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2020.10.13.08.44

びわほうし

と謂う存在を初めて知ったのは、小説集『怪談 (Kwaidan)』 [小泉八雲 (Lafcadio Hearn)1904年発表] のなかの1篇『耳無芳一の話 (The Story Of Mimi-Nashi-Hoichi)』である。彼については既にここで綴ってしまった。
だから拙稿で言及する琵琶法師 (Biwa Hoshi) はぼくにとっての恐らく3人目、映画『『七人の侍 (Seven Samurai)』 [黒澤明 (Akira Kurosawa) 監督作品 1954年制作] に登場する人物である。
上山草人 (Sojin) が演じている。

その作品に登場する琵琶法師 (Blind Player) は、物語序盤での舞台、木賃宿 (Cheap Inn) の宿泊者として登場する。名前もなければ台詞もない。ただ、その薄汚い一角にいて、平曲 (Heikyoku) らしきモノを爪弾いているだけである。

その場面は、野武士 (Lordless Samurai) からの強奪を守るべくして、その為の傭兵 (Mercenary) を獲得する為に、その村から町へと出てきた4人の農民達 (Four Farmers) [利吉Farmer Rikichi [演:土屋嘉男 (Yoshio Tsuchiya)]、茂助 (Farmer Mosuke) [演:小杉義男 (Yoshio Kosugi)]、万造 (Farmer Manzo) [演:藤原釜足 (Kamatari Fujiwara)] そして与平 (Farmer Yohei) [演:左卜全 (Bokuzen Hidari)]] が宿泊する場所である。
彼等4人が、後にその傭兵の長 (Leader Of The Mercenary) となる島田勘兵衛 (Kambei Shimada) [演:志村喬 (Takashi Shimura)] と出逢うまでは、その木賃宿 (Cheap Inn) を基点として物語が紡がれていく。
彼等の思い通りに事態が進展する事もなく、否、寧ろ現実の厳しさを思い知らされる、そんな場所である。
本作を観るモノは誰でも、作品名にある七人の侍 (Seven Samurai) が大活躍するのを期待して観ている訳だから、観客としては只管、気を揉むしかない場面ばかりが続く事になる。
そして、それ故に、その物語の於ける農民 (Farmers) と謂う地位、即ち農民 (Farmers) の典型が明示されているのと同時に、4人個々の個性が浮かび上がってくる様にも思える。つまり、ここで幾重にも伏線がひかれてあるのである。
そんな場所に琵琶法師 (Blind Player) は鎮座して、ただ漫然と自身の楽器とそこから奏でられる音色に向かうだけなのである。

木賃宿 (Cheap Inn) のシーンには、彼等の他に、別の人物達が登場する。3人の人足達 (Three Coolies) [人足A (First. Coolie) [演:多々良純 (Jun Tatara)]、人足B (Second. Coolie) [演:堺左千夫 (Sachio Sakai)] そして人足C (Third Coolie) [演:関猛 (Takeshi Seki )]] である。彼等3人は4人の失態やふがいなさを嘲りに嘲る。
物語のなかでは、現実の厳しさをより徹底的に知らしめると同時に、農民達 (Farmers) の思考が如何に浅知恵であるのかを、観客達に理解させる装置である。それ故にこそ、島田勘兵衛 (Kambei Shimada) と謂う人物を彼等が得た時には、物語の局面がおおきく変わった事をも強く印象付けるのである。
しかも、それだけではない。島田勘兵衛 (Kambei Shimada) に農民達 (Farmers) の懇願を受諾せしめたモノは、農民達 (Farmers) が提案した条件ではない。人足達 (Coolies) の、渾身の主張・説得が島田勘兵衛 (Kambei Shimada) を動かしたのである。そして、彼等にその様な発言をせしめたのは、4人の行動を嘲笑いながらも、ずっと彼等が観てきたからこその事なのである。

と、ここまで整理をつけたぼくが不図、想ったのは、ぢゃあ、そこに何故、琵琶法師 (Blind Player) がいるのだろう、と謂う事なのである。

images
単に、舞台としての木賃宿 (Cheap Inn) と謂う背景のひとつであるのならば、なにも、上山草人 (Sojin) を起用する必要もあるまい。なにしろ、彼は当時としては数少ない、ハリウッド (Hollywood) で活躍した俳優のひとりであるからだ 。彼が敵役モンゴル王子チャムシャン (The Mongol Prince) として登場する映画『バグダッドの盗賊 (The Thief Of Bagdad)』 [ラオール・ウォルシュ (Raoul Walsh) 監督作品 1924年制作] は今、観ても愉しいし、上山草人 (Sojin) の悪辣さは堂に入っている。
そして、ハリウッドと謂う肩書きを出さなくとも、そこでの琵琶法師 (Blind Player) は妙に存在感があるのだ [上掲画像はこちらから]。みかたによっては人足3人 (Three Coolies) よりも目立っている様にも思える。
なのに、彼はそこで語られる物語に於いて、なにひとつ機能していない。そう思えても致し方ない。

