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2019.06.25.08.50

けめだま

は妖怪、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitarou)』 [作:水木しげる (Shigeru Mizuki) 1967~1969週刊少年マガジン連載]の一挿話『髪の毛大戦 (The Hair Great War)』 [1969年発表] に登場する。

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その容姿は、その作品の主人公、鬼太郎 (Kitaro) の父親である目玉おやじ (Medama-Oyaji) によく似ている。彼が禿頭 (Bald Head) の中年男性をデフォルメしたモノと看做す事が出来るのならば、毛目玉 (Kemedama) はドレッドロックス (Dreadlocks) の中年男性なのかもしれない。どちらも人間の掌に乗る程の背格好しかなく、身体の殆どは眼球である。それ以外の感覚器官を認める事は出来ない。
[上掲画像はこちらから]

ところで、そのマンガ作品の別の挿話『げた合戦 (The Geta Battle)』 [1968年発表] には、丸毛 (Maruge) なる妖怪が登場する。こちらは眼球がふたつあるモノの、身の丈は目玉おやじ (Medama-Oyaji) や毛目玉 (Kemedama) と同程度、禿頭 (Bald Head) とドレッドロックス (Dreadlocks) の比喩に準じて表現すれば、彼は総髪 (Hair Knotted In The Back) の髭もじゃ (Beardedness) なのである。

目玉おやじ (Medama-Oyaji) と毛目玉 (Kemedama) と丸毛 (Maruge) を3体並べてみると、まるでそれぞれはそれぞれに対する亜種 (Subspecies) の様にも思える。
しかしながら、少なくとも目玉おやじ (Medama-Oyaji) にはその可能性はないだろう。と、謂うのは、作品登場時の彼はその様な容姿ではなかったからだ。

そのマンガのこれまたべつの一挿話『鬼太郎の誕生 (Birth Of Kitaro)』 [1966ガロ掲載] をみれば解る。彼は人間並みもしくはそれを上回る身体を誇示していたのである。それが病魔に侵され、その結果、おのれの死に直面する事になる。しかし、我が息子、鬼太郎 (Kitaro) の行く末を案じるが故に、おのが眼球そのひとつにおのれの生命を宿し、新たなる容姿を得たのである。挿話『鬼太郎の誕生 (Birth Of Kitaro)』とは、視点を変えてみれば、目玉おやじ (Medama-Oyaji) 誕生秘話である。

その様な秘話が、毛目玉 (Kemedama) や丸毛 (Maruge) にあろうとは思えない。少なくとも、後者に関してはその可能性は一切ないのだが、ここでは敢えてその所以は語らない。
この記事の主題が前者にあるから、とここでは綴っておこう。

その様な経緯を辿ってあらたなる肉体を得た目玉おやじ (Medama-Oyaji) は、四肢を得た眼球と謂う身体から、奇怪なる存在として当初は怖れられる [そして怯えたモノに対し、鬼太郎 (Kitaro) 自らによる、この眼球は自身の父親であると謂う説明をもって、そこで産まれた恐怖は霧散する事になる]。その作品の幾つかの挿話、『妖怪大戦争 (The Yokai's Great War)』 [1966年発表] や『吸血鬼エリート (Vampire Elite)』 [ [1967年発表] にその描写がある。

また、息子の鬼太郎 (Kitaro) と行動する際は、喪われている彼の左眼の眼窩に身を潜めている場合が多いが、その結果、息子の鬼太郎 (Kitaro) 自身も怪異性を帯びる事になる。その服装を別にすれば一見、普通の少年の様にみえる鬼太郎 (Kitaro) は、自身の隻眼を補う様なかたちで自身の父親、眼球だけの存在の彼を棲まわせている事によって、少なくとも外見上は、自らの出自を妖怪であると担保している事となる。
マンガ『ゲゲゲの鬼太郎 (Gegege No Kitarou)』と謂う物語に於いて、目玉おやじ (Medama-Oyaji) と謂う存在が果たすべき役割は、外観上、その様なモノなのである。
得体の知れない眼球状の生物を伴った奇怪な少年、それがとりもなおさず、鬼太郎 (Kitaro) なのである。

しかし、その父子に備わった怪異性はそのマンガの連載が続くに従って次第に喪われていく。その行く末に誕生したのが、挿話『髪の毛大戦 (The Hair Great War)』と謂う物語であり、毛目玉 (Kemedama) と謂う妖怪なのではなかろうか。

その物語では、毛目玉 (Kemedama) は、髪さま (Kami-sama) と謂う妖怪の走狗である。
髪さま (Kami-sama) は、他者の髪を思いの侭にする事が出来、それによって彼は無辜なるヒトビトを支配し得る。
さて、ここで思い出すべきは、鬼太郎 (Kitaro) の髪の毛にも特殊な能力があると謂う事だ。この挿話でも実際にその髪を駆使して事件を解決しようとする。

つまり、鬼太郎 (Kitaro) と目玉おやじ (Medama-Oyaji) と謂う組み合わせを反転すると、髪さま (Kami-sama) と毛目玉 (Kemedama) の組み合わせが生成するのではないだろうか、と謂う事なのである。正義から悪へと鏡に映しだす様に、だ [しかも、この挿話には八たの鏡 (Yata no Kagami) なる存在が物語の鍵になっているのだ]。それによって本来ならば喪失されつつある怪異性の復権を試みようとしたのではないだろうか。

しかし、と謂う声は発せられるかもしれない。鬼太郎 (Kitaro) と目玉おやじ (Medama-Oyaji) は息子とその父である一方で他方は、髪さま (Kami-sama) と謂う首魁と毛目玉 (Kemedama) と謂う手下ではないか、と。それぞれに於ける地位が逆転しているのではないか、と。
だが、思い起こして欲しい。鬼太郎 (Kitaro) が瀕死の場合や捕囚の場合さもなければ危機的状況にある場合、彼以上に大活躍しているのが目玉おやじ (Medama-Oyaji) である事を。例証としては、上に挙げた2挿話、『妖怪大戦争 (The Yokai's Great War)』と『吸血鬼エリート (Vampire Elite)』を挙げるだけで充分だろう。
その東奔西走する様は、この挿話での毛目玉 (Kemedama) のそれと充分に対等な筈である。

次回は「」。

附記 1. :
丸毛 (Maruge) には家族がおり、そのどれもが丸毛 (Maruge) と同様の容姿である。だから、丸毛 (Maruge) と謂う妖怪は一生涯その容姿であり、目玉おやじ (Medama-Oyaji) の様な誕生秘話とは無縁なのである。それをもって、この2妖怪が類縁ではないとする事は可能だ。
但し、その挿話での彼の行動は総て、その家族の為になされたモノである、その心象をもって、息子に対する目玉おやじ (Medama-Oyaji) のそれとの共通性を、みいだすべきなのである。

附記 2. :
はっきり謂って、拙稿は単なるこじつけである。
こじつけではあるが但し、目玉おやじ (Medama-Oyaji) の表象の推移や、その作家である水木しげる (Shigeru Mizuki) の創作法ないし作劇術を解読するための端緒になるかもしれないなぁ、とは思ってはいるのだ。

附記 3. :
この記事を書き終えるにあたって、マンガ『鬼太郎のベトナム戦記 (Kitarou No Vietnam Senki)』 [1968月刊宝石連載] に於いて、毛目玉 (Kemedama) に関する目玉おやじ (Medama-Oyaji) の「100年前に別れたわしのイトコ」と謂う発言に遭遇し、愕然とする。
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