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2019.11.12.08.49

くちびるのねじれたおとこ

小学生時代にジュブナイル((Juvenile) を読んで以来、異なる訳、異なる選集で、何度となく読んだ。物語の結末は知っている。作品名が一度、聴いたら忘れられない程、強い印象を与えるモノだけに、題名をみるだけで、その意外な結末、鮮やかな解決が脳裏に浮かぶ。
だけれども、新たなる訳、新たなる選集で、実際に読み始めると、こんな物語だっただろうかと、想う時がある。
結末ばかりの印象とそれを導びく謎の設定の印象が強すぎて、その物語の導入部分をすっかり忘れ果てているからである。

妻帯したジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の許に、夫捜索の依頼が来る。私立探偵であるシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) にではなく、彼に依頼が来るのは、捜索人の夫が、開業医であるジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の患者であるからだ。場所の見当は依頼人にはついているのだが、そこは女性独りでは不向きな場所、阿片窟 (Opium Den) なのである。
その場で依頼人に快諾したジョン・H・ワトスン (John H. Watson) はその阿片窟 (Opium Den) で、夫を無事に発見し保護するが、思わぬ人物にそこで遭遇するのである。
阿片常習者 (Opium Fiend) に堕した友人、ではなくて、それに変装した探偵、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) に、である。

アーサー・コナン・ドイル (Arthur Conan Doyle) 作の短編小説『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』 [ 1891年 雑誌『ストランド・マガジン (The Strand Magazine)』にて発表 単行本『シャーロック・ホームズの冒険 (The Adventures Of Sherlock Holmes)』収録 1892年刊行] はそうして始まる。

こうやって綴ってみると、その導入部は、これまでにある、よく知られたシャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories) とは全く異なる、異様な、異質な物語としてぼく達の前に顕れている。

ぼく達にとってのシャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories)、その導入部は、ベイカー街221B (221B Baker Street) の一室に寛ぐシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) とジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の許へ、事件の依頼者が登場すると謂うモノだ。そしてその直前にふたりの独身者達 (Bachelors) によって交わされることばは、殆どが推理や智力を題材にしたモノ、さもなければ、かつてふたりが遭遇し解決した難事件の想い出であったりする。前者であれば、それから語り始められる物語の伏線なのかもしれず、後者であれば、べつのところで綴られる物語の予告篇なのかもしれない。

例えば、短編『青い紅玉 (The Adventure Of The Blue Carbuncle)』 [1892年 雑誌『ストランド・マガジン (The Strand Magazine)』 にて発表 単行本『シャーロック・ホームズの冒険 (The Adventures Of Sherlock Holmes)』収録 1892年刊行] である。
その物語の導入部に顕れるのは、ある人物の遺した帽子である。シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) はその帽子たったひとつを素材にしてその持ち主の氏素性をたちまち暴いてみせる。
マンガ『ドラえもん (Doraemon)』 [作:藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio) 19691996 小学館学習雑誌連載] に登場するひみつ道具 (Secret Gadget) のひとつ、ホームズセット (Sherlock Holmes Set) が登場する物語『シャーロック・ホームズセット (The Birth Of Detective Nobita!)』での冒頭、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の能力に感嘆の意を表明する野比のび太 (Nobita Nobi) は、その短編を読んだから、なのだ。逆に謂えば、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) と謂う能力の素晴らしさを寿ぎたかったら、その物語のその部分だけを紹介すれば充分なのである。大袈裟だろうか。だが、少なくとも、そのマンガ作品の作者はそう考えたからこそ、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の数ある物語のなかから、その部分を野比のび太 (Nobita Nobi) に顕彰させたのではないだろうか。

論点がずれてしまったかもしれないが、ちゃんと繋がるから心配はしなくても良い。

ぼくが綴りたいのは短編小説『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』は何故、あの様な導入部を必要としたのだろうか、と謂う事なのである。
短編『青い紅玉 (The Adventure Of The Blue Carbuncle)』での帽子の様に、ベイカー街221B (221B Baker Street) の1室から1歩も出ずに、その事件を解決する、そんな物語にしようとする事も出来ただろうに、と謂う事なのである。謎と結末の、意外だが意外であるが故に単純な構造を持つそれだけを考慮すると、必ずしも出来ないモノではないだろう。そう思うのだ。

夫が自身の目前で突如として行方不明となってしまう。その謎の解明と夫捜索の依頼をする為に、その妻がシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) を訪ねるところから、物語を語り始める事は、難しくはなさそうな気がする。そして、そのまま事件現場での検証と容疑者との聴取の場面が続けばそれで良い。
何故、そうしなかったのか。
見方や読み方によっては、ジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の阿片窟 (Opium Den) 探索は単なる蛇足ではないだろうか、そんな偏見が成立し得るのだ。

シャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories) のマンネリ化を避ける為、と謂うのはあまり出来の良い解答ではない。何故ならば、その作品は56短編あるシャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories) 群のなかで、第6番目に発表された作品だからだ。上で、シャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories) 導入部の典型である様な物謂いで紹介した短編『青い紅玉 (The Adventure Of The Blue Carbuncle)』は、その約1年後、短編『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』に続く第7作として発表されたのである。
この順番が逆だとしたら、マンネリ化を避けると謂う発想は、説得力をもつモノとなったのかもしれないのだが。

で、ぼくは考えた。
もしかしたら、物語の舞台設定を読者の納得のいく様なかたちで説明する為の道具立てではなかろうか、と。その物語群が発表された雑誌『ストランド・マガジン (The Strand Magazine)』にとって、短編『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』の物語は理解しづらいモノがあるのではなかろうか、と。容疑者は乞食であり、夫が行方不明となった場所も下層階級のヒトビトが暮らす場所だ。そこで起こった異常な事件、それを殊更に印象付けると同時に、そんな事件が起こり得る場所を、当時の読者、すなわちその短編が掲載された雑誌の購入者に、理解させるが為に阿片窟 (Opium Den) と謂う場所を事前に登場させたのではないだろうか、と。
だけれども、もし仮にこんな発想が真実に近いとしても、それを裏付けるには一体、どうしたら良いのだろう。掲載雑誌の購買層を丹念に調べ上げ、舞台の場所となったロンドン (London) の幾つかの場所の当時の実際の状況を調べ上げ、場合によっては作品発表時の経済や社会の動静をもみなければならない。
気が遠くなるばかりだ。そしてそんな探索を試みると、最初に待ち構えているのが、シャーロキアン (Sherlockian) の格好の餌、そもそもその阿片窟 (Opium Den) はどこにあるのか、と謂う問題なのだ。

で、その考えを保留にして、ぼくは他の可能性をも考えてみる。
シャーロック・ホームズの物語 (The Sherlock Holmes Stories) の導入部の、その殆どがシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) と謂う人物の能力と智力の紹介である。同居人であるジョン・H・ワトスン (John H. Watson) が綴る物語として、その物語が形成されている以上、それは半ば避け得る事は出来ない。ジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の眼には、彼がどんな人物として写っているのか、ジョン・H・ワトスン (John H. Watson) は彼をどんな人物と理解しているのか、それが物語のその部分の主目的である。そしてそれらを検証するかの様に、もしくはそれを上回るモノであるかの様に語られるのが、作品に顕れた事件とそれに立ち向かうシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の姿なのである。
そうやって考えてみると、短編『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』にある阿片窟 (Opium Den) でのシャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) との邂逅もまた、彼の能力のその一端を示す為、と考える事が出来る。
それはとりもなおさず、彼の変装術の巧みさだろう。それは、探偵は推理するだけでは駄目なのだ、それ以外にも必須の能力がある。例えば変装と謂う技術だ。そんな講釈がそこにあっても不思議ではない。

まぁ、そうだよね。そんな理解で終えていいのかなぁ。なんとなく結論に辿り着いてしまった様な気がして、ぼくはひとりごちる。
なんとなく釈然としないし、それで拙稿を終えて良いのだろうかと逡巡する。
そして、冒頭からここまでを読み返す。
そこで、はたと気づく。

「それから語り始められる物語の伏線なのかもしれず」と謂う部分だ。

なんだ、そんな事か。それが理由か。
阿片窟 (Opium Den) でジョン・H・ワトスン (John H. Watson) が出逢ったホームズは変装していた、それが即ち、短編『唇のねじれた男 (The Man With The Twisted Lip)』の最大の伏線なのであった。

本人とは似ても似つかぬ容姿や風采を獲得する為の技術が、確固たるかたちで存在している、少なくとも、ここで綴られる物語はその存在を前提として、構築されているのである。それを何喰わぬ顔をして裏付けているのが、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) の変装なのである。

images
上掲画像は、ここまで綴ってきた拙稿には殆ど無関係なさんぞうほうし (Xuanzang) [声:いかりや長介 (Ikariya Chosuke)、TV人形劇『飛べ! 孫悟空 (Fly! Sun Wukong)』 [19771979TBS系列にて放映] の登場人物である。

次回は「」。

附記:
ジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の許を夫探索の依頼がきたその頃に、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) にも夫探索の依頼がきていたのである。妻が夫の行方を捜索する為に訪問する。その短編の、通奏低音 (Basso continuo) と謂っても良い。
それ故に [それ故に?]、シャーロキアン (Sherlockian) にとってはジョン・H・ワトスン (John H. Watson) の妻にとっての彼、と謂う謎が遺されてしまった。
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