2020.02.04.08.56
と、表題を掲げてしまうと、幽霊譚や怪異譚を想像してしまうかもしれない。それとも、ゴシック・ロマンス (Gothic Romance) であろうか。
ここで謂う"うたう (Utau)"と謂う語句は、"歌う (Singing)"と謂う意味よりも、"白状する (Confession)" とか"暴露する (Exposure)" と謂う意味の方にきっと、近い。
つまり、殺人事件に於ける最も重要な証拠物件、遺骸を調査し研究する事によって判明する真実、そしてその為には必須となる科学的な捜査方法、特に法医学 (Forensic Medicine) 上のそれを意味しているのである。
オースティン・フリーマン (R. Austin Freeman) の短編小説集『歌う白骨
(The Singing Bone
)』 [1912年刊行] は、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) の魁けとして、評価されている。
その短編集収録の4篇の中の2篇、短編小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』 [1912年発表] と短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』 [1910年発表] を先日、ぼくは青空文庫 (Aozora Bunko) にて読んだ。妹尾韶夫 (Akio Senoo) による、1957年発表の翻訳である。
ちなみに後者がまさに、最も早く書かれた倒叙推理小説 (Inverted Mystery) だと謂う。
ここで綴るのは、その後者ではなくて前者、短編小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』に関する感想である。
但し、物語の構造自体は、さほど変わらないし、両者に共通する部分について、ここで綴っていると、思ってもらっても構わない。一部を除き、後者である短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』の感想としても流通可能だろう。
その物語はふたつの掌篇で構成されている。前半部では『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』として、その小説の主題である犯罪者の動機と行為を綴り、遺る後半部では『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』として、その小説のもうひとつの主題である探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) の捜査を綴っているのである。
そして、恐らく、この作品が倒叙推理小説 (Inverted Mystery) と看做されているのは、前半部の『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』があるからなのであろう。その部分を読むだけで、その小説で探偵が追求すべき犯罪の実態とそれを行った犯人の正体が判明してしまうのであるのだから。
そして、この小説はフーダニット (Who Done It?) の物語ではない、ハウダニット (How Done It?) の物語である。そんな主張の拠り所がそこにある。
だけれども、ぼく達が倒叙推理小説 (Inverted Mystery) と聴いて、想像する様な物語とはいささか異なる様式でもある。
だから、刑事コロンボ (Columbo) の様な、古畑任三郎 (Furuhata Ninzaburo) の様な作品、さもなければその雛形の様なモノを想定して読み進めると、推理小説の中にある謎とは異なる、もうひとつの謎を抱え込んでしまうのも、否定は出来ないであろう。
つまり、果たしてこの作品は本当に倒叙推理小説 (Inverted Mystery) なのであろうか、と謂う疑問が表出するのだ。
何故、そんな疑問を抱え込んでしまうのかと謂うと、その理由は簡単だ。
前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』はまごう事なく、犯罪者の行動と内面を追って進んでいく。しかし、後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』に突入するや否や、あたかも撮影カメラが切り替わるかの様に、物語は探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) と彼にとってのジョン・H・ワトソン (John H. Watson) 役、すなわち犯罪捜査の書記としての役割を担うクリストファー・ジャーヴィス医師 (Dr. Christopher Jervis) の視点で語られていくからである。
勿論、彼等が捜査を突き進めていく過程のなかで、前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』での犯罪者もひとりの証人として登場する。だけれども、その人物をみる視点は、前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』にあるカメラからではなくて後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』にあるカメラからなのである。ひとりの証人 = 犯罪者の内面がそこに問われる事は一切にない。
だから、ぼくはこんな事を考えるのだ。
この小説の前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』を欠いてしまって、後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』だけでこの物語を再構成する事は出来ないだろうか。そしてその結果、この小説はフーダニット (Who Done It?) の推理小説として読む事が出来てしまうのではないだろうか、と。
