2020.07.21.11.00
意味は解る。辞書をひくまでもない [だから拙稿では意味そのものは明示しない]。
そこに登場するふたつの名詞をひろって、そこからそんな状態があり得るべき状況を考えてみればよい。
と常々、この慣用句に関しては思い込んでいて、それで良しとしていたが、ふと、立ち止まって冷静に考えてみると、なんだか、妖しい。
ぼくがイメージしているそのモノは、内容物もない無蓋の容器、すなわち、からっぽのうつわの様なモノ、例えて謂えば、蚊遣豚 (Pig Pottery Mosquito Coil Holder) の様なモノなのである。梅雨明け (The End Of The Rainy Season) 間近のこの時季、夏の風物詩 (Thing That Reminds One Of Summer Season) と呼ばれる様な叙景を思い描けば、それは浴衣 (Yukata) 姿の、もしくは湯上りの女性 (Woman After A Bath) の肢体とともに登場するのに違いない。
確かにそれは"身も蓋もない (There Are No Body And No Lid.)"代物だけれども、その慣用句の意味としては若干の齟齬がそこには存在している。
ここで、ことばと謂うモノはいきものだから、時代を経るにつれて、その意味するモノも使用される場所も変わっていくのだ、と納得してしまえば、ここから先に拙稿が綴られる事はない。
本連載のお約束のひとつである、1記事には1画像のみを引用、掲載する慣習に倣って、2代目鳥居清峰 (Torii Kiyomitsu II) 画『蚊遣り美人図 (The Beauty With Pig Pottery Mosquito Coil Holder)』を掲載すれば、それでおしまいである。
だが、残念な事に、そこでそのままでいれば良いモノを、その語源を確認しようとしてしまったから、始末が悪い。
こちらにある記事を読んでしまうと、ふと、気がかりな叙述がそこにある。
「身は物を入れる容器のこと (The Words "Mi" Mean A Vessel For Containing Something.)」
なんの衒いも予告も経ずに、そんな断定がそこにあるのだ。
単純に、この記事はおかしいと思う。何故ならば、"身 (Mi)"と謂う語句に、そんな意味があるとは全くもって考えが及びもしないのだ。ぼく達が慣れ親しんでいる"身 (Mi)"と謂う語句のその意味は、寧ろその逆、容器 (Vessel) のなかにあるべきモノではないだろうか。
だから、そこから今度は"身 (Mi)"と謂う語句の意味を検索したのだ。
ざっくりと検索すると、そんな意味は登場しない。その語句の意味として挙がっているモノは、肉体 (Body) と謂う意味と地位 (Status) と謂う意味だ。
だけれども、それをもって勝ち名乗りを揚げるのは、極めて危険な行為ではある。
だから、『新漢和辞典
(New Chinese Character Dictionaries)』 [初版:1963年 大修館書店刊行] をひらいてみた。
この書籍に触れるのは、数十年ぶりの事である。
そして、その文字の、いくつもある意味のなかの最期のほうに「 [国]」み。(イ) 肉。「魚の白身」(ロ) 心。まごころ。「身を入れる」 (ハ) 容器の、物を入れる方。」とあるのを発見する。
ちなみに、上で、[国] とあるモノは、実際には白枠四角形内に"国"と謂う文字が嵌め込まれているのであり、凡例によれば「わが国だけに行われる訓義」の意である。また、(イ)(ロ)(ハ) もそれと同様に実際には、それぞれは丸枠内にそれぞれの片仮名文字が嵌め込まれてあるである。
それを読んだぼくは、思わず遠い目をして、ひとりごちるのである。
そう謂えば、中身 (Infertile) と謂うもんなぁ。
その慣用句に登場するそれはつまり、その反意語である外身 (Enceinte) と謂う意味か、と。
次回は「い」。
附記:
身も蓋もない (That's Too Direct)、その語句に相応しい画像はなんなのだろう。
今回の題材がこの語句に決まって数日、ずっと悩んだ。
幾つもの候補が挙がっては消えていく。
例えばそれは、パブリック・イメージ・リミテッド (Public Image Ltd)の第6作『アルバム (Album)
』 (1986年発表] である。作品の形態である語句をそのままその作品名に掲げているからだ。しかも、その作品の、当時登場して間も無いメディアである、コンパクト・ディスク (Compact Disc) 版は同一内容ながら『コンパクト・ディスク (Compact Disc』と命名されている。
