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2008.12.02.20.26

ごじやうだんのなぞ

江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)の処女作は『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』という短編で、初出は1923年の雑誌『新青年』[大正12年4月号]に於いてである。
そのペンネームの由来であるところの、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の傑作『黄金虫(The Gold-Bug)』を非常に意識した、暗号解読(Cryptanalysis)を主題としたものである。

注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。

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物語冒頭の「あの泥棒が羨ましい」から、ずんずんと作品世界に引き込まれるその様は、『黄金虫(The Gold-Bug)』に劣らずに、このジャンルでの名品である事に疑義を挟む余地はない。
さて、その『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』の評論としては、その発表時に書かれた小酒井不木による『「二銭銅貨」を読む』から、その作品を都市論として解読する『乱歩と東京―1920都市の貌』[松山巖著]まで、数多くのものが執筆されたと思う。
にも関わらずに、僕もその後塵を拝しながらも、批評めいたものを書き連ねてみたいと思う。

つまり、物語の最期の最期に登場して、これまで名探偵役を引き受けていた登場人物のひとりを単なる木偶の坊へと堕落させてしまった、あの台詞。
ゴジヤウダン。『御冗談』というのはなんだろう。」という台詞の存在の意味なのである。

現実に疲弊し、徒に時間ばかりを浪費し、無闇矢鱈に惰性に生きていたふたりの青年の下に、一枚の「二銭銅貨」が転がり込む。この「二銭銅貨」に潜む謎と暗号を巡って、そのふたりの青年が、遣い途をとうに喪ってしまった頭脳を駆使させて,立ち向かう。
これが本作品のあらすじである。

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)ならば、少なくともエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の『黄金虫(The Gold-Bug)』ならば、物語の終結部で、彼らの労をねぎらうかの様に、主人公達には黄金と財宝が与えられる。
しかし、この『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』では?

物語は結局、冒頭の「あの泥棒が羨ましい」に立ち戻ってしまう。つまり、現実に疲弊し、徒に時間ばかりを浪費し、無闇矢鱈に惰性に生きていたふたりの青年だけが遺されるのである。

これをふたりの偉大なる推理作家が産まれ育った地域と時代の違いに根拠を得るのは容易い。方や19世紀(The 19th Century)の合衆国東部(Boston)であり、こなた20世紀(The 20th Century)の関東大震災直前東京(Tokyo)なのだ。
前者が伝奇浪漫に己の可能性を信じる一方で、後者が伝奇浪漫に厭世的なキブンを投影したとしてもおかしくはない。

それだけなのだろうか?

僕は、ふたつの小説に現れた暗号解読(Cryptanalysis)そのものが、その謎を解く鍵を握っている様な気がしてならない。
と、いうのは『黄金虫(The Gold-Bug)』で得られる知的昂奮、その暗号の理知的で論理的な解法と同種の快感を『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』では得られないからだ。
暗号そのものの構成原理は凄まじく明快でこちらの疑義の付入る隙を与えていないのにも関わらず、『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』は解読方法を発見するに至る、理論的な説明が殆ど成されていない。
あえていえば、その点に於いて、江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)はエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)を乗り越えられていないのだ。

だからこそ、探偵役の青年には一切の報償は与えられないままに、どんでん返し(Twist Ending)の「ゴジヤウダン。『御冗談』というのはなんだろう。」に辿り着いてしまう。

敢て言えば、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)にとっての推理とは、活きる為の技術であり智慧であるのにも関わらず、江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)にとってのそれは無為であり徒食であり蕩尽でしかないのだ。
だからこそ『黄金虫(The Gold-Bug)』の主人公達が財宝を入手出来たその一方で、『二銭銅貨(Nisen doka : The Part Of Two SEN)』の主人公達は物語を一巡りした結果での「あの泥棒が羨ましい」へと横着してしまうのだろう。

そしてそれはそのまま、その後江戸川乱歩(Edogawa Ranpo)の作風に大きく影響していると思うのだが、如何であろうか?

次回は「」。
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comments for this entry


>丸義さん

>「エル・トポ」を観る機会に恵まれそうです。
あの世界に耽溺してみて下さい。丸義さんのご感想を是非、お聞かせ下さい。

>三島×三輪というのが凄いですね。
あの映画には三島もチョイ役(だけれども決して忘れられない役)で出演しています。機会があればご鑑賞下さい。

2008.12.12.18.59. |from たいとしはる feat.=OyO=| URL


どうも有り難う御座いました。
「黒蜥蜴」は、まだ未見です。
以前から気になっているのですが・・・
三島×三輪というのが凄いですね。

そういえば、以前、=OyO=さんにお勧め頂いた
「エル・トポ」を観る機会に恵まれそうです。
また機会があれば、BlogにUPしたいと思っております。
「ミッドナイト・ムービー」、面白かったです!

2008.12.12.01.29. |from 丸義| URL [edit]


>丸義さん

>乱歩の原作を巧く映画化出来た作品が無いような
石井輝男作品にしろ、実相寺昭雄作品にしろ、乱歩作品というよりもそれぞれの監督の個性の主張が強すぎるきらいもありますね。

多分、乱歩作品の中の「"幼稚"な部分(現実にはあり得ない様なトリック)」と、「通常の男女間に於ける恋愛観」を、個々の監督それぞれが己にとって都合の良い解釈をしすぎているんぢゃあないのでしょうか?

そういう意味では、犯罪者と探偵の恋愛をテーマにしたふたつの『黒蜥蜴』は安心してみられますが、これも乱歩の『黒蜥蜴』というよりも三島由紀夫の『黒蜥蜴』ですよねぇ。京マチ子版も美輪明宏版も、それぞれに妖しい魅力を放っているのですが。

だから、未だに存在しない恋愛映画としての『陰獣』や『黄金仮面』を夢想しています。

2008.12.10.19.48. |from たいとしはる feat.=OyO=| URL


こんばんは。
興味深く読ませていただきました。

真冬の凍てつく夜…布団の中で乱歩の作品を読むのが好きです。

そういえば、乱歩の原作を巧く映画化出来た作品が無いような気がします。
(個人的には塚本晋也の【双生児】は好きですが)
=OyO=さんは、どう思われますか?
何か良いのがあれば御教示下さい。

2008.12.10.01.37. |from 丸義| URL [edit]

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