2020.06.02.09.20
冬の寒い夜、もしくは、それを予感させる秋の夜。夕食はとうに終えて、ぼくと弟は、テレビを眺めている。寝る時間が来るまではチャンネル権はぼく達にあり、両親はそれに忍従している。息子達2人が小学生、かつてあった我家の光景だ。
ふと、おもいついたかの様な素振りで母がつぶやく。
「スープでもつくりましょうかね」
その一言をのこして彼女は台所へとむかう。ぼく達男性3人の反応をまってはいない。
しばらくすると、4つのマグカップ (Mug) にはいったそれがでてくる。
ここまで綴ってきてなにを謂いたいのかと謂うと、我が家ではスープ (Soup) と謂うモノは、夜食として登場すると謂う事なのだ。
そして、別の観点から念押しすると、コーヒー (Coffee) や紅茶 (Black Tea) はこの時間帯では決して登場しないのである。
と、謂うのは彼女曰く、眠れなくなっちゃうでしょ。そんな理由なのだ。
そのスープ (Soup) は大概がポタージュ・スープ (Potage Soup) で、時折、コンソメ・スープ (Consomme) の場合がある。
そのどちらをつくるのか、さもなければ、そのどちらが呑めるのか、と謂う選択の、基準なり条件は果たしてどこにあるのであろうと、思い返してみても、よく解らない。
決定権は純粋に彼女が握っている。そう考えるべきなのだろうか。
きっと、違う。
最大の決定要因は、その食材の存在如何が握っている。
それぞれのスープ (Soup) をつくるための、素 (Base) が台所のどこかにあるのかどうなのか、それ次第なのである。
そしてそれは、その夜のスープ (Soup) をつくる為にその日に、その素 (Base) を買ってくるとは限らないと謂う事なのである。ある日、思いつきで買い貯めたそれを、今夜、供してみよう、そんな彼女の思いつきが行使されただけなのである。ほんの気まぐれの、その結果なのである。
でも、実際にそうだとしても、そんな結論に達するのには、障害がひとつあるのだ。
それは、ポタージュ・スープ (Potage Soup) をつくるのには一定量の牛乳 (Milk) が必須である事なのである。
素 (Base) は長期保存が可能な食材である一方で、牛乳 (Milk) はそうではない。
と、なると、ただの思いつきであろうと推断するのは、いささか心許ない。
当時、牛乳 (Milk) が冷蔵庫の中に常駐していたかどうかは、ぼくの記憶は曖昧なのである。少なくとも、毎朝、それが配達される事はない。牛乳 (Milk) は給食 (School Meal) で呑むので充分だ。そんな認識はぼく達兄弟にもあったし、母親にもあった。これがコーヒー牛乳 (Coffee-flavered Milk) だったら毎朝、いさんで呑んだのかもしれないが、ぼく達には前科がある。かつて某乳酸菌飲料 (Certain Lactic Acid Drink) の配達を受けていたが、ひとつきもたたずにぼく達は飽いてしまった。 [白い] 牛乳 (Milk) は尚更なのだ。
勿論、牛乳 (Milk) がなくともポタージュ・スープ (Potage Soup) はつくれない事もない。素 (Base) の裏面にある調理方法をよく読めば、たちどころに理解できる。しかし、それを根拠に彼女にポタージュ・スープ (Potage Soup) をねだっても、牛乳 (Milk) がないの一点張りでとりつくしまもない。
だからと謂って、代替としてコンソメ・スープ (Consomme) が供される事もないのであった。
コンソメ・スープ (Consomme) は下ごしらえをする為の調味料としての位置付けしか、彼女のなかにない様なのである。コンソメ・スープ (Consomme) を単体で呑む嗜好は寧ろ、父親の方にあり、彼の権限が行使される場合にのみ、ぼく達はその恩恵を授けられた。そんな認識がある。
「おい、コンソメがあっただろう」
そんな発言に基づく強要だ。
そして、もうひとつ。
ポタージュ・スープ (Potage Soup) の素 (Base) は、4人分でパッケージされており、その結果、否応なく、その一切を使い切って4人分を提供するしかないのである。しかも、つくるまえの粉末状のモノならばいざ知らず、ひとたびつくってしまえば、長期にわたる保存は望めないのだ。
その結果、一家の団欒をなかば強要するようなかたちでその食材は存在していた。
だから、1人前単体でパッケージされていて、しかも湯でとくだけで手軽に呑めるカップスープの素 (Quick Soup) が登場してからは、その様な光景が我が家でみられる事もなくなっていくのであった。
尤もそれ以前に、両親とおなじ空間を占拠しおなじ時間を堪能しようという意識自体が、ぼく達兄弟のなかから消失してしまっていた事も否定できない。
すこしづつ、それぞれの自我が育成されて、それが具体的なかたちをもって顕現しようとした時季が訪れる、そんな時季とちょうど一致したのだ。
次回は「ぷ」。

