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2020.01.14.11.24

きんぐだいなそあ

後にミスター・ビッグ (Mr. Big) と呼称される事になる映画監督バート・I・ゴードン (Bert I. Gordon) が、その異名を勝ち得たきっかけとなる作品、それが映画『キング・ダイナソア (King Dinosaur)』 [1955年制作] である。

その物語は次の様なモノである。

「なぜか太陽系に迷い込んできたノバなる惑星になぜかV-2ロケットで調査に赴いたマーチン博士 [B・ブライアント] 以下4名の宇宙飛行士が、なぜかそこに棲息している太古の恐竜に追い回された挙句に持っていった原爆を炸裂させる。なぜですか!?」[文:中野泰 (Yasushi Nakano) ムック『新映画宝庫 vol 1. モンスターパニック 超空想生物大百科 (Monster Panic Large Encyclopedia For Super Creatures Of Fancy)』 [2000大洋図書刊] より引用。]

本作における物語の混迷の度合いが、最期の1文「なぜですか!? (Why Is That?)」に的確に著されているので、引用してみた。

上の紹介文を読んで先ず思う事は、いろいろな物語の要素が混在しているなぁ、と謂う事だ。
微分 (Derivative) してみると、未知の惑星の発見、そこへと向かう宇宙旅行、その惑星到着後の探検と、そこに棲む巨大爬虫類 (GIant Reptiles) との遭遇、このよっつの物語で構成されている。おおきく分けてみても、宇宙冒険譚の前半部と、秘境探検譚の後半部で構成されている。これらのよっつ乃至ふたつの物語が、論理的に納得出来るかたちでもって融合されていれば、誰も文句はつけ様はない筈なのだが、誰が観ても、違和感ばかりを与えられてしまうのである。

と、謂うのは、この物語を構成する各部分が、いつかどこかで観た様なモノばかりであるからだろう。
未知の惑星との遭遇と謂う部分だけをみてみれば、映画『地球最后の日 (When Worlds Collide)』 [ルドルフ・マテ (Rudolph Mate) 監督作品 1951年制作] や映画『妖星ゴラス (Gorath)』 [本多猪四郎 (Iishiro Honda.com) 監督作品 1962年制作] や映画『アルマゲドン (Armageddon)』 [マイケル・ベイ (Michael Bay) 監督作品 1998年制作] が思い浮かぶ。この諸作のうち、後2作はどれも本作よりも後年のモノだから、そこからのいいがかりのつけ様はない。
だが、巨大爬虫類 (GIant Reptiles) との遭遇と謂う部分は、映画『ロスト・ワールド (The Lost World)』 [原作:アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) ハリー・O・ホイト (Harry O. Hoyt) 監督作品 1925年制作] もあれば、映画『キングコング (KIng Kong)』 [メリアン・C・クーパー (Merian C. Cooper)、アーネスト・B・シュードサック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1933年制作] もあれば、映画『地底探検 (Journey To The Center Of The Earth)』 [原作:ジュール・ヴェルヌ (Jules Verne) ヘンリー・レヴィン (Henry Levin) 監督作品1959年制作] もある。映画『キングコング (KIng Kong)』を除けば、遺るふたつは先行する文学作品を原作とするモノであるし、除外された映画『キングコング (KIng Kong)』 でさえ、本作の22年も前に公開された、しかも傑作とされている作品なのである。映画『キングコング (KIng Kong)』 がなければ誕生し得なかった作品は多数あり、そのなかの幾つかの作品もまた名作である事は、疑い様もない。
だからと謂って本作がそれらの名作群に伍する事が出来るかと謂うと、それはとても無理な相談なのである。

しかし、いつまでも重箱の隅をつついて (To Complain About Trifles)、非難してみても仕様がない。
逆に、本作を微分するのではなくて、逆に積分 (Integral) してみると、なにが解るだろうか。

