2020.10.06.08.37
いつもの様に買っていた雑誌の最新号を掌にとったぼくは、ほぉっとためいきをついたのだ。その表紙を飾る画像にすっかり、魅入ってしまったのである。
前回同様、小学校 (Primary School) の高学年のときの事である。当時のぼくは切手を収集 (Stamp Collecting) していた。そして、その専門誌のひとつである月刊誌『スタンプマガジン (Stamp Magazine)』 [1972年創刊 日本郵趣出版 (Japan Philatelic Society) 刊行] を毎月、購入していたのである。
その雑誌の表紙はいつも、切手 (Stamp) が大きく印刷されている。つまり、拙稿冒頭の1文はある月の、月刊誌『『スタンプマガジン (Stamp Magazine)』、その最新号を買ったばかりのぼくの描写なのである。
和装の女性が、縁台 (Bench) に腰をおろしている。夏なのだろうか。彼女の背後には、紫陽花 (Hydrangea) らしき花が咲き、彼女の脇には団扇 (Uchiwa : Round Fan) が置かれている。墨色でしかも薄地の衣服はすきとおっていて、彼女の肌理の美しさを窺い知る事が出来る。そして、彼女は俯き加減に自身の左掌 (Left Hand) の先を凝視め、頬をほんのりと染めているのだ。
その切手 (Stamp) に描かれた情景を書き出してみれば、恐らく上の様なモノになるだろう。
伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』 [1922年作] である。まもなく発売される、毎年4月20日 (April 20) 前後にあたる、その年の切手趣味週間 (Philatelic Week) [1947年開始] の記念切手 (Commemorative Stamp) の絵柄なのである。
ぼくが嘆息した理由はいとも単純だ。
綺麗だ。
その一言に尽きる。
しかし、何故そう思ったのか、小学生 (Primary School Student) だったぼくには、巧く説明は出来ない様な事なのである。
いまのぼくならば、以下の様に述べるだろう。
我が国の切手 (Stamp) に初めて、裸体 (Nude) が登場したのは、切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) と謂われている。小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』 [1931年作] を用いたモノだ。小学生 (Primary School Student) のぼくがその事実を知った時は、それを物語る記事の中では、画期的な事件であるかの様に説明されていた記憶がある。そして、その作品を選定した郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) の意識の高さと、それをなんの異議もたてずに認めた郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) [誰なのかは年代等を参照すれば立ち所に解るだろうがこの逸話が事実なりや否やが不確かなのでここでは明記しない] のふところのおおきさを、寿いでいた。つまり、その作品の芸術性 (Art) をきちんと評価し得た、その結果なのである、と [補足すると、裸体 (Nude) が描かれていると謂う表面的な事象を越えたところで、と謂う意味である]。
そのふたりの応答が実際にはどうなのかは知らない。その郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) は画家の知名度と彼の作品群のなかでのその作品の評価だけで判断したのかもしれないし、郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) にあっては、盲判 (Rubber-stamping) にちかいモノだったのかもしれない。
そして、その一方で、ぼくのなかでのその作品の評価は、えぇ、このどこが裸体画 (Nude Painting) なの? とでも謂う様なモノだ。確かに双肌を脱いだ女性の胸にはふたつの乳房 (Mammary) がある。だが、それは単純に謂えば、乳房 (Mammary) と謂う記号でしかない。極論すれば、ふたすじの曲線にしかみえない。そんな表現をされた乳房 (Mammary) をもって、裸体画 (Nude Painting) と分類出来るのであろうか?
