2020.12.01.08.45
時折、殆ど不意に蘇ってくる1節なのだけれども、ぼくの記憶のなかにあるのは、その1節だけなのである。だから、誰の歌唱なのかも解らないし、いつの作品なのかも解らない。
♪イグアノドンが やってくる (Here Comes A Iguanodon)♪
ただ、それだけなのである。
TVアニメ番組『わんぱく大昔クムクム (Kum-Kum)』 [原作:安彦良和 (YoshikazuYasuhiko) 監督:りんたろう (Rintaro) 1975~1976年 TBS系列放映] のエンディング主題歌『サウルスくん (Saurus-kun)』 [作詞:木島始 (Hajime Kijima) 作曲:すぎやまこういち (Koichi Sugiyama) 歌唱:岸龍也 (Tatsuya Kishi)、コロムビアゆりかご会 (Columbia Yurikago Kai)] に登場するのはディノサウルス (Dinosaurus) であって、イグアノドン (Iguanodon) ではない。しかもその歌での彼の行動は、自身を呼ぶその声への返答だけなのである。
とんねるず (Tunnels) が歌う楽曲は『ガラガラヘビがやってくる (Rattlesnake Coming)』 [作詞:秋元康 (Yasushi Akimoto) 作曲:後藤次利 (Tsugutoshi Goto) 1992年発表] だ。上の1節はその替歌なのかもしれないが、誰がいつなんの為にそんな改革を施したのかも、ぼくには解っていないのであった。
上の1節そのものを検索すると登場するのは1例だけある。だが、その1例もなにかの付属物ないしなにかから発祥したモノの様な佇まいであって、『イグアノドンがやってくる (Here Comes A Iguanodon)』だけが独立の、独自の個性として存在しているとは、決して思えないのである。
ぼくにとっての『イグアノドンの唄 (A Song For A Iguanodon)』とは、その様な不確かで脆弱なモノなのである。
ところで、中谷宇吉郎 (Ukichiro Nakaya) に随筆『イグアノドンの唄 - 大人のための童話 - (A Song For A Iguanodon : A Fairy Tale For The Grown Ups)』 [1952年 雑誌『文藝春秋』掲載] がある。執筆当時の、考古学 (Archaeology) ないし恐竜学 (Dinosaur Studies) への彼なりの概観を綴ったその最期に、その歌が紹介されてある。彼の実子、「下の男の子 (The Younger Son)」が創作したモノである。
勿論、その歌には、冒頭に掲載した1節なぞ、登場はしない。その代わりに、ぼくにとっての『イグアノドンの唄 (A Song For A Iguanodon)』には決して登場しない様な景物が描写されているのである。
その歌詞を読んでいくと、そこで歌われている光景は、どうみても、太平洋戦争 (Pacific War) 時のモノである。彼にとっての、イグアノドン (Iguanodon) がいる光景には如実に、世情・政情と謂うモノが色濃く反映しているのである。
でも、だからと謂って、彼の観ているイグアノドン (Iguanodon) と、ぼくの観ているイグアノドン (Iguanodon) は、同じイグアノドン (Iguanodon) である筈なのだ。
と、妙な謂い回し、あたかも禅問答 (Zen Dialogue) の様なトートロジー (Tautology) に耽ってしまったのには、訳がある。
彼やぼくが出逢ったイグアノドン (Iguanodon) は、現在の少年少女達が出逢うイグアノドン (Iguanodon) とは、まったく異なる姿であるからなのだ。
さて、ここでそれぞれのイグアノドン (Iguanodon) をそのまま登場させて比較すれば、立ち所にその違いは明らかになるのだが、すこし迂回をしてみたいと思う。
例えば、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) だ。現在の少年少女達に、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) の原型のそのひとつが、イグアノドン (Iguanodon) である、と彼等に伝えたとしても決して信じてはくれないだろう、と謂う事なのである。
もしかしたら、彼等は怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) の原型は、恐竜 (Dinosaur) のゴジラサウルス (Gojirasaurus) と謂うかもしれない。しかし、その恐竜 (Dinosaur) は怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) と謂う架空の存在が認知されてから発掘、命名されたモノなのである。そして、その名前は、映画『ゴジラ vs キングギドラ
