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2020.08.11.12.23

かぜはかせ

何回読んだのかも解らない。そして何度読んでも解らない。

掌編と呼ぶべき分量だから何度でも読める [だから、あなたも読む様に]。そして、その度に、辿り着くべきところへと辿り着けずに、途方にくれるばかりなのだ。煙に巻かれている (Being Baffled) と謂っても良い。

その理由は幾つも浮かぶ。
ひとつはすぐに思いつく。作品の大部を占める遺書 (Will And Testament) が、文語体 (Classical Japanese) で綴られているからだ。だが、そんな文体の問題は、しつこく丁寧に読んでいけば、いつかは解読される。
それよりも問題はもうひとつの方だ。

ぼくが初めて本作、すなわち小説『風博士 (Kaze Hakase : Dr. WInd)』 [坂口安吾 (Ango Sakaguchi) 1931青い馬掲載] を読んだのは、文庫『日本探偵小説全集〈10〉坂口安吾集 (The Complete Works Of Japanese Detective Fiction Vol. 10 Ango Sakaguchi)』 [1985創元推理文庫刊行] の1篇として、であったのだ。が、果たして、本作が探偵小説 (Detective Fiction) と看做すべき作品であるのかどうか、つとに解らないのであった。

拙稿を読むヒトの中には、坂口安吾 (Ango Sakaguchi) 作品が探偵小説 (Detective Fiction) として分類されている、それ自体からして不可解であるのかもしれない。
例えば、その作家に出逢うのは、高校2年の現代国語の教科書であって、その作品は随筆『ラムネ氏のこと (Ramune Shi No Koto : About Mr. Ramune)』 1941都新聞掲載] であったりする。さもなければ、写真家林忠彦 (Tadahiko Hayashi) が撮影した、雑然とした部屋で執筆中の彼がぎょろりとこちらを睨んだ肖像写真『坂口安吾 (Ango Sakaguchi)』であったりもする。
そおゆうヒトビトからみれば、その作家に探偵小説 (Detective Fiction) と分類されてしかるべき作品が幾篇もあるとは、想いだにしないかもしれない。

しかしながら、ぼくの属する世代のヒトビトのそのごく一部にとっては、彼はまごう事なく探偵小説作家 (Author Of Detective Fiction) なのである。
ぼくは、この小説家をTV番組『新十郎捕物帖・快刀乱麻 (The Detective's Memoirs By Shinjyuro, Solving A Knotty Problem(』 1973朝日放送系列放映] の原作小説『明治開化 安吾捕物帖 (Ango's Detective Casebook : The Meiji Enlightenment Series )』 [19501952小説新潮連載] の作者として、また、 内田裕也 (Yuya Uchida) [演:土居光一 [ピカ一] (Koichi Doi)] が出演した映画『不連続殺人事件 (Furenzoku Satsujin Jiken : Non-serial Murder Case)』 [曾根中生 (Chusei Sone) 監督作品1977年制作] の原作小説『不連続殺人事件 (Furenzoku Satsujin Jiken : Non-serial Murder Case)』 [19471948日本小説連載] の作者として、出逢ったのだ。
このふたつの小説に関しては、幾らでも綴れそうな気がするが、本題からあまりに遠くへ行ってしまいそうなので、拙稿では擱筆する。しかしながら、その遠くできっと、絶対に、拙稿の主題である小説『風博士 (Kaze Hakase : Dr. WInd)』がその姿を顕すであろう事は、予見される。つまり、個々の作品の本質的なモノは互いに通底しあっている様に、ぼくには思えるのだ [そしてその場所には随筆『『ラムネ氏のこと (Ramune Shi No Koto : About Mr. Ramune)』もあるであろう]。

小説『風博士 (Kaze Hakase : Dr. WInd)』は、ある人物の失踪 (Disappearance) を主題としたモノである。そして、既に上述した様に、遺書 (Will And Testament) を遺している。その点をもってして、探偵小説 (Detective Fiction) と謂う分類上の条件は及第してある様には思える。彼は生存しているのか既に死去しているのか、そして後者であるのならば、その死因はなんなのか、と。
しかしながら、探偵小説 (Detective Fiction) のもうひとつの主題である、呈示された事件ないし謎の究明と解決と謂う条件が一切、放置されたままなのである。
謎が謎のまま、そこにある。そんな作品なのである。