[ついでに綴っておけば、その作品に於ける上の評価は、いまのぼくだけのモノでもない。小学生 (Primary School Srudent) だった当時のぼくにしてからが、そうなのである。勿論、上の様な筋道たった? 論旨で語る事は出来ないだろう。その代わりに、当時のぼくはその逸話を半ば、わらいばなしの様にして、みんなに語っていたのである。最初の裸体切手 (Nude Stamp)、そんなおおげさな事なのかねぇ? と。]
と、謂う前段があって初めて、伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』、すなわち切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) の話題になる。
その作品は、小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』、すなわち切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) よりも、遥かに肌の露出は少ない。乳房 (Mammary) もみえていない。しかし、性的な誘惑は、それよりも伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』、すなわち切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) の方が遥かに感ぜられる。一言で謂えば、凄く官能的なのである。
実際に肌が露出しているのは、頭部とそれに続く頸筋、そして左掌先 (Left Hand) だけである。しかし、墨色の半透明の衣服 [薄物 (Usumono : Summer Kimono) の1種、紗 (Sha Silk : Silk Gauze) と謂うモノらしい] のむこうにうすぼんやりとみえる肩先から左上腕 (Left Upper Arm)、そしてそれをささえる胸元が、全裸であるよりも全裸なのである。彼女の肌の美しさや感触が想像されてならないのだ。つまり、俗な表現をすれば、隠されてあるからこそ、その肢体が想像されて、みているこちらの妄想が刺激されるのである。
おそらく、拙稿冒頭にある嘆息はその様なモノを一切合切呑み込んだ感想なのであろう。
そして、それであるが故に、ふたすじの曲線をもって裸体画 (Nude Painting) と認めうる小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』、すなわち切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) よりもその作品をもって評価され得るべきだし、寿ぐべき郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) と郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) は、小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』を用いた切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) の方ではなくて、伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』を切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) に選定した方であるべきなのである。
だから、その作品の題名である『指 (FIngers)』と謂うモノの意味を一切考えなかったのである。そして、何故、彼女が自身の左掌先 (left Hand) を凝視め、頬を染めているのか、と謂う意味をも。
単純に、指 (Fingers) をみているからなのだろう、小学生 (Primary School Student) のぼくには、そんな感想しかなかった筈である。
勿論、彼女の左掌薬指 (The Third Finger Of Left Hand) には、指輪 (Ring) が嵌められてあり、それが結婚 (Wedding) を意味するモノである事は、今のぼくには解っている。
解ってはいるが、その作品から想い出されるのは、給料3ヶ月分 (Salary For 3 Months) 云々と謂う様な事よりも、伊東ゆかり (Yukari Ito) の代表曲『小指の想い出 (My Little Finger's Memory)』 [作詞:有馬三恵子 (Mieko Arima) 作曲:鈴木淳 (Jun Suzuki) 1967年発表] の様な情景なのである。
次回は「び」。

ジャック=アンリ・ラルティーグ (Jacques Henri Lartigue) 作『レネー・ペルル (Renee Perle)』 [1931年頃撮影]
[伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』やそれを用いた切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) を掲載する代わりに、同時代の、女性とその指 (FIngers)、そして彼女の指輪 (Ring) をモチーフとしたであろう作品を掲載する事にした。]
前回同様、小学校 (Primary School) の高学年のときの事である。当時のぼくは切手を収集 (Stamp Collecting) していた。そして、その専門誌のひとつである月刊誌『スタンプマガジン (Stamp Magazine)』 [1972年創刊 日本郵趣出版 (Japan Philatelic Society) 刊行] を毎月、購入していたのである。
その雑誌の表紙はいつも、切手 (Stamp) が大きく印刷されている。つまり、拙稿冒頭の1文はある月の、月刊誌『『スタンプマガジン (Stamp Magazine)』、その最新号を買ったばかりのぼくの描写なのである。
和装の女性が、縁台 (Bench) に腰をおろしている。夏なのだろうか。彼女の背後には、紫陽花 (Hydrangea) らしき花が咲き、彼女の脇には団扇 (Uchiwa : Round Fan) が置かれている。墨色でしかも薄地の衣服はすきとおっていて、彼女の肌理の美しさを窺い知る事が出来る。そして、彼女は俯き加減に自身の左掌 (Left Hand) の先を凝視め、頬をほんのりと染めているのだ。
その切手 (Stamp) に描かれた情景を書き出してみれば、恐らく上の様なモノになるだろう。
伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』 [1922年作] である。まもなく発売される、毎年4月20日 (April 20) 前後にあたる、その年の切手趣味週間 (Philatelic Week) [1947年開始] の記念切手 (Commemorative Stamp) の絵柄なのである。
ぼくが嘆息した理由はいとも単純だ。
綺麗だ。
その一言に尽きる。
しかし、何故そう思ったのか、小学生 (Primary School Student) だったぼくには、巧く説明は出来ない様な事なのである。
いまのぼくならば、以下の様に述べるだろう。
我が国の切手 (Stamp) に初めて、裸体 (Nude) が登場したのは、切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) と謂われている。小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』 [1931年作] を用いたモノだ。小学生 (Primary School Student) のぼくがその事実を知った時は、それを物語る記事の中では、画期的な事件であるかの様に説明されていた記憶がある。そして、その作品を選定した郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) の意識の高さと、それをなんの異議もたてずに認めた郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) [誰なのかは年代等を参照すれば立ち所に解るだろうがこの逸話が事実なりや否やが不確かなのでここでは明記しない] のふところのおおきさを、寿いでいた。つまり、その作品の芸術性 (Art) をきちんと評価し得た、その結果なのである、と [補足すると、裸体 (Nude) が描かれていると謂う表面的な事象を越えたところで、と謂う意味である]。
そのふたりの応答が実際にはどうなのかは知らない。その郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) は画家の知名度と彼の作品群のなかでのその作品の評価だけで判断したのかもしれないし、郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) にあっては、盲判 (Rubber-stamping) にちかいモノだったのかもしれない。
そして、その一方で、ぼくのなかでのその作品の評価は、えぇ、このどこが裸体画 (Nude Painting) なの? とでも謂う様なモノだ。確かに双肌を脱いだ女性の胸にはふたつの乳房 (Mammary) がある。だが、それは単純に謂えば、乳房 (Mammary) と謂う記号でしかない。極論すれば、ふたすじの曲線にしかみえない。そんな表現をされた乳房 (Mammary) をもって、裸体画 (Nude Painting) と分類出来るのであろうか?
