2021.02.07.09.55
こんな夢をみた。
the poster for the movie "Dr. Terror's House Of Horrors" 1965 directed by Freddie Francis
かえれなくなった。とめてくれ。
そんな電話がかかってきて、だからいま、ここに酒臭い息をしているおとこがぼくのとなりで寝ている。寝具はぼくのぶん、1式しかない。そして、この部屋はとても寒い。しかたなく身をよせあってひとつの布団をあたまからかぶっている。もちろん、せなかあわせだ。そして、もうしばらくすると寝返りをうつのを口実に、酒臭い息がさらにちかづいてくるのだろう。そのおとこはひげづらで、ことのほかにとても毛深い。そうおもうだけで、そこからあと、どうやって我が身をまもろうか、そんなことばかりがあたまのなかをうずまく。
<暗転>
おおいそぎで1点、絵をしあげなければならなくなる。頼まれたのは棺、暗闇のそこに沈み、そしてそれがいままさにあけられようとしている、そんな光景だ。あけるのはだれか、それはぼくにまかせるという。遺骸が復活しようとしてもいいし、生きたまま亡者として葬られた人物が息をふきかえしてもいい。いや、そうではない。その納骨堂に闖入した外部のものがその棺をあばこうとしていてもいい。そんな事を謂う。依頼の意図がよく解らない。だが、遅くとも今日中には納品しなければならないものなのだ。たちあげたパソコンでいくつもいくつも、注文に対応できそうな、相応しそうな画像を検索する。そして、描き始める。上部にひとつの円、その下方に不揃いな四角形をみっつ、そうやって全体の配置を決める。完成した作品は、月夜に照らされた木製の椅子3脚である。そのうちの1脚は、ものの見事に倒れ、破壊されている。
<暗転>
テレビをつけたら、期待したものは放送されていない。ぼくが知りたいのはさっきぼく達が体感した轟音と振動だ。その報道をみたい。原因と予測を知りたいのだ。しかし、画面に映るのは、往年の素人参加番組である。10数年前のものを放映している思われる。いまでは熟練の司会者であるKMの若かりし頃、彼の出世作である。その彼にいぢられているのは白髪の老人で、彼もいまは名脇役として活躍している。KMの無茶苦茶なふりをものの見事に一切、はぐらかして会場を爆笑させている。ただそれを眺めているぼくひとりだけが憤慨しているのだ。
<暗転>
トイレで用をたしている最中、天窓の狭い隙間からそとの光景がまるみえである事にふと気づく。ぼくはいま帰省中で、その実家は団地の3階にある。トイレの外にあるのは階段である筈なのだ。だが、みえる光景は1ブロック向こうにある大通りなのである。何故ならば、街燈に照らし出されバス停がはっきりとみえるからだ。そして、そこにいままさにそこに停まったバスから、おおきな声が聴こえる。しかもその声はぼくの名前を呼んでいるのだ。おそらくきっと、ぼくの居場所を捜し当てたに違いない。あの島からぼくを迎えに来たのだ。なにもしらない母は快く彼を迎え入れるだろう。そして彼女の手料理による歓待が始まるのだ。いや、もしかすると馴染みの呑み屋にでも繰り出すのだろうか。解らない。だが、きっとこの夢は冒頭へ、最初の夢へと立ち返るのだろう。
the poster for the movie "The House That Dripped Blood" 1971 directed byPeter Duffell
the poster for the movie "Dr. Terror's House Of Horrors" 1965 directed by Freddie Francis
かえれなくなった。とめてくれ。
そんな電話がかかってきて、だからいま、ここに酒臭い息をしているおとこがぼくのとなりで寝ている。寝具はぼくのぶん、1式しかない。そして、この部屋はとても寒い。しかたなく身をよせあってひとつの布団をあたまからかぶっている。もちろん、せなかあわせだ。そして、もうしばらくすると寝返りをうつのを口実に、酒臭い息がさらにちかづいてくるのだろう。そのおとこはひげづらで、ことのほかにとても毛深い。そうおもうだけで、そこからあと、どうやって我が身をまもろうか、そんなことばかりがあたまのなかをうずまく。
<暗転>
おおいそぎで1点、絵をしあげなければならなくなる。頼まれたのは棺、暗闇のそこに沈み、そしてそれがいままさにあけられようとしている、そんな光景だ。あけるのはだれか、それはぼくにまかせるという。遺骸が復活しようとしてもいいし、生きたまま亡者として葬られた人物が息をふきかえしてもいい。いや、そうではない。その納骨堂に闖入した外部のものがその棺をあばこうとしていてもいい。そんな事を謂う。依頼の意図がよく解らない。だが、遅くとも今日中には納品しなければならないものなのだ。たちあげたパソコンでいくつもいくつも、注文に対応できそうな、相応しそうな画像を検索する。そして、描き始める。上部にひとつの円、その下方に不揃いな四角形をみっつ、そうやって全体の配置を決める。完成した作品は、月夜に照らされた木製の椅子3脚である。そのうちの1脚は、ものの見事に倒れ、破壊されている。
<暗転>
テレビをつけたら、期待したものは放送されていない。ぼくが知りたいのはさっきぼく達が体感した轟音と振動だ。その報道をみたい。原因と予測を知りたいのだ。しかし、画面に映るのは、往年の素人参加番組である。10数年前のものを放映している思われる。いまでは熟練の司会者であるKMの若かりし頃、彼の出世作である。その彼にいぢられているのは白髪の老人で、彼もいまは名脇役として活躍している。KMの無茶苦茶なふりをものの見事に一切、はぐらかして会場を爆笑させている。ただそれを眺めているぼくひとりだけが憤慨しているのだ。
<暗転>
トイレで用をたしている最中、天窓の狭い隙間からそとの光景がまるみえである事にふと気づく。ぼくはいま帰省中で、その実家は団地の3階にある。トイレの外にあるのは階段である筈なのだ。だが、みえる光景は1ブロック向こうにある大通りなのである。何故ならば、街燈に照らし出されバス停がはっきりとみえるからだ。そして、そこにいままさにそこに停まったバスから、おおきな声が聴こえる。しかもその声はぼくの名前を呼んでいるのだ。おそらくきっと、ぼくの居場所を捜し当てたに違いない。あの島からぼくを迎えに来たのだ。なにもしらない母は快く彼を迎え入れるだろう。そして彼女の手料理による歓待が始まるのだ。いや、もしかすると馴染みの呑み屋にでも繰り出すのだろうか。解らない。だが、きっとこの夢は冒頭へ、最初の夢へと立ち返るのだろう。
the poster for the movie "The House That Dripped Blood" 1971 directed byPeter Duffell
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