こんな事を綴ってしまうと、この小説の歴史的な価値を蔑ろにせしめようとしているかの様に読めてしまうかもしれないが、ぼくの意図は、そんなところにはない。
ぼくは、この物語の後半部のみを捕まえて、そのなかでのみ、この小説を評価しようとはしない。
その代わりに、こんな事を試してみるのだ。
物語の前半部と後半部の、その位置を逆転したらどうなるのだろうか、と。
つまり、物語の前半部として『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』を先に読み、その後にその後半部として『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』を読んでみるのだ。
そうすると、そんな物語の構造を、何度か体験した様な面持ちになってくる。
と、ひっぱってみても、致し方がない。素直にここへと綴ろう。
名探偵シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) が登場する、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) 作の4篇の長編小説のうち、長編小説『バスカヴィル家の犬 (The Hound 0f The Baskervilles)』 [1901年発表] を除くみっつの長編小説のどれも、そんな物語の構造を模しているのである。
長編小説『緋色の研究 (A Study In Scarlet) 』 [1887年発表] 、長編小説『四つの署名 (The Sign Of Four)』 [1890年発表] そして長編小説『恐怖の谷 (The Valley Of Fear)』 [1915年発表] が、である。
そのみっつの長編小説はどれも、ある難事件が探偵シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の捜査と推理によってものの見事な解決をみたその後に、そんな難事件を生み出した原因や動機が、縷縷と綴られているのである。
単純な話、そのみっつの物語を推理小説足らしめてあるのは、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) による解決までの前半部であり、そこだけに重きをおけば、後半部は必ずしも存在する必要もないのかもしれない。
そのみっつの長編小説の作者であるアーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) が、そのみっつの物語をそんな構造へと構成したのは、恐らく、そのみっつの物語を、スキャンダラスな物語、奇異な犯罪を取り扱った物語へと伍するのを避けたかったから、であろう。そんな物語を産み出した、様々な人間達が織りなすドラマの一端として犯罪事件を語りたかったから、なのであろう。
もしも、上に綴ったぼくの想像、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) がしたであろう構想にその存在の可能性があり得るのならば、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) こそ、その構想をより具体的に抽出したモノであるのだろう。
その物語の構造はどれも、猟奇的な犯罪や奇怪な犯罪を産み出した犯人の、内面へと分け入り、その犯人を、現実にありうるであろうひとつの人物像として提出しようと試みているからだ。
だからこそ、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) の魁けとして評価されている小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』の、その構造を念頭におけば、そのみっつの長編小説の構造を逆転するだけで、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) が登場しうるのかもしれない。
そして、フーダニット (Who Done It?) からハウダニット (How Done It?) への転換は、物語の主人公を、探偵から犯人へと転換する事だけでは必ずしもないのだ。
そんな事をこの短編小説から、思い至るのである。
ところで、冒頭に綴った様に、この短編小説を含むよっつの短編を収めた短編集の表題は『歌う白骨
(The Singing Bone
)』ではあるけれども、その表題を作品名に引用したこの短編自体の原題は、『歌う白骨 ( The Singing Bone) 』ではない。その原題を敢えて直訳すれば『反抗がこだまする (The Echo Of A Mutiny)』となる。
それでもよさそうなのにも拘らずに何故、こんな邦題がまかりとおっているかと謂うと、その作品のなかで探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) が『歌う骨 (The Singing Bone)』の逸話を紹介しているからである。物語の後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』 の副題にその語句が顕れている理由はそこにある。
その逸話は童話集『子供と家庭のための童話集 (Kinder- und Hausmarchen)』 [グリム兄弟 (Bruder Grimm) 編 1812年初版刊行] にも童話『歌う骨 (Der singende Knochen、KHM28)』 [1957年刊行の前掲書第7版収録] として紹介されている。
それは、殺人事件の被害者が、白骨と化したいまであっても [もしくはいまだからこそ] わが身をもって、その犯罪者を告発する逸話、まさに法医学 (Forensic Medicine) の実態を象徴すべき物語なのである。
