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2020.09.15.07.52

うし

高校1年生 (First Grade aAt Senior High School)、現代国語 (Modern Japanese) の授業、高村光太郎 (Kotaro Takamura) の詩『樹下の二人 (Two People Under A Tree)』 [詩集『智恵子抄 (Portrait Of Chieko)』 [1941年刊行] 掲載 1923年発表] を学習していた時の事である。
もうそろそろ、この単元の学習が終わるだろうと謂う頃に、担当教師がこんな事を謂う。

「これからみんなは図書室へ行って、高村光太郎の詩集を読む様に。そして、その中から3篇、気に入った詩を書き写すのだ。それを次の授業で発表してもらう。勿論、この時間内で出来なければ、宿題となる」

さて、「次の授業」である。
教師が気の向くままに、生徒を指名し、前の時間に書き写した筈の3篇のなかの1篇を朗読させて、その詩の感想を問う。何故、その詩を選んだのか、そして、その詩をきみはどう捉えたのか、と。

やっている事は、この単元の最初の時間と同じだ。
生徒数名を指名し、それぞれに詩『樹下の二人 (Two People Under A Tree)』 を朗読させる。そして、感想を問う。
ただ、その時とすこし、教室内の雰囲気が違う。和やかであり、時に笑いも零れる。
それは、朗読すべき詩に関して、朗読者たる生徒に自由度が与えられているからであろうか。

10名ちかくの朗読と感想報告が終わった頃だろうか。
教師は、こんな事を謂って、ぼく達の笑いをとる。

「『智恵子抄』から選んだモノはいないのか。色気のない奴らだなぁ」と。
「やっぱり男子だけだと駄目なんだなぁ」

そうなのである。男女共学の普通科であるのに、女生徒の数が足らず、ぼくのクラスは男子だけの編成なのである。8クラスのうちの2クラス、そのひとつにぼくは所属している。
色気もへったくれもない代わりに、同世代の異性の眼がないが故に、多少の羽目を外すには抵抗を感じない。共学クラスよりは、妙な高揚感や活気があった様に思う。

猶、ついでに綴っておけば、彼の発言にある詩集『智恵子抄 (Portrait Of Chieko)』とは、高村光太郎 (Kotaro Takamura) にとっての第2詩集にあたり、詩人の恋人を経て妻となった高村智恵子 (Chieko Takamura) への思いが主題となった作品である。
そして、単元であった詩『樹下の二人 (Two People Under A Tree)』 もその詩集に収められてあるモノである。

教師は真顔になってこう付け足した。
「『智恵子抄』に限らず、今日のお前らが選ばなかった詩にはいいものは幾つもあるからな。この中で『牛』を選んだモノはいないか?」

(Bull)』 [詩集『高村光太郎詩集 (A Book Of Kotaro Takamura Poems)』 [1955年刊行] 等掲載 1913年発表] か、とぼくは思った。だが、あれはなぁ ...、と思った瞬間に、ひとりがこう発言した。

「先生、あれはながいよ」
そして、その発言に数名のモノが賛同した。

確かにながい。読んで鑑賞するのならばともかく、書き写すとなれば、面倒な事この上ない。115行もある。
教師もその点は認じているのだ。

「そうだな、ながいな」と。

そして、それと同時に選ぶにたる作品であると謂う認識が、教師と生徒達双方にある。
「あれはながいよ」と謂う発言の裏には、労力さえ厭わなければ、俺は選んでいた、と謂う自負がそこにはあるのだ。

ところで、ぼくが『 (Bull)』かと思ったのは、単にその長さとそれに費やされる徒労だけによるのではなかった。
それ以外の点で、すこし抵抗があったのだ。でも、その抵抗の理由を省みる事は当時はなかったし、第一に誰もそれを求めてもいなかった。

