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2020.02.18.09.02

みろのゔぃーなす

はなっから両腕のないモノ、と、ずっと想っていた。制作者の美的な判断に基づいて、その彫像は完成した時点で既に、両腕のない彫像だったのだ、とぼくはその作品『ミロのヴィーナス (Venus de Milo)』 [前130年-前100年頃制作 ルーヴル美術館 (Musee du Louvre) 所蔵] の存在を知った時から、そう思い込んでいた。

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"Early 1st C. BC marble of Venus de Milo" 1962 photo by Gjon Mili

何故ならば、その作品を題材にして、幾つモノ、2次創作 (Derivative Work) まがいのモノをみてきたのだから。さもなければ、両腕のないところから始まるモノを、だ。
勿論、その殆どがお笑い (Laugh)、ユーモア (Humour)、ギャグ (Gag) に基づくモノであって、風刺 (Satire) やパロディ (Parody) やカリカチュア (Caricature) ばかりだ。そして恐らく、その中には、現在の視点からみれば、差別的な表現を含んでいるモノもあるだろう。
だけれども、その様な作品に何度となく接する事によって、ぼくが当初に抱いていたその彫像への印象は、実際の作品のそれとは異なるモノである、と謂う事実にうすうすながら気がついてしまうのである。つまり、その彫像には、完成直後には両腕があり、いつかどこかでなんらかの理由によって、両腕を喪ったのである、と謂う認識にいつしか辿り着いていたのだ。

そんな時に、高校 (High School) での現代国語 (Modern Japanese) の授業で、評論『手の変幻 (Ever‐changing By Her Hands)』 [清岡卓行 (Takayuki Kiyooka) 1966年発表] が登場するのである。
その際は、ふむふむと想いながら読んだ。異論 (Objection) もなければ、敢えて反論 (Objection) すべきところもない。至って正論 (Orthodox) が、正論 (Orthodox) と謂う面構えで、自身の主張を展開しているだけだ。
筆者の謂う「僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない (I Will Not Try To Use Paradox Here.)」と謂うのは照れ隠しの様なモノで、逆説 (Paradox) からは遥かに隔たった場所にある。
しかしながらそんなかたちで自己保身 (Excuse) に走るのだから、ぼくからみれば、寧ろ、読みたかったのは逆説 (Paradox) なのに ...と謂う気分にさえなってしまう。それだから、そこにある言葉の端端には、鼻白む様な気もするし、純粋な嫌悪感も生じたりもする。
でも、それだからと謂って、そこに書かれている事に対し、真正面から反対の論陣を組める訳ではない。その感情は、単純に生理的な感覚に基づくモノなのである。
そして、所詮は教科書に載る様なモノなのだ、とでも謂う様な捨て台詞を吐いて、自身を慰めるしかないのである。

[と、謂う様な怨みつらみ (Ressentiment) は脇においといて、すこし姿勢を正くして綴るとすると、] その評論の主張は極めて単純なモノなのである。

ここでの主張を例えば、文学の世界に置き換えれば、谷崎潤一郎 (Jun'ichiro Tanizaki) が著書『文章読本 (Reader For Sentences)』 [1934年発表] の末尾で展開している含蓄 (Connotation) についての主張と全く同じである。
否、なにもその書物を熟読する必要もない。
文章構成の為の1技術のひとつである含蓄 (Connotation) と謂うモノ、それ自体がその評論で述べられている喪われた両腕と同様の機能を発揮するのである。

