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2019.08.20.08.50

きんようびのてんし

ある特定の時代の特殊な層を題材とした楽曲である、そう認識していたから、この曲のカヴァー・ヴァージョンがある事を知って、驚いた。
ひとつは、面影ラッキーホール (Omokage Lucky Hole ) の楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 [アルバム『代理母 (A Surrogate Mother)』収録 1988年発表] であり、ひとつはパスピエ (Passepied) の楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 [シングル『ヨアケマエ (Yoakemae : Before Dawn)』 2016年発表] である。
ぼくが慣れ親しんだのは、それらのオリジナル・ヴァージョンである、近田春夫・アンド・ビブラトーンズ (Haruo Chikada And Vibra-Tones) による楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 [作詞作曲:近田春夫 (Haruo Chikada 1981年発表 アルバム『ビブラトーンズ・ファン (Vibra-Tones Fun)』 1988年発売] である。

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ある特定の時代の特殊な層、と綴ったのは訳がある。『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 (Businesses Affecting Public Morals Regulation Act)』 [以下、『風営法 (Hoo Ei Ho)』と略する] が1984年に改正され、翌1985年に施行されたからである。その結果、この楽曲が舞台とするディスコ (Disco) はその法律の取り締まるべき対象として、営業時間が0時までと規定されてしまったのだ。
この楽曲で歌われている世界や風俗が、『風営法 (Hoo Ei Ho)』施行によって、壊滅せしめられた、と謂って良い。
その時をもって『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 は絶滅したのである。
だから、本来ならば、この楽曲はある時代を象徴的に抽出した楽曲としてのみ評価され、挽歌 (Elegy) としてのみ聴く事が許されるモノなのである [上掲画像はこちらから]。

だからこそ、この曲の作者である近田春夫 (Haruo Chikada) が、その法律に異議を投じる楽曲『フー! エイ! ホー! (Hoo! Ei! Ho!)』 [アルバム『ヘヴィー (Heavy)』 [1986年発表] をプレジデント・ビー・ピー・エム (President BPM) 名義で発表したのである。
恐らく、その時以降、近田春夫 (Haruo Chikada) 自身によって、楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』がうたわれる事はなかったのではないか。彼がうたうのは、楽曲『フー! エイ! ホー! (Hoo! Ei! Ho!)』である。その楽曲が発表された後に彼によって結成されたビブラストーン (Vibrastone) でも楽曲『フー! エイ! ホー! (Hoo! Ei! Ho!)』 は演奏された [アルバム『ビブラ・イズ・バック (Vibra Is Back)』 収録 1989年発表]。

一方で、『風営法 (Hoo Ei Ho)』は2015年に改正され、規制は緩和された様ではあるが、必ずしもそれが誰にとっても納得がいくモノでもないだろう。
仮に近田春夫 (Haruo Chikada) がステージにたつ時があったとしたら、いずれの楽曲を選択するのだろうか [勿論、彼の事だからいずれもとりあげないと謂う可能性は充分にあり得る]。

この曲をぼくが初めて聴いたのは、大学生時代のある冬休み、年があらたまってすぐの時である。
昼日中になにもする事がなく、友人宅にとぐろを巻いて、TVを観ていたのだ。ぼくの傍では雀卓が囲まれていたのかもしれない。ブラウン管には、大晦日のイヴェント『ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル (New Years World Rock Festival)』  [1973年より開催] の模様が映し出されている。その出演バンドのひとつとして、近田春夫・アンド・ビブラトーンズ (Haruo Chikada And Vibra-Tones) が出演し、楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 を演奏していたのだ [こちらを参照するに第11回、1983年~1984年の事らしい]。
印象に遺るのは、近田春夫 (Haruo Chikada) ではなくて、もうひとりのヴォーカリストとでも呼びたくなる様な、バック・ヴォーカルの福岡ユタカ (Yutaka Fukoka) である。彼の延びる高音域の歌唱が、この楽曲をとても異質なモノ、異次元なモノ、異世界なモノとして輝かせている。

だけれども、うたわれている内容は異質でも異次元でも異世界でもなんでもない。むしろ当時のぼく達にとっては至極当たり前の光景なのである [歌詞はこちらを参照の事]。
そこにいけば夜通し遊べる、そこにいけば呑み喰いは自由気侭だ [当時のディスコの大半はフリー・フーズ・フリー・ドリンクだった、逆に謂えば、そんな場所しかぼく達はいけなかった]、そしてそして .... と気分はどこまでもおおきくなり妄想はどこまでもひろがるが、結局始発電車を待つ為の暇つぶしの場所でしかない。
少なくともそこに出逢いの可能性があるだけ、オールナイトの映画館で一晩明かすよりマシだ、そんな認識である。
凄まじく刹那的な快楽を追求している一方で、ある種のやるせなさ、どうしようもなさをも内包したのがこの楽曲なのである。

つまり、『金曜日の天使 (Angels On Friday)』 としてうたわれている人々と、その演奏をTVで観ているぼく達とは、然程かわらないのだ。

むこう、と謂うのは楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』でうたわれている様な人物達だ、そのむこうはきっとぼく達の様な生活をおくるモノ達を歯牙にもかけない。そして、それはそのまま、ぼく達から彼等への視点もきっと同様のモノだろう。
だがその実、同病相憐む (Fellow Sufferers Pity Each Other) 様な関係だったのかもしれない。

ところで、たまたまその際は、楽曲『金曜日の天使 (Angels On Friday)』をTVで観る位置にいたが、ぼくとぼくの友人達のごく一部はその楽曲でうたわれているがままの時間をもつ事もあったのだ。
だからなおさら、双方の駄目さ、報われなさには早くから気づいていた。

気づいてはいたが、だからと謂って、なにか具体的な行動なり改革なりを働きかける訳ではない。すくなくとも、自身だけはそこから差別化を謀るべきではあるのに。
と、謂う様な認識をもちながらも、そんな状況がつくりだすぬるま湯の様な場所にずっとつかっていたのである。

次回は「」。
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