最も早く書かれた倒叙推理小説 (Inverted Mystery) とされる短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』ではなくて、この物語を採り上げた理由もそこにある。

"The Singing Bone" for The Grimm Project by Rebecca Holden
次回は「つ」。
ここで謂う"うたう (Utau)"と謂う語句は、"歌う (Singing)"と謂う意味よりも、"白状する (Confession)" とか"暴露する (Exposure)" と謂う意味の方にきっと、近い。
つまり、殺人事件に於ける最も重要な証拠物件、遺骸を調査し研究する事によって判明する真実、そしてその為には必須となる科学的な捜査方法、特に法医学 (Forensic Medicine) 上のそれを意味しているのである。
オースティン・フリーマン (R. Austin Freeman) の短編小説集『歌う白骨
その短編集収録の4篇の中の2篇、短編小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』 [1912年発表] と短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』 [1910年発表] を先日、ぼくは青空文庫 (Aozora Bunko) にて読んだ。妹尾韶夫 (Akio Senoo) による、1957年発表の翻訳である。
ちなみに後者がまさに、最も早く書かれた倒叙推理小説 (Inverted Mystery) だと謂う。
ここで綴るのは、その後者ではなくて前者、短編小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』に関する感想である。
但し、物語の構造自体は、さほど変わらないし、両者に共通する部分について、ここで綴っていると、思ってもらっても構わない。一部を除き、後者である短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』の感想としても流通可能だろう。
その物語はふたつの掌篇で構成されている。前半部では『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』として、その小説の主題である犯罪者の動機と行為を綴り、遺る後半部では『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』として、その小説のもうひとつの主題である探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) の捜査を綴っているのである。
そして、恐らく、この作品が倒叙推理小説 (Inverted Mystery) と看做されているのは、前半部の『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』があるからなのであろう。その部分を読むだけで、その小説で探偵が追求すべき犯罪の実態とそれを行った犯人の正体が判明してしまうのであるのだから。
そして、この小説はフーダニット (Who Done It?) の物語ではない、ハウダニット (How Done It?) の物語である。そんな主張の拠り所がそこにある。
だけれども、ぼく達が倒叙推理小説 (Inverted Mystery) と聴いて、想像する様な物語とはいささか異なる様式でもある。
だから、刑事コロンボ (Columbo) の様な、古畑任三郎 (Furuhata Ninzaburo) の様な作品、さもなければその雛形の様なモノを想定して読み進めると、推理小説の中にある謎とは異なる、もうひとつの謎を抱え込んでしまうのも、否定は出来ないであろう。
つまり、果たしてこの作品は本当に倒叙推理小説 (Inverted Mystery) なのであろうか、と謂う疑問が表出するのだ。
何故、そんな疑問を抱え込んでしまうのかと謂うと、その理由は簡単だ。
前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』はまごう事なく、犯罪者の行動と内面を追って進んでいく。しかし、後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』に突入するや否や、あたかも撮影カメラが切り替わるかの様に、物語は探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) と彼にとってのジョン・H・ワトソン (John H. Watson) 役、すなわち犯罪捜査の書記としての役割を担うクリストファー・ジャーヴィス医師 (Dr. Christopher Jervis) の視点で語られていくからである。
勿論、彼等が捜査を突き進めていく過程のなかで、前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』での犯罪者もひとりの証人として登場する。だけれども、その人物をみる視点は、前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』にあるカメラからではなくて後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』にあるカメラからなのである。ひとりの証人 = 犯罪者の内面がそこに問われる事は一切にない。
だから、ぼくはこんな事を考えるのだ。
この小説の前半部『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』を欠いてしまって、後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』だけでこの物語を再構成する事は出来ないだろうか。そしてその結果、この小説はフーダニット (Who Done It?) の推理小説として読む事が出来てしまうのではないだろうか、と。
