2020.05.19.08.49
そのプロジェクトを知ったのはたしか、学研 (Gakken) の雑誌『科学 (Kagaku)』 [1946~2010年刊行] でだと思う。
ぼくが当時購入していたモノなのか同級生が購入したモノをみせてもらったのかは定かではない [当時、その雑誌とその兄弟誌『学習 (Gakushu)』 [1946~2009年刊行] は年間購読契約で、学校へ販売員が出向き受け渡しを行っていたのだ]。
もしかすると、3歳下の弟もしくは近所に棲む2歳下の従兄弟のモノだったかもしれない。つまり、何年生向けに掲載された情報だったかは定かではないのだ。
見開き2頁のカラー頁だったと思う。
そこにあるのは、パイオニア10号 (Pioneer 10) [1972年打ち上げ] が木星探査 (Exploration Of Jupiter) に赴く事と、1973年に木星 (Jupiter) に最接近した後に外宇宙 (Outer Space)、すなわち太陽系 (Solar System) 外へと旅立つ事、そして、その後者の目的の為に、1枚の金属板 (Plaque) を装着している事だった。
映画『2001年宇宙の旅
(2001 : A Space Odyssey)』 [スタンリー・キューブリック (Stanley Kubrick) 監督作品 1968年制作] はとっくの昔に公開されてはいたが、その映画の存在は当時のぼくは知らない [逆に映画『さよならジュピター
(Sayonara Jupiter)』 [橋本幸治 (Koji Hashimoto) 監督作品 1984年制作] はその原作小説『さよならジュピター
(Sayonara Jupiter)』 [作:小松左京 (Sakyo Komatsu) 1980~1982年 週刊サンケイ連載] すら執筆されていない]。だから、木星探査 (Exploration Of Jupiter) よりも、その後のパイオニア10号 (Pioneer 10) の旅程の方が興味深い。そして、その興味をさらにひきたたせるのが、その金属板 (Plaque) なのである。
その頁に、パイオニア探索機の金属板 (Pioneer Plaque) の図柄と共に、説明されてあった事は概ね、次の様な事であった。
その金属板 (Plaque) の上位にある図柄は、水素原子 (Hydrogen Atom) の図である。
その下にあるのは、全裸の男女1組と、パイオニア10号 (Pioneer 10) の模式図である。
最下部には、太陽系 (Solar System) を構成する太陽 (Sun) とここのつの惑星 (Planet) [冥王星 (Pluto) が第9位の惑星 (Planet) から準惑星 (Dwarf Planet) へと降格したのは2006年である] があり、左からよっつめ即ち太陽 (Sun) から数えて3番目の位置にある地球 (Earth) から、パイオニア10号 (Pioneer 10) が発進した事を示している。

これで、果たしてなにをしようというのか [上掲画像はパイオニア10号 (Pioneer 10) 装着時のモノである]。
最上部にある水素原子 (Hydrogen Atom) の図は、我々が持ちうる知識を端的に表現しようとしている。我々が現時点で理解し得る、物質を構成する最小の単位はこれである、と。
中央部にある全裸の男女とその背景にあるパイオニア10号 (Pioneer 10) は、我々の外観と、その大きさを表現している。
最下部にあるのは、どこからこれが来たのか、その図示である。
そして、これ以外の情報として解読出来るのは、この金属板 (Plaque) がアルミニウム (Aluminum) 製である事だ。即ち、その金属を精製する技術が我々には備わっていると謂う表明でもある。
これで伝わるのは一体なんなのだろう [それ以前に批判しようと思えばいくらでも難点や欠点は指摘出来るが]。
ここにある情報は、アイデンティティー (Identity) の表出だけなのである。謂わば、パスポート (Passport) の様な、身分証明書 (Identity Document) にある情報だけなのである。
つまり、解読出来るのは、パイオニア10号 (Pioneer 10) をつくり、それを発進させた知性の存在とその在処だけなのだ。
くどくどしい表現をしているが、ぼくが指摘したいのは、主張 (Message) がそこには一切ない、と謂う事なのだ。
なんのために、なにをしに、それらが一切ない。
勿論、それをどうやって表現したら良いのだろうと謂う問題はある。ぼく達はこの金属板 (Plaque) を受理する知性が、いったいどの様なモノであるのか、皆目もって見当がついていないのだから。
それでも、そんな事を考えてしまうのは、例えばTV番組『ウルトラQ
(Ultra Q)』 [1966年 TBS系列放映] 第3話『宇宙からの贈りもの (The Gift From Space)』 [脚本:金城哲夫 監督:円谷一 特技監督:川上景司] やTV番組『ウルトラセブン
(Ultraseven)』 [1967~1968年 TBS系列放映] 第16話『闇に光る目 (The Eye That Shines In The Darkness)』 [脚本:藤川桂介 監督:鈴木俊継 特殊技術:高野宏一] を観たからだ。そのふたつの物語は、我々の無邪気で無防備な行為が、地球外生命 (Extraterrestrial Life) に疑念を懐かしめ、彼等から地球 (Earth) への警告ないし報復が行われる物語なのだ。