(Godzilla vs. King Ghidora)』 [大森一樹 (Kazuki Omori) 監督作品 1991年制作] に登場する架空の恐竜 (Dinosaur)、ゴジラザウルス (Godzillasaurus) にちなんでいるのである。その作品内に於いては、架空の恐竜 (Dinosaur)、ゴジラザウルス (Godzillasaurus) が核実験 (Nuclear Testing) による被曝 (Radiation Exposure) の結果、巨大化した生物が怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) であると設定されているのである。時系列からみれば、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) が創造された後に架空の恐竜 (Dinosaur)、ゴジラザウルス (Godzillasaurus) が創造され、その後に恐竜 (Dinosaur) のゴジラサウルス (Gojirasaurus) が発掘されたのである。
話を元に戻して、イグアノドン (Iguanodon) を原型として怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) が誕生したと謂う設定を彼等に説明するのが難しくなってしまったのは、恐竜学 (Dinosaur Studies) に於ける所謂恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) の成果、そのひとつなのである。
だから、彼等に、ぼく達の少年時代に顕れたイグアノドン (Iguanodon) の姿をみせると、吃驚してしまうだろう。
そして、その姿をもってして初めて、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) とイグアノドン (Iguanodon) の関係を理解してくれるのかもしれない。

"Iguanodon" by Neave Parker
ところで、イグアノドン (Iguanodon) はその存在が知られた当初から、上の画像の様な姿として認知されていたのではない。
彼の全身骨格が発見された1878年以降の研究の成果が、上の画像をもたらせているのである [そして、上で言及した恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) によって更なる変貌を彼が遂げる事になる]。
それ以前は、その名称に顕れている様に、爬虫類 (Reptilia) であるイグアナ (Iguanidae) の様な姿として思い描かれていたのだ。
何故ならば、最初に発見されたイグアノドン (Iguanodon) の化石 (Fossil) は、爪 (Nail) しかなく、しかもそれを爪 (Nail) だとは思い描く事は当時は出来ず歯 (Tooth) と認知されてしまう。しかもあろう事か、彼の頭頂部に角 (Horn) の様なモノがあると看做されてしまうのである。
そんな当時の、最新の研究成果は、水晶宮 (The Crystal Palace) に設置された彼等の彫像群 [こちらを参照] で窺いしる事が出来るばかりか、彼等が如何に話題を産み、人気の産物であったかは、当時の模様を伝える幾つもの資料で知る事が出来る。
中でも出色なのは、イグアノドン (Iguanodon) を模した、宴会場の存在であって、巨大な四足歩行の爬虫類 (Reptilia)、すなわち当時のイグアノドン (Iguanodon) の巨大な彫像の、その胴体部をくり抜き、大きな円卓をそこに据えた事にある。最新鋭を気取る紳士達が夜毎、そこで宴席を設けたのである [こちらを参照]。
その結果、恐竜 (Dinosaur) とは巨大な爬虫類 (Reptilia) の怪物であると謂う様な認識を生ぜしめ、それ故にか、特撮映画黎明期 (Early Special Effects Movies) に登場する恐竜 (Dinosaur) 達はどれも、現生する爬虫類 (Reptilia) に角や鰭を粉飾したモノ、所謂蜥蜴特撮 (Dinosaur Special Effects By LIzards) として登場しているのである。映画『紀元前百万年
(One Million Years B.C.)』 [ハル・ローチ (Hal Roach) 監督作品 1940年制作] に登場し、格闘をする2匹の恐竜 (Dinosaur) 達がまさにそれである。
