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2020.11.03.08.53

しっぽがない

で検索すると登場するのは、マンガ『うちの師匠はしっぽがない (Uchi No Shishou Wa Shippo Ga Nai : My Master Has No Tail)』 [ティーエヌエスケー (Tnsk) 作 月刊誌2019年より good! アフタヌーン連載] と絵本『しっぽがない! コアラとヒトのしっぽのなぞ (No Tails - The Mystery Of Tails In Human And Koala)』 [文:犬塚則久 (Norihisa Inuzuka) 絵:大島裕子 (Hiroko Oshima) 2018年刊行]。
だけど、そのふたつが拙稿に登場するのは、これだけだ。もしも、そのいずれかに用向きのあった方が、ここに辿り着いてしまったとしたら、申し訳ない。
拙稿の主題は、吾妻ひでお (Hideo Azuma) が創造したキャラクターなのである。正式にはシッポがない (Lost My Tail) と謂う。

それが登場するのは殆どの場合、ほんの一コマだけである。
作中人物の目前に顕れてただの一言、「シッポがない (Lost My Tail)」と謂う、ただそれだけの存在である。

そんな台詞を発言するのは、一見したところ陸棲 (Terrestria) の爬虫類 (Reptile) だ。有り体に謂えば、蜥蜴 (Lizard) の一種の様である。ほんの一瞬の登場で、唯一の台詞を発する姿から想像するに、二足歩行 (Bipedalism) が可能の様だ。その姿とその体長から、恐竜 (Dinosaur) の一種の様でもある。
それは、自身の尾 (Tail) の根元を片掌で支え、もう一方の掌でその先端部を指し示す。あるべきモノは欠損し、そこから体液 (Body Fluid) と想われる一滴が滲んでいる。
そして、涙をながして一言、「シッポがない (Lost My Tail)」と謂うのである。

images
上掲画像はこちらから。
画面左端に映り込んでいるのは、のた魚 (Nota, The Fish)、その頭部である。これも吾妻ひでお (Hideo Azuma) 創造のキャラクターである。

シッポがない (Lost My Tail) の発言には、矛盾 (Contradiction) がひどく潜在している。
身体の一部が欠損してしまったのだ。そのくるしみから考えれば、彼が涙ながらに自身の欠損を主調するのは、宜なる事ではある。
だが、その一方で、ぼく達はこういう慣用句 (Idiom) を知っている。
蜥蜴の尻尾切り (A lLzard's Casting Off Of Its Tail : Scapegoat)。
それを踏まえてしまうと、彼が涙を流している理由が解らなくなってくるのだ。

蜥蜴 (Lizard) の尾 (Tail) は、自切 [自裁] (Autotomy) と謂って、自らその部位を切り捨てる事が出来るモノである。
外敵からの攻撃に際し、効力を発揮する。切り捨てられた部位は、しばらくはあたかもそれ自身に意識があるが如く躍動し、その活発なうごきに外敵の注意が向けられたのを幸いにして、本体はそこから逃亡する。
しかも、欠損した箇所から、新たな部位が再生する。
身を切る様な (Biting)、と謂う慣用句 (Idiom) があるが、蜥蜴 (Lizard) は、我が尾 (Tail) を切断する事によって、保身を謀るのである。
そして、その様な蜥蜴 (Lizard) の特性を踏まえて、蜥蜴の尻尾切り (A lLzard's Casting Off Of Its Tail : Scapegoat) と謂う慣用句 (Idiom) は誕生する。
自身もしくは、自己が存する組織の保身を謀らんが為に、自身よりも下位にあるモノの生命や社会的地位、もしくは、脆弱で不活性な部署等に、その責任ないし存続を犠牲にせしめる行為に、その慣用句 (Idiom) を充てる。

と、謂う事を前提にシッポがない (Lost My Tail) の姿を眺めると、彼が涙をながす理由は、一切ないのである。
欠損部は、あらかじめ、欠損する事を前提として存在しているのであるから。
その欠損した部位は、怪我の功名 (Chance Success)、もしくは、名誉の負傷 (Purple Heart) とも呼ばれるべきモノで、場合によっては誇らしくもあるモノ、誇示すべきモノなのである。

何故なのか。

彼のもつ / もったシッポ (Tai) と謂う存在理由は、蜥蜴 (Lizard) の尾 (Tail) とは異なるのであろうか。

ちなみに、TV特撮番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [19661967TBS系列放映] の第26話・第27話『怪獣殿下 (The Prince Of Monsters)』 [脚本:金城哲夫若槻文三 監督:円谷一 特技監督:高野宏一] に登場する古代怪獣ゴモラ (Gomora, The Ancient Monster) も、ウルトラマン (Ultraman) の攻撃から自身を護る為に、尻尾切り (Casting Off Of Its Tail) と謂う行動をとる。物語の舞台である、大阪の街 (Osaka City) に、巨大な尾 (Giant Tail) が舞い踊るシーンは、その逸話、屈指の名シーンである。
尤も、古代怪獣ゴモラ (Gomora, The Ancient Monster) の場合は、尾 (Tail) を喪う事によって、攻撃力と破壊力が減退し、それが為にウルトラマン (Ultraman) に退治される事にはなるのだが。

そんな疑問への解答は、シッポがない (Lost My Tail) が初登場した作品、マンガ『るなてっく No. 1 (Lunatic No.1)』 [1979劇画アリス掲載] を一読すれば立ち所に氷解すると、思う。
その作品を読めば、恐らく次の様な理解が成立する筈だ。
それは、喪われたシッポ (Tail) こそが、彼のアイデンティティー (Identity)、その拠り所であるのだ。
彼は、自身の生存を確実なモノとする為に、アイデンティティー (Identity) を放棄したのである。
だから、その作品の最終部に於いて、不慮の事態に遭遇し、その結果として自身のアイデンティティー (Identity) たるモノを喪失した主人公も、ひとりのシッポがない (Lost My Tail) へと変身してしまう。
彼だけではない。シッポがない (Lost My Tail) は、その物語の舞台、そのいたるところに登場し、喪われてしまった自身の尾 (Tail)、すなわち、アイデンティティー (Identity) の欠損を主張しているのである。
今や、それが喪われてしまった事それ自体をもって、新たな自己のアイデンティティー (Identity) としているのだ。

次回は「」。
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