と、謂う様な事は、いまのぼくならば滔々と語る事が出来る訳だが、当時のぼくには、そんな考察出来様筈もない。ただひたすら、もやもやとしたモノばかりが去来するばかりで、それを落とし込もうと考え込んでも、脳裏にあるのは、当時体験したテレビ番組や書物 [勿論マンガも含む] での出来事ばかりなのである。そこに登場する地球外生命 (Extraterrestrial Life) の殆どに対しては、この金属板 (Plaque) ではあまりにも情報量が少なすぎて、なにも語らないに等しいのだ。だからと謂って、実在するであろう地球外生命 (Extraterrestrial Life) と謂うモノが、果たして、どの様な知識や情報を蓄えているのかと考えだすと、解らない事だらけなのである。
逆に、夢とかロマンとか、そんなモノだけをそこに託していたのだろうか、と怪訝におもう時もある。
この金属板 (Plaque) が、図柄だけで構成されているのは、恐らく地球 (Earth) で交わされる言語は全く通用しないであろうと謂う前提に立っている。だけれども、そこまで考えてしまうと [もしくは考える事が出来てしまうと] 、視覚情報がコミュニケーションのツールであると謂う前提にたつ事自体がナンセンスだ。
それだからこそ逆にぼくは、地球 (Earth) での言語は通用しない可能性が遥かに大きいと謂う前提にたったとしても、言語によるメッセージ (Message) は必要だったかもしれないと思うのだ。
そして、その為には、たったひとつの章句を、地球 (Earth) 上のありとあらゆる言語で表記し尽くしてみると謂う行為でもよかったのかもしれないなぁと思ったりもする。その解読を試みるモノにとって、いくつもあるその言語のどれかひとつの言語が介助になり得るのかもしれないと思えたりもしているのだ。
神聖文字 (Hieroglyph) と民衆文字 (Demotic)、そしてギリシア文字 (Greek Alphabet) と、ロゼッタ・ストーン (Pierre de Rosette) [1799年発掘 1822年解読] がみっつの文字で同一内容が記述されてあったが為にそこに記述されている文章の解読の一助になったばかりか、それ以外の神聖文字 (Hieroglyph) で記述されてあった文書解読への足掛りとなった、その顰みに倣って (To Imitate Ridiculously) である。
だけれども、それを試みるとしても、一体どんなメッセージ (Message) がこの場合相応しいのだろうかと自問すると、なんら妥当な案は登場しないのである [それは我々共通の意思の総和、例えば『世界人権宣言 (Universal Declaration Of Human Rights)』 [1948年採択] 等が相応しいのであろうか?]。
ところで、この金属板 (Plaque) を考案したのはカール・セーガン (Carl Sagan) なのである。
彼の遺作とも謂うべき映画『コンタクト
(Contact)』 [原作: カール・セーガン (Carl Sagan) ロバート・ゼメキス (Robert Zemeckis) 監督作品 1997年制作] は、この金属板 (Plaque) とは逆に、地球外生命 (Extraterrestrial Life) からメッセージ (Message) を受理し解読する物語が語られている。その主人公エリナー"エリー"・アロウェイ (Eleanor Arroway) [演:ジョディ・フォスター (Jodie Foster)] がぶちあたる幾つもの障害は、この金属板 (Plaque) を制作するにあたってカール・セーガン (Carl Sagan) が遭遇した困難が多分にそこに反映しているのではないか、そんな解読を試みたくもなる。
次回は「と」。
ぼくが当時購入していたモノなのか同級生が購入したモノをみせてもらったのかは定かではない [当時、その雑誌とその兄弟誌『学習 (Gakushu)』 [1946~2009年刊行] は年間購読契約で、学校へ販売員が出向き受け渡しを行っていたのだ]。
もしかすると、3歳下の弟もしくは近所に棲む2歳下の従兄弟のモノだったかもしれない。つまり、何年生向けに掲載された情報だったかは定かではないのだ。
見開き2頁のカラー頁だったと思う。
そこにあるのは、パイオニア10号 (Pioneer 10) [1972年打ち上げ] が木星探査 (Exploration Of Jupiter) に赴く事と、1973年に木星 (Jupiter) に最接近した後に外宇宙 (Outer Space)、すなわち太陽系 (Solar System) 外へと旅立つ事、そして、その後者の目的の為に、1枚の金属板 (Plaque) を装着している事だった。
映画『2001年宇宙の旅
その頁に、パイオニア探索機の金属板 (Pioneer Plaque) の図柄と共に、説明されてあった事は概ね、次の様な事であった。
その金属板 (Plaque) の上位にある図柄は、水素原子 (Hydrogen Atom) の図である。
その下にあるのは、全裸の男女1組と、パイオニア10号 (Pioneer 10) の模式図である。