今、あらためて、詩『 (Bull)』を読み直すと、その時に感じられた抵抗と謂うモノの正体が朧げながらみえてくる。

それはきっとこの様なモノなのだ。
(Bull) と謂う生物に存するネガティヴ (Negative) な、ある種の心象がある。例えばそれを一言で謂えば、仮に鈍重 (Dull) と呼ぶ事も出来るだろう。そして、それが鈍重 (Dull) であるが故に獲得し得た形質を書き並べて、それの顕彰を試みるのだ。つまり、ネガティヴ (Negative) な存在をポジティヴ (Positive) なモノへと反転させ、それを賞揚してみるのである。しかも、鈍重 (Dull) であるが故に、作品それ自体をくだくだしくながながしく、綴ってみるのだ。詩『 (Bull)』は、その様な解釈を可能とする。
そこからさらに、 (Bull) を自身になぞらえる。その結果、その属性のひとつである鈍重 (Dull) も自身の属性と看做す事が出来る。この属性は本来ならば、ネガティヴ (Negative) な存在である。しかし、鈍重 (Dull) はこの詩に於いてはずっと、ポジティヴ (Positive) なモノとして顕彰されてある。すなわち、鈍重 (Dull) とは自身を評価する際の、顕彰すべき存在となる。
そんな手法が、おそらく、当時のぼくにとっては、受容出来ないモノだったのだろう。

と、同時に、しかも、それ以上に、おおきな理由がひとつあった様に、思う。
何故だか、その詩に綴られてある内容に既視感 (Deja Vu) があったのだ。

その既視感 (Deja Vu) については、当時のぼくは説明が出来なかったのに、違いない。
無理矢理、その既視感 (Deja Vu) を説明しようとしたら、その詩人のその他の作品にも、共通する様なモノである、と謂う様な、曖昧で根拠の薄いモノにしかならないだろう。
そして、そんな共通解をぼくは毛嫌いしているのだ。つまり、世間一般に流通しているその詩人に関するパブリック・イメージ (Public Image) と謂うやつを。

ぢゃあ、今は?

今のぼくは、こんな事を囁くと思う。

詩『 (Bull)』と、その作者である詩人の別の詩 [にして最も著名なる詩] 『道程 (Dotei : Journey)』 [詩集『道程 (Dotei : Journey)』 [1914年刊行] 掲載 1914年年発表] は、同じ事を謂っているのではないか、と。
詩『 (Bull)』が、 (Bull) と謂う生物に仮託して自身の理想たる姿を客観的に描写したモノと看做す事が出来るのであるのならば、詩『道程 (Dotei : Journey)』はそれを (Bull) の立場に立って、すなわち、客観 (Objective) から主観 (Subjective) へと転じて表出させたのではないか、と。

ちなみに、詩『道程 (Dotei : Journey)』には、一般的に認知されているその作品をとる以前、すなわち僅かに9行の詩の前駆的な作品として、長大な同名の詩『道程 (Doutei : Journey)』 [雑誌『美の廃墟 (Ruins Of Beauty)』 第6号 [1914年刊行] に初出] がある。全102行にも及ぶ作品である。
詩『 (Bull)』を起点として、前駆作たる詩『道程 (Doutei : Journey)』 を経て、そこからさらに完成形としての詩『道程 (Dotei : Journey)』に到達した、とみる事は出来ないだろうか。
前駆作たる詩『道程 (Doutei : Journey)』は、詩人自身のあまりに個人的な内面ばかりが吐露された作品であるが故に [そこに顕れる「父 (Father)」なる語句は詩人の実父である高村光雲 (Koun Takamura) としか理解出来ないのだ]、そう思えてしまうのである。
客観 (Objective) から主観 (Subjective) へと転化する事によって獲得せざるを得ない具象化 (Concrete) したモノモノからさらに止揚させて、抽象化 (Abstract) もしくは普遍化 (Omnipresent) を試みた、そんな気がするのである。

images
山本鼎 (Kanae Yamamoto) 画『ブルターニュの小湾 (A Small Bay In Brittany)』 [1913年作]。
詩人たる高村光太郎 (Kotaro Takamura) は彫刻家でもあるが故に、彼の彫刻作品のなかに (Bull) を題材としたモノがあれば、その名を掲げた詩作品にとって、これ以上にない程の参考作品ないし資料となるのだが、残念ながら、発見出来ない。
故に、その詩作品と同年発表の、他作家による絵画作品を上掲する次第である。

次回は「」。

附記:
その時間は、ぼくは指名されなかった。だから、誰もぼくの選んだ3篇については知らない。
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