そして、イグアノドン (Iguanodon) の全身骨格の発掘を含め、恐竜 (Dinosaur) 達のあるうべき、 [当時としての] 正しい姿の認知を経て制作されたのが、映画『紀元前百万年
(One Million Years B.C.)』 のリメイク作『恐竜100万年
(One Million Years B.C.)』 [ドン・チャフィ (Don Chaffey) 監督作品 1966年制作] なのである。粉飾された爬虫類 (Reptilia) ではない、上掲画像の様な容姿をした恐竜 (Dinosaur) 達がその映画のなかで我ものの様に蠢くのだ。
[だからと謂って、恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) 以降に制作公開された映画『ジュラシック・パーク
(Jurassic Park)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1993年制作] が、[制作当時の認識に基づいている] 正しいあるがままの恐竜 (Dinosaur) 達の姿を描いているとは断定は出来ないのではあるのだが。]
次回は「た」。
♪イグアノドンが やってくる (Here Comes A Iguanodon)♪
ただ、それだけなのである。
TVアニメ番組『わんぱく大昔クムクム (Kum-Kum)』 [原作:安彦良和 (YoshikazuYasuhiko) 監督:りんたろう (Rintaro) 1975~1976年 TBS系列放映] のエンディング主題歌『サウルスくん (Saurus-kun)』 [作詞:木島始 (Hajime Kijima) 作曲:すぎやまこういち (Koichi Sugiyama) 歌唱:岸龍也 (Tatsuya Kishi)、コロムビアゆりかご会 (Columbia Yurikago Kai)] に登場するのはディノサウルス (Dinosaurus) であって、イグアノドン (Iguanodon) ではない。しかもその歌での彼の行動は、自身を呼ぶその声への返答だけなのである。
とんねるず (Tunnels) が歌う楽曲は『ガラガラヘビがやってくる (Rattlesnake Coming)』 [作詞:秋元康 (Yasushi Akimoto) 作曲:後藤次利 (Tsugutoshi Goto) 1992年発表] だ。上の1節はその替歌なのかもしれないが、誰がいつなんの為にそんな改革を施したのかも、ぼくには解っていないのであった。
上の1節そのものを検索すると登場するのは1例だけある。だが、その1例もなにかの付属物ないしなにかから発祥したモノの様な佇まいであって、『イグアノドンがやってくる (Here Comes A Iguanodon)』だけが独立の、独自の個性として存在しているとは、決して思えないのである。
ぼくにとっての『イグアノドンの唄 (A Song For A Iguanodon)』とは、その様な不確かで脆弱なモノなのである。
ところで、中谷宇吉郎 (Ukichiro Nakaya) に随筆『イグアノドンの唄 - 大人のための童話 - (A Song For A Iguanodon : A Fairy Tale For The Grown Ups)』 [1952年 雑誌『文藝春秋』掲載] がある。執筆当時の、考古学 (Archaeology) ないし恐竜学 (Dinosaur Studies) への彼なりの概観を綴ったその最期に、その歌が紹介されてある。彼の実子、「下の男の子 (The Younger Son)」が創作したモノである。
勿論、その歌には、冒頭に掲載した1節なぞ、登場はしない。その代わりに、ぼくにとっての『イグアノドンの唄 (A Song For A Iguanodon)』には決して登場しない様な景物が描写されているのである。
その歌詞を読んでいくと、そこで歌われている光景は、どうみても、太平洋戦争 (Pacific War) 時のモノである。彼にとっての、イグアノドン (Iguanodon) がいる光景には如実に、世情・政情と謂うモノが色濃く反映しているのである。
でも、だからと謂って、彼の観ているイグアノドン (Iguanodon) と、ぼくの観ているイグアノドン (Iguanodon) は、同じイグアノドン (Iguanodon) である筈なのだ。
と、妙な謂い回し、あたかも禅問答 (Zen Dialogue) の様なトートロジー (Tautology) に耽ってしまったのには、訳がある。
彼やぼくが出逢ったイグアノドン (Iguanodon) は、現在の少年少女達が出逢うイグアノドン (Iguanodon) とは、まったく異なる姿であるからなのだ。
さて、ここでそれぞれのイグアノドン (Iguanodon) をそのまま登場させて比較すれば、立ち所にその違いは明らかになるのだが、すこし迂回をしてみたいと思う。
