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2020.04.14.08.54

くあどろふぃにあ

ザ・フー (The Who) には、ふたつのロック・オペラ (Rock Operas) 作品がある。アルバム『トミー (Tommy)』 [1969年発表] とアルバム『四重人格 (Quadrophenia)』 [1973年発表] である。
この2作品は、鏡像関係 (Mirror Image) にあると断言するのははばかられるが、すくなくとも幾つかの点に於いて、共通点があり、その共通点を通じて、それぞれ独自の点、こちらから眺めれば相違点と思われるモノが互いに照応している様に思える。

ふたつの作品はそれぞれが、映画化されている。
映画『トミー (Tommy)』 [ケン・ラッセル (Ken Russell) 監督作品 1975年制作] と映画『さらば青春の光 (Quadrophenia)』 [フランク・ロッダム (Franc Roddam) 監督作品 1979年制作] である。それぞれの作品は勿論、それぞれの映画監督独自の解釈が施されているが、その点を考慮しても、ふたつのアルバムにあるふたつの物語を解釈するのを容易とさせてくれる。
謂わば、このふたつの映画作品は、ふたつの音楽作品を理解する為のサヴ・テキスト (Subtext) としての機能を果たす。
だから、これから綴る拙稿に於いても、音楽を語る事以上にその為に提供された映像を語ってしまうかもしれない。
[念の為に、もう一度綴れば、このふたつの映画は、ふたりの映画監督が、それぞれのアルバムを映像化する為に呈示した、彼等自身の音楽解釈である。そこは忘れてはならない]。

アルバム『トミー (Tommy)』 はひとつの寓意である。
第一次世界大戦 (World War I) 後に登場する、あるカリスマ (Charisma) の、誕生から栄光、そして失墜の物語である。その物語の主人公トミー (Tommy) は、父母が関与するある殺人事件を目撃したが故に、視力聴力会話力を喪う。一切の感覚と感情や思考を発露する機能を奪われた彼を、あるモノは亡き者にせんとし、あるモノは救済しようとする。そして偶然にも、盲者にして聾者にして唖者であるが故に、ある競技において特異な才能を発揮し、そこで彼はその競技者の頂点に立つ。そして偶然にも、視力聴力会話力が復帰した彼は、そこで得た財を基に、救済活動へと赴くのだが、側近達の背任行為もあって、彼の信者達から排撃される。再び、彼は一切を喪うのである。

その一方で、アルバム『四重人格 (Quadrophenia)』は、1965年にあったブライトンの暴動 (Mods And Rockers On Brighton Beach, 1965) を中心に据えた、ある青年の軌跡である。物語は主人公ジミー (Jimmy) の生活の描写から始まって、徐々に彼の内面の描写へと比重を移していく。彼のなかで、信じられるモノと信じられないモノが存在している。そして、日増しに、前者であると看做していた事物や人物が、いつのまにか後者へと転じている。そんな日々を送るなかで、ブライトン (Brighton) でその暴動に遭遇し、自らもその先陣をかって出る。その日、信じられるモノは確かにある、彼はそう確信する。しかしながら、その日が終わるや否や、信じられるモノであると、その日彼が信じたモノ達からも疎外されていくのである。あの暴動は一体なんだったのか。そしてぼくはいったいなんなのか。

ざっくりと、ふたつの音楽作品の物語にあたる部分を上に綴ってみた。作品を聴くモノのなかには、こんな物語ではない、と謂うモノがあるかもしれない。その映像化作品を観たモノはこんな物語ではない、と謂うモノがあるかもしれない。
だから、上のふたつは、単純にぼくのなかにあるモノ、とだけ綴っておこう。

ふたつの物語の主人公、トミー (Tommy) とジミー (Jimmy) とは、実はひとつの物語にあるひとりの主人公を別の視点から眺めただけではないだろうか、と時に思う。
何故ならば、アルバム『トミー (Tommy)』 と謂う作品に登場する彼は殆ど、外面や外見的な言動しか顕されていないからだ。唯一の例外が「見て感じて触れて癒して (See Me Feel Me Touch Me Heal Me)」と謂うモノである。
一方のアルバム『四重人格 (Quadrophenia)』と謂う作品に登場するのは、彼と謂う視点を通じてのモノだけなのである。ジミー (Jimmy) と謂う人物を客観的に描写するモノは殆どない。