[ついでに綴っておけば、その作品に於ける上の評価は、いまのぼくだけのモノでもない。小学生 (Primary School Srudent) だった当時のぼくにしてからが、そうなのである。勿論、上の様な筋道たった? 論旨で語る事は出来ないだろう。その代わりに、当時のぼくはその逸話を半ば、わらいばなしの様にして、みんなに語っていたのである。最初の裸体切手 (Nude Stamp)、そんなおおげさな事なのかねぇ? と。]
と、謂う前段があって初めて、伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』、すなわち切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) の話題になる。
その作品は、小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』、すなわち切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) よりも、遥かに肌の露出は少ない。乳房 (Mammary) もみえていない。しかし、性的な誘惑は、それよりも伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』、すなわち切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) の方が遥かに感ぜられる。一言で謂えば、凄く官能的なのである。
実際に肌が露出しているのは、頭部とそれに続く頸筋、そして左掌先 (Left Hand) だけである。しかし、墨色の半透明の衣服 [薄物 (Usumono : Summer Kimono) の1種、紗 (Sha Silk : Silk Gauze) と謂うモノらしい] のむこうにうすぼんやりとみえる肩先から左上腕 (Left Upper Arm)、そしてそれをささえる胸元が、全裸であるよりも全裸なのである。彼女の肌の美しさや感触が想像されてならないのだ。つまり、俗な表現をすれば、隠されてあるからこそ、その肢体が想像されて、みているこちらの妄想が刺激されるのである。
おそらく、拙稿冒頭にある嘆息はその様なモノを一切合切呑み込んだ感想なのであろう。
そして、それであるが故に、ふたすじの曲線をもって裸体画 (Nude Painting) と認めうる小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』、すなわち切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) よりもその作品をもって評価され得るべきだし、寿ぐべき郵政官僚 (Government Official Of Postal Services) と郵政大臣 (Minister Of Posts And Telecommunications) は、小林古径 (Kokei Kobayashi) 画『髪 (Hair)』を用いた切手趣味週間 1969年 (Philatelic Week - Japanese Art 1969) の方ではなくて、伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』を切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) に選定した方であるべきなのである。
だから、その作品の題名である『指 (FIngers)』と謂うモノの意味を一切考えなかったのである。そして、何故、彼女が自身の左掌先 (left Hand) を凝視め、頬を染めているのか、と謂う意味をも。
単純に、指 (Fingers) をみているからなのだろう、小学生 (Primary School Student) のぼくには、そんな感想しかなかった筈である。
勿論、彼女の左掌薬指 (The Third Finger Of Left Hand) には、指輪 (Ring) が嵌められてあり、それが結婚 (Wedding) を意味するモノである事は、今のぼくには解っている。
解ってはいるが、その作品から想い出されるのは、給料3ヶ月分 (Salary For 3 Months) 云々と謂う様な事よりも、伊東ゆかり (Yukari Ito) の代表曲『小指の想い出 (My Little Finger's Memory)』 [作詞:有馬三恵子 (Mieko Arima) 作曲:鈴木淳 (Jun Suzuki) 1967年発表] の様な情景なのである。
次回は「び」。

ジャック=アンリ・ラルティーグ (Jacques Henri Lartigue) 作『レネー・ペルル (Renee Perle)』 [1931年頃撮影]
[伊東深水 (Shinsui Ito) 画『指 (FIngers)』やそれを用いた切手趣味週間 1974年 (Philatelic Week - Japanese Art 1974) を掲載する代わりに、同時代の、女性とその指 (FIngers)、そして彼女の指輪 (Ring) をモチーフとしたであろう作品を掲載する事にした。]
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