こんな事を綴ってしまうと、この小説の歴史的な価値を蔑ろにせしめようとしているかの様に読めてしまうかもしれないが、ぼくの意図は、そんなところにはない。
ぼくは、この物語の後半部のみを捕まえて、そのなかでのみ、この小説を評価しようとはしない。
その代わりに、こんな事を試してみるのだ。
物語の前半部と後半部の、その位置を逆転したらどうなるのだろうか、と。
つまり、物語の前半部として『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』を先に読み、その後にその後半部として『犯罪編 (Part I - Death On The Girdler)』を読んでみるのだ。
そうすると、そんな物語の構造を、何度か体験した様な面持ちになってくる。
と、ひっぱってみても、致し方がない。素直にここへと綴ろう。
名探偵シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) が登場する、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) 作の4篇の長編小説のうち、長編小説『バスカヴィル家の犬 (The Hound 0f The Baskervilles)』 [1901年発表] を除くみっつの長編小説のどれも、そんな物語の構造を模しているのである。
長編小説『緋色の研究 (A Study In Scarlet) 』 [1887年発表] 、長編小説『四つの署名 (The Sign Of Four)』 [1890年発表] そして長編小説『恐怖の谷 (The Valley Of Fear)』 [1915年発表] が、である。
そのみっつの長編小説はどれも、ある難事件が探偵シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の捜査と推理によってものの見事な解決をみたその後に、そんな難事件を生み出した原因や動機が、縷縷と綴られているのである。
単純な話、そのみっつの物語を推理小説足らしめてあるのは、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) による解決までの前半部であり、そこだけに重きをおけば、後半部は必ずしも存在する必要もないのかもしれない。
そのみっつの長編小説の作者であるアーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) が、そのみっつの物語をそんな構造へと構成したのは、恐らく、そのみっつの物語を、スキャンダラスな物語、奇異な犯罪を取り扱った物語へと伍するのを避けたかったから、であろう。そんな物語を産み出した、様々な人間達が織りなすドラマの一端として犯罪事件を語りたかったから、なのであろう。
もしも、上に綴ったぼくの想像、アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) がしたであろう構想にその存在の可能性があり得るのならば、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) こそ、その構想をより具体的に抽出したモノであるのだろう。
その物語の構造はどれも、猟奇的な犯罪や奇怪な犯罪を産み出した犯人の、内面へと分け入り、その犯人を、現実にありうるであろうひとつの人物像として提出しようと試みているからだ。
だからこそ、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) の魁けとして評価されている小説『歌う白骨 (The Echo Of A Mutiny)』の、その構造を念頭におけば、そのみっつの長編小説の構造を逆転するだけで、倒叙推理小説 (Inverted Mystery) が登場しうるのかもしれない。
そして、フーダニット (Who Done It?) からハウダニット (How Done It?) への転換は、物語の主人公を、探偵から犯人へと転換する事だけでは必ずしもないのだ。
そんな事をこの短編小説から、思い至るのである。
ところで、冒頭に綴った様に、この短編小説を含むよっつの短編を収めた短編集の表題は『歌う白骨
それでもよさそうなのにも拘らずに何故、こんな邦題がまかりとおっているかと謂うと、その作品のなかで探偵ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士 (Dr. John Evelyn Thorndyke) が『歌う骨 (The Singing Bone)』の逸話を紹介しているからである。物語の後半部『推理編 (Part II - 'The Singing Bone')』 の副題にその語句が顕れている理由はそこにある。
その逸話は童話集『子供と家庭のための童話集 (Kinder- und Hausmarchen)』 [グリム兄弟 (Bruder Grimm) 編 1812年初版刊行] にも童話『歌う骨 (Der singende Knochen、KHM28)』 [1957年刊行の前掲書第7版収録] として紹介されている。
それは、殺人事件の被害者が、白骨と化したいまであっても [もしくはいまだからこそ] わが身をもって、その犯罪者を告発する逸話、まさに法医学 (Forensic Medicine) の実態を象徴すべき物語なのである。
最も早く書かれた倒叙推理小説 (Inverted Mystery) とされる短編小説『オスカー・ブロズキー事件 (A Case Of Premeditation)』ではなくて、この物語を採り上げた理由もそこにある。

"The Singing Bone" for The Grimm Project by Rebecca Holden
次回は「つ」。
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