例えば、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) だ。現在の少年少女達に、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) の原型のそのひとつが、イグアノドン (Iguanodon) である、と彼等に伝えたとしても決して信じてはくれないだろう、と謂う事なのである。
もしかしたら、彼等は怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) の原型は、恐竜 (Dinosaur) のゴジラサウルス (Gojirasaurus) と謂うかもしれない。しかし、その恐竜 (Dinosaur) は怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) と謂う架空の存在が認知されてから発掘、命名されたモノなのである。そして、その名前は、映画『ゴジラ vs キングギドラ
話を元に戻して、イグアノドン (Iguanodon) を原型として怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) が誕生したと謂う設定を彼等に説明するのが難しくなってしまったのは、恐竜学 (Dinosaur Studies) に於ける所謂恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) の成果、そのひとつなのである。
だから、彼等に、ぼく達の少年時代に顕れたイグアノドン (Iguanodon) の姿をみせると、吃驚してしまうだろう。
そして、その姿をもってして初めて、怪獣王ゴジラ (Godzilla : King Of The Monsters) とイグアノドン (Iguanodon) の関係を理解してくれるのかもしれない。

"Iguanodon" by Neave Parker
ところで、イグアノドン (Iguanodon) はその存在が知られた当初から、上の画像の様な姿として認知されていたのではない。
彼の全身骨格が発見された1878年以降の研究の成果が、上の画像をもたらせているのである [そして、上で言及した恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) によって更なる変貌を彼が遂げる事になる]。
それ以前は、その名称に顕れている様に、爬虫類 (Reptilia) であるイグアナ (Iguanidae) の様な姿として思い描かれていたのだ。
何故ならば、最初に発見されたイグアノドン (Iguanodon) の化石 (Fossil) は、爪 (Nail) しかなく、しかもそれを爪 (Nail) だとは思い描く事は当時は出来ず歯 (Tooth) と認知されてしまう。しかもあろう事か、彼の頭頂部に角 (Horn) の様なモノがあると看做されてしまうのである。
そんな当時の、最新の研究成果は、水晶宮 (The Crystal Palace) に設置された彼等の彫像群 [こちらを参照] で窺いしる事が出来るばかりか、彼等が如何に話題を産み、人気の産物であったかは、当時の模様を伝える幾つもの資料で知る事が出来る。
中でも出色なのは、イグアノドン (Iguanodon) を模した、宴会場の存在であって、巨大な四足歩行の爬虫類 (Reptilia)、すなわち当時のイグアノドン (Iguanodon) の巨大な彫像の、その胴体部をくり抜き、大きな円卓をそこに据えた事にある。最新鋭を気取る紳士達が夜毎、そこで宴席を設けたのである [こちらを参照]。
その結果、恐竜 (Dinosaur) とは巨大な爬虫類 (Reptilia) の怪物であると謂う様な認識を生ぜしめ、それ故にか、特撮映画黎明期 (Early Special Effects Movies) に登場する恐竜 (Dinosaur) 達はどれも、現生する爬虫類 (Reptilia) に角や鰭を粉飾したモノ、所謂蜥蜴特撮 (Dinosaur Special Effects By LIzards) として登場しているのである。映画『紀元前百万年
そして、イグアノドン (Iguanodon) の全身骨格の発掘を含め、恐竜 (Dinosaur) 達のあるうべき、 [当時としての] 正しい姿の認知を経て制作されたのが、映画『紀元前百万年
[だからと謂って、恐竜ルネッサンス (Dinosaur Renaissance) 以降に制作公開された映画『ジュラシック・パーク
次回は「た」。
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