up, 1967" 1967 by Marilyn Silverstone

ぼくのなかにある水 (Water) と謂うのは、それはあくまでも無味なのである。
いや、勿論、美味しくおもうときもあるし、その逆に不味くおもうときもある。
体育の授業 (Physical Education) を終えて、蛇口 (Tap) を全開にして呑む水 (Water) はつめたくてきもちがいいし、水 (Water) 以外に口にいれるモノのない時にただ空腹を満たさんが為に半ば、いやいや呑むそれは味気ないばかりなのだ。
でも、そんな体感は、味覚云々とは別の場所、快不快にちかい反応の様に思う。

唯一に、水の味 (A Taste Of Water) と謂うモノの存在を認識させてくれた例外がある。それは、新幹線の車輌 (Shinkansen Train) 内にある車両用ウォ一夕ークーラ (Water Cooler For Train) の、その味だ。備え付けの紙コップ (Paper Cup For Train) で呑むそれの独特の味覚は、あそこでしか味わえないモノである。ヒトによってはカルキ臭 (Odor Of Chloramine) と表現する様なモノである。
しかし、他のカルキ臭 (Odor Of Chloramine)、例えば遊園地 (Amusement Park) や公共機関 (Institution) 等に据えられた冷水機 (Water Cooler) でのそれとは段違いなモノなのである。
だから、逆に、家族旅行等で、その交通機関を使用する時は、喉が乾いてもいないくせに、そこで水 (Water) を呑んだモノだった。新幹線 (Shinkansen)、その車輌 (Train) は、それに限らず、トイレ (Toilet) も洗面所 (Wash Room) も、一種独特のデザインと雰囲気が漂っていて、それだけでも、一級の遊び場、探検場所として機能していたのである。

さて、"みずのあじ (A Taste Of Water)"と謂う語句でぼくが想い出すべきなのは、もうひとつだけある。
TV番組『ローマでチャオ (To Rome With Love)』 [19691971CBS系列放映 19701971TBS系列放映] の挿話のそのひとつである。
そのテレビ番組の主人公は、ローマ (Roma) に赴任した米家族、父親とその娘3人の暮らしである。ふたむかし前くらいのタームを起用すれば、その番組の主題は、異文化コミュニ ケーション (Cross-cultural Communication) である。
そのなかで、ローマ (Roma) 着任以前の彼等に、友人達 [もしくは親族達] が発したいくつもの忠告のなかで、水道の水 (Tap Water) は呑んではいけない、と謂うモノがあった筈だ。その家族4人は当初、その忠告を真に受けて、ミネラル・ウォーター (Mineral Water) の瓶を買い漁って、それを常用する。
だが、しかし ...。

「だが、しかし ...。」と綴ってはみたモノの、その挿話がどの様な解決をみたのかは、実はぼくには記憶がない。そもそもに、その家族に向けられた忠告のその主体は、味覚の面からの指摘であると謂うよりも衛生面に於ける注意なのかもしれないのだ。
が、少なくとも、その家族が出逢ったローマ (Roma) の人々は皆、ミネラル・ウォーター (Mineral Water) の介在しない生活をしていたのだろう。そして、それによってなんら不都合は惹起される事はなかったのだろう。
そして、その家族の米国時代の友人・知人達がもたらした情報や忠告、それらはローマ (Roma) と謂う土地、そしてその環境、さらにはそこで暮らす人々に関してのモノだ、そんなそれらが彼等ローマ (Roma) での生活の積み重ねによって、徐々に覆されていった様に、ミネラル・ウォーター (Mineral Water) 云々も同種の装置として機能していたのだろう、とは思う。つまり、偏見や誤謬が瓦解し、新たな関係を築く礎えとなる、そんな道具立てのひとつなのだろう、と。

だけれども、番組を観た当時は、水 (Water) って態々、瓶に入れて売り、お金を払って態々、呑むモノなのだと謂う驚きばかりがあった。

だから、今でも、飲料水 (Drinking Water) がペットボトル (Plastic Bottle) 入りで売られていても、ぼくが購入するのは味覚の予め与えられた呑みモノばかりなのである。

次回は「」。

附記 1.:
ぼくが産まれ育った土地の水 (The Water At Where I Was Born And Raised) と今、ぼくが棲んでる土地の水 (The Water At Where I Live in) を比べると、前者は格段に後者より優れていると謂う。しかし、ぼくにはその違いがよく解らない。ふたつの水 (Water) をふたつの容器に注ぎ、その場でそれぞれを試飲すれば、立ち所に判明する問題なのかもしれないが、そんな手間隙が注入される事は先ずない。いずれかの土地に在住している人間がいずれかの土地に旅行して、おのれとその際の味覚を比較しているだけなのだ。そして、そんな要領でぼくが呑み比べても、どうだろう? と謂う懐疑しか発し得ないのだ。
ただ、はっきりとした事はひとつだけあって、今棲んでいる家の蛇口 (Tap) を捻って出る水は、1杯2杯の事ならばなんの事もないのだけれども、半日程度呑み続けると決まって、ぼくは腹をこわしてしまうのだ [勿論、今の土地の飲料水に関しては、当水道局 (Waterworks Bureau) が飲料可能としている]。
だから、水道の水(Tap Water) を飲用として使用する場合は必ず煮沸した後、麦茶 (Barley Tea) や烏龍茶 (Oolong) をつくる際の食材のひとつとしてだけ使用する。
尤も、ぼくのこの様な生活は、味覚に於けるの問題ではなくて衛生面の観点をもって語られるべき筋合いのモノではあるのだろうが。

附記 2. :
TV番組『ローマでチャオ (To Rome With Love)』と謂う番組名は全国区では通用しない様だ。拙稿を綴る際に、初めてそれを知った。
でも、全国区名であるその番組名『パパと三人娘 (To Rome With Love)』 では、恐らくぼくの記憶に遺っていなかっただろう。その番組はぼくが小学生 (Primary School Student) であった時代に、日曜午前に放映されていて、その番組名によってローマ (Roma) と謂う語句とチャオ (Ciao) と謂う語句を知ったのである。尤も、前者がある国の首都である事やその土地にある歴史や文化を知るのは、もっともっと後の話ではある。
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