また、音楽の世界に置き換えれば、こうも謂える。

ジャズ (Jazz) と謂う表現に於いての基本となる音楽編成はビッグ・バンド (Big Band) のそれである。そして、そのビッグ・バンド (Big Band) のリズム・セクション (Rhythem Section) を司るのは、フォー・リズム (Four Rhythem) 、すなわちギター (Guiter)、ベース (Bass)、ピアノ (Piano) そしてドラムス (Drums) である。このよっつの楽器が産み出すリズム (Rhythem) の上に、メロディ (Melody) やハーモニー (Hermony) を奏でる楽器群が登場する。だから極端な謂い方をしてみれば、フォー・リズム (FGour Rhythem) さえ確立していれば、ジャズ (Jazz) は奏でられるのだ。
だが、必ずしも、そのよっつの楽器が必須とは謂えない。
ピアノ・トリオ (Piano Torio) やギター・トリオ (Guiter Torio) がその際たるモノだ。それらが奏でる音楽と謂うモノを、ビッグ・バンド (Big Band) でのフォー・リズム (Four Rhythem) を前提にして語れば、その編成から産み出されるモノは、本来ならばあってしかるべき音が欠落しているが故に産まれる制約と同時に何故か、自由な地位を個々の楽器とその演奏者は勝ち得ているのである。
これは、なにも、ジャズ (jazz) に限った話ではない。
ロック (Rock'n Roll) 〜ポピュラー・ミュージック (Popular Music) のなかには、あるべき楽器が不在である事によって、緊張感と同時に美しさやちからづよさを獲得している演奏形態がいくつもあるだろう。卑近な喩えで謂うのならば、弾き語り (Singing While Playing) と謂う演奏形態、つまり、専属の演奏者が不在での歌唱と謂う手法は、その際たるモノだ。
ぼくはそれを引算の美学 (Aesthetics By Substraction)、そう認識している。

そんなふうに、他の表現形態に於ける、喪われた両腕の様な存在を類推してみれば、この評論の様な息苦しさは生じないのではないだろうか。
逆に、美術としての古典たるギリシャ彫刻 (Ancient Greek Sculpture)、しかもその代表作に摺り寄る様なかたちで、最初から最後まで語られ尽くしているが故に、この評論には権威主義的 (Authoritarianism) な表情が垣間みえてしまうのだ。

そして、それ故に、反論するのはいとも容易いモノなのである。
両腕を喪って結果的にその美を勝ち得たその彫像とは、まったく逆の方向を目指した美術作品は幾らでもある。解りやすい例を挙げるとすれば、『不空羂索観音菩薩立像 (Fukukenjaku Kannon)』 [8世紀制作 東大寺法華堂 (Hokke-do In Todai-ji) 所蔵] や『阿修羅像 (Ashura)』 [8世紀制作 興福寺 (Kohfukuji) 所蔵] 等、幾らでも想いつく。しかも、それらの作品に横溢しているのは、単に過剰の美 (Beauty From Excess)、足算の美学 (Aesthetics By Addition) だけではないのだ。

いやいや、もっともっと解りやすい反証は、彫像『ミロのヴィーナス (Venus de Milo)』 自体がさりげなく主張している。
ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia)この頁にも掲載されているその彫像を背面からみた、その構図だ。
その視点をもってすれば、ちょうど、両腕の非在を語るその断面がみえないのだ。両腕がないというのを知った上であっても、あたかも喪われたモノが顕在であるかの様にみえてしまう。
そして、その背面が描く微妙な曲線は、正面からみたその像にある美とは、全く異なるモノであるかの様にもみえてしまう。
その評論の筆者は「その背中の広がりにしろ<中略>ほとんど飽きさせることのない均整の魔 (There Is The devilishness by Beauty Of Symmetry For Holding Our Attention In Extent Of Her Back, For Example.)」と総てを統合したモノとしてみているが、果たしてそうなのか。
少なくとも、両腕の存在 / 非在 / 実在 / 不在云々とは無関係の美を、その構図から堪能できると、ぼくは思っているのだが。

次回は「」。

附記:
この評論に関しては、かつて彫像『勝利の女神ことサモトラケのニケ像 (Victoire de Samothrace)』に関して綴ったこちらで言及しているが、そこで綴った事と、今回綴った事には齟齬が生じている様に思えるかもしれない。
10年も前の文章である、それだけを論拠として許してもらいたい。
彫像『ミロのヴィーナス (Venus de Milo)』 も彫像『勝利の女神ことサモトラケのニケ像 (Victoire de Samothrace)』も永遠不変のモノをそこに秘めてはいるが、ぼくの様な人間は、数日もすれば前言を翻してしまう様な、ちっぽけな存在なのである。
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