"Bowl Of Soup & Sterling Silver Spoon" by Marie Fox
ふと、おもいついたかの様な素振りで母がつぶやく。
「スープでもつくりましょうかね」
その一言をのこして彼女は台所へとむかう。ぼく達男性3人の反応をまってはいない。
しばらくすると、4つのマグカップ (Mug) にはいったそれがでてくる。
ここまで綴ってきてなにを謂いたいのかと謂うと、我が家ではスープ (Soup) と謂うモノは、夜食として登場すると謂う事なのだ。
そして、別の観点から念押しすると、コーヒー (Coffee) や紅茶 (Black Tea) はこの時間帯では決して登場しないのである。
と、謂うのは彼女曰く、眠れなくなっちゃうでしょ。そんな理由なのだ。
そのスープ (Soup) は大概がポタージュ・スープ (Potage Soup) で、時折、コンソメ・スープ (Consomme) の場合がある。
そのどちらをつくるのか、さもなければ、そのどちらが呑めるのか、と謂う選択の、基準なり条件は果たしてどこにあるのであろうと、思い返してみても、よく解らない。
決定権は純粋に彼女が握っている。そう考えるべきなのだろうか。
きっと、違う。
最大の決定要因は、その食材の存在如何が握っている。
それぞれのスープ (Soup) をつくるための、素 (Base) が台所のどこかにあるのかどうなのか、それ次第なのである。
そしてそれは、その夜のスープ (Soup) をつくる為にその日に、その素 (Base) を買ってくるとは限らないと謂う事なのである。ある日、思いつきで買い貯めたそれを、今夜、供してみよう、そんな彼女の思いつきが行使されただけなのである。ほんの気まぐれの、その結果なのである。
でも、実際にそうだとしても、そんな結論に達するのには、障害がひとつあるのだ。
それは、ポタージュ・スープ (Potage Soup) をつくるのには一定量の牛乳 (Milk) が必須である事なのである。
素 (Base) は長期保存が可能な食材である一方で、牛乳 (Milk) はそうではない。
と、なると、ただの思いつきであろうと推断するのは、いささか心許ない。
当時、牛乳 (Milk) が冷蔵庫の中に常駐していたかどうかは、ぼくの記憶は曖昧なのである。少なくとも、毎朝、それが配達される事はない。牛乳 (Milk) は給食 (School Meal) で呑むので充分だ。そんな認識はぼく達兄弟にもあったし、母親にもあった。これがコーヒー牛乳 (Coffee-flavered Milk) だったら毎朝、いさんで呑んだのかもしれないが、ぼく達には前科がある。かつて某乳酸菌飲料 (Certain Lactic Acid Drink) の配達を受けていたが、ひとつきもたたずにぼく達は飽いてしまった。 [白い] 牛乳 (Milk) は尚更なのだ。
勿論、牛乳 (Milk) がなくともポタージュ・スープ (Potage Soup) はつくれない事もない。素 (Base) の裏面にある調理方法をよく読めば、たちどころに理解できる。しかし、それを根拠に彼女にポタージュ・スープ (Potage Soup) をねだっても、牛乳 (Milk) がないの一点張りでとりつくしまもない。
だからと謂って、代替としてコンソメ・スープ (Consomme) が供される事もないのであった。
コンソメ・スープ (Consomme) は下ごしらえをする為の調味料としての位置付けしか、彼女のなかにない様なのである。コンソメ・スープ (Consomme) を単体で呑む嗜好は寧ろ、父親の方にあり、彼の権限が行使される場合にのみ、ぼく達はその恩恵を授けられた。そんな認識がある。
「おい、コンソメがあっただろう」
そんな発言に基づく強要だ。
そして、もうひとつ。
ポタージュ・スープ (Potage Soup) の素 (Base) は、4人分でパッケージされており、その結果、否応なく、その一切を使い切って4人分を提供するしかないのである。しかも、つくるまえの粉末状のモノならばいざ知らず、ひとたびつくってしまえば、長期にわたる保存は望めないのだ。
その結果、一家の団欒をなかば強要するようなかたちでその食材は存在していた。
だから、1人前単体でパッケージされていて、しかも湯でとくだけで手軽に呑めるカップスープの素 (Quick Soup) が登場してからは、その様な光景が我が家でみられる事もなくなっていくのであった。
尤もそれ以前に、両親とおなじ空間を占拠しおなじ時間を堪能しようという意識自体が、ぼく達兄弟のなかから消失してしまっていた事も否定できない。
すこしづつ、それぞれの自我が育成されて、それが具体的なかたちをもって顕現しようとした時季が訪れる、そんな時季とちょうど一致したのだ。
次回は「ぷ」。

"Bowl Of Soup & Sterling Silver Spoon" by Marie Fox
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