また、例えばそれは、ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet) 描く油彩『世界の起源 (L'Origine du monde)」 [1866年作] である。描かれた題材であるさる女性の顕わな下半身もさる事ながら、それを徹底的に自身の主張、写実主義 (Realisme) に則って描いた作品名をなに憚る事なく、そう命名してすましている心情が、まさにその語句に相応しいモノの様に思えるからだ。
だけれども、冷静に考えれば、前者は単に無題 (Untitled) と謂う題名を掲げるのと大差なく、後者は発表から150年以上も経た現在の状況からみれば、単なる謂い逃れでしかない様にも想えてしまう。
[そしてそんな断罪を下した結果、外見上が身も蓋もない (That's Too Direct) からと謂って、所謂普通の、裸体画や裸体写真では、納得がいかなくなってしまう]。
そんな試行錯誤をした果てに辿り着いたのは、そう謂えば、永井豪 (Go Nagai) の登場人物達の何人かは、そんな語句で形容するに相応しい人物達ばかり、そんな認識なのである。例えば、痔疾 (Hemorrhoid) で苦しんでいる迷探偵 (Inept Detective) のその名称は疣痔小五郎 (Kogoro "Hemorrhoid" Ibodi) [その初登場は短編マンガ『廃人二十面チョ (The Disabled With Twelve Carbuncle In His Face)』 [1973年 週刊少年ジャンプ掲載] にて] と謂う。名は体を顕す (Names And Natures Do Often Agree) と謂う以上に、その名称がそのままその人物の実態であるモノばかりなのである。
では、その漫画家の作品群に群れをなして顕れるそんな登場人物達の中から、誰を、そしてどの名シーン [それとも迷シーン] を掲載すべきなのだろうか。
と、同時に想起してしまうのは、その登場人物がギャグマンガ (Joke Comic) のそれだとしたら、もしかしたら、実に当たり前の、無難な選択肢を選んだだけではないだろうか、そんな疑念なのである。
そう思って、悩んだ結果、登場したのが、下掲の画像である [画像はこちらから]。
マンガ『マジンガーZ
(Mazinger Z)』 [1972〜1973年 週刊少年ジャンプ連載] の主人公とそのヒロイン、兜甲児 (Kouji Kabuto) と弓さやか (Sayaka Yumi) の、謀らずも実現してしまった、混浴シーン (Mixed Bathing Scene) である。
ちなみに右下にある兜甲児 (Kouji Kabuto) のとった姿態は、その2年後、マンガ『けっこう仮面
(Kekko Kamen)』 [1974〜1978年 月刊少年ジャンプ連載] に於いて、けっこう仮面 (Kekko Kamen) が放つ必殺技、おっぴろげジャンプ (Pubic Hair Jump) とまったく同じなのである。

そこに登場するふたつの名詞をひろって、そこからそんな状態があり得るべき状況を考えてみればよい。
と常々、この慣用句に関しては思い込んでいて、それで良しとしていたが、ふと、立ち止まって冷静に考えてみると、なんだか、妖しい。
ぼくがイメージしているそのモノは、内容物もない無蓋の容器、すなわち、からっぽのうつわの様なモノ、例えて謂えば、蚊遣豚 (Pig Pottery Mosquito Coil Holder) の様なモノなのである。梅雨明け (The End Of The Rainy Season) 間近のこの時季、夏の風物詩 (Thing That Reminds One Of Summer Season) と呼ばれる様な叙景を思い描けば、それは浴衣 (Yukata) 姿の、もしくは湯上りの女性 (Woman After A Bath) の肢体とともに登場するのに違いない。
確かにそれは"身も蓋もない (There Are No Body And No Lid.)"代物だけれども、その慣用句の意味としては若干の齟齬がそこには存在している。
ここで、ことばと謂うモノはいきものだから、時代を経るにつれて、その意味するモノも使用される場所も変わっていくのだ、と納得してしまえば、ここから先に拙稿が綴られる事はない。
本連載のお約束のひとつである、1記事には1画像のみを引用、掲載する慣習に倣って、2代目鳥居清峰 (Torii Kiyomitsu II) 画『蚊遣り美人図 (The Beauty With Pig Pottery Mosquito Coil Holder)』を掲載すれば、それでおしまいである。
だが、残念な事に、そこでそのままでいれば良いモノを、その語源を確認しようとしてしまったから、始末が悪い。
こちらにある記事を読んでしまうと、ふと、気がかりな叙述がそこにある。
