FC2ブログ

2019.10.15.12.02

どぶ

とんと、みなくなったよねぇ。と、ほざいてしまうと周辺からおこられてしまうだろうか。
生活の殆どが23区内 (Special Wards Of Tokyo) にある、いまのぼくならばあたりまえだろう、と。

でも、みるみない、みかけるみかけない云々という事実とはべつのところにも、それを裏付けるモノもあるのだ。
それは言葉として発することが殆どない、と謂う事なのである。
最早、死語 (Obsolete Words) と断定してしまってもよいのでは、とも思う。

しかしながら、そこから派生することば、乃至はそこを連想させるモノはいまでもいくつもある。
どぶみず (Ditch Water)、どぶろく (Doburoku)、どぶ板選挙 (Dobuita Election Campaign)、ざっとうかぶだけでもこれだけおもいつく。

どぶみず (Ditch Water) と謂う語句の存在は、結果的に、どぶ (Ditch) は液体それ自身を指す語句ではないのだろう、とぼくに思わせる。その液体が流れる場所がどぶ (Ditch) なのだろうな、と。だが、そんな思考を試みると、なんとなく、主体と客体が逆転している様にも思える。つまり、感覚的には、どぶみず (Ditch Water) がながれているからこそ、そこをどぶ (Ditch) と呼ぶ、そんな認識がぼくのなかにまかり通っているのである。

それとおなじ事はどぶろく (Doburoku) にも謂えて、濁り酒 (NIgori) の意味をもつ濁醪 (Dakuro) が転じてどぶろく (Doburoku) となったとすれば、そこからどぶ (Ditch) と謂う語義が生じたと考えられなくもない。

ぢゃあ、どぶ板選挙 (Dobuita Election Campaign) は ...。

ところで、ぼくにとってのどぶ (Ditch) とは、事件の起きる場所である。と、謂うとだいそれたモノを想起させてしまうかもしれないが、マンガ『巨人の星 (Star Of The Giants)』 [梶原一騎 (Ikki Kajiwara ) 原作 川崎のぼる (Noboru Kawasaki) 作画 19661971週刊少年マガジン連載] に於ける坂本龍馬 (Ryoma Sakamoto) の発言の様なモノでは一切にない。
ここで謂う事件とは登下校時に起こる些細な、しかし、当時のぼく達にとっては、とても重要な出来事なのである。

例えば、掌にしたボール (Ball) を弄びながら、ぼくが歩いていたとする。そのボール (Ball) はゴムボール (Rubber Ball) でもバスケットボール (Basketball) でも、なんでもいい。但し、すくなくともボウリングボール (Bowling Ball‎) ではないのは確かだ。ゴルフボール (Golf Ball) と謂う可能性もなくはないが、当時のぼく達にとって入手可能なそれは大概、破損していたから先ず、解体の憂き目にあう。皮を剥ぎ、びっしりと丸め込まれたゴムを必死になってほどきあげ、核とされているモノを取り出そうとするのだ。
と、話はへんなところへと加速していく。だから可能性として最も高いビックリボール (Bouncy Ball) として話を進めていこう。それは本来、学校へは持参してはいけないモノなのだが、それだからこそ、ぼく達はこっそりと、いや、なかば公然と通学時に、それを持ち歩いている。公然と謂う形容が登場するのは、それをドリブルしたり、同級生同士で投げかわしたりして、その路を歩いているからなのである。
そして、大概、そんな事をしていると、掌がそれたり、思わぬところにぶつかって思わぬところへとんでしまったりする。その結果、それはどぶ (Ditch) へとゴールイン (Reach The Goal) してしまうのである。
マンガ『おばけのQ太郎 (Obake No Q-Tarou)』 [藤子不二雄 (Fujio Fujiko) 作 19641966週刊少年サンデー連載] よろしく、神成さん (Mr. Kaminari) の庭先に飛び込む事は、先ずないのである。