ジミー (Jimmy) は最初はどこにでもいる普通の少年である。最初に楽曲『リアル・ミー (The Real Me)』で彼が語るのは、親や教師への不信 [それ故にアルバム『トミー (Tommy)』に於いては重要な役割を与えられている主人公の父母の存在は、極めてちいさい] ではあるが、それは誰にでも共通する感情や感興であって、彼と謂う個性に必ずしも帰着しない [だから、この時点でのジミー (Jimmy) は誰にとっても理解しやすい、共感が得られやすい存在である、すなわち作品の聴き手であるぼく達にとっても]。それが楽曲『少年とゴッドファーザー (The Punk And The Godfather)』あたりから、独特なモノ特殊なモノへとなっていく。尤も、楽曲『少年とゴッドファーザー (The Punk And The Godfather)』で歌われる違和感は、後にパンク・ムーヴメント (Punk Movement) の基調となるべきモノである。だけど、ジミー (Jimmy) には、今まで信奉してきたミュージシャンからの疎外は、さらに酷薄なモノへと化していく。薄皮を剥ぐ様に、1枚また1枚として、信頼するモノ、愛するモノから疎外されていくのだ [そして、このあたりから聴き手の中にあってはジミー (Jimmy) という存在が自身とは異なるところにある人物ではないかと疑惑を抱き始める。彼のなかにあると思われた普遍性というモノが影を潜め、特殊な存在へと思われ始める。ぼく達も彼を疎外しているのかもしれないのだ]。
トミー (Tommy) が一夜にして、一瞬のうちに、盲者にして聾者にして唖者となった過程を、ジミー (Jimmy) はゆっくりと辿っていると看做す事も出来る。さもなければ、視力聴力会話力を回復した後にカリスマ (Charisma) と崇め奉られたトミー (Tommy) が、自身の信者から拒絶される光景の再現とも看做し得る。
つまりこういう視点を提供出来るのではなかろうか。
トミー (Tommy) が喪われていた一切の感覚を回復した事に、ジミー (Jimmy) のブライトンの暴動 (Mods And Rockers On Brighton Beach, 1965) 体験は匹敵するのであろう、と。

だから、ふたつの作品のふたりの主人公は、悲劇、絶望的な孤独の渦中に突き落とされてしまう訳だが、そんな解釈を阻むモノがそれぞれに用意されている。
トミー (Tommy) に於いては、楽曲『俺達はしないよ (We're Not Gonna Take It)』の後半部 [映画に於いては、異なる2曲、すなわち『俺達はしないよ (We're Not Gonna Take It)』と『シー・ミー・フィール・ミー / リスニング・トゥ・ユー (See Me, Feel Me / Listening To You)』として登場するその後者である] であるし、ジミー (Jimmy) に於いては、楽曲『愛の支配 (Love Reign o'er Me)』である。

そして、その2曲はそれぞれ、なんの説明もなく登場し、その結果、ぼく達の理解の届かない場所へとその作品を止揚してしまう。

ふたつの映画はそれもあって、いずれも物語冒頭部と物語終焉部を同じ場面として描写している。映画『『トミー (Tommy)』に於いては、巨大な太陽の光のさすまっただなかに山頂にたつ人物としてである。映画『さらば青春の光 (Quadrophenia)』に於いては、物語終焉部でのジミー (Jimmy) のブライトン (Brighton) 再訪とおなじと看做せる情景が冒頭曲『ぼくは海 (I Am The Sea)』と共に物語冒頭として登場する ["おなじと看做せる"と奥歯になにかがはさまった物謂いをしているのは、その理解次第によって映画そのものの解釈と理解が様変わりしてしまう点にある。そしてその解釈と理解の齟齬を来す起因は、主人公ジミー (Jimmy) をどう理解しているかによるモノと思われる。つまり彼を特殊な人材と見做すのか、それとも彼に何某かの普遍性を見出しているのか、その違いである]。
いずれにせよ、ふたつの映画は循環構造をもって、物語が構築されていると謂う解釈を可能とする。終わりが始まりであり、始まりが終わりとなっているのだ [勿論、循環構造と謂う解釈がそれぞれの映画に於いて可能だとしても、それをそのまま原作であるそれぞれのアルバムに投影出来るとは限らない]。

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The Image Photo for the song "The Punk And The Godfather" from the album "Quadrophenia" 1973 by The Who, photo by Ethan Russell