最下部には、太陽系 (Solar System) を構成する太陽 (Sun) とここのつの惑星 (Planet) [冥王星 (Pluto) が第9位の惑星 (Planet) から準惑星 (Dwarf Planet) へと降格したのは2006年である] があり、左からよっつめ即ち太陽 (Sun) から数えて3番目の位置にある地球 (Earth) から、パイオニア10号 (Pioneer 10) が発進した事を示している。

これで、果たしてなにをしようというのか [上掲画像はパイオニア10号 (Pioneer 10) 装着時のモノである]。
最上部にある水素原子 (Hydrogen Atom) の図は、我々が持ちうる知識を端的に表現しようとしている。我々が現時点で理解し得る、物質を構成する最小の単位はこれである、と。
中央部にある全裸の男女とその背景にあるパイオニア10号 (Pioneer 10) は、我々の外観と、その大きさを表現している。
最下部にあるのは、どこからこれが来たのか、その図示である。
そして、これ以外の情報として解読出来るのは、この金属板 (Plaque) がアルミニウム (Aluminum) 製である事だ。即ち、その金属を精製する技術が我々には備わっていると謂う表明でもある。
これで伝わるのは一体なんなのだろう [それ以前に批判しようと思えばいくらでも難点や欠点は指摘出来るが]。
ここにある情報は、アイデンティティー (Identity) の表出だけなのである。謂わば、パスポート (Passport) の様な、身分証明書 (Identity Document) にある情報だけなのである。
つまり、解読出来るのは、パイオニア10号 (Pioneer 10) をつくり、それを発進させた知性の存在とその在処だけなのだ。
くどくどしい表現をしているが、ぼくが指摘したいのは、主張 (Message) がそこには一切ない、と謂う事なのだ。
なんのために、なにをしに、それらが一切ない。
勿論、それをどうやって表現したら良いのだろうと謂う問題はある。ぼく達はこの金属板 (Plaque) を受理する知性が、いったいどの様なモノであるのか、皆目もって見当がついていないのだから。
それでも、そんな事を考えてしまうのは、例えばTV番組『ウルトラQ
と、謂う様な事は、いまのぼくならば滔々と語る事が出来る訳だが、当時のぼくには、そんな考察出来様筈もない。ただひたすら、もやもやとしたモノばかりが去来するばかりで、それを落とし込もうと考え込んでも、脳裏にあるのは、当時体験したテレビ番組や書物 [勿論マンガも含む] での出来事ばかりなのである。そこに登場する地球外生命 (Extraterrestrial Life) の殆どに対しては、この金属板 (Plaque) ではあまりにも情報量が少なすぎて、なにも語らないに等しいのだ。だからと謂って、実在するであろう地球外生命 (Extraterrestrial Life) と謂うモノが、果たして、どの様な知識や情報を蓄えているのかと考えだすと、解らない事だらけなのである。
逆に、夢とかロマンとか、そんなモノだけをそこに託していたのだろうか、と怪訝におもう時もある。
この金属板 (Plaque) が、図柄だけで構成されているのは、恐らく地球 (Earth) で交わされる言語は全く通用しないであろうと謂う前提に立っている。だけれども、そこまで考えてしまうと [もしくは考える事が出来てしまうと] 、視覚情報がコミュニケーションのツールであると謂う前提にたつ事自体がナンセンスだ。
それだからこそ逆にぼくは、地球 (Earth) での言語は通用しない可能性が遥かに大きいと謂う前提にたったとしても、言語によるメッセージ (Message) は必要だったかもしれないと思うのだ。
そして、その為には、たったひとつの章句を、地球 (Earth) 上のありとあらゆる言語で表記し尽くしてみると謂う行為でもよかったのかもしれないなぁと思ったりもする。その解読を試みるモノにとって、いくつもあるその言語のどれかひとつの言語が介助になり得るのかもしれないと思えたりもしているのだ。
神聖文字 (Hieroglyph) と民衆文字 (Demotic)、そしてギリシア文字 (Greek Alphabet) と、ロゼッタ・ストーン (Pierre de Rosette) [1799年発掘 1822年解読] がみっつの文字で同一内容が記述されてあったが為にそこに記述されている文章の解読の一助になったばかりか、それ以外の神聖文字 (Hieroglyph) で記述されてあった文書解読への足掛りとなった、その顰みに倣って (To Imitate Ridiculously) である。
だけれども、それを試みるとしても、一体どんなメッセージ (Message) がこの場合相応しいのだろうかと自問すると、なんら妥当な案は登場しないのである [それは我々共通の意思の総和、例えば『世界人権宣言 (Universal Declaration Of Human Rights)』 [1948年採択] 等が相応しいのであろうか?]。
ところで、この金属板 (Plaque) を考案したのはカール・セーガン (Carl Sagan) なのである。
彼の遺作とも謂うべき映画『コンタクト
次回は「と」。
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