遺された遺書 (Will And Testament) から、その筆者、すなわち風博士 (Dr. Wind) には仇敵である蛸博士 (Dr. Octopus) と謂う人物がある事が解る。が、解るのは、彼が何故彼を、すなわち風博士 (Dr. Wind) が何故蛸博士 (Dr. Octopus) を敵対者と看做しているのかと謂う点だけであって、何故、彼が遺書 (Will And Testament) を遺さざるを得ないのか、すなわち何故風博士 (Dr. Wind) が死を覚悟しなければならないのか、そして実際に死ななければならないのか [さもなければ死を偽装しているのか]、その肝心な点が一切解らないのである。
そして、それにさらに輪をかけて、その遺書 (Will And Testament) を挟み込む様なかたちで綴られている、筆記者 (Scribe) [作中では一切、その身分素性は綴られていない] の文章も、風博士 (Dr. Wind) の失踪 (Disappearance) に関して、なんら具体的な詳細は語っていないのである。否、そこには筆記者 (Scribe) なりに彼もしくは彼女にとって既知である事柄が縷々と綴られてはいるのだが、それをそこにある言葉通りに受け入れる事が、ぼく達には出来ないのである。雲を掴む様な話 (Vague Story) とは、正にそう謂う事なのである。

極端な説を唱えれば、風博士 (Dr. Wind) や蛸博士 (Dr. Octopus) は無論の事、筆記者 (Scribe) 自身の存在も疑わしいのである。
小説と謂う虚構を前提として構築されている筈のその世界が、どこかでその結構を構築する事を放棄してかたち半ばで放置されているのだ。
だから、その虚構のなかに現実がとくとくと注ぎ込まれていく様にも、この現実である世界にもその作品世界がぢんわりと滲み出てしまっている様にも思えてしまうのである。

喩えとして挙げてみれば、小説『ドグラマグラ (Dogra Magra)』 [夢野久作 (Yumeno Kyusaku) 作 1935年刊行] での、物語上の話者 (Narrator) が読み進むテキストのなかにまたそれとは異なるテキストがあり、その多重構造の存在によって、一体、どこからどこまでを信じて良いのか解らなくなる、あの混迷が、非常にシンプルな、短いかたちでその小説に存在している様にも思えるのだ。

images
上掲画像(こちらから)はいしかわじゅん (Jun Ishikawa) 創造のキャラクター、風博士 (Dr. Wind) である。マンガ『ちゃんどら (Chandora)』 [1983ビッグコミック週刊スピリッツ連載] の登場人物のひとりである。
その作品はぼくは未読であり、その作品内での彼の活躍は知らない。
ぼくは、おなじ作者によるマンガ『フロム K (From K)』 [1989漫画アクション連載] で彼の存在を知ったのだ。そこで彼が漫画原作者である狩撫麻礼 (Caribu Marley) をモデルとした事を知る。
そのマンガ『フロム K (From K)』は業界内の裏話や打ち明け話を綴った作品であり、今で謂うコミック・エッセイ (Comic Essay) の嚆矢とも呼べる様な作品である。そして、そんな作品に登場する狩撫麻礼 (Caribu Marley) の"素顔"は、彼の作品群とは一線を引いたお茶目な表情をしていて、それがそのままその作品上での笑いを構成している [例えば、その作品の別の場所では江口寿史 (Hisashi Eguchi) と大友克洋 (Katsuhiro Otomo) があい並んで、それぞれの締め切りと、その為に2人を追う編集者達から逃げる為に、実際に全力疾走しているのだ]。
しかしながら、風博士 (Dr. Wind) = 狩撫麻礼 (Caribu Marley) が登場した結果、いしかわじゅん (Jun Ishikawa) は『悲しい事件 (Tragic Incident)』に遭遇する羽目になる。
いしかわじゅん (Jun Ishikawa) の風博士 (Dr. Wind) が、坂口安吾 (Ango Sakaguchi) の小説『風博士 (Kaze Hakase : Dr. WInd)』の翻案や否やは不明ではあるが、小説でのその人物の軽々しさに比して、結果的に、心悲しい現実を突きつけられる様な『悲しい事件 (Tragic Incident)』の登場人物、そのひとりであったのだ。

次回は「」。

附記:
ところで、何故、風博士 (Dr. Wind) の敵対人物を蛸博士 (Dr. Octopus) としたのであろうか。風 (Wind) に対するは、 (Octopus) ならぬ (Kite) であるべきではなかろうか。
逆に、蛸博士 (Dr. Octopus) を主体としてみるのであるのならば、彼に対するは、風博士 (Dr. Wind) ならぬ蜘蛛男 (Spider Man) であるべきだろう。
勿論、ぼくは、蛸博士 (Dr. Octopus) なる名称がその人物の風貌をもってして命名されている事は重々承知しているし、蛸博士 (Dr. Octopus) と蜘蛛男 (Spider Man) の対決を描くマンガ『スパイダーマン (Spider-Man)』 [作:スタン・リー (Stan Lee)、スティーヴ・ディッコ (Steve Ditko) 1962年 アメイジング・ファンタジー (Amazing Fantasy) にて連載開始] は時系列上、小説『風博士 (Kaze Hakase : Dr. WInd)』の後塵を拝している事も決して忘れてはいないのだ。
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