そして、そんな映像表現に身を委ねながら、ぼくは何度も何度もふたつの作品を反芻してしまうのだ。
アルバム『トミー (Tommy)』 に於ける楽曲『俺達はしないよ (We're Not Gonna Take It)』の前半部と後半部の断絶は、トミー (Tommy) の救済を意味するモノなのだろうか、それとも、再び彼が自閉する象徴なのだろうか。
アルバム『四重人格 (Quadrophenia)』に於ける最終楽曲『愛の支配 (Love Reign o'er Me)』を冒頭曲『ぼくは海 (I Am The Sea)』へと接続する事は可能なのだろうか。

ただ、ひとつだけそれらの謎の解釈を補助する存在がある。それは、ふたつの音楽作品のあいだに存在するスタジオ制作アルバム『フーズ・ネクスト (Who's Next)』  [1971年発表] の最終楽曲『無法の世界 (Won't Get Fooled Again)』の事だ。
その曲の中間部、ミュージックシーケンサー (Music Sequencer) だけが唸り続ける部分が終わり、再びロジャー・ダルトリー (Roger Daltrey) が歌唱するのは、こんな歌詞なのだ。
新しい上司に逢ったのさ 昨日とおんなじ、あの上司さ (Meet The New Boss Same As The Old boss)」。
アルバム『トミー (Tommy)』 と謂う作品をひとつの楽曲に集約すれば、楽曲『無法の世界 (Won't Get Fooled Again)』になるだろうし、その楽曲から話を広げていけばアルバム『四重人格 (Quadrophenia)』が成立するのではないだろうか。

次回は「」。

附記 1. :
アルバム『四重人格 (Quadrophenia)』に封入してあるブックレットを眺めていると、そこに全く別のバンドの全く別の作品のヴィジュアルとして登場していたある建造物を発見して吃驚してしまう。楽曲『リアル・ミー (The Real Me)』のヴィジュアル化と思われるそれは、ヴェスパ (Vespa) を疾駆させているモッズ・ファッション (Mods Fashion) の少年の背景として、巨大な4本の煙突を誇る威容が映り込んでいるのであった。バタシー発電所 (Battersea Power Station) である。この建築物はピンク・フロイド (Pink Floyd) の『アニマルズ (Animals)』 [1977年発表] に登場していて、ぼくはこちらの作品でその建築物を知ったのであった。そのアルバムに登場するそれはピンクの豚が中空にある所以か、非常に不条理で非現実的な存在にみえた。そのアルバムを観る限りに於いては、その建築物が実在するとは到底、信じがたいモノだったのである。そんなぼくの認識をもって、そのブックレットを眺めてると、アルバム『四重人格 (Quadrophenia)』も先行作であるアルバム『トミー (Tommy)』 同様に、寓意的な意図をもって制作された様にみえたのであった。

附記 2. :
バタシー発電所 (Battersea Power Station) がブックレットに登場したのは、勿論、そんな意図がある訳ではない。むしろ、その逆なのであろう。物語の主人公ジミーの、生活環境や所属する階級といったモノを解読させる為にこそ、その建築物は登場したのである。物語をよりリアルなモノにするためである。
そういう意味では、このブックレットに登場するいくつもの光景は、1960年代前中期のロンドン (London) の記録写真の様に読めるのである。

附記 3.:
アルバム『四重人格 (Quadrophenia)』の根底にある物語は、その映画化作品の存在もあって、ある程度の把握は出来るのであるが、この作品の最も謎とするのはその作品名である「四重人格 (Quadrophenia)」なのである。
その物語の主人公ジミー (Jimmy) は、ザ・フー (The Who) のメンバー4名の人格が投影されたモノであると説明されているのであるが、それを支えるモノがなにもないのである。勿論、収録楽曲のなかの4曲に個々のメンバー名がサヴ・タイトルとして添付されているが、その実態はその楽曲のヴォーカリストとしてフィチャーされているキース・ムーン (Keith Moon) の名が添えられている『ベル・ボーイ (Bell Boy : Keith's Theme)』以外には、ないのである。
いや、それ以上に、ピート・タウンゼント (Pete Townshend) の存在感がことさらに大きくみえる。バック・コーラスと謂う立場にありながら、リード・ヴォーカリストであるロジャー・ダルトリー (Roger Daltrey) よりも際立っている時すらある。いや、もっともザ・フー (The Who) と謂うバンドはそう謂うバンドなのである。ジョン・エントウィッスル (John Entwistle) の演奏はベースとしてのそれよりも本来ギターが務める位置にある様に [と、書いて疑心暗鬼に陥る事はやめておこう]。
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