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2019.09.17.11.22

ごけみどろ

これってだれかリメイクしないかなぁ、と、ふと思って考える。
物語にある幾つかの要素を拾い出しながら、ああでもないこうでもない、そうすると不意に全然、別の映像作品の存在に気づいてしまう。

それは、映画『遊星からの物体X (The Thing)』 [ジョン・カーペンター (John Carpenter) 監督作品 1982年制作] である。
極限下の舞台設定、限られた登場人物達、外部からの侵入者によって、そのモノ達の生存が次から次へと犯されていくばかりか、遺る人物達相互の信頼関係さえも危うくなる。そして物語が語り終わった瞬間に観客達にあるのは、絶望ばかりなのだ。

勿論、その映画は、映画『遊星よりの物体X (The Thing From Another World)』 [クリスチャン・ネイビー (Christian Nyby) 監督作品 1982年制作] のリメイク作であり、それは否定されるモノではない。
だが、その物語にある根幹を生かしながらも、リメイク作は異形なモノへと捻じ曲げている。物語られる語り口も、そこに登場する侵略者も。
それは、1951年と1982年と謂う制作年によるモノなのか、クリスチャン・ネイビー (Christian Nyby) とジョン・カーペンター (John Carpenter) と謂う監督の違いなのか。

映画『吸血鬼ゴケミドロ (Goke, Body Snatcher From Hell)』 [佐藤肇 (Hajime Sato) 監督作品 1968年制作] のリメイクを夢想していたぼくには、もしかしたら、映画『遊星よりの物体X (The Thing From Another World)』 に、映画『吸血鬼ゴケミドロ (Goke, Body Snatcher From Hell)』 を接ぎ穂したら、映画『遊星からの物体X (The Thing)』 が開花するのではないだろうか、そんな気がふとしたのである。

と、謂う発想は必ずしもぼくだけの事ではない様だ。ふたつの映画名で検索してみると、幾つか同種の発想をしていると思われる記述が登場する。
ぼくは一言、ああそうかと溜息をする。その言葉には、その発想が特異なモノではないと謂う安心と独特なモノではないと謂う消沈が同居する。
だから、検索によって登場した論説をひとつも読んでいない。

映画『吸血鬼ゴケミドロ (Goke, Body Snatcher From Hell)』 には、それまで語られてきた幾つもの物語の素案が無造作に投げ込まれている様に思える。だから、観ているぼくは物語が一体どこへ向かおうとしているのか、そんな事ばかりに気に取られてしまう。
端的に謂えば、物語の発端でもある旅客機のハイジャック事件 (Hijacking) だけでもひとつの物語となり得るし、その旅客機が謎の飛行物体と衝突しただけでもひとつの物語になり得る。だけれども、この映画では、前者はその犯人寺岡博文 (Hirofumi Teraoka ) [演:高英男 (Hideo Ko)] が宇宙からの侵略者に肉体と精神を"乗っ取られる"為の伏線であり、後者は旅客機を奥深い山中に不時着させる為の口実に過ぎないのだ。

しかも、思わぬ不時着によって搭乗客と乗務員のその殆どが死亡したが為に、辛くも生存した人物達の誰もが一癖も二癖もある人物達ばかりなのである。そう、彼等のそこからの逃避と文明社会への帰還だけをもってしても、ひとつの物語を綾なす事もまた、可能なのである。
そうでなくとも、政治家真野剛造 (Gozo Mano) [演:北村英三 (Eizo Kitamura )] とその秘書徳安 (Tokuyasu) [演:金子信雄 (Nobuo Kaneko)] とその妻徳安法子 (Noriko Tokuyasu) [演:楠侑子 (Yuko Kusunoki)] この3人の関係、妻が政治家の愛人であると謂う事実だけを取り上げても、いくらでも語るモノは生成可能なのである。

にも関わらずに、そこに映画の題名に謳われている吸血鬼ゴケミドロ (Gokemidoro) [演:高英男 (Hideo Ko)] が、あたかもだめ押しをするかの様に登場するのだ。

ここだけをみれば、後に幾つも登場するパニック映画 (Disaster Film) の祖型と謂えるのかもしれない。個性の強い幾人もの登場人物達が、自然災害ないしは人的災害に遭遇しそこからの生還を謀る物語である。
物語が語られていく渦中、彼等の強い個性に起因して、生命を危うくするモノもあれば、それとは逆に、希望をつなぐモノもある。また、物語に潜む幾つかの挿話が彼等の前歴をあからさまにし、そこでの体験の蓄積が、彼等の生存をも左右する。

さて、この物語の中枢を成す吸血鬼ゴケミドロ (Gokemidoro) の設定が、また鵺の様な表徴を示しているのだが、それは実際に映画を体験した方が良いと思う。
しかも、複数のヒトビトと共に、だ。出来れば世代や趣味が全く異なるヒトビトと、がより好ましい。
吸血鬼ゴケミドロ (Gokemidoro) を評して、まるで〇〇の様だ、と誰しもが思うだろう。だが、その〇〇は決して共通解を得ないと、ぼくは思う。
それだけ、これまで着想されたありとあらゆる怪異や恐怖をないまぜにし、それを実体化した様な存在なのである。その有様はつまり、それはあたかも映画『遊星からの物体X (The Thing)』に登場する恐怖、物体 (The Thing) を彷彿とさせる、とも謂える。怪異や恐怖の、その概念の混淆が吸血鬼ゴケミドロ (Gokemidoro) だとしたら、その混淆を現実化、もしくは可視化したのが物体 (The Thing) なのである。

images
上掲画像は、吸血鬼ゴケミドロ (Gokemidoro) が自身の搭乗してきた円盤に向かうシーン。この場面は何度も何度も登場し、しかも異様に緩慢な速度で描写される。
ぼくのなかにある映画『吸血鬼ゴケミドロ (Goke, Body Snatcher From Hell)』とはこのシーンである。

次回は「」。

附記 1. :
この映画は、松竹 (Shochiku Co., Ltd.) にとって映画『宇宙大怪獣ギララ (The X from Outer Space)』 [二本松嘉瑞 (Kazui Nihonmatsu) 監督作品 1967年制作] に続く第2弾のSF作品である。映画『宇宙大怪獣ギララ (The X from Outer Space)』 はリアルタイムで観たが、この映画の存在はまったく記憶にない。つまり、それだけ観客の層が異なるのだ。
ちなみにこの映画に続くのが映画『昆虫大戦争 (Genocide)』 [二本松嘉瑞 (Kazui Nihonmatsu) 監督作品 1968年制作] で路線は継承している [そして当時のぼくはこの映画も存在を知らなかった]。だから、このふたつの映画の路線を松竹 (Shochiku Co., Ltd.) が拡充してくれれば、これまでとは全く異なる映画ジャンルを築けたのかもしれない。

附記 2. :
その映画『昆虫大戦争 (Genocide)』にはこの映画で未亡人ニール (Mrs. Neal) を演じたキャシー・ホーラン (Kathy Horan) が重要な役割をもって出演している。その人物アナベル (Annabelle) も、暗い過去を背負っている。

附記 3. :
この映画に最も近い世界観を呈示しているのは、ぼくのなかでは映画『マタンゴ (Matango)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda)監督作品 1963年制作] である。但し、その映画は物語の舞台である孤島に、異形の姿となって安住する事を許されてはいるが、この映画ではそれすらもない。
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