FC2ブログ

2019.07.30.08.36

かねぼう

母方の祖母は健在だ。市営団地に一人で棲んでいる。ずっと昔から、少なくともぼくが幼い時分からだ。彼女とおなじ市営団地には、ぼくの母も居り、日常の生活には彼女が彼女の面倒をみている様だ。つまり、典型的な老老介護という事になる。尤も、その市営団地には、彼女の妹達3人のうちの2人、つまりぼくからみれば叔母達2人の家族も暮らしているから、万一の場合はそのいずれかが援助ないし介護にあたる事になるだろう。だから、長女としての務めに勤しんでいる彼女はいたって呑気だ。
ふたむかし前ならば小説『細雪 (The Makioka Sisters)』 [谷崎潤一郎 (Jun'ichiro Tanizaki) 作 19431947年発表] の様な物語にも、ひとむかし前ならばTV番組『渡る世間は鬼ばかり (Wataru Seken wa Oni Bakari)』 [脚本:橋田壽賀子 (Sugako Hashida) 19902011TBS系列放映] にもなりそうな題材にもあたるんだろうか?

と、謂う様な事は拙稿の本題には殆ど関係はない。
これから綴られるのは、ぼくの幼時の記憶を単純になぞってみたその結果、そんな内容なのだ。

当時のぼく達は同じ市内の、祖母の居る市営団地からまっすぐに北上した位置にあった。祖母の、と綴ってみたが、当時は彼女の夫、つまりぼくの祖父も健在で、先に登場した2人の叔母達も独身、そこに暮らしていたのである。
そんな祖母達家族の家までは、ぼくの家からくるまで半時間とかからない。運がよければ十数分で辿り着いてしまう。と、謂うのは、ぼく達の家から祖母の家まで向かうのに、ひとつの国道とふたつの線路がその行手を阻んでいるのである。ふたつある線路のひとつは私鉄だ。これは大した事ではない。しかし、のこりのふたつ、国道国鉄 [当時] は隣接する様に東西をはしり、このふたつを越すのにえらく時間がかかる。いついっても渋滞なのである。その結果かどうか、そこを境とする南北で、街の光景が悉く違うのだ。
ついでに綴っておけば、東西に走るもうひとつに新幹線があるが、これは建設等当初から高架である故、交通には一切の支障がないのであった。

ところで、祖母の居る市営団地と先に綴ったが、ぼくが産まれたばかりの頃は、市営団地ではなかったのかもしれない。記憶の片隅に、共同の炊事場をみた記憶があるからだ。木造の、長屋のような住居なのだろう。それがきっとその地に市営団地が新築される事になり、祖母はそこに入居したのである。
そのあたりの事情をそれを知っているであろう母に尋ねた事はない。だけれども、ぼくの記憶を補完するモノとして1枚の写真があるのであった。それはプレハブ住宅独特のうすあおい壁を背にして微笑む、丸首セーターを着た、幼いぼくが写っているのである。多分それはある年の正月に祖母の許を尋ねた記録であり、あおい壁こそがそのときの、祖母達の仮住まいなのである。

そして、おそらくその頃のものなのだろう、ぼくの記憶に遺っているもうひとつの光景がある。それは、祖母の家の近所、乃至はそこへむかう途中の光景だ。
片側2車線の幹線道路の向こうにあおあおとした田圃が広がっている。そして、その向こうにはなだらかな山の稜線がはしっている。ついでに綴っておけば、青空の下に、だ。
そんな単色の光景のなかに、それを鋸で切り裂くような様相で、茶色のぎざぎざとした建築物が軒を連ねている。長閑な光景にそれはあまりふさわしくなく、すこし強引にそこに居座っている様な印象だ。

imgaes
"かねぼう"の工場だと謂う。
[上掲画像はこちらから。倉敷アイビースクエアの前身である倉敷紡績工場の全景だと謂う。:そのモノを撮影した写真ではなく、しかもぼくの視点からはこんな鳥瞰は望めないから、雰囲気だけを感じてもらう事しか出来ない。]

"かねぼう"と謂う語句から浮かぶ印象は化粧品だ。後の時代になって、もうひとつのライバル企業競って発表されるCMソングで話題を呼ぶ。しかし、それらの建築物の佇まいと、化粧品とは一直線に結ばない。

ぼくが小学校に入学したその年の夏休みに、ぼく達の家族は引っ越す事になった。市営団地の抽選に当選したのだ。しかも、祖母の棲む市営団地の一角に新たに建設された、新しい棟へとである。
そこでの新たな暮らしについてはここでは綴らない。ここで綴るべきは、その市営団地に暮らす様になったら、今度は逆に、かつてぼく達が棲んでいた住居のある街へと向かう事が頻繁にあったと謂う事だ。なぜならば、その街には父方の伯母夫妻が暮らしており、伯母が営む化粧品雑貨店があったからだ。

そして、時折くるまで、いや、こちらの方がさらに頻度が高い、母とぼくは自転車で二人乗りをしてそこへと向かうのである。母の漕ぐ自転車で數十分の道程である。くるまでむかう道路と並行してはしる細いみちを通ってだ。

途中、ぼく達が向かう道にななめに交わる細いみちがある。いや、みちと呼べる様なモノではない。そこをつかっていきかう車輌もひともなにひとつない。敢えて謂えば、道の予感だ。
しかし、実際はその逆、かつて道だったモノなのである。それは、国鉄の駅と"かねぼう"を結ぶ引き込み線の名残なのである。

小学校の高学年になったあたりから、ぼくは自転車でひとり、その道をいきかう様になる。その頃から、その名残は、次第に影をうすくし、いつのまにやらなくなって、そこにそんなモノがあった事をぼくはすっかりと忘れてしまう。
何故ならば、存在を焼失し、存在が忘却されていくのは、その名残だけの事ではないからだ。ほそいみちの周辺の光景がどんどんと様変わりしていくのである。

それ故に、鋸型の工場である"かねぼう"もいつしかみえなくなった。
幹線道路に沿って並んでいた田圃はいつしか姿をけしてしまい、その結果、そこを望む事が出来なくなったしまったからだ。それとも、それよりも先に、工場そのものがうせてしまったのだろうか。
その工場にちなむカネボウ通りと謂う呼称だけは遺っている様だ。

南北の交通を遮断するかの様相を呈していた国鉄は、高架事業の結果、かつての渋滞は緩和された様に思う。
ふたりの叔母達がそれぞれの伴侶と出逢い、独立した生活に勤しむ事になったのも、その頃であった。

次回は「」。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/2840-23e9e378

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here