「身は物を入れる容器のこと (The Words "Mi" Mean A Vessel For Containing Something.)」
なんの衒いも予告も経ずに、そんな断定がそこにあるのだ。
単純に、この記事はおかしいと思う。何故ならば、"身 (Mi)"と謂う語句に、そんな意味があるとは全くもって考えが及びもしないのだ。ぼく達が慣れ親しんでいる"身 (Mi)"と謂う語句のその意味は、寧ろその逆、容器 (Vessel) のなかにあるべきモノではないだろうか。
だから、そこから今度は"身 (Mi)"と謂う語句の意味を検索したのだ。
ざっくりと検索すると、そんな意味は登場しない。その語句の意味として挙がっているモノは、肉体 (Body) と謂う意味と地位 (Status) と謂う意味だ。
だけれども、それをもって勝ち名乗りを揚げるのは、極めて危険な行為ではある。
だから、『新漢和辞典
この書籍に触れるのは、数十年ぶりの事である。
そして、その文字の、いくつもある意味のなかの最期のほうに「 [国]」み。(イ) 肉。「魚の白身」(ロ) 心。まごころ。「身を入れる」 (ハ) 容器の、物を入れる方。」とあるのを発見する。
ちなみに、上で、[国] とあるモノは、実際には白枠四角形内に"国"と謂う文字が嵌め込まれているのであり、凡例によれば「わが国だけに行われる訓義」の意である。また、(イ)(ロ)(ハ) もそれと同様に実際には、それぞれは丸枠内にそれぞれの片仮名文字が嵌め込まれてあるである。
それを読んだぼくは、思わず遠い目をして、ひとりごちるのである。
そう謂えば、中身 (Infertile) と謂うもんなぁ。
その慣用句に登場するそれはつまり、その反意語である外身 (Enceinte) と謂う意味か、と。
次回は「い」。
附記:
身も蓋もない (That's Too Direct)、その語句に相応しい画像はなんなのだろう。
今回の題材がこの語句に決まって数日、ずっと悩んだ。
幾つもの候補が挙がっては消えていく。
例えばそれは、パブリック・イメージ・リミテッド (Public Image Ltd)の第6作『アルバム (Album)
また、例えばそれは、ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet) 描く油彩『世界の起源 (L'Origine du monde)」 [1866年作] である。描かれた題材であるさる女性の顕わな下半身もさる事ながら、それを徹底的に自身の主張、写実主義 (Realisme) に則って描いた作品名をなに憚る事なく、そう命名してすましている心情が、まさにその語句に相応しいモノの様に思えるからだ。
だけれども、冷静に考えれば、前者は単に無題 (Untitled) と謂う題名を掲げるのと大差なく、後者は発表から150年以上も経た現在の状況からみれば、単なる謂い逃れでしかない様にも想えてしまう。
[そしてそんな断罪を下した結果、外見上が身も蓋もない (That's Too Direct) からと謂って、所謂普通の、裸体画や裸体写真では、納得がいかなくなってしまう]。
そんな試行錯誤をした果てに辿り着いたのは、そう謂えば、永井豪 (Go Nagai) の登場人物達の何人かは、そんな語句で形容するに相応しい人物達ばかり、そんな認識なのである。例えば、痔疾 (Hemorrhoid) で苦しんでいる迷探偵 (Inept Detective) のその名称は疣痔小五郎 (Kogoro "Hemorrhoid" Ibodi) [その初登場は短編マンガ『廃人二十面チョ (The Disabled With Twelve Carbuncle In His Face)』 [1973年 週刊少年ジャンプ掲載] にて] と謂う。名は体を顕す (Names And Natures Do Often Agree) と謂う以上に、その名称がそのままその人物の実態であるモノばかりなのである。
では、その漫画家の作品群に群れをなして顕れるそんな登場人物達の中から、誰を、そしてどの名シーン [それとも迷シーン] を掲載すべきなのだろうか。
と、同時に想起してしまうのは、その登場人物がギャグマンガ (Joke Comic) のそれだとしたら、もしかしたら、実に当たり前の、無難な選択肢を選んだだけではないだろうか、そんな疑念なのである。
そう思って、悩んだ結果、登場したのが、下掲の画像である [画像はこちらから]。
マンガ『マジンガーZ
ちなみに右下にある兜甲児 (Kouji Kabuto) のとった姿態は、その2年後、マンガ『けっこう仮面

- 関連記事
-
- とすか (2020/08/04)
- いろはにほへと (2020/07/28)
- みもふたもない (2020/07/21)
- りょうりめもさしみ (2020/07/14)
- ずぼんつり (2020/07/07)