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2019.08.27.08.36

しゅうでんしゃだっておわっちまっただもうしはつをまつしかないだ

前回の続きでは決してないが、件名として掲げたのは前回の主題、近田春夫・アンド・ビブラトーンズ (Haruo Chikada And Vibra-Tones) による楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 [作詞作曲:近田春夫 (Haruo Chikada 1981年発表 アルバム『ビブラトーンズ・ファン (Vibra-Tones Fun)』 1988年発売] の一節からである [その歌詞はこちらを参照の事]。

大学生となって上京して最初に暮らした2年間は、大学 (University) からバス (Bus) で10数分の場所だった。だから、通う分には全く不都合はない。何故ならば、ぼくが当時棲むアパート目前にバス停があったからだ。
だけれども、それ以外に関しては不都合だらけだ。
都心との行き交いが不便で仕様が無い。
平日ならば大学 (University) での講義後に繰り出す事になるから、そこの最寄駅 (The Nearest Station From There) ならば名目上は目と鼻の先だ [実際に歩くと一山越える様な感覚になってしまうが]。だが、問題は帰宅の際に発生する。
最寄駅 (The Nearest Station For House) とぼくの棲むアパートを繋ぐ直通のバス (Bus) 路線はない。どこへ行くにも一度、乗り換える必要がある。そして終バスは21時台なのだ。これではどこへも出かけられないのだ。
だから、都心に赴く事は1泊が前提であり、その夜、行動を共にする友人達の誰かしらの住処に転がり込む事にしていた。
つまり、その2年間は楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』』的な感慨とは無縁の生活だったのである。

遺りの2年間はこちらに書いた様に仙川 (Sengawa) で暮らした。その前の2年間と比較すると、都心との往復と謂う点に関しては、天国と地獄 (Orphee aux Enfers) と謂うと大袈裟だが、とてつもなく利便がよくなった。日帰りが充分に可能なのだ [その逆に、大学 (University) は随分と遠くなってしまった]。
そして、この頃から、楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』』がぼくの生活にも出現する様になる。

当時のぼくの台詞にこんなものがあった。
「今夜 [こそ] 今日中に帰るからね (I'm [Really] Sure To Go Home Sometime Today.)」
つまり、どんなに遅くとも終電には駆け込むつもりなのだ。そして、 「こそ」と謂う副助詞が登場すると謂う事は、その意思がいつかどこかで挫けてしまうと謂う裏付けでもある。結局、その時間には間に合わないのだ。

夜はどんな過ごし方があっても良い。
そして日没直後に、その夜になすべき事が終わってしまう場合がない訳ではない。
だから、そこで帰れば良いのだ。だが、それをしない、それができない。
「今夜 [こそ] 今日中に帰るからね (I'm [Really] Sure To Go Home Sometime Today.)」と謂うエクスキューズ (Excuse) が発動してしまう。その台詞を発した責に応じるかの様に、そこにとどまる。もしくは、その場に同席していたヒトビトと行動を共にする。
何故ならば、本当に愉しい時間が、その後に控えているかもしれないのだから。
それを期待して、その時が来るのを待っている。
そして、決断すべき時が来る。先の、自らが発したその台詞に任ずれば、その場を去るべきだ。しかし、往々にして今度はさっきとは逆に、自らの発言の責務を反故にしてしまう。

だからと謂って、それを詰るモノはいない。
「まだいたんだ (You Still Stay here.)」とか「もう帰る時間でしょ (This Is The Time You Should Go Home.)」とは、決してだれもおくびにも出さない。何故ならば、おおかれすくなかれ、他の誰もがおなじだったからだ。あのエクスキューズ (Excuse) を抱えているのは、ぼくだけではないのだ。

そして、そんな状況はあの2年間に限った事ではない。社会人となっても、御多分に漏れず、似た様な状況ばかりが出来するのだ。
あの台詞はいまだって登場する。
ただそれがあの2年間よりも遥かにすくないのは、必ずしもそれが許されるべき自由がぼくにはなかったからである。

勿論、金銭的な余裕と謂うモノが、往時よりも少なからず出てきたと謂う理由もある。
それは、終電が出てしまっても、タクシー (Taxi) をひろうと謂う選択肢だ。
当時、勤務先から自宅までは、5千円 (5,000 Yen) では帰れないが1万円札 (10,000 Yen Note) を握りしめてさえいれば余裕の場所に棲んでいた。
学生ならば大金だが、社会人ともなれば決済能力はほんの少しばかりだがあがっている。無理な金額でも無茶な金額でもない。
だけれども往時、それを阻む別のモノがあったとここではそれだけを告げておこう。

その頃の事はここに綴ってある。

ただ、そこに綴られてある事に補足すべき事があるとしたら、金曜日の夜 (Friday's NIght)、に関してである。
金曜日 (Friday) だから、と謂う理由で仕事が待ってくれる訳ではない。金曜日 (Friday) だから、と謂う理由で幾つもある誘惑がてぐすねを控えてくれる訳ではない。
単純に、翌日が土曜日 (Saturday) であると謂う事だけだ。少なくとも職場は休日である。そして、取引先の幾つもが休日である。そこに理由がある。
休日出勤して、今抱えている案件の帳尻をこの週末であわせてしまえばよいのだ。そう、決断できれば、金曜日 (Friday) の今夜は定時退社してもいい。
逆の発想をすれば、明日の始発にまにあう様に、いまここにある案件を今夜中に処理してしまおうと謂う思考もあり得る。
いずれにしても今夜も含めた週末の時間を幾らか犠牲にする事によって、抱え込んでしまった事物を一気に片付ける事が出来るのだ。
つまりは、そおゆう事なのだ。

そして、大概はそんな決意がどこかでぐらつき、あやふやなままに適当にやり過ごしてしまうのが、おちなのである。

images
上掲画像は本文とは殆ど関係のない映画『七人の刑事 終着駅の女 (Seven Detectives A Woman In The Terminal Station)』 [若杉光夫 (Mitsuo Wakasugi) 監督作品 1965年制作] のポスターである。物語云々ではなく、タイトルバックとして登場する上野駅 (Ueno Station) の光景が印象深く遺っているのです。

次回は「」。

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