ぼくが最初に考えたのは、そこで4人を迎える人物達の動と静、その一方を担わされているのではないだろうか、と謂う事だ。勿論、人足達3人 (Three Coolies) が動である。それは、単に身体的な行動だけではない。農民達4人 (Four Farmers) の動静や感情の動きに対する呼応も含めてであろう。

でも、それだけであろうか。

そこで考え及ぶのが、時間と謂うモノの表徴ではないか、と謂う事である。農民4人達 (Four Farmers) に与えられた時間は少ない。その少ない時間のなかで幾つもの逸話が語られていく。ともすれば、その語られている逸話の面白さに釣られて、観客は注視すべき事を幾つも忘れてしまう。そこで如実に時間と謂うモノを明示する必要がその場面にはあるのだろう。事態は一向に進展しない、ただ時間だけが過ぎてゆく。4人は焦る事しか出来ない。
そんな状況を知らしめるのに、例えば現代劇 (Contemporary Drama) ならば、秒針を刻む時計の音があれば良い。しかし、この物語は時代劇 (Historical Drama) だ。それ故に、そんな時計の代わりに、琵琶法師 (Blind Player) の奏でる音曲が必須なのではないだろうか。

もうひとつ気がつくのは、この作品にはもうひとりの僧侶 (Buddhist Priest) [演:千葉一郎 (Ichiro Chiba)] が登場する事だ。正確を記すれば、彼の着衣が物語のなかに必須なのである。島田勘兵衛 (Kambei Shimada) が農民4人達 (Four Farmers) にみこまれたのは、その彼の僧衣をある手段に用いたからである。
その僧 (Buddist Priest) の存在を許し促す装置として、もうひとりの僧 (Another Buddhist Priest) としての琵琶法師 (Blind Player) が必要だったのではないだろうか。つまり、その時代、僧 (Buddhist Priest) と謂うモノはどういう存在であるのか、と謂う点に於いてである。
謂うまでもなく、島田勘兵衛 (Kambei Shimada) にとって必要だったのは僧衣であって、僧 (Buddist Priest) と謂う地位でもその地位にある人物でもない。
あり体に謂えば、その物語には信仰や宗教の存在は必要とはされていないのである。そんなモノはこの物語に於いては、なんの役にも立たない、そんな象徴として琵琶法師 (Blind Player) が存在しているかの様である。

それとも、こう謂う事なのだろうか? 琵琶法師 (Biwa Hoshi) が奏で謡うのが平曲 (Heikyoku)、すなわち諸行無常 (All Things Must Pass, All Worldly Things Are Impermanent) を主調音とする『平家物語 (The Tale Of The Heike)』 [13〜14世紀成立] である様に、いまここにいる4人達もまた、無常 (Uncertainty) の物語の登場人物達である、と謂う様な [物語が語られるにつれて築き上げられるのが屍体の山である事は謂うをまたないだろう]。

そう謂えば、映画のなかで流れるのは、琵琶法師 (Blind Player) の演奏を除けば、物語終焉間近に村の農民達 (Farmers) に唄われる田植唄 (Rice-planting Song) だけなのである。その田植唄 (Rice-planting Song) との対比と看做す事も出来るのだが。

次回は「」。

附記:
ぼくにとっての2人目の琵琶法師 (Biwa Hoshi) はマンガ『どろろ (Dororo)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka)19671968年連載] に登場する琵琶丸 (Biwamaru) である。
そして、今、4人目の琵琶法師 (Biwa Hoshi)、弁信 (Benshin) が登場する小説『大菩薩峠 (Dai-bosatsu Toge)』 [中里介山 (Kaizan Nakazato) 作 1913~1941都新聞等連載] をぼくは今、読んでいる。
ちなみに琵琶丸 (Biwamaru) は居合 (Iai) の達人で、弁信 (Benshin) は読んでいるぼくが辟易する程にお喋りである。上山草人 (Sojin) 演ずる琵琶法師 (Blind Player) とは大違いに、どちらも強い個性を発揮している。
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