尤も、ゴールイン (Reach The Goal) してしまうのは、そんなボール (Ball) だけの事ではない。思わぬモノ、ありえないモノがそこへ至ってしまう。
有り体にいえば、一緒に通うぼく達の間に、ささやかないさかいが生じて、その結果、そのなかのだれかのなにかが、そこへと投じられてしまうのである。
定規 (Ruler) やリコーダー (Recorder)、給食着 (Clothes For Lunch Duty)、スクール水着 (School Swimsuit)、ランドセル (Ransel) やバッグ (School Satchels)、そして場合によってはその持ち主自身さえも、だ。
ここで、いぢめ (Bullying)、と謂う語句をひっぱりだしてもいいが、それよりも、ぼく達の誰かが剛田武 (Takeshi Goda) の役割を演じて、他の誰かが野比のび太 (Nobita Nobi) の役割を演じてしまったと綴る方が、当時のぼく達の心象には相応しいだろう。

どぶ (Ditch) とは、その様な場所なのである。

にも関わらずに、一躍、格好の遊び場と化す場合がある。それは、当のその場所を浄化する作業、つまり、どぶ浚い (Cleaning Out Mud From A Ditch) の時である。
小学校の周囲も案の定、ぐるりとどぶ (Ditch) で囲われている。そこを定期的に児童達が掃除をするのだ。少なくとも、校庭の草むしり (Weeding) や学校周縁のゴミ拾い (Pick Up Garbage) よりも、皆が楽しげなのだ。くさいくさい、きたないきたないと文句を言謂いながらも、笑顔がそこにある。
先ず、どぶ浚い (Cleaning Out Mud From A Ditch) 専用の用具がある。なかでも人気があるのが下水揚げ (Gesuiage) と謂う用具である。垂直にどぶ (Ditch) のなかにおろし、そこに到達したら柄の末端をひいてそのままあげる。それだけでかなりの量のゴミが浚える。その動きが面白い。そして、その成果が明らかである。そこが愉しいのだ、きっと。
下水揚げ (Gesuiage) ほどではないが、専用の鍬もかなりの効果があって、そちらも意外と人気があるのだ。
多分、普段つかわないからこそ、面白いのだ。通常のそうじの時間でも、雑巾掛け (Wiping WIth A Cloth) よりも、モップ掛け (Mopping) の方が人気がある。しかも手動のモップ (Mop) よりも電気じかけのポリッシャー (Floor Polisher) はさらに人気がある。けっして誰しもが使いこなせる訳でもなく、しかも、大概の児童はそれに振り回されるのに、だ。それと同様なのだ。

冒頭に23区 (Special Wards Of Tokyo) 云々と綴った。流石にいまは先ず、ないだろう。例えあったとしても、巧妙に隠蔽されている筈だ。

images
かつて、映画『書を捨てよ町へ出よう (Throw Away Your Books, Rally In The Streets)』 [寺山修司 (Shuji Terayama) 監督作品 1971年制作] を観た時の事である [上掲画像はこちらから]。その映像のなかに不思議な光景をみつける。
物語の舞台のそのひとつ、住居の眼前をみずがながれている。玄関を出ると、すぐに小川がある。映画を観ていたぼくはこれは一体なんなのだろう、と思った。寺山修司 (Shuji Terayama) 的な、摩訶不思議な光景を演出したモノではない。ごく普通の、当たり前の生活の、その叙景としてそんな映像が飛び込んでくるのである。

しばらくして、ようやく理解できた。

いまのぼくの棲む目の前は、歩行者と自転車専用の路だ。そうなるまえは、完全なる遊歩道であって、児童用の遊具が設置されていたりもした。
それは大通りからはいって、曖昧な曲線を描きながら、その狭い路は神田川 (Kanda River) へと結ばれている。暗渠 (Culvert) なのである。
かつては完全なる水路だったに違いない。
きっと、その頃は、その映画のその場面と同じ様な光景だったのであろう。
そして逆に、その映画のその場面のいまの光景も、推し量る事が出来ない事もない。

そこまでは解る。
だが勿論のこと、映像として記録されているモノ以外は、想像する事しか出来ないのだ。
例えば、そこでのにおいは?

次回は「」。

附記:
編集 (Editorial) の専門用語のひとつに、どぶ (Bleed)、と謂うモノがある。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/2893-4fe1d3d5

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here