実は、本作に於ける、よっつ乃至ふたつの物語の構造をもった物語がひとつ発見出来るのである。
それは、手塚治虫 (Osamu Tezuka) のマンガ『ロスト・ワールド<前世紀> (Lost World [Previous Century])』 [1948年刊行] である。

そのマンガは遊星ママンゴ星 (Planet Mamango) の地球への接近から始まり、その遊星からの飛来物から新たなエネルギー源の発見をもって、遊星探検へと物語が語られていくのだ。そしてその遊星こそ、題名にある『ロスト・ワールド<前世紀> (Lost World [Previous Century])』、太古の恐竜 (Dinosaur) 達が棲まう星なのである。
しかも、遊星探検と謂うクライマックスを迎える前に、そのエネルギー源の、善悪入り乱れての争奪戦が繰り広げられる。
そのマンガと本作を比較すると、後者は圧倒的に、未知の星へ向かう動機が非常に乏しい様に思える。
そして、本作で惑星ノヴァ (Planet Nova) に向かった2組の男女のうちの1組は、自身が担っている任務を忘却してしまったかの様に、自身達の恋愛に勤しんでしまう。そして、その結果として自身等の身を危うくしてしまう。それ故に、そのマンガならば、「そしてぼくたちはママンゴ星の王さまと女王さまだよ (Live As The King And Queen Of Mamango)」と謂う感動的な台詞が導かれるところを、上の引用文にある様に、原爆炸裂 (Atomic Bomb Explosion) でもって物語に幕がひかれてしまう。
このふたつの物語をみくらべてしまうと、雲泥の差 (Be As Different As Chalk And Cheese) がみえてしまうばかりなのである。

と謂う事は ... と考えても、そのマンガが英語版として海外に向けて刊行されたのは2003年なのである。あり得そうな事柄の可能性を想像してしまったとしても、客観的にしてかつ具体的な証拠はなにもない。
本作は、そのマンガと似ているとしか、主張の仕様はないのだ。

と同時に、本作に於ける特撮場面、有り体に謂えば、巨大爬虫類 (GIant Reptiles) 登場シーンをもって、そのマンガとの類似性を偶然である、その可能性が高い、と指摘する事も出来る。
そのシーンは映画『紀元前百万年 (One Million Years B.C.)』 [ハル・ローチ (Hal Roach)、ハル・ローチ・ジュニア (Hal Roach Jr.) 監督作品1940年制作] からそっくりそのまま転用したモノなのである。そして、そのシーン転用を行った作品は、本作だけではないのだ。だから、その当時、巨大怪獣 (Giant Kaiju) や巨大爬虫類 (GIant Reptiles) が跋扈する映画と謂う鳴り物入りで公開された新作を観にいったら、また、あのシーンだったと謂う事が多分にあっただろう。
そして、それ故の他作との差別化を謀ると謂う点に於いて、物語の導入部でもあるその物語の舞台を未知の星として、本作は設定されたのではないだろうか。

ところで、拙稿の冒頭に、本作の映画監督の異名をミスター・ビッグ (Mr. Big) と綴った。彼の作品には、巨大化した生物が幾度となく登場し、そこで語られる物語はどれも、その生物による恐怖や破壊、そしてその殲滅ばかりなのである。なんでもかんでもおおきくすれば事足りる、彼の制作の動機と態度を揶揄して、その異名が与えられたのである [こちらも参照の事]。

そして、本作に登場する巨大生物は、タイトル・ロールにある巨大爬虫類 (GIant Reptiles) 等である。
しかし、この巨大爬虫類 (GIant Reptiles) をもってミスター・ビッグ (Mr. Big) の嚆矢とみるのは容易いが、本作の後に登場する物語と隔絶したモノがそこにはある。
それは、ここで語られる巨大爬虫類 (GIant Reptiles) の物語が核攻撃 (Nuclear Attack) をもって終焉するからだ。これ以降の物語の幾つかは、核兵器 (Nuclear Weapon) の存在とその使用から、物語が語られ始めるのである。つまり、核兵器 (Nuclear Weapon) の被害者、核汚染 (Nuclear Contamination) の被害者として巨大生物が誕生してしまうのである。

この転換はどこからもたらされたのだろうか。ぼくが本作をもって疑問を抱いたのは、その点である。

核兵器 (Nuclear Weapon) と謂う存在がある時点で転換してしまったのは、例えば映画『アトミック・カフェ (The Atomic Cafe)』 [ケヴィン・ラファティ (Kevin Rafferty)、ジェーン・ローダー (Jayne Loader)、ピアース・ラファティ ( Pierce Rafferty) 監督作品1982年制作] を観れば解る。第二次世界大戦を終結させた最終兵器としてもてはやされていたそれが、ある時点で、人類への脅威と認知される様になる。
ではそれはいつからなのだろうか。

例えば本作の次のミスター・ビッグ (Mr. Big) の監督作品、映画『戦慄! プルトニウム人間 (The Amazing Colossal Man)』 [1957年制作] とその続編である映画『巨人獣:プルトニウム人間の逆襲 (War Of The Colossal Beast )』 [1958年制作] は、いまの言葉で謂えば、アトミック・ソルジャー (Atomic Veteran) を題材としたモノである。しかし映画制作当時、アトミック・ソルジャー (Atomic Veteran) なる問題はひた隠しにされていた筈だ。
その一方で、一般市民が核汚染 (Nuclear Contamination) させられた事例のひとつ、第五福竜丸事件 (Daigo Fukuryu Maru) [1947年] は、本作制作よりも前に起きている。仮に本作が現在に制作されたモノだとしたら、その事件をもって本作の様な物語は世界中から非難されるところなのだが、その当時の風潮としてはどうなのか。
つまり、ミスター・ビッグ (Mr. Big) と彼の関係者達の、核 (Nuclear) への認識を変転せざるを得ない世論は当時、形成されていたのだろうか。さもなければ、形成され得るモノなのであろうか。

この点も想像するばかりで、それを裏付けるにたる確たるモノは未だに見出せていない。

ただ、ひとつだけ解っている事がある。
本作と映画『戦慄! プルトニウム人間 (The Amazing Colossal Man)』 とその続編である映画『巨人獣:プルトニウム人間の逆襲 (War Of The Colossal Beast )』のあいだに、ある映画が公開されたのだ。

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それは映画『ゴジラ (Godzilla)』 [本多猪四郎 (Iishiro Honda.com) 監督作品 1954年制作] である。その海外版『怪獣王ゴジラ (Godzilla, King Of The Monsters!)』 [テリー・O・モース (Terry O. Morse)、本多猪四郎 (Iishiro Honda.com) 監督作品] の公開は1956年だ。

ミスタービッグ (Mr. Big) の視点にたって映画『怪獣王ゴジラ (Godzilla, King Of The Monsters!)』 を観ると、こんな類推が行われた可能性はないだろうか。
自身の作品『キング・ダイナソア (King Dinosaur)』 では、巨大爬虫類 (GIant Reptiles) は核兵器(Nuclear Weapon) をもって廃絶出来た。だが、映画『怪獣王ゴジラ (Godzilla, King Of The Monsters!)』 に登場する巨大爬虫類 (GIant Reptiles) は、被曝の結果、自らを核兵器(Nuclear Weapon) へと進化せしめた。自身が産み出した巨大爬虫類 (GIant Reptiles) よりは遥かに、ゴジラ (Godzilla) の方が強い。
それではどうしたらいいのだろう。

つまり、ミスター・ビッグ (Mr. Big) が名実ともに誕生するその発端は、映画『怪獣王ゴジラ (Godzilla, King Of The Monsters!)』がもたらしたのではないだろうか。
ぼくはそんな妄想